所詮、医師や看護師らが患者さんにしてあげられることといえば不自由になったものを一つずつ患者さんに還元させることぐらいだと思う。
そのお手伝いでふさわしい人が医学にはいって活躍しているわけなんだろうと。
故に、俗にいうところの高収入や地位や名誉という肩書きよりも、どれだけ人を助けたかがなによりも優秀だとなる。僕はさらに、助けた人に感謝され喜ばれなければ○はあげられない。助けてやったんだぞという態度がみえたとき、数年もたてば誰だっけと忘れてしまいそうで悲しくなるからだ。
全部が兼ね備わったならば、勇者として多大なる尊敬で今後もお付き合いしたくなるのが人情です。
ただ、あちらが迷惑であると言ってしまえばそれまでなのだが。
非常に悲しい出来事が起こったのです。糖尿も患い、頭にも少し疾患が出始めたであろうと素人でも判断できそうな老人が二週間近く入院しています。その声を聞けば大体誰もがまたか、と言いそうな位の重傷者だ。症を使わなかったのには理由がある。どんな場合であっても今僕がいる棟は外科であり、その大半が骨折なのです。老人の場合も、頭蓋骨骨折、頸椎骨折、肋骨骨折となり先にこちらを何とかしなければ人の機能、動くという自由が戻らなくなるからです。
ただ、口が達者であることと、声を大きく出せるという自由は奪われなかったので彼にとって最大限いかしたいところなのです。
しかし、ここでも、最良、みなにとって喜ばれれるべき方法を彼もとらなかったんです。
毎日都合のいい時に寝ては、みなが食事をしていたり寝ていたりするときに大声で看護師を呼び続けるのです。みなも、またかと思い、それでも仕方がないとあきらめてしまうのです。
おそらく、彼の容貌、顔はむくみ、首にカラーをつけられ、手と足にニットの防護袋をまかれ、鼻から食道に届くほどの管が入っているのを見れば、彼を知らない一般人であっても素通りしてしまうでしょう。それが現実なのですから。
そんな彼は同じ病室に四日と居たためしはなく、ローテーションで移動させられていました。また日中はできる限り車椅子に乗せられては半ば強制的起こさせられ、リハビリの回数も2回行わされるなどかなり自由にむけた取り組みがなされていました。
夜はそれでも目が冴えてしまうようで流石にスタッフも患者さん達へ不自由を与えてしまうことを恐れて別室ですごす事を余儀無くされていました。
そして、今日彼以上の暴言を吐いた若者がいました。
老人のことは何度となく見てはいるようでした。知らないことはないというのは、彼が来たのが三週間前、その後に老人という順番だった点と若者は骨盤と左足の骨折で比較的この病院では軽い方なので車椅子に乗れればトイレもリハビリ施設へも、買い物ですら行ける自由を取り戻したんです。それ故にしょっ中広間に老人がいれば否が応でも見ないわけにはいかないのですから。声をかけるとか関わりを持つことは全く別にしてもです。
その若者がとうとう「うるせーなシジイ、だまれ」を何度も何度も言って反撃していました。
彼の態度は決して許されるべきではないことです。
しかも、その時間は若者の母親すらそばにいた時間帯です。
僕はすぐに、思い出しました。駅前で脚の不自由な人をみて指を差しながら笑っている高校生の姿を。
誰がナンといっても肢体不自由者を侮辱してはならない。生きる権利は平等です。そんな事すら学べないのかと本気で苦しい気持ちになった時と同じ思いに苛まれたのです。
老人を始めてみたのならば仕方がない。でも入院は彼の方が先輩でうるさいと怒鳴る前にすることがあるだろうにと。母親も、何故自分の子供をひっぱたいて諭さなかったのか全く理解できませんでた。
自分たちがうるさくなければいいのか、様々な病と骨折という障害がわかれば、絶対にいってはならない、脚のない人に脚がないことをバカにする人と、喋ることがままならない人にしゃべって見ろとからかかうイジメとなにがこの若者がしたこととちがうたいうのか!
