おだんご日和 -14ページ目

おだんご日和

Dango茶屋・いちのせの徒然記



パソコンが修理から帰ってきました。

しばらくブログが書けていませんでしたが、ぼちぼち書いていこうかと思います。

いろいろと、書きたいこともたまっているので。




 以前、フェイスブック上で間接的に議論を戦わせている2人の話を書いたことがありました。

http://ameblo.jp/dango-blog/entry-12116806727.html

 それからしばらくしたある日、「アレって、オレのことだろう?」と言われて、びっくりしました。
「あんな、奥歯に物の挟まったような書き方しなくても、読む人が読めばわかるのだから・・・」と、その人は言うのですが・・・あの記事は別人のことを書いていたのです。

 あいまいな返事をして、後日その人のフェイスブックを見てみました。
 結構いるんですね・・・SNSで冷戦を繰り広げている人・・・。

 う~ん・・・気をつけよう。


 

 「悪の力」(姜 尚中 著)と、「偽善のすすめ」(パオロ・マッツァリーノ 著)を読みました。
 どちらの作家さんにも以前から興味があって読んでみたいと思っていたんですが、偶然にも両書は「悪」や「悪意」、そして「善」と「善意」について考察した本でした。

 どちらも面白かったけれど、考察は控えめで、事実の確認や調査結果の報告が主だった内容でした。(悪の力のあとがきには、新書版なので、読みやすさを優先したと書かれていたので、そういう部分もあるのでしょう)



 久しぶりに面白いものを読んだので、急にエーリッヒ・フロムの「悪について」を読みたくなり、本棚から引っぱり出したのですが・・・昔読んだ時とは随分印象が違って、そのキリスト教的な価値観に「なるほど」となったのでした。

 世間一般に言われる「様々な悪」を分類し、それらの「悪の度合い」を評価して行くのだけれど、その中で最も悪とされるのが「死を愛し、死を賛美する悪」となっている。
 しかし、「死を愛し、死を賛美する悪」が、なぜ最も悪の度合いが強いのかを明確に証明することはせず、絶対・自明のこととして論を進めるのです。

「あのニュージーランド人の言っていることは、こういうことだったのか!」と、私は思った。

 最近、イギリス系のニュージーランド人が書いている日本語ブログ(ややこしい)を知って、ひまひまに過去記事を読んでいるのですが、その中に次のような論旨の文章があったのです。



「日本人の『相対化という考え方』には、空恐ろしいものを感じることがある。
 911のテロが世界中に生放送された時、日本の識者といわれる人が『アメリカが進めてきたグローバル化や国際戦略の結果だ』と言った。
 これは、目の前でたくさんの人が死んでいる映像を見ながら、テロリストを非難するのではなく『自業自得だ』と言っているのと同じではないか。いくらなんでも、あまりに冷たい相対化ではないだろうか?」



 ブログ主の解釈に若干の疑問は感じるけれど、きっと911から「死を愛し、死を賛美する悪」を感じて、それを絶対・自明のこととして非難しない日本人に戦慄したのだろう。
 そして、世界ではどうやらブログ主のように感じる人間が圧倒的多数であり、日本人のように「死を愛し、死を賛美する悪」さえも相対化してしまうのは少数派の変わり者ということらしい。



 日本人がなぜそうなるのか・・・武士道のせいか?・・・明治維新と敗戦という2度の価値観の転倒を経験したからか・・・そもそもそれは相対化なのか?・・・日本人には絶対の価値観はないのか?

 私は、ぐるぐるとワケがわからなくなり、もう一度ゆっくり考える必要があるぞと、思ったのでした。


 



 藤子・F・不二雄先生が描いた最後の作品だそうです。
 遺作と言って良いのでしょう。

 私がリアルタイムで触れていた大長編ドラえもんは「アニマルプラネット」あたりまでなので、この作品は非常に新鮮な気持ちで見ることができました。
 途中からいなくなる「種をまく者」や、のび太たちよりもずっと積極的に冒険する悪役「熊虎 鬼五郎」など、物語としては疑問点もありましたが、人生の最後に藤子F先生が何を描こうとしたのかと考えると、ちょっと切なくなります。

 私たちは、ねじ巻き都市の動物たちのように賢くなれるのだろうか・・・と。

 今振り返ると、アニマルプラネットのあたりから作風が変化していて、(年齢的なものもあったと思いますが)中学生頃の私は、その変化について行けず、大長編ドラえもんから遠ざかって行ったのかもしれません。

 ユートピアを建設するおもちゃたちや、良心の化身である「ホクロ」によって改心する鬼五郎など、大長編初期の「胸おどる大冒険」とは違う、どことなく哲学的な思索が感じられる作品でした。


 
海まで、何もない広い平地が続いていると思いました。

 

しかし、すぐに建物の基礎らしきものが地面にたくさん残っていることに気づいて、何とも言えない気持ちになりました。

さっき見た、削られた山の行き先もわかりました。

 

かさ上げ工事の盛り土になっているのだろうと思いました。
バスの中から夢中で写真を撮っている私は、はしゃいでいる観光客のように見えたかもしれません。

だんだん仙台が近付いてくると建物も多くなってきます。

 


しかし、立ち並んだ真新しい住宅地を見ると、ここでコミュニティと言うか、地域の文化を再び作り出すことの大変さに気が遠くなったのを覚えています。

仙台周辺は高台だと思い込んでいたのですが、ここでもかさ上げ工事がされていました。

 
  
仙台空港から、福岡行きの飛行機で帰りました。

 

 

これまで、何度かブログに書こうと思ったのですが、祖父が亡くなる前に行くべきではなかったかと後悔し、そのことに向き合えないでいるうちに3年が経ってしまいました。
今回、ブログに書いてみても、特に気持ちが変わることもなく、自分は愚図であるなと確認した次第でした。