夕方の交代時間が来たとき白髪混じりのイヤミ男性、僕は達人とよぶ、彼のとなりに、係がきた。この部屋の空気に耐えかねて転院までの間別の部屋にしてもらいたいと嘆願していた。その経過状況を確認しに来たのである。残念ながら、みな窓側をきらい同じように狭く通路側を要求しているため、すでにそこに入っている人へ別の部屋に入るのは難しいというとでした。窓側は形状からランク上とされて料金が発生してしまう。しかしながら通路側なら全くお金がかからないという訳なのです。それゆえ、暫定的に窓側にいる人もすぐに移りたいという心境な訳だ。
この僕もご多分に漏れず同じように頼んですぐに今の所に収まったのです。
彼等はがっかりしているようでした。理由は怪我の苦しみの我慢のほかに、余計な苦痛をしいられるからなのです。新たな珍客が僕のとなりに入りました。あの糖尿患者です。彼と、達人は馴染みのようで入室時に挨拶をしていました。一緒に暮らしてみて感じたのだけれど相当苦痛でした。
ナースコールを使う回数が多すぎて看護師も辟易するほどでした。また、夢と現実の違いがわからずしょっちゅう意味不明な事を言い続けてもいました。一番の修行は、手術後の晩でした。僕の脚は相当な破壊で残っている骨でも使えるなものが少なく、その最後といわれる手術ではかなりハードワークになると評判でした。結局朝から始まり終わって部屋に戻ったのが9時頃でした。寒さとソウカンの後ののどの不愉快さと何にも比較しようのない痛さで布団をかぶりブルブルとふるえていました。
消灯時間とも重なり皆が落ち着いてベットを倒したりしている中、彼だけは相変わらず無理難題を看護士に注文していました。その度に注意を受け説明されたいました。
僕はそれどころではなく何とか痛みと苦しみからの解放を期待し、瞼が開かなくなるだろうぐらいしっかりと閉じていました。
すると、また彼がコールボタンをおしました。さすがに看護師達もまずいと判断し全て無視し始めました。痺れを切らせた彼は大声で、誰かいないの、呼んでますよと連呼するのです。達人が今度はその声にこたえ、何か用があるのかいと聞くとさっきから要求したいことがあるからならしてるんだけどだれもこないんだとこぼしていました。
達人も夜勤で人が少ないから仕方ないよなだめると足りないんじゃなくてたるんでんだよと暴言まではいてました。達人と彼の関係を分析するほど余裕はなかったものですから、じっと、ただじっとするばかりでした。そして、達人が自分のコールボタンを使い看護師を呼びました。
達人に呼ばれたナースは困り果ててましたがどんなことなのか聞いてみました。すると彼は手袋を外してほしいのだよといっていました。
さすがに、毎日毎日のことなのでちょつとまっての一言を残し部屋をすぐに、でてしまいました。ほどなく数人の看護師達があらわれ、彼をベッド毎連れ去る準備をしたのです。手袋が外せない理由を伝えながら悪たれと暴言を吐き続ける彼に看護師の一人はわかりましたから、わかりましたからといいながら、でもね、お隣の方さっき手術から帰ってきてつらいんだ。なのであなたの話は向こうでいっぱい聞くからねといってでていきました。
すやすやと寝た僕は鈍い痛みでめがさめました。そして、いつの間にか電気のつく部屋で日中担当の職員が達人に、いきなりで申し訳ないんですが、今日の午後別の部屋の移動に協力していただきたいのですがという内容の話に耳がピクリとしたのです。
所詮、医師や看護師らが患者さんにしてあげられることといえば不自由になったものを一つずつ患者さんに還元させることぐらいだと思う。
そのお手伝いでふさわしい人が医学にはいって活躍しているわけなんだろうと。
故に、俗にいうところの高収入や地位や名誉という肩書きよりも、どれだけ人を助けたかがなによりも優秀だとなる。僕はさらに、助けた人に感謝され喜ばれなければ○はあげられない。助けてやったんだぞという態度がみえたとき、数年もたてば誰だっけと忘れてしまいそうで悲しくなるからだ。
全部が兼ね備わったならば、勇者として多大なる尊敬で今後もお付き合いしたくなるのが人情です。

ただ、あちらが迷惑であると言ってしまえばそれまでなのだが。

非常に悲しい出来事が起こったのです。糖尿も患い、頭にも少し疾患が出始めたであろうと素人でも判断できそうな老人が二週間近く入院しています。その声を聞けば大体誰もがまたか、と言いそうな位の重傷者だ。症を使わなかったのには理由がある。どんな場合であっても今僕がいる棟は外科であり、その大半が骨折なのです。老人の場合も、頭蓋骨骨折、頸椎骨折、肋骨骨折となり先にこちらを何とかしなければ人の機能、動くという自由が戻らなくなるからです。
ただ、口が達者であることと、声を大きく出せるという自由は奪われなかったので彼にとって最大限いかしたいところなのです。
しかし、ここでも、最良、みなにとって喜ばれれるべき方法を彼もとらなかったんです。
毎日都合のいい時に寝ては、みなが食事をしていたり寝ていたりするときに大声で看護師を呼び続けるのです。みなも、またかと思い、それでも仕方がないとあきらめてしまうのです。
おそらく、彼の容貌、顔はむくみ、首にカラーをつけられ、手と足にニットの防護袋をまかれ、鼻から食道に届くほどの管が入っているのを見れば、彼を知らない一般人であっても素通りしてしまうでしょう。それが現実なのですから。
そんな彼は同じ病室に四日と居たためしはなく、ローテーションで移動させられていました。また日中はできる限り車椅子に乗せられては半ば強制的起こさせられ、リハビリの回数も2回行わされるなどかなり自由にむけた取り組みがなされていました。
夜はそれでも目が冴えてしまうようで流石にスタッフも患者さん達へ不自由を与えてしまうことを恐れて別室ですごす事を余儀無くされていました。
そして、今日彼以上の暴言を吐いた若者がいました。
老人のことは何度となく見てはいるようでした。知らないことはないというのは、彼が来たのが三週間前、その後に老人という順番だった点と若者は骨盤と左足の骨折で比較的この病院では軽い方なので車椅子に乗れればトイレもリハビリ施設へも、買い物ですら行ける自由を取り戻したんです。それ故にしょっ中広間に老人がいれば否が応でも見ないわけにはいかないのですから。声をかけるとか関わりを持つことは全く別にしてもです。
その若者がとうとう「うるせーなシジイ、だまれ」を何度も何度も言って反撃していました。
彼の態度は決して許されるべきではないことです。
しかも、その時間は若者の母親すらそばにいた時間帯です。
僕はすぐに、思い出しました。駅前で脚の不自由な人をみて指を差しながら笑っている高校生の姿を。
誰がナンといっても肢体不自由者を侮辱してはならない。生きる権利は平等です。そんな事すら学べないのかと本気で苦しい気持ちになった時と同じ思いに苛まれたのです。
老人を始めてみたのならば仕方がない。でも入院は彼の方が先輩でうるさいと怒鳴る前にすることがあるだろうにと。母親も、何故自分の子供をひっぱたいて諭さなかったのか全く理解できませんでた。
自分たちがうるさくなければいいのか、様々な病と骨折という障害がわかれば、絶対にいってはならない、脚のない人に脚がないことをバカにする人と、喋ることがままならない人にしゃべって見ろとからかかうイジメとなにがこの若者がしたこととちがうたいうのか!
聞けば彼は信号待ちで変わったと同時に発信しUターンが遅れて手間取った車にぶつかったという。母親も、そんな運転手見たことないと激怒していた。
はたして、苦しむ老人に思いやりの一つももてないふたりの言い分が正しいのかどうか。
もし、悪たれをつかないで居られる人なら自分が先に行くのが当選だという権利を振りかざす前に、なにやってんだろうねあの車怪しい動きだなと警戒するだろうに。こうした事故まで起こして、手術までして、さらに、老人からの攻撃を受けて何かの力が大お前にわかってほしいのだよといってるようでしかたがないのでした。
人はほとんどの場合何か不都合なことがあると原因と結果を探そうとする。自分という位置、視線を高いところにおいておいて、監視カメラを分析するかのごとく悪い部分のみを見つけ出す天才かもしれない。
それはそれでやるべき事なのだろうが、もっと次元自体を変えて判断する力は持っていたいとおもう。僕なんかの場合は三回も大手術をするぐらい、一般的に見れば不運で、気の毒にと思われるか、何かとりつかれているのだろうと言われる事が多々ある。そのどれもが自分の次の事故を回避する策に繋がる事は全くないことも知っている。ついていないのではなく、偶然になったのでもまったくない。その事故を引き寄せるというか沢山のレールが有るならばそのレールを選んで、まるであみだくじを進むかのように右往左往し、時間を掛けて辿り着いた必然の結果だったのだろう。
そういうと、大体の人は眉をひそめるか、鼻で笑うとおもいます。何故なら自分は間違っていないといいたいからだ。
絶対とはいわずとも極力ダメージの少ない位置で防御したくなるものだ。それもそうだ、人による被害事故でも、自損でも、ただでさえ痛いダメージを負っている自分にさらなる追い討ちなどかけたいとはだれだって思うはずはない。

なので特殊意見の少数派と先に断ったのです。
僕の事故、否この病院にくるほとんどの人はそれに気付くことはないだろう。それだけではなく、どうして病院の先生方は看護師は少なからず大事故に合わないのだろうと、比較する事もなく退院していくばかりだ。大概比較するときは、処置の仕方や介護の仕方をもっともらしく分析して、怪我をしたことがないから傷みが判らないのだと捨て台詞をはくぐらいな気がする。

前の病室で寝たきりにさせられていた老人はその事ばかりを嘆き、何度もナースコールを使い自分が一番してもらいたい事に近づけようとしていた。それはそれで正しい事なのだろう。言い方や頼み方の問題ではない。痛いのは痛いだけの状態にあることを理解すれば伝えきれない事が見えてくるのにとおもった。患者の苦しみを分かってくれないトンデモネー治療をする病院だと最後はののしったが、その後結局四回も手術しなければならない羽目になったそうだ。あの時ナースの通りにしておけばと言ってもあとのまつり。
そんなときでも僕なら四回ですんだならいいか、生まれ変わりが四回出来たのだからというだろう。
またある日、向かいの患者さんがナースと楽しそうな会話をしていると、またしてもうるせーなの連発攻撃でした。看護師さんも、動けないしジッとしてると寂しくなっちゃうものよねと双方への配慮の言葉をかけました。なる程出来てる人だなと思いました。そして、よる、消灯前に喋っていた方の患者さんが寝息をたてはじめました。そして、先ほどの患者さんがでは電気を消しますと挨拶にくるや、また聞こえよがしに、ったく、静かなのは寝てるときだけだなと捨て台詞をはいたのです。
何故そんなにも、人を悪く蹴散らしたがるのか僕には本当にわからなかったんです。そして本当なら当に両足がつく頃なのに着かない。悪たれをつく分足をつかせる何かが邪魔をさせているのかとおもえてならなかったんです。
そして、その晩は夜の10時位に携帯電話を使い通話していました。皆さん誰も咎めません。僕も起きていたしダメといって直る人ならこんなに不幸をもたらさないだろうと考えてただひたすら観察に徹してました。
次の日はなんと彼の身内がきてまして、とても機嫌がよさそうでした。声のようすや笑い声でそう思えたほどです。僕を含め三人とも彼の見舞い人の少なさにはっと思ったのです。
寂しさの裏返しで妬み、嫉妬からくる悪たれだったのかなと。これで大丈夫になるんだと思うと、帰り際に娘さんがお金をせびってました。その人の仕事などは僕には分かりませんが、さほどお金にふ不自由している様子はなさそうに感じました。支払いのことをこっちの銀行からあっち、あっちの銀行からこっちと、指示をだすのも分かりやすく大きなまとまった金額でした。
そして、この前引き落としたのはどうしたんだ?た訪ねた上で何で父親が渡すお金が直ぐになくなるのだとなげいてました。すると娘はストレスと言い張ってました。帰り際には旦那のご飯と子供たちの迎えがあるからと一番の目的を果たした様子でかえっていきました。
悪たれの代償はかなり高かったけれどまだまだ続くのでした。

決して僕はそうじゃないとか、人を卑下するようなことは避けようとがんばって書いています。何故ならこんな僕でさえ三回も骨を折りそのために不自由な苦しさと不幸を恨んだ時期が長かったからなのです。今は見方を味方につけてしまえば代償なんかじゃなく褒美だとさえ思えてきてのですから。
多分悪たれをついたり、愚痴をこぼしたり、何かにつけて文句がでると、その一言のせいで経過に変化が生まれるんじゃないかと思うようになった。これはきっと少数意見の範疇だろうから、そんなと鼻で笑ってしまう人は読まない方がいいと思う。
逆に何で何でと思うならばどうぞ付き合って見てください。

骨盤を骨折した五十代の男性がいた。もう、2ヶ月が経過し松葉杖という流れでリハビリもしていた。最初は優しい感じもし気の利かせ方が大人だなと感心したほどでした。でも、直ぐにその彼に対する良いイメージが正反対にかわってしまたんです。
他の入院患者さんに聞こえよがしに悪たれをつく人だったんです。トイレにすら行けない人が排泄を余儀なくされるとその臭いに文句がでました。すると、次日予期せぬ事がおきました。精密検査で朝御飯が出ないことでした。その男性は検査は聞いていたが朝食が無いことは聞かされてないど激怒し、コンビニで買ってくると言い張ってました。事態は責任者がきて直ぐ集束した。だが、責任者が部屋を後にするや「どうせ糞まじぃからわざわざ食わなくたっていいけどよ」と悪たれがでました。僕は今度はどんな不幸を引き連れてくるのか注意深く気にしていました。すると、数日後股関節、足の付け根がしびれて痛くなったみたいでした。ただマッサージすれば痛みも無くなると言うこともわかり、痛み止めの薬を変えてみることと、氷枕を使ってみることで経過を見ようとなりました。僕がいる部屋は彼を含め四人で共同看護を受ける大部屋で、カーテンのみの敷居しかないから声でも匂いでもって共有です。そして、その日の夕方彼の隣の人に面会者が現れました。その人の妻のようで優しい言葉をかけたり、家がどうなっているか、子供達は元気にしてるかなど小声で話していました。この場合どんなに小声であっても布一枚なので声は通ります。彼等が何故そうした態度をとっていたのか僕もよくわかったのです。あの男性を刺激したくなかったからでしょう。しかし、そんな彼らの最小限の思いやりでさえ無に変えまし。「ったく、よくくっちゃべるうるせーババアだな」
それから、3日間、彼が脚を冷やすために用意された水枕が漏れてシーツの下側がびしょびしょになる事態になってました。
勿論そのことに、いちいち看護師へ文句を付け足していたけれど彼が求め手居るであろう快適な入院生活はどの日も無かったようにみえました。他の人には前もって予定を知らされるリハビリなども、朝の9時にいきなり来いといわれて、用事も中途半端で行くなどしょっちゅうでした。
僕はざまあないなとは決して思わなかったが、せめてその悪たれを思いやりの言葉に変えればいいのにと感じました。
病室内で笑いがひとつ起こる。すると、追随して咳払いがひとつ響く。今度は互いの返事が一致し感心しあうと、舌打ちがふたつになって返ってくる。
最初はその規則正しい法則などお構いなく隣は会話を弾ませていたが、徐々に本腰となる話の内容とい医療介護とは全く関係のない世間話にまで発達するや、男の返す言葉もはっきりと、そして躊躇ない文句として投げつけて来たのである。
うるせぇな、ったくよ、
この言葉の裏には大部屋故の気苦労に配慮してほしというメッセージが込められていると僕は最初は理解していた。
会話に夢中で気がつかなかった二人はさらに話し続けている。
するとしびれを切らしとうとう
静かにできねぇのかよ、いちいちよ
と大声で攻撃してきたのである。
これには参ったとばかりに看護師も声をとざしたのである。しかし、患者の方はその彼の思いを否定した内容の言葉を彼女にしてしまったのである。
しゃべってないと寂しいからさ、いたいばかりでさ、ゴメンね
その言葉は確かに聞こえたハズである。
彼も自分の言い分だけでは埒があかないだろうにと思っているのではと、僕は期待しながら双方の会話の行方に耳をそばだてた。