聞けば彼は信号待ちで変わったと同時に発信しUターンが遅れて手間取った車にぶつかったという。母親も、そんな運転手見たことないと激怒していた。
はたして、苦しむ老人に思いやりの一つももてないふたりの言い分が正しいのかどうか。
もし、悪たれをつかないで居られる人なら自分が先に行くのが当選だという権利を振りかざす前に、なにやってんだろうねあの車怪しい動きだなと警戒するだろうに。こうした事故まで起こして、手術までして、さらに、老人からの攻撃を受けて何かの力が大お前にわかってほしいのだよといってるようでしかたがないのでした。
そのお手伝いでふさわしい人が医学にはいって活躍しているわけなんだろうと。
故に、俗にいうところの高収入や地位や名誉という肩書きよりも、どれだけ人を助けたかがなによりも優秀だとなる。僕はさらに、助けた人に感謝され喜ばれなければ○はあげられない。助けてやったんだぞという態度がみえたとき、数年もたてば誰だっけと忘れてしまいそうで悲しくなるからだ。
全部が兼ね備わったならば、勇者として多大なる尊敬で今後もお付き合いしたくなるのが人情です。
ただ、あちらが迷惑であると言ってしまえばそれまでなのだが。
非常に悲しい出来事が起こったのです。糖尿も患い、頭にも少し疾患が出始めたであろうと素人でも判断できそうな老人が二週間近く入院しています。その声を聞けば大体誰もがまたか、と言いそうな位の重傷者だ。症を使わなかったのには理由がある。どんな場合であっても今僕がいる棟は外科であり、その大半が骨折なのです。老人の場合も、頭蓋骨骨折、頸椎骨折、肋骨骨折となり先にこちらを何とかしなければ人の機能、動くという自由が戻らなくなるからです。
ただ、口が達者であることと、声を大きく出せるという自由は奪われなかったので彼にとって最大限いかしたいところなのです。
しかし、ここでも、最良、みなにとって喜ばれれるべき方法を彼もとらなかったんです。
毎日都合のいい時に寝ては、みなが食事をしていたり寝ていたりするときに大声で看護師を呼び続けるのです。みなも、またかと思い、それでも仕方がないとあきらめてしまうのです。
おそらく、彼の容貌、顔はむくみ、首にカラーをつけられ、手と足にニットの防護袋をまかれ、鼻から食道に届くほどの管が入っているのを見れば、彼を知らない一般人であっても素通りしてしまうでしょう。それが現実なのですから。
そんな彼は同じ病室に四日と居たためしはなく、ローテーションで移動させられていました。また日中はできる限り車椅子に乗せられては半ば強制的起こさせられ、リハビリの回数も2回行わされるなどかなり自由にむけた取り組みがなされていました。
夜はそれでも目が冴えてしまうようで流石にスタッフも患者さん達へ不自由を与えてしまうことを恐れて別室ですごす事を余儀無くされていました。
そして、今日彼以上の暴言を吐いた若者がいました。
老人のことは何度となく見てはいるようでした。知らないことはないというのは、彼が来たのが三週間前、その後に老人という順番だった点と若者は骨盤と左足の骨折で比較的この病院では軽い方なので車椅子に乗れればトイレもリハビリ施設へも、買い物ですら行ける自由を取り戻したんです。それ故にしょっ中広間に老人がいれば否が応でも見ないわけにはいかないのですから。声をかけるとか関わりを持つことは全く別にしてもです。
その若者がとうとう「うるせーなシジイ、だまれ」を何度も何度も言って反撃していました。
彼の態度は決して許されるべきではないことです。
しかも、その時間は若者の母親すらそばにいた時間帯です。
僕はすぐに、思い出しました。駅前で脚の不自由な人をみて指を差しながら笑っている高校生の姿を。
誰がナンといっても肢体不自由者を侮辱してはならない。生きる権利は平等です。そんな事すら学べないのかと本気で苦しい気持ちになった時と同じ思いに苛まれたのです。
老人を始めてみたのならば仕方がない。でも入院は彼の方が先輩でうるさいと怒鳴る前にすることがあるだろうにと。母親も、何故自分の子供をひっぱたいて諭さなかったのか全く理解できませんでた。
自分たちがうるさくなければいいのか、様々な病と骨折という障害がわかれば、絶対にいってはならない、脚のない人に脚がないことをバカにする人と、喋ることがままならない人にしゃべって見ろとからかかうイジメとなにがこの若者がしたこととちがうたいうのか!
聞けば彼は信号待ちで変わったと同時に発信しUターンが遅れて手間取った車にぶつかったという。母親も、そんな運転手見たことないと激怒していた。
はたして、苦しむ老人に思いやりの一つももてないふたりの言い分が正しいのかどうか。
もし、悪たれをつかないで居られる人なら自分が先に行くのが当選だという権利を振りかざす前に、なにやってんだろうねあの車怪しい動きだなと警戒するだろうに。こうした事故まで起こして、手術までして、さらに、老人からの攻撃を受けて何かの力が大お前にわかってほしいのだよといってるようでしかたがないのでした。