ミホノブルボンの皐月賞、見つめる黒い影、遂に出会ったパーマーとヘリオス!

トウカイテイオー・メジロマックイーンの話は「4話-①へ」→コチラ

その他ウマ娘関連記事は→コチラ

 

 

 

 

 

 

「ウマ娘」のアニメの考察の一環であり、

モデルになっている競走馬等の名誉を傷つけたり

アニメの著作権を侵害する意図はありません。

 

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目次

※ ページ内リンクが飛ばない場合はスルーで

・ パーマーとヘリオス(重要)

・ 1992世代の解説

・ ミホノブルボンと坂路調教

・ ミホノブルボンの皐月賞

・ 黒い刺客(要チェック)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パーマーとヘリオス

4話で描かれている元ネタは1992年、この年はメジロパーマーが活躍して話題になる年なのだが、メジロパーマーが目立ったレースには、一緒に駆ける相棒がいた……その名も、ダイタクヘリオス!!!
 
 
 
 
同じ時代に活躍した”メジロ”を冠した3頭の馬のうち、メジロパーマーの史実を辿るウマ娘。
 
天皇賞に出られるくらい頑張っているのに、いまいち注目されないと嘆く……。
 
それもそのはず、この時点で、すでにGⅡの札幌記念を含む4勝を挙げるが、重賞ウィナーなのに”障害転向”をさせられ、障害レースでも1勝を挙げるも、再び”平場(いわゆる普通のレース)”に戻って来たという、いわば迷走状態なう。
 
※ 競馬の”障害レース”は、陸上でいう”ハードル”競走で、競馬場を右へ左へ周りながら障害となる竹柵などを飛び越えながら走るレース。
 
 
 
パートナーの存在が不可欠!
 
”占いのウマ娘”として定着しつつある、マチカネフクキタルの占いにより、パーマーはパートナーの存在を指摘されるが、この”パートナー”には解釈が2通りある
 
1つはメジロパーマーの覚醒のキッカケとなる、山田泰誠騎手との出会い。
 
とはいえ、ウマ娘に騎手はいないので、パートナー問題を解決するには別のパートナーが必要となる……まぁ、そう簡単に巡り合う訳が……(フラグ)
 
 
 
↓↓↓
 
パートナー登場\(^o^)/
 
ダイタクヘリオスは1992年の春の時点で、すでにマイルチャンピオンシップを勝ってGI馬になっている実力馬……恐らく描かれないだろうけど、1992年の同レースも勝ってマイルチャンピオンシップを2連覇するくらいの力はある……が!!!
 
1992年のGIレース……宝塚記念、天皇賞秋、有馬記念で対決し、メジロパーマーと競って逃げて、周囲を巻き込んで波乱を起こす馬としても有名。
 
非公式な呼称ですが、”馬鹿コンビ”でググると、検索の1位と2位にメジロパーマーとダイタクヘリオスの「ニコニコ大百科」が出ます(笑)
 
 
 
お嬢様がつれないんだよぉぉぉ!!!
 
ウマ娘の世界では、ダイワスカーレットのようにモデルが超良血馬だと、お嬢様っぽいキャラになる傾向があるので、ダイタクヘリオスが叫ぶ”お嬢様”は、天馬トウショウボーイとハギノトップレディの娘である超良血馬”ダイイチルビー”で間違いないだろう。
 
非公式だけど、ダイタクヘリオスはダイイチルビーは一緒のレースに出る事が多く、ヘリオスがルビーを好きだから、一緒に走るレースは超頑張っていたんじゃないか……という話がある。
 
また、ダイタクヘリオスはどちらかと言えば普通の血統、対してダイイチルビーは超良血なので、実際には配合はされず、その恋が実る事は無かったが、そういった設定は、マンガの題材になったり、ゲームでダイタクヘリオス×ダイイチルビーの子が強い設定になったりしたらしい。
 
 
 
 
とまぁ、細かい元ネタはさておき……1992年のレースを描く上で、メジロパーマーとダイタクヘリオスの名前は必ず登場するはず!
 
勝った負けたはともかく、ウマ娘のキャラとしても面白いコンビになると思うので、覚えておいて損はない2人かもしれません(*´艸`*)
 
 
 

 

この2人のコンビ結成の立役者が、マチカネフクキタルの占いなのは草w

 

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1992世代

1989年生まれで1992年に3歳(旧4歳)になる世代で、トウカイテイオーより1つ下の世代となる。

 

 

 

ウマ娘2期の年表

1990年 菊花賞 メジロマックイーン

1991年 皐月賞 トウカイテイオー

1991年 天皇賞春 メジロマックイーン

1991年 ダービー トウカイテイオー

1991年 菊花賞 リオナタール(レオダーバン)

1991年 有馬記念 ダイサンゲン(ダイユウサク)

1992年 阪神大賞典 メジロマックイーン

1992年 大阪杯 トウカイテイオー

1992年 皐月賞 ??? ←イマココ

1992年 天皇賞春 ???

 

競走馬は1月1日に全馬一斉に歳をとるため、1992年はメジロマックイーンは5歳(旧6歳)の年、トウカイテイオーは4歳(旧5歳)の年になる。

 

馬齢の数え方は、2000年以前は”生まれた時を1歳とする数え方”2001年以降は”生まれた時を当歳(0歳)とする数え方”に変わっている。

 

※ 2000年以前に活躍した競走馬を語る際に、馬齢が実際のレース名などとズレてしまうのを防ぐため、新旧2通りの表記をしています。

 

 

 

 

1992年の代表格はミホノブルボン!

 

前年のトウカイテイオーに続き、無敗で皐月賞に挑む(*ノω・*)

 

 

 

 

後の”史上最強最速短距離馬”のサクラバクシンオーも1992年世代

 

1600m以上は全敗も、1400m以下のレースで11勝を上げる生粋のスプリンター!

 

 

 

 

ミホノブルボンとサクラバクシンオーは、前走で皐月賞のトライアル競走(3着以上に優先出走権)のスプリングステークス(GⅡ)で対戦。

 

ミホノブルボンは2着に7馬身差を付けた圧勝で皐月賞へ、対するサクラバクシンオーは生涯最低着順の12着に沈み、クラシック路線を諦めて短距離路線へと進む。

 

サクラバクシンオーがミホノブルボンに、短距離路線へ進むべきだと話していたのは、ミホノブルボンが短距離血統だったから。

 

前述したスプリングステークスで結果が出なかった場合、ミホノブルボンは短距離路線へと進み、サクラバクシンオーとしのぎを削っていた可能性もある……が、結果が出たので、ミホノブルボンは迷わずクラシック路線へと進む。

 

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”サイボーグ”ミホノブルボンの坂路調教

ミホノブルボンの調教師の戸山氏は「鍛えて強い馬を作る」という信念で、ミホノブルボンに徹底した坂路調教を課し、距離限界説を吹き飛ばすような結果をもたらした!

 

 

 

 

スタミナの限界はトレーニングで覆す!

 

この信念と結果が、未知の距離の天皇賞春へ向かうトウカイテイオーの背中を押す……こういうアニメならではの繋がりが面白い╭( ・ㅂ・)و

 

 

 


いや、黒沼トレーナーの方が気になるぅぅぅ( ゚д゚)


”スピードは天賦の才、スタミナは鍛錬でカバーできるというのが黒沼トレーナーの理念”という、昭和なスパルタトレーナーに映るけど、その信念は、故・戸山調教師の史実を元にしていると思われる。

 

奇抜な格好は、中の人(黒田崇矢さん)を調べたら、めっちゃ納得したわ(笑)

 

 

 

皐月賞は前走より200m長い、お前はあと坂路を3本!

 

競走馬にとって負担の大きい坂路調教を、2歳(旧3歳)の時点で1日4本……それに耐えられたのはミホノブルボンが初めてらしい(wikiより)

 

1本走り終えて、追加で3本……つまり、坂路を4本という元ネタ通りの小ネタですな(*ノω・*)

 

 

 

結果、ミホノブルボンの異名は……「坂路の申し子」「サイボーグ」「栗毛の超特急」など、なんか強そうな感じになる、実際めっちゃ強い競走馬だけど(笑)

 

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ミホノブルボンの皐月賞

注) 公式に名前が出ているウマ娘以外の馬名は、モデルとなったレースと馬から推測して説明のために使用したものであり、ウマ娘で正式に使用された馬名ではありませんのでご了承ください。

 

 

 

トウカイテイオーの皐月賞から1年、1992年の皐月賞がモデルのレースの主役は無敗で挑むミホノブルボン!

 

 

 

 

モデルレース 皐月賞(GⅡ)

1992年4月19日 中山競馬場 芝2000m

 

 

 

 

1番人気 ミホノブルボン

 

ここまで4戦4勝(GI1勝)、皐月賞を断然の1番人気で臨む!

 

 

 

 

7番人気 マチカネタンホイザ

 

ここまで6戦2勝……4着3回という絶妙な善戦マンっぷりを発揮しているが、ウマ娘としてのマチカネタンホイザからは、癒やし系の愛らしさを感じる(*ノω・*)

 

 

 

 

左から

馬番3 リワードガルソン

馬番4 ミホノブルボン

馬番5 ナリタタイセイ

 

モブウマ娘の馬番、勝負服の色合いは、今回もだいたい合っている!

 

 

 

 

芝は良馬場発表だが、天候は雨、そんな中で行われた皐月賞でも、ミホノブルボンは好スタートからハナを切る!

 

※ 実際は17頭立てでのレースだったが、今回は作画ソースの省略もあってか、9人くらいしか姿が見えない。

 

 

 

 

マチカネタンホイザは、後方11番手辺りで足を溜める戦法で挑むも、ミホノブルボンのマイペースの逃げ……そのスピードに圧倒される(´・ω・`)

 

マチカネタンホイザだけでなく、他の全ての出走ウマ娘が同様の感覚だったと思う。

 

 

 

 

最後の直線に入ってもミホノブルボンの脚色は衰えず、後続を突き放して勝利!

 

前年のトウカイテイオーに続き、無敗の皐月賞ウマ娘に輝いた╭( ・ㅂ・)وグッ !

 

皐月賞 着順

1着 ミホノブルボン

2着 ナリタタイセイ

3着同着 スタントマン

3着同着 アサカリジェント

7着 マチカネタンホイザ
8着 ライスシャワー

 

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黒い刺客

4話の間、常にミホノブルボンを近くで見つめている黒い影……ウマ娘の物語的には、ミホノブルボン以上に重要なキャラになるはず!

 

 

 

 

OPに出てくるこの子の名前はライスシャワー

 

物語的には”この顔に要注意!”ってくらい、超重要なウマ娘の一角である(ΦωΦ)

 

ライスシャワーという競走馬を語る上で、”刺客”という側面と”最期の悲劇”が語られるが、ウマ娘では前者としてのライスシャワーを中心に描かれそう。

 

もっとも、トウカイテイオーとメジロマックイーンの活躍時期は1993年までであり、それ以降もライスシャワーは1995年まで走っており、後者のシーンが描かれるとは思わないが。

 

 

 

◆ 食堂にて

 

この時点で4戦2勝、前述のミホノブルボンが勝ったスプリングステークス(GⅡ)は4着。

 

 

 

◆ 河川敷にて

 

トレーニング中のミホノブルボンの後をつけるが、あっさりと振り切られてしまう。

 

持久力はあるが、ダッシュ力がないという、ライスシャワーの特徴の示唆でもある……かな?

 

パーカーにサングラスは怪しい(笑)

 

 

 

◆ 皐月賞のレース前

ついてく……ついてく……ついてく……

 

ライスシャワーの主戦騎手の的場均さんの異名は”ヒットマン”、目標を1頭に絞って徹底マークする戦法を得意としていた騎手。

 

この段階から、のちの結果を暗示するような状態……ミホノブルボン徹底マークの示唆

 

徹底マークでの勝利といえば、スペシャルウィークに勝ったグラスワンダーの宝塚記念(1期8話)も、的場均騎手の好騎乗の1つ。

 

 

 

◆ 皐月賞のレース後

 

ライスシャワーの本格化はまだ先だが、ミホノブルボンの活躍を描くなら、ライスシャワーの名前は100%出てくるはず!

 

さらに物語が進み、1993年の話に入ってからも、ライスシャワーは”刺客”として立ち塞がる事だろう(ΦωΦ)

 

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1期5話はスペシャルウィークvsエルコンドルパサーの日本ダービー、2期5話はTM対決の天皇賞春!!!

 

4話-①はコチラ

 

 

 

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