チビくさこ、一歳になる~感謝です。
ちょうど一年前の今頃、
悲鳴をあげることなく、
いたって冷静に?!出産にのぞんでいたのを
思い出しています。
今日、
ミッキーマウスと同じ誕生日な今日、
チビくさこが一歳になりました。
この一年で
新生児から赤ちゃんになり、
最近はとうとう、赤ちゃんからこどもへと成長をみせるチビくさこ。
この凄まじいほどの変化は
アタマでわかっているつもりでも
目の当たりにする迫力には
いつも圧倒されっぱなしだったように思います。
一年前の今頃、
うまれてきたばかりのチビくさこに、
どうしてやったらいいかすらわからなかった私も
一年たって、今ではチビくさこのいろんなことに
察しがつくようになってきました。
私も母として一歳になったわけです。
チビくさこは
こっちが拍子抜けするくらい
元気いっぱい、すくすくと育ち、
病気もケガもせず、引っ越しにも順応してくれました。
夜寝ないとかもほとんどなく、
離乳食がうまくいかないということもなく、
なんでも起こりうると想定していた私を
いいほうにうらぎってきました。
おかげで私も
ストレスを抱えることもなく
チビくさことの日々を満喫しています。
まだはじまったばかりの彼女の人生。
かかわってくださるすべてのみなさんに感謝して、
心強いパートナーのだんなさんに感謝して、
元気に成長しているチビくさこに感謝したいと思います。
みなさん、いつもありがとうございます。
そしてこれからもどうぞよろしくお願いします。
悲鳴をあげることなく、
いたって冷静に?!出産にのぞんでいたのを
思い出しています。
今日、
ミッキーマウスと同じ誕生日な今日、
チビくさこが一歳になりました。
この一年で
新生児から赤ちゃんになり、
最近はとうとう、赤ちゃんからこどもへと成長をみせるチビくさこ。
この凄まじいほどの変化は
アタマでわかっているつもりでも
目の当たりにする迫力には
いつも圧倒されっぱなしだったように思います。
一年前の今頃、
うまれてきたばかりのチビくさこに、
どうしてやったらいいかすらわからなかった私も
一年たって、今ではチビくさこのいろんなことに
察しがつくようになってきました。
私も母として一歳になったわけです。
チビくさこは
こっちが拍子抜けするくらい
元気いっぱい、すくすくと育ち、
病気もケガもせず、引っ越しにも順応してくれました。
夜寝ないとかもほとんどなく、
離乳食がうまくいかないということもなく、
なんでも起こりうると想定していた私を
いいほうにうらぎってきました。
おかげで私も
ストレスを抱えることもなく
チビくさことの日々を満喫しています。
まだはじまったばかりの彼女の人生。
かかわってくださるすべてのみなさんに感謝して、
心強いパートナーのだんなさんに感謝して、
元気に成長しているチビくさこに感謝したいと思います。
みなさん、いつもありがとうございます。
そしてこれからもどうぞよろしくお願いします。
取り組んだ結果〜自分史。
今度は間髪いれず前回の続きです。
迎えた7月末の中日コンクール本番。
私たち3年生は全員気合いを入れて?髪を切ることにしました(笑)
実はこのとき、ひとりだけ裏切りもの?!が出まして
ひとりだけ、長い髪のままの出場となったのです。
(切りに行く暇がなかったということで)
あとでこれが問題に(笑)。
当日は2曲演奏しました。
課題曲、ワシントンポスト。
自由曲、バンドのための民話。
この日は私たち、
信じられないくらい、リラックスしていました。
やるだけのことはやってきた。
これで銅賞だったとしても悔いはない。
そんな気持ちが3年生の中にありました。
もちろん口には出さなかったけれど。
ステージにあがった私たち。
指揮をふりはじめる前の先生の笑顔、とってもよく覚えています。
そして演奏。
まずひとつめの大会が終わりました。
迎えた結果発表。
私は部長なのでひとりだけステージにあがっていました。
演奏順に学校名がよばれ、
流れ作業的に結果発表、そのまま代表者が賞状、もしくは賞状と金賞ならばトロフィーを
受け取ります。
私たちの番がきました。
「穴水町立穴水中学校」
ドキドキです。
「銀賞です」
会場にいたメンバーから悲鳴に似た歓声があがりました。
そして周囲はどよめき。
当然です。
会場からすれば銀賞はつまり
金賞ではない
ので、そんなに喜ぶことか?という印象。
でも、私たちは違いました。
恥ずかしさも忘れ、
脱 銅賞
の事実に歓声、悲鳴、とにかくうるさい(笑)。
本当に本当にうれしかった。
そして、1週間後にひかえたはじめての全日コンクール。
やる気は全員マックスです。
中日コンクールではステージにあがれなかった3人も今度は一緒。
外部のOB先生もびっくりの脱 銅賞でしたが
それから毎朝1週間、朝練を運動部が使う前の時間帯の体育館で重ねた私たち。
OB先生もそんな私たちをみて
さらなるバックアップをしてくださいました。
なんと大会当日のリハーサルにきてくださったんです!!
◇◇◇
と、ちょっと戻って、
中日でうらぎりもののでた髪の毛の件(笑)。
ひとり髪をきらなかったから銀だったんじゃないか、などと
冗談をいえるくらい余裕のあった私たちでしたが
ゲンカツギの意味も含め、最後のひとりも断髪、
他の学年にも次々と断髪がはやりました(笑)。
◇◇◇
迎えた当日のリハーサル。
中日とはうってかわって大緊張の私たち。
なぜか。
銀賞をとって脱銅賞ということは
はじめての大会であっても銀賞をとらないと
あれはまぐれだった、ということになってしまう。
連続して脱銅賞となるのか?
一度目標達成したからこそ、の緊張でした。
ステージにあがったときの先生。
中日とは全然ちがう、こわばった顔。
そして、震える指先。
全日は自由曲のみの演奏でした。
バンドのための民話。
全部で確か3校くらいがこの曲を演奏していたと思います。
つまり比較される。
どきどきの演奏が終わりました。
泣いても笑ってもあとは結果を待つだけ。
3年生メンバーは他校の演奏もきかず、
たしか金沢の街に遊びにいったような・・・。
定かでありません・・・。
そして、結果発表のとき。
また、私だけステージの上へ。
発表方式は前と同じ。
「穴水町立穴水中学校」
とよばれ、賞状の前にたったとき、
アナウンスの前にみえちゃいました。
信じられない文字が!!
「金賞です」
会場は水を打ったような静けさ。
本来はここでうちのメンバーが歓声をあげるべきなんです。
でも、しずか。
あとから会場内のみなさんが拍手をくださいました。
私は賞状を受け取り、
信じられない気持ちで金賞のトロフィーを受け取りました。
びっくりしすぎて、
本来であれば受け取ったあとに授与者に一礼、
会場にむかって一礼、すべきなところ、
会場にむかってを忘れ、
そそくさと出口にむかってしまいました。
まいあがってましたね~。
出口でトロフィーの箱を渡してくださった担当者の方に
「おめでとう」
と言われたとき、
実感がわいてきてドーッと涙があふれてきました。
そしてみんなのところにいくと
みんな、号泣していました。
なんで歓声あげなかったの?もったいない!ときくと
金賞ってきこえたような気がしたけど
聞き間違いかと思ったから
とかいっていたように記憶しています。
でも、みんなで賞状に印字された金賞という文字、
トロフィーをみながら
嘘じゃなかった!!
と大喜びしました。
これが取り組んだ結果のすべて、です。
アンサンブルコンテストへの取り組みとその結果。
そこから学んで挑戦した半年あまりの日々。
私の中で、このときのすべてが強烈な成功体験となっています。
あきらめずに、
思い込みだけでなく、
ときにはいやな思いをしても
目標に向かって正しく取り組めば
必ず結果はついてくる。
ときに、それ以上のご褒美がやってくる。
そんなふうに思った中学3年生のくさのゆうこの記憶です。
迎えた7月末の中日コンクール本番。
私たち3年生は全員気合いを入れて?髪を切ることにしました(笑)
実はこのとき、ひとりだけ裏切りもの?!が出まして
ひとりだけ、長い髪のままの出場となったのです。
(切りに行く暇がなかったということで)
あとでこれが問題に(笑)。
当日は2曲演奏しました。
課題曲、ワシントンポスト。
自由曲、バンドのための民話。
この日は私たち、
信じられないくらい、リラックスしていました。
やるだけのことはやってきた。
これで銅賞だったとしても悔いはない。
そんな気持ちが3年生の中にありました。
もちろん口には出さなかったけれど。
ステージにあがった私たち。
指揮をふりはじめる前の先生の笑顔、とってもよく覚えています。
そして演奏。
まずひとつめの大会が終わりました。
迎えた結果発表。
私は部長なのでひとりだけステージにあがっていました。
演奏順に学校名がよばれ、
流れ作業的に結果発表、そのまま代表者が賞状、もしくは賞状と金賞ならばトロフィーを
受け取ります。
私たちの番がきました。
「穴水町立穴水中学校」
ドキドキです。
「銀賞です」
会場にいたメンバーから悲鳴に似た歓声があがりました。
そして周囲はどよめき。
当然です。
会場からすれば銀賞はつまり
金賞ではない
ので、そんなに喜ぶことか?という印象。
でも、私たちは違いました。
恥ずかしさも忘れ、
脱 銅賞
の事実に歓声、悲鳴、とにかくうるさい(笑)。
本当に本当にうれしかった。
そして、1週間後にひかえたはじめての全日コンクール。
やる気は全員マックスです。
中日コンクールではステージにあがれなかった3人も今度は一緒。
外部のOB先生もびっくりの脱 銅賞でしたが
それから毎朝1週間、朝練を運動部が使う前の時間帯の体育館で重ねた私たち。
OB先生もそんな私たちをみて
さらなるバックアップをしてくださいました。
なんと大会当日のリハーサルにきてくださったんです!!
◇◇◇
と、ちょっと戻って、
中日でうらぎりもののでた髪の毛の件(笑)。
ひとり髪をきらなかったから銀だったんじゃないか、などと
冗談をいえるくらい余裕のあった私たちでしたが
ゲンカツギの意味も含め、最後のひとりも断髪、
他の学年にも次々と断髪がはやりました(笑)。
◇◇◇
迎えた当日のリハーサル。
中日とはうってかわって大緊張の私たち。
なぜか。
銀賞をとって脱銅賞ということは
はじめての大会であっても銀賞をとらないと
あれはまぐれだった、ということになってしまう。
連続して脱銅賞となるのか?
一度目標達成したからこそ、の緊張でした。
ステージにあがったときの先生。
中日とは全然ちがう、こわばった顔。
そして、震える指先。
全日は自由曲のみの演奏でした。
バンドのための民話。
全部で確か3校くらいがこの曲を演奏していたと思います。
つまり比較される。
どきどきの演奏が終わりました。
泣いても笑ってもあとは結果を待つだけ。
3年生メンバーは他校の演奏もきかず、
たしか金沢の街に遊びにいったような・・・。
定かでありません・・・。
そして、結果発表のとき。
また、私だけステージの上へ。
発表方式は前と同じ。
「穴水町立穴水中学校」
とよばれ、賞状の前にたったとき、
アナウンスの前にみえちゃいました。
信じられない文字が!!
「金賞です」
会場は水を打ったような静けさ。
本来はここでうちのメンバーが歓声をあげるべきなんです。
でも、しずか。
あとから会場内のみなさんが拍手をくださいました。
私は賞状を受け取り、
信じられない気持ちで金賞のトロフィーを受け取りました。
びっくりしすぎて、
本来であれば受け取ったあとに授与者に一礼、
会場にむかって一礼、すべきなところ、
会場にむかってを忘れ、
そそくさと出口にむかってしまいました。
まいあがってましたね~。
出口でトロフィーの箱を渡してくださった担当者の方に
「おめでとう」
と言われたとき、
実感がわいてきてドーッと涙があふれてきました。
そしてみんなのところにいくと
みんな、号泣していました。
なんで歓声あげなかったの?もったいない!ときくと
金賞ってきこえたような気がしたけど
聞き間違いかと思ったから
とかいっていたように記憶しています。
でも、みんなで賞状に印字された金賞という文字、
トロフィーをみながら
嘘じゃなかった!!
と大喜びしました。
これが取り組んだ結果のすべて、です。
アンサンブルコンテストへの取り組みとその結果。
そこから学んで挑戦した半年あまりの日々。
私の中で、このときのすべてが強烈な成功体験となっています。
あきらめずに、
思い込みだけでなく、
ときにはいやな思いをしても
目標に向かって正しく取り組めば
必ず結果はついてくる。
ときに、それ以上のご褒美がやってくる。
そんなふうに思った中学3年生のくさのゆうこの記憶です。
結果を出すために取り組んだこと〜自分史。
やっと、前回の続きです。
さて、それまでのちょっと残念な伝統をなんとか変えたいと思った私。
いいえ、私だけではありません。
私たち、といったほうがよいでしょう。
たった8人の同志たちでしたが
おかげで私たちは結束することができていたと思います。
もちろん、けんかもしましたよ。
でも、幸か不幸かほぼ全員が同じ幼稚園から小学校をへてきた
すでに10年近い付き合いです。
まずとりくんだのは
目標の共有
だったと思います。
思います、というのはあくまでも私の記憶のなかで書いているので
今となっては事実を正確に表現できているとは限らないから。
都合よく編集されているかもしれないのであしからず。
先輩と一緒にがんばったけれど
やはり脱することがかなわなかった最低ランク。
その悔しさを胸に、私たちはまず、冬にある
アンサンブルコンテスト
に照準をあわせました。
アンサンブルコンテストでは毎年1チームはちゃんと「金賞」を
とってきていた、という実績もあり、
仲良く、一緒に頑張れば結果を出せる、とみんなで思い込んでいました。
◇◇◇
ちょっと補足ですが、
ちょうどこの時期に国体が石川県で開催され、
楽器が一気に新しくなり、高校生と合同練習なんかもあって
とても恵まれたときでもありました。
楽器が古いとか、教えてくれる人がいないとか
言い訳ができなくなった時期、ともいえますが。
◇◇◇
練習はとても頑張りました。
自分たちの中ではとてもいい感じでしあがっている、
そう思い込んでいました。
ふたをあけてみると。
結果は惨敗。
どのパートも銀賞どまり。
いつも1チームはとれていたはずの金賞すらとれなかった私たち。
あのときはあれました。
部活自体の雰囲気はよくなっていたはずなのに
出せなかった結果。
どうして。
絶対に思ってはならないのに
あのときは口にだしてしまっていたように思います。
私たちの学年(=2年生)は8人しかいない。
1年生に足をひっぱられたんだ。
そしてそのとき、先生に直談判。
夏のコンクール、もうひとつ出させてほしい、と。
それまでの私たちは中部日本吹奏楽コンクールの石川県大会にのみ
エントリーしていました。
いわゆる中日コンクールというやつ。
でも、夏の大会にはもうひとつあったのです。
全日本吹奏楽コンクール石川県大会、です。
こちらは全日コンクール、といわれていました。
とにかく、機会がほしい、という一念でした。
一発勝負しかないのがいやだったんです。
そしてそれからの私たちはいろいろなことを
結果に向けて考え、とりくみはじめました。
まず、1年生のせいにしたことは猛反省。
私たちのような小さな中学校の弱小チームは
そもそも大会の定員人数に達することなく出場することが多く
パートが足りないこともありました。
まして、うちらの学年は8人しかいない。
後輩たちに頑張ってもらい、
負けないくらい上手になって、いい見本にならなければ