そうよね、寂しいもんね
看護師の駄目押しである。軍配が上がったと判断した僕の耳、次の言葉で何とも人は傲慢になれるものかと思ってしまったのである。
ホント、ベラベラとよくしゃべるよな
僕は裁判官ではない。倫理観も人並みだ。どちらが正しいなど判断する立場ではない。しかし、き気分がよくなるのはどちら側なのかを感じえる心は忘れたこともない。
例えクドい内容であっても、悪気で繰り返しているのではなく寂しさから解放されたい思いからであると理解できれば許容範囲だろう。その上で文句ではなく、たまには違う話しで盛り上げてくれと会話に参加し頼めば嫌なことも楽しめやしないかとかんがえてしまうのである。
二人はそうして、黙り込んでしまい、事務的な対応でカーテンをとざしたのである。
様々な人間模様が垣間見られる。災害時の集団避難所での共同生活以上に生々しい。
何かから逃れるという共通な恐怖の点では被災地での目的や目標も生まれやすく一致団結もあろう。しかし、病院では個々の問題との戦い故にその解決方法も様々だからである。
僕の場合は骨折と長期歩行困難ゆえ、仕事復帰の見通しがたたないことや、役員ゆえの治療費負担の多さである。
そんな事を考えていると、隣に入り込む人影が見えた。ベテラン看護師が身体の洗浄に訪れたのである。介護の中でトイレに次ぐ重要点は患部を含めて
身体を清潔に保つことがあげられている。中でも水で洗い流せない所は濡れタオルで綺麗に垢や汚れを落としておく必要がある。彼の場合はベッドから起きあがることは勿論寝返りすら出来ずにいるために、体全体をタオルで拭われることは、言葉には変えられない喜びなのである。
丁寧な応対と適切かつ優しい介護の中彼は身の上話をはじめた。
病棟は看護師のルーティーンが決められていて、ある一定時期を過ぎるとリセットされる仕組みのようだ。これにより、一巡二巡し患者のことがある程度把握できたあたりから初めて受け持つといった案配になる。そうすることで、万が一患者に異変が起きたとしても予備知識が多くなるので対処が早くなるということになる。
彼の身の上話はなので知らないという人は既にいなくなってた。当然隣にいる僕でさえ同じ映画を二度見るようなこととなるのだ。
ベテラン看護師ゆえ、その気遣いは返答の語尾の深さでわかった。感情を入れた彼女の返事や、大変でしたねという一歩違えれば社交辞令な言葉遣いでさえ同情に満ちて聞こえてくるのである。
僕は、一々その話が滑稽に聞こえてたのしんでいたしかし、ただ独り、その話を愉快にすら思わず迷惑とばかりに感じるものがいた。
あの、車椅子の男である。
車椅子に乗る心地は、爽快極まりない。自由という言葉を借りるならば自力で何の不足や不具合のない状態は天国だが、今の自分はその途中の階段で休んでいるくらい幸せである。病室内で眺める、目に入るものはカーテンや天井、時折揺らいで通り過ぎる人影だけだ。しかし、どうだろう。好きなように目に飛び込んでくる。生きると言うことはそうした好きなものを好きなように選択する喜びに満ちていることなのだと心から感じた。
病室ではNGであった携帯電話も、一歩部屋を出れば可能である。すぐに僕は家族や仲間に安心させようと連絡を取った。
初めて骨折のことを知らされる仲間や、手術はどんなあんばいだいだったかを気にしてくれる仲間など様々な反応が返ってきた。その言葉ことばの励ましに心が一々震えた。心配させてすまないとでも、がんばって歩けるようになるからと気丈に返事をしたのである。
一通り報告をすませると、ピリピリとした痛みの中に、重く鈍い痛みが砕け散った膝の辺りから広がってきた。車椅子にのって時間を計っていた僕ばかり正味三十分かと、心の中で呟いた。僅かながらの自由ではあったが、たくさんのものを目に焼き付けようと精一杯前を向きつつ部屋に戻ったのである。
大人しくベッドの上で休んでいると、何故あの時落下したのか検証しようと脳に働きかけた。
小雨の降る中、足場の悪いトラックの屋根の上にのり作業をしていた自分。その荷台の端で右足が滑ったのである。バランスを崩して左脚を軸に着地した。地面は土で弾力性があるにせよ、四十を超えた大の男の体重を支えられるほど丈夫ではない。足首が曲がり崩れ落ちた身体を手を突いてあげた瞬間目の前に花火が散らばり真っ白になったのである。悲鳴とともに視界がもどり劇痛がはしった。手にさわれるものを手当たり次第鷲掴みにし、息を荒げて助けを呼んだのである。
