現代の西洋医学に欠かせないもの、実験。
とある患者さんが過去に病院の裏側を垣間見たらしい。搬入搬送用エレベーターに乗ると大量に動物の死骸があったとか。みれば、身体中縫合だらけの状態。保健所などから提供された動物達が、人間の治療のために尊い命を犠牲にしていく。それはまるで、命あるものを奪ってしか生きられない僕ら人間の食と同じくらいの重大な業だと思う。誰かの犠牲が実は生きているものの命をつなぎ止める役目をになっている。
実際、ドイツがあれだけ医学が発展していったのは戦争の中の大虐殺で得た人体の解剖や生きている人々への人体実験があったから。決して許されることではないとはいえ、そのことで飛躍的に進歩してしまったことは否めない事実だ。
現代はそれを、動物で行うことで、人間への治療に役立たせているわけだ。
僕は、患者さんの仲間がその話をしてくれたおかげで、自分の脚についた装具をみて医師や看護師達以上にそれを最初につけた動物や人、そして経過に耐えて亡くなっていった動物や人に感謝するように気持ちが変わっていった。
誰かのおかげで編み出された治療方法、動物達の尊い命のおかけで開発発展してきた医学療法にただ頭をさげるばかりです。
痛いだのやだの何だの、口きけぬ物言えぬ動物達に少しは敬意を払えば我慢しなきゃ。治すことが彼らの供養になるのだと、心底おもった。
忙しくなるとどの人も自分しか見えなくなる。当たり前のことだが、プロ中のプロを目指すならそうした忙しさを感じた瞬間に、ヤバい、いつも以上に周りに気を配ることをしなければならないと痛感した。
つい先日、僕にお見舞いをしに仲間が来てくれた。午前中なので本当なら面会NGなのだが、幸いにも自由に移動出来る僕は時間外でも会えるからと高をくくっていた。介護師さんから僕に面会が来ていて一階に居るのですがどうしましょう?と病室内で言われました。勿論僕は通して下さいとたのみました。時間をみると先生方の回診時間になっているので微妙かなと思ったが、重なったらデイルームで待ってもらうことも出来るからと彼の到着を待ちました。そうこうしているうちに、回診で傷口の処置をされ一息をついていました。しかし彼は現れません。到着してから既に一時間です。もしかしたら、途中のナースステーションで12時の面会まで待っていてくださいと言われてしまったのかもおもい、直ぐに車椅子に乗って移動しました。携帯をみると着信があり、かけてみました。つながらずラインを見るととどこにいるか訪ねていました。しