ケンシロウにとって、最大の敵となったラオウ。死後もそれは変わらず、「拳ではオレをしのぐ」と、ラオウを倒したケンシロウ自身が最強と認めている。
ケンシロウ以外にも、シャチやバランのように強く影響された者もいる。
そして、北斗の拳愛好家の私たちにとっても、その存在はとても大きいものであり、相も変わらず直近の「北斗の拳好きなキャラランキング」では1位。
これは、ラオウが残した功績や圧倒的強さと、ラオウが与えた影響の大きさ、ラオウ自身の生き様、死に様による結果であり、北斗の拳が名作となった理由の一つと言っても過言ではない。
なぜラオウは、これ程までにも数々の男たちの心を惹き付け、魅了するのか。死後も連載が続いたにも関わらず、ケンシロウと同等に愛されるのか。
それは、「男らしい」の一言に尽きると私は思っている。
まずはなんと言ってもそのビジュアルだが、
The・漢
長身のゴリゴリマッチョ、黒髪短髪(アニメ)、健康的な肌色、兜、マント、馬(漆黒)。
完璧である。
日本男児にとっての「カッコイイ」は、イケメンよりも男前である。
つまり、スマートなゴリゴリ感。
ロン毛やマッシュではなく、無駄のない短髪に、デカすぎす(北斗の世界において)細すぎずのマッチョ。ケンシロウがギリギリ対等に闘えることが見てわかる大きさと体格なのだ。
また、強者というイメージとしてはやはり、侍や武将感。丁度いい体格に、その要素を取り入れたファッションをまとうという大胆さは、男の極みである。
その迫力に負けず劣らずの漆黒の巨大馬に跨り、マントを靡かせるその様は異様。
どう見たってめちゃくちゃ強い。
そんなの目の前に現れたら、死を覚悟する以外ないのである。
だがこのビジュアルは単なる序章であり、真の男らしさはその性格と生き様にある。
ラオウの印象深いエピソードと言えば、少年時代、トキを抱え片手で崖を登って見せたというものだ。
弟思いという優しさと強情さで、師父リュウケンも認めざるを得なかった。懇願するでもなく、トキと一緒でなければ養子にはならないという主張を貫いたのだ。トキが憧れ、目指すのも当然なのである。
その後も、トキやケンシロウに対しとても厳しくするが、全ては本人のためであり、結果、二人の弟は自身の強敵となるほどに成長を遂げている。
トキ、ケンシロウを強くたくましく育てたのはリュウケンだけでなく、ラオウが大きく影響していると言える。
ラスボスのポジションでありながら、主人公がその背中を追い続ける存在となったのは、母の理不尽な死にも心を歪めることなく、純粋に最強を求め、北斗神拳を極めたからである。
時代のため、世紀末覇者という道を歩む上で暴凶星にならざるを得なかったが、その本質は変わっていない。
それは、ラオウ本人がどれだけ否定しようとも、厳しさの中にある情愛を知る者にとっては、ラオウは偉大なる北斗の長兄であり、憧れずにはいられないのだろう。
ケンシロウ曰く、
「この世で最も愛が深く、そして強かった男」なのである。
だが、マミヤの村以降〜死後の回想において、少しずつラオウの本質が描かれたことから、美化しすぎだと、一部からは誹謗中傷されることもあった。
まぁ、これも人気が故。そこをあえて擁護するとすれば、ラオウには信念があるということだ。
リュウケン元気だったらやられてた説、サウザーにビビって弟任せにした説、ケンシロウにビビってとりあえずユリア攫った説、そもそもカサンドラの悲劇忘れてねーから!!派、によるアンチの意見は様々。
かくいう私も、 大好きなレイ、ジュウザを殺された遺恨はある。
特にレイに関しては、せめて馬から降りてやれという気持ちはいまだ消えることは無い。
しかし、それがラオウであり、それこそがラオウの信念であり、愛する者を葬られた私とて、納得せざるを得ないのだ。
紹介文にも書いたが、ラオウには世紀末覇者となり乱世を恐怖統治するという一つの、野望という名の目標があった。更には実兄、カイオウの為の修羅の国侵攻という最終目標もあり、死ぬ訳にはいかない。
最強を求める本来のラオウならば、レイに恐怖を与える理由も、サウザーとの闘いを避ける理由もなかったはず。しかし、覇者となるべくラオウにとって守るべきものは他はなく、己の信念のみ。
その為にはあらゆる手段を用いる必要があったのだ。
確かに、アンチの意見も解釈によっては事実である。
しかし、だからなんだというのだ。
がむしゃらに突き進んだ所で、あの乱世で一体何を成し遂げられるのか。何処を目指すかにより、生き様は違って当然。
シンはユリアの為にKINGとなり、サウザーは愛を捨てる為非情の帝王となり、ケンシロウは弱者を守る為の救世主へ。ラオウは、乱世を統治すべく世紀末覇者となり、朽ち果てる死などは無意味としただけなのだ。
明確な目的、目標を持ち、学び、考え、計画を立て着実に進むことを女々しいとは言わない。寧ろそれらは男性性の特徴であり、ラオウの男らしさには何一つ矛盾などないのだ。
つまり、過去エピソードで美化されているのではなく、単に最強を目指した本来のラオウの姿が垣間見えているだけであり、それは男らしさの中にある人間らしさである。
最強の拳王として情を捨て、圧倒的強さを見せしめる必要がある中で、トキ、ユリアに対しては思わず涙を流すほどの情けをかける心。そして、弟ケンシロウの強さ、ユリアへの愛を認め、平和を託す為に自らの手で天に帰るという最期。
偉大なる北斗の長兄という名に相応しい生涯を全うしたラオウはまさに、一片の悔いなき人生を送った男の中の男ではないだろうか。
ユリアへの愛すらも野望と言い張る、恥ずかしがり屋さんなだけである。