絶対に結果などでない。
みんなでスローガンかかげて一生懸命、自己流でやる。
それでは頑張った感は出ても
結果はついてこない。
それをアンサンブルコンテストで学んだ私たち。
新学期には必死で部員を募集しました。
そして、全部で33人という人数になりました。
メンバーの3分の1は4月にはじめて楽器をさわったメンバーです。
そのメンバーを含め、
中日コンクールは定員30名。
全日コンクールは定員33名。
全員でとにかく3ランク中の一番下、銅賞をなんとか脱しよう、
という目標設定をしました。
そして、自己流だけではダメだ、ということで
卒業生にあたる、他の学校の先生を無理矢理お願いしてもらい
休日に指導にきていただきました。
それまでもきてくれていた先生はいらっしゃったのですが
私たちの要望で他の先生をよんでいただきました。
OBの方ですが、
他の学校で金賞やその上の代表(県大会から先にすすむ学校)を指導している先生です。
外から先生にきてもらうというのは
顧問の先生にとって、本当は心穏やかではなかったと思います。
でも、先生は耐えてくれました。
ご自身のプライドもあったと思うけれど
先生も私たちと一緒に、とにかく
脱 銅賞
で頑張ってくださいました。
結果を出してきた方にダメなものはダメ、
いいものはいい、といっていただく日々。
学年関係なく、実力でその場できられます。
3年生は一番上手であるように必死でした(笑)。
一番上手で一番練習していなければ
後輩たちが素直に頑張ってはくれませんからね。
残念ながら
私はあの練習の日々を瞬間でしか覚えていません。
新入生に楽器の使い方からおしえる日々は
とても不安だったと思います。
4ヶ月で人前で演奏して評価されるわけですから。
1年生もかわいそうでしたよね。
でも、あのときの私たちは外部の先生の力を借りて
とにかく
結果
にこだわって練習を重ねました。
そして、迎えた7月の終わり。
まずは中日コンクール。
長くなったので、続きはまた。
次は取り組んだ結果、について。
さて、それまでのちょっと残念な伝統をなんとか変えたいと思った私。
いいえ、私だけではありません。
私たち、といったほうがよいでしょう。
たった8人の同志たちでしたが
おかげで私たちは結束することができていたと思います。
もちろん、けんかもしましたよ。
でも、幸か不幸かほぼ全員が同じ幼稚園から小学校をへてきた
すでに10年近い付き合いです。
まずとりくんだのは
目標の共有
だったと思います。
思います、というのはあくまでも私の記憶のなかで書いているので
今となっては事実を正確に表現できているとは限らないから。
都合よく編集されているかもしれないのであしからず。
先輩と一緒にがんばったけれど
やはり脱することがかなわなかった最低ランク。
その悔しさを胸に、私たちはまず、冬にある
アンサンブルコンテスト
に照準をあわせました。
アンサンブルコンテストでは毎年1チームはちゃんと「金賞」を
とってきていた、という実績もあり、
仲良く、一緒に頑張れば結果を出せる、とみんなで思い込んでいました。
◇◇◇
ちょっと補足ですが、
ちょうどこの時期に国体が石川県で開催され、
楽器が一気に新しくなり、高校生と合同練習なんかもあって
とても恵まれたときでもありました。
楽器が古いとか、教えてくれる人がいないとか
言い訳ができなくなった時期、ともいえますが。
◇◇◇
練習はとても頑張りました。
自分たちの中ではとてもいい感じでしあがっている、
そう思い込んでいました。
ふたをあけてみると。
結果は惨敗。
どのパートも銀賞どまり。
いつも1チームはとれていたはずの金賞すらとれなかった私たち。
あのときはあれました。
部活自体の雰囲気はよくなっていたはずなのに
出せなかった結果。
どうして。
絶対に思ってはならないのに
あのときは口にだしてしまっていたように思います。
私たちの学年(=2年生)は8人しかいない。
1年生に足をひっぱられたんだ。
そしてそのとき、先生に直談判。
夏のコンクール、もうひとつ出させてほしい、と。
それまでの私たちは中部日本吹奏楽コンクールの石川県大会にのみ
エントリーしていました。
いわゆる中日コンクールというやつ。
でも、夏の大会にはもうひとつあったのです。
全日本吹奏楽コンクール石川県大会、です。
こちらは全日コンクール、といわれていました。
とにかく、機会がほしい、という一念でした。
一発勝負しかないのがいやだったんです。
そしてそれからの私たちはいろいろなことを
結果に向けて考え、とりくみはじめました。
まず、1年生のせいにしたことは猛反省。
私たちのような小さな中学校の弱小チームは
そもそも大会の定員人数に達することなく出場することが多く
パートが足りないこともありました。
まして、うちらの学年は8人しかいない。
後輩たちに頑張ってもらい、
負けないくらい上手になって、いい見本にならなければ
絶対に結果などでない。
みんなでスローガンかかげて一生懸命、自己流でやる。
それでは頑張った感は出ても
結果はついてこない。
それをアンサンブルコンテストで学んだ私たち。
新学期には必死で部員を募集しました。
そして、全部で33人という人数になりました。
