今度は著者の独特な議論の展開に関して、アバウトな文系として感想を書いていく。

 

(1)絶対値ゲームへの誘惑

この本で「絶対値ゲーム」や「無リスクポートフォリオ」って言葉が何度も繰り返して登場する。そして、「第2の強力な相殺作用がオフになっている……(中略)……この理屈を上手く使えば、相場が上がっても下がっても、全く損するリスクなしで一方的に利益を上げられる……」と書かれていて、なんだか期待を持たせてくれる。

 

相場商品に資金を投じる場合、どんなに市場分析して銘柄を吟味してプラスのバイアスに誘導したとしても、実のところ利益を得られるのか、損を孕んでしまうのか確率的にはfifty―fiftyで変わらないと思う。だからこそこの「絶対値ゲーム」って言葉に憧れる。ヘッジファンドでトレンドフォローしていくのも1つの手法だと知った事はあるがこれとて完璧ではないのだ。

 

(2)オプション価格について再考したい

「絶対値ゲーム」とは何なのか、p.165の図2.32に過剰な期待を持って読み進める。とりわけp.244に載っている図3.6は期待を膨らませてくれた。でもそれはp.259の図3.7でコール買のグラフが出てきた事で落胆した。この本は理系読者と文系読者の双方を想定しているためアバウトな文系の人が知っているこのグラフに辿り着くまであまりにも長かったのだ。

 

<図2.32>

 

確かにコール買のグラフと2次関数(x>0)のグラフは似ている。でも、これってコール買で絶対値ゲームができるって言いたかったのか。でもそれにはオプション取引の対価としてオプション料を支払う必要がある。まあ、オプション料の存在を考えると必ず儲かる訳でなく、権利行使価格(ストライクプライス)より少し上まで値上がりしないと損益分岐点に届かない。ここは理系読者が誤解しそうだ。

 

それに、そもそも現物買いのヘッジを構成できるので、オプション取引の価値って本来的にはプット買いだと思っていた(いずれも取引した事はないけど)。だからこの本の終盤に出てきたのがコール買いだった事の意味をもう一度考えてみなくてはいけない。読み進める最中は、保険料を受取る意味でコール売りやプット売りを意図しているのかと想像していただけに意外なオチだった。

 

(3)直線的な資本主義

長沼伸一郎のブルーバックスは数学に閉じた議論に留まらず広くぶっ飛んでいく。それは「物理数学の直感的方法」でも経験済だけど、この本では経済状況に応じて資本主義の形も様々でしょ、と熱く語っている。この本が出版されたのは2016年。ちょうどトマ・ピケティの本が話題になったり「資本主義の終焉」なんて本が売れている時期だった。私も後者の新書本を読んでいる。

 

確かにずっと高度成長期の再来を夢見てどこかの国の総裁選のように「令和の所得倍増」と吠えてみるのも非現実的だ。とっくに消えて「新しい資本主義」もバラ色の謎だ。

 

トレンドの無い時代には、「擾乱」によってボラティリティの拡大を狙って「直線的」な資本主義を志向する手もあるのか。これはあまりに短期売買なので落ち着かないので投機に近いけど、金融マーケットの動きを追ってみると分からないでもない。

 

2020年の新型コロナによる暴落、2022年のウクライナ侵攻に伴う為替レートや石油価格の値動きなど、金融マーケットはある日を境に突如大きくブレ始める。それは、動きをdx=dt+dwと表した時、尾ひれである「dw」が大きくブレる事を意味している。そこに機敏に乗っかるだけで利益が取れるよ、と言われているような気がした。ただなぁ、ボラティリティに賭けるのはどうしても投機になりがちなので王道ではない。しかも、タイミングを計るのも難しい。まさか波が穏やかな時期にオプション料で稼ぐって訳ではないだろうし、著者は何を意図して書いたんだろうか。オプションの売りはマーケットが反対に動いたら底なしで損失が膨らむのに。

 

擾乱に乗っかって儲けるのって、大きなトレンドに乗っかるダブルバガーとかテンバガーを狙うのとは異なり、小救いのイメージだからこれまで短期志向の人には喜ばれたけど一般にはさして訴求力がなかった。でも、それだけでは大波が来ないと稼ぐチャンスもない訳で、江戸時代の商人やイスラムの教えを見習ってもっとコマめに利ザヤを取って行くべきなのか。

 

著者は「直線的」との対比のためにトレンドによる収益を「指数関数的」と表現していた。そんな目線で江戸時代やイスラム金融について議論を掘っていく事ができるのはこの著者が偉人だって事の証だ。この下りは面白かったので弊イエメン旅行記で引用させて戴いた。

 

【参考】イエメン旅行記(前半と後半)

 

 

【2024.10.17訂正】著書名の漢字を「直感」から「直観」に訂正しました。