程なくして救急車が到着するや携帯電話と貴重品を持ってきてほしいと告げた。隊員の人々と会社の従業員で泥だらけになった僕を一斉に担ぎ上げ、折れた足に負担になっている靴をハサミで切り刻んだ。そのまま、車に搬入し搬送する病院を探したのである。
何故という言葉に自問自答をあえていままでしてこなかったが、こうして落ち着いて病室内で物思いに更けることが出来るいまでも徒労になると感じたのである。
そして、今出来る、やれることは何かを充分感じさせる要因が次々起こってくるのである。
車椅子の男が自分の定位置に戻りベッドが傾く音を確認した僕は、すこし躊躇しながらナースコールを押した。隣も既に介護完了であったので静かだった。すぐに看護師があらわれた。僕は脚のあがる、装置を座った状態で真っ直ぐ前に固定できる椅子を要求した。この、ベッドからの移動はとても難儀である。まずその重さ。到底自力で左足はあがらない。かといって腕で持ち上げようにも杭の刺さりに尻込みして上部のバーに手がかけられない。看護師に頼むとかかと側のバーを掴んでもらった。ズリズリとお尻や右足を引きずり出しベッド横に平行して置かれた車椅子へと移行する。一々看護師と声をあわせる。ようやく座れても、次の段階がある。脚の高さ調整だ。ベッドでは横になったままであるが故脚は真っ直ぐに近い状態で30度ぐらいの角度を保っている。しかし、椅子は30度の角度を持っていても座った状態であるがために骨盤と付け根への負担が尋常ではないのである。僕は脚を少しあげては固定、下げては固定を繰り返し痛みの少ないポジションを確保しようと試みていた。
看護師は術後すぐに車椅子に乗ろうと言う意気込みはすばらしいが実際に乗る人はほとんどいない事を伝えて、少しでも無理をさせまいと気遣ってくれていた。
ベッドの上にあった棒状のクッションをとってほしいと僕は伝えて今度はそれを装置の下側と車椅子の脚台の間に挟んだ。
なるほど車のバネや電車のバネによく木を挟ませる工夫があるがよいクッションになるのだと感心したものである。
僕は部屋からでて、外を徘徊することにせいこうしたのである。
トイレを済ませた彼は今度は反対側の方へとこれまた器用に車椅子を操りながら少しバックしては方向を変え、またバックしては方向をかえて、いつしか手洗いの洗面所に移行していった。その操作をみると、僕よりも大分前に入院したことは予測がついたが、何故未だ退院に至らないのか不思議に感じていた。そうこうしているうちに、今度は隣で、「おお、痛い、おお、痛い」という言葉を連呼する声がきこえた。入れ歯なのだろうか、歯の組み合わせが悪いような喉の奥だけでしゃべる様子がかなりの年輩者を彷彿させる。そして、「ちきしょうめ、なんだってここが痛いんだ」と独り言をのたまいながら、「しかたねーよな、背骨折ってるんだから」とか勝手に納得していたのである。随分と粗野でお喋りな年寄りだなと感じつつも、きっと大工か、植え込み職人かと憶測で判断していると、看護師の女性がその部屋のカーテンを断りながら入ってきたのである。「○○さん、いかがですか、ご様子は?体拭きにきましたよ」語尾のイントネーションが少し上下する事から茨城出身の看護師であろうと思えた。
彼女は優しい言葉をかけながら、痛くないようにとベッドを少し起こし男の衣服をほどき始めた。
彼は始終すみませんねと謝りながら、また、痛い痛いを繰り返した。それから、どうしてこうなったのか、まるで初めてこの病院にかつぎ込まれた時のように詳しく語り始めたのである。
彼は塗装職人で会社で依頼されたとある民家のベランダのサビ止めの塗装をしていたそうである。足場は特に確保せず手すりや外の木にハシゴをかけて処理をしていた。夕方近くになりほぼ作業が終わる頃、もう一つの古い木の枝に脚をかけた瞬間勢いよくその枝が折れ、そのまま背中から落ちてしまったのである。地面は見た目では土ではあったが、わずか数センチ下には御影石が畳二畳ほど埋められていたそうなのである。幸い頭を打つことなく腰と骨盤だけで地面にめり込んだのでその部分の骨折で済んだということであった。
これを聞くだけでもそら、恐ろしいと感じた僕は人はこうも簡単に骨など折れるものかと落胆してしまったのである。高さにしてみればせいぜい二メートル位なものなのに。人の老いはこうしたことでも証明されるのだと思ったのである。
一通り彼の話を聞き終えると、看護師は脚や腕を丹念にふきとって「今度は痛いけどがんばって背中ふきますね」と彼に告げた。
当然彼は抵抗しようとひっしではあったが直ぐに彼女の腕の中で介抱されていったのである。