メンバーの3分の1は4月にはじめて楽器をさわったメンバーです。
そのメンバーを含め、
中日コンクールは定員30名。
全日コンクールは定員33名。
全員でとにかく3ランク中の一番下、銅賞をなんとか脱しよう、
という目標設定をしました。
そして、自己流だけではダメだ、ということで
卒業生にあたる、他の学校の先生を無理矢理お願いしてもらい
休日に指導にきていただきました。
それまでもきてくれていた先生はいらっしゃったのですが
私たちの要望で他の先生をよんでいただきました。
OBの方ですが、
他の学校で金賞やその上の代表(県大会から先にすすむ学校)を指導している先生です。
外から先生にきてもらうというのは
顧問の先生にとって、本当は心穏やかではなかったと思います。
でも、先生は耐えてくれました。
ご自身のプライドもあったと思うけれど
先生も私たちと一緒に、とにかく
脱 銅賞
で頑張ってくださいました。
結果を出してきた方にダメなものはダメ、
いいものはいい、といっていただく日々。
学年関係なく、実力でその場できられます。
3年生は一番上手であるように必死でした(笑)。
一番上手で一番練習していなければ
後輩たちが素直に頑張ってはくれませんからね。
残念ながら
私はあの練習の日々を瞬間でしか覚えていません。
新入生に楽器の使い方からおしえる日々は
とても不安だったと思います。
4ヶ月で人前で演奏して評価されるわけですから。
1年生もかわいそうでしたよね。
でも、あのときの私たちは外部の先生の力を借りて
とにかく
結果
にこだわって練習を重ねました。
そして、迎えた7月の終わり。
まずは中日コンクール。
長くなったので、続きはまた。
次は取り組んだ結果、について。
育児系ブログのこと。
ちょっと待ち時間なので
もうひとつ。
7月に立ち上げた育児系ブログのことです。
毎日更新、の約束は妹の助けもあってなんとかつづいていますが
育児まっただ中の妹と
引っ越しで環境かわってバタバタの私と
それだけで手一杯になっています。
読者登録、全然できていません。
長く続けよう、と妹と話しているので、
頑張りすぎて途中でいやにならないように
とは思っているものの
いくつか設定した目標のひとつが
これではいつになったら達成するやら。
忘れてはいないので、
ぶらさずにやっていきたいと思います。
育児系ブログのほうも応援してくださっているみなさま
本当にありがとうございます!
もうひとつ。
7月に立ち上げた育児系ブログのことです。
毎日更新、の約束は妹の助けもあってなんとかつづいていますが
育児まっただ中の妹と
引っ越しで環境かわってバタバタの私と
それだけで手一杯になっています。
読者登録、全然できていません。
長く続けよう、と妹と話しているので、
頑張りすぎて途中でいやにならないように
とは思っているものの
いくつか設定した目標のひとつが
これではいつになったら達成するやら。
忘れてはいないので、
ぶらさずにやっていきたいと思います。
育児系ブログのほうも応援してくださっているみなさま
本当にありがとうございます!
マネジメントにはじめて興味をもったのは~自分史。
人事系、組織系、マネジメント系のお仕事を
数々いただいてきた私。
その原点、さかのぼると、
たぶん、中学時代になると思います。
小学生の頃も、
三年生から六年生まで、
ずーっと立候補で学級委員をやりつづけ、
高学年では児童会の副会長とか保健委員長とかやってはいましたが、
特にマネジメントをするわけでもなく、
立場は委員だったり、委員長だったりしても
実質はお世話焼き係だったと思います。
そのあたりもいつか書くかと思いますが。
まあ、とにかく、
マネジメントにはじめて、興味をもったのは
中学時代だと思うのです。
あれはブラスバンド部の部長になったときのこと。
うちの学年はオンナばかり八人が入部しました。
私は小学生のときから委員や委員長ばかりしていることは
みんな知っている状態。
うちらのなかではなんとなく、私がやるんだろう、
という空気が流れていました。
ところが部長は先輩の指名で決まるという伝統がありました。
私は先輩たちの印象があまり、よくなかったのです。
理由はカンタン。
なんか、生意気な感じがする。
たしか、そんなようなこと。
で、白羽の矢がたったのが
くんさん、でした。
先輩方はくんさんを押しています。
でもくんさんはやりたくない。
そして、私はやりたい。
経緯はもう忘れてしまったのですが、
いろんなことがあって、
なんとか無事に、私が指名をうけました。
それから、組織のことを、
マネジメントを考えるようになったのです。
まず、考えたのは先輩と後輩の関係のありかた、について。
先輩が絶対、理不尽なこともトップダウンでおしつける、では
やる気も結果も生まれない、と考えました。
あ、念のためにいっておくと
決して先輩たちが悪い人だったわけではありません。
いつのまにか出来上がっていた伝統がよくなかったのです。
例えば、一年生は6月くらいになると
ひとりずつ、準備室に呼び出され、こっぴどく叱られます。
その上、先輩全員の前に並ばされ、
真っ暗にした音楽室のなかで正座したまま、
つるしあげにあいます。
怖いでしょ?
でも、それが伝統で
それをやることで規律が守られ、
威厳を保とうということだったんだと思います。
ですが、それが逆効果なのは、おわかりですよね。
練習はまじめにやるものの、
コンクールではいつも三ランクある賞のうち、
いちばん下の賞ばかり。
そして、それが当然だ、と思い込んでいました。
でも、コンクールにでて、
他の学校の演奏をきいて、
いちばん上の賞をとって泣いて喜ぶ姿をみて、
決意しました。
私たちも、ああなりたい!と。
ここから、私の部活改革がはじまりました。
次に続きます。
数々いただいてきた私。
その原点、さかのぼると、
たぶん、中学時代になると思います。
小学生の頃も、
三年生から六年生まで、
ずーっと立候補で学級委員をやりつづけ、
高学年では児童会の副会長とか保健委員長とかやってはいましたが、
特にマネジメントをするわけでもなく、
立場は委員だったり、委員長だったりしても
実質はお世話焼き係だったと思います。
そのあたりもいつか書くかと思いますが。
まあ、とにかく、
マネジメントにはじめて、興味をもったのは
中学時代だと思うのです。
あれはブラスバンド部の部長になったときのこと。
うちの学年はオンナばかり八人が入部しました。
私は小学生のときから委員や委員長ばかりしていることは
みんな知っている状態。
うちらのなかではなんとなく、私がやるんだろう、
という空気が流れていました。
ところが部長は先輩の指名で決まるという伝統がありました。
私は先輩たちの印象があまり、よくなかったのです。
理由はカンタン。
なんか、生意気な感じがする。
たしか、そんなようなこと。
で、白羽の矢がたったのが
くんさん、でした。
先輩方はくんさんを押しています。
でもくんさんはやりたくない。
そして、私はやりたい。
経緯はもう忘れてしまったのですが、
いろんなことがあって、
なんとか無事に、私が指名をうけました。
それから、組織のことを、
マネジメントを考えるようになったのです。
まず、考えたのは先輩と後輩の関係のありかた、について。
先輩が絶対、理不尽なこともトップダウンでおしつける、では
やる気も結果も生まれない、と考えました。
あ、念のためにいっておくと
決して先輩たちが悪い人だったわけではありません。
いつのまにか出来上がっていた伝統がよくなかったのです。
例えば、一年生は6月くらいになると
ひとりずつ、準備室に呼び出され、こっぴどく叱られます。
その上、先輩全員の前に並ばされ、
真っ暗にした音楽室のなかで正座したまま、
つるしあげにあいます。
怖いでしょ?
でも、それが伝統で
それをやることで規律が守られ、
威厳を保とうということだったんだと思います。
ですが、それが逆効果なのは、おわかりですよね。
練習はまじめにやるものの、
コンクールではいつも三ランクある賞のうち、
いちばん下の賞ばかり。
そして、それが当然だ、と思い込んでいました。
でも、コンクールにでて、
他の学校の演奏をきいて、
いちばん上の賞をとって泣いて喜ぶ姿をみて、
決意しました。
私たちも、ああなりたい!と。
ここから、私の部活改革がはじまりました。
次に続きます。
私の進路選択【大学編】~自分史。
自分史、小さい頃から順におっていくと
はじめはゆるくなりすぎ、
ある時期はヘビーになりすぎるので
ランダムにしてみようかと
思います。
今日は高校生の頃の話。
高校3年の春、
心理学を専攻できる学部に進むことを決めていた私。
(なぜ心理学になったか、はまた今度。)
当然のように
地元の国立大学、金沢大学を受験するつもりだったので
文学部行動科学科を模試では記入していました。
高3の模試、一発目の結果がかえってきたときのこと。
そこにはA判定の文字が。
これでさぼりさえしなければ
私の受験は安泰だ♪とルンルンでした。
四人きょうだいの一番上です。
進学は国公立、すべりどめなし、の約束でした。
ホッと胸を撫で下ろしたのもつかの間。
担任のかまたに先生が爆弾発言をします。
ゆうこさんを県外に出す気はありませんか?
女子大はどうですか?
と、保護者面談でうちの母に話したのです。
(私の記憶では、そうなっています)
今からA判定では勉強しなくなる。
もっと高い目標を。
そんな提案だったのだと思います。
国公立で女子大で心理学………。
お茶の水女子大がヒットしました。
お茶大受けろってこと?
東京の大学を目指すという急展開に
いろんな思いがアタマをめぐりました。
次の模試から志望校欄にはお茶大と記入。
先生からも何もいわれなかったからそのまま夏休みに突入。
不得意な科目が受験科目にあり、
思うように進まない勉強。
おまけに猛暑。
やせました(笑)。
そして休み明けの面談。
苦労しながらも
やっとC判定やB判定をとれるようになっていたその日。
かまたに先生はおっしゃった。
くさのさん、本当にお茶大、受けるの?
はぁ?!
アナタがそうしろっていうたやん!!
そう思いましたが、
なんでですか?
と聞き返しました。
すると、さらりと一言。
あなたに女子大は似合わないわ。
アナタニジョシダイハニアワナイワ。
呆然とする私に、
続けてこうおっしゃいました。
筑波大学、どうかしら?
このやりとりにより
私の志望校はあっけなく
高3の秋に変更されたのでした。
意外と人生を左右する選択なんて
こんな風に決まるものかもしれません。
でも、自分のことは自分がいちばんよくわかっているとはかぎらないとき、
こうやって、思ってもみなかった選択肢を提示してくれる人の存在は
とても貴重なものだと思います。
とはいえ、
かまたに先生の一言がトラウマになり
私が女性だけの集団に苦手意識をもってしまったことは
まぎれもない真実です(笑)。
はじめはゆるくなりすぎ、
ある時期はヘビーになりすぎるので
ランダムにしてみようかと
思います。
今日は高校生の頃の話。
高校3年の春、
心理学を専攻できる学部に進むことを決めていた私。
(なぜ心理学になったか、はまた今度。)
当然のように
地元の国立大学、金沢大学を受験するつもりだったので
文学部行動科学科を模試では記入していました。
高3の模試、一発目の結果がかえってきたときのこと。
そこにはA判定の文字が。
これでさぼりさえしなければ
私の受験は安泰だ♪とルンルンでした。
四人きょうだいの一番上です。
進学は国公立、すべりどめなし、の約束でした。
ホッと胸を撫で下ろしたのもつかの間。
担任のかまたに先生が爆弾発言をします。
ゆうこさんを県外に出す気はありませんか?
女子大はどうですか?
と、保護者面談でうちの母に話したのです。
(私の記憶では、そうなっています)
今からA判定では勉強しなくなる。
もっと高い目標を。
そんな提案だったのだと思います。
国公立で女子大で心理学………。
お茶の水女子大がヒットしました。
お茶大受けろってこと?
東京の大学を目指すという急展開に
いろんな思いがアタマをめぐりました。
次の模試から志望校欄にはお茶大と記入。
先生からも何もいわれなかったからそのまま夏休みに突入。
不得意な科目が受験科目にあり、
思うように進まない勉強。
おまけに猛暑。
やせました(笑)。
そして休み明けの面談。
苦労しながらも
やっとC判定やB判定をとれるようになっていたその日。
かまたに先生はおっしゃった。
くさのさん、本当にお茶大、受けるの?
はぁ?!
アナタがそうしろっていうたやん!!
そう思いましたが、
なんでですか?
と聞き返しました。
すると、さらりと一言。
あなたに女子大は似合わないわ。
アナタニジョシダイハニアワナイワ。
呆然とする私に、
続けてこうおっしゃいました。
筑波大学、どうかしら?
このやりとりにより
私の志望校はあっけなく
高3の秋に変更されたのでした。
意外と人生を左右する選択なんて
こんな風に決まるものかもしれません。
でも、自分のことは自分がいちばんよくわかっているとはかぎらないとき、
こうやって、思ってもみなかった選択肢を提示してくれる人の存在は
とても貴重なものだと思います。
とはいえ、
かまたに先生の一言がトラウマになり
私が女性だけの集団に苦手意識をもってしまったことは
まぎれもない真実です(笑)。
小さいときの記憶~自分史。
自分史はじめます!と宣言いたしましたが
ゆるーい内容から第1回はスタートします。
さかのぼること、30年前のことから(笑)
◇◇◇
みなさんは小さいときの記憶って
どれくらいありますか?
私の小さいときの記憶は
ランダムに、印象的な場面だけが
映像と音声で残っています。
だから、どれがいちばん古い記憶か、
よくわかりません。
が、私の小さいときの記憶にはいつも妹が一緒にいます。
そこに上の弟が加わり、
下の弟が加わりました。
上の弟が生まれる前に母親から言われたことを
なぜか強烈に覚えています。
ゆうこたちはお姉ちゃんになるんだから
ごはんを食べるときに口をあけて「クチャクチャ」いいながら
食べちゃダメだよ。
妹と一緒につみき遊びをしていたときでした。
はっきりいってどうでもいい記憶かもしれません。
が、とっても強烈。
今思えば、あの瞬間、
私は「姉になる」という自覚をもったのかも
しれません。
私のアイデンティティーのひとつは
間違いなく、「お姉ちゃんであること」です。
四人きょうだいの一番上です、というと
やっぱりね、というリアクションがかえってきますし、ね。
ゆるーい内容から第1回はスタートします。
さかのぼること、30年前のことから(笑)
◇◇◇
みなさんは小さいときの記憶って
どれくらいありますか?
私の小さいときの記憶は
ランダムに、印象的な場面だけが
映像と音声で残っています。
だから、どれがいちばん古い記憶か、
よくわかりません。
が、私の小さいときの記憶にはいつも妹が一緒にいます。
そこに上の弟が加わり、
下の弟が加わりました。
上の弟が生まれる前に母親から言われたことを
なぜか強烈に覚えています。
ゆうこたちはお姉ちゃんになるんだから
ごはんを食べるときに口をあけて「クチャクチャ」いいながら
食べちゃダメだよ。
妹と一緒につみき遊びをしていたときでした。
はっきりいってどうでもいい記憶かもしれません。
が、とっても強烈。
今思えば、あの瞬間、
私は「姉になる」という自覚をもったのかも
しれません。
私のアイデンティティーのひとつは
間違いなく、「お姉ちゃんであること」です。
四人きょうだいの一番上です、というと
やっぱりね、というリアクションがかえってきますし、ね。
くさのゆうこの自分史、はじめます。
本日、無事に33歳を迎えたくさのゆうこです。
宣言どおり、今日からこのブログをリニューアルします。
で、新たなテーマを追加しました。
くさのゆうこの自分史。です。
なぜ、自分史というテーマを追加するのか、について。
人は誰でもそれぞれに歴史をもっています。
自分という存在はある日突然、ここにいるのではなく
ちょっとずつ、でも確実にいろんなことを積み重ねて
育てられてきています。
自分も親になってもうすぐ一年。
これまでよりもずっと、もっと
自分という存在、これまでの人生、そしてこれからの人生を
大切にしていかなければ、と思うようになりました。
それに加えて
休業している今、私がみなさんとシェアできる一番貴重な情報は
もしかして私のこれまでの経験かもしれない、と
気付いたことも理由のひとつです。
きっかけをくれたのは
またしても、みさきのゑさん。
書けないこともあるかも、しれません。
が、記憶に残っている
なるべく多くのことを
綴っていきたいと思っています。
それと、私の今までのキャリア選択が
どなたかのこれからの参考に少しでもなってくれたらとの
希望も若干もちながら。
ひらたくいえば
個人的な思い出話の山を築くことに
なるかと思います。
ですので
自分史、とあるときは
旬な情報をお求めの方はスルーをお願いします。
宣言どおり、今日からこのブログをリニューアルします。
で、新たなテーマを追加しました。
くさのゆうこの自分史。です。
なぜ、自分史というテーマを追加するのか、について。
人は誰でもそれぞれに歴史をもっています。
自分という存在はある日突然、ここにいるのではなく
ちょっとずつ、でも確実にいろんなことを積み重ねて
育てられてきています。
自分も親になってもうすぐ一年。
これまでよりもずっと、もっと
自分という存在、これまでの人生、そしてこれからの人生を
大切にしていかなければ、と思うようになりました。
それに加えて
休業している今、私がみなさんとシェアできる一番貴重な情報は
もしかして私のこれまでの経験かもしれない、と
気付いたことも理由のひとつです。
きっかけをくれたのは
またしても、みさきのゑさん。
書けないこともあるかも、しれません。
が、記憶に残っている
なるべく多くのことを
綴っていきたいと思っています。
それと、私の今までのキャリア選択が
どなたかのこれからの参考に少しでもなってくれたらとの
希望も若干もちながら。
ひらたくいえば
個人的な思い出話の山を築くことに
なるかと思います。
ですので
自分史、とあるときは
旬な情報をお求めの方はスルーをお願いします。
11ヶ月になったチビくさこ。
おとといの日曜日、チビくさこが11ヶ月を迎えました。
この1ヶ月の彼女の成長でめざましいのは
社会的な行動、とでもいえるでしょうか。
離乳食をはじめた頃からいただきます、ごちそうさまでした、を
私がやってみせていたのですが、
ここ2、3日で急に
ごちそうさまでした、というと
手を合わせながら深々と頭を下げる×2
をやるようになりました。
2回繰り返すのは・・・私がいつも2回くらいやっていたのかもしれません。
ことばは発しませんが
特定のことばに反応して特定の行動をみせるようになってきたようです。
あと、人を見送りながらバイバイというと手をふるようにもなりました。
こちらはごちそうさまでした、ほど、ことばだけに対応してはいないようにもみえますが
バイバイ、いってらっしゃい、に手をふる行動がともなうようにはなりました。
しっかり学習しているのですね。
その他には
おやつの袋を勝手にあけて食べていたり、
サイドボードのガラス戸を勝手にあけて中のカップをつかんでみたり、
いつの間にかローテーブルの上にあがってみたり、
いつの間にか財布から一万円ぬいてみたり、
まさかな行動をみせております。
目が離せない、という意味ではこれまでとかわりません。
が、確実に進化しております。
一歳まであと1ヶ月。
誕生日を迎えるとき、どんな姿をみせてくれているでしょうか・・・。
この1ヶ月の彼女の成長でめざましいのは
社会的な行動、とでもいえるでしょうか。
離乳食をはじめた頃からいただきます、ごちそうさまでした、を
私がやってみせていたのですが、
ここ2、3日で急に
ごちそうさまでした、というと
手を合わせながら深々と頭を下げる×2
をやるようになりました。
2回繰り返すのは・・・私がいつも2回くらいやっていたのかもしれません。
ことばは発しませんが
特定のことばに反応して特定の行動をみせるようになってきたようです。
あと、人を見送りながらバイバイというと手をふるようにもなりました。
こちらはごちそうさまでした、ほど、ことばだけに対応してはいないようにもみえますが
バイバイ、いってらっしゃい、に手をふる行動がともなうようにはなりました。
しっかり学習しているのですね。
その他には
おやつの袋を勝手にあけて食べていたり、
サイドボードのガラス戸を勝手にあけて中のカップをつかんでみたり、
いつの間にかローテーブルの上にあがってみたり、
いつの間にか財布から一万円ぬいてみたり、
まさかな行動をみせております。
目が離せない、という意味ではこれまでとかわりません。
が、確実に進化しております。
一歳まであと1ヶ月。
誕生日を迎えるとき、どんな姿をみせてくれているでしょうか・・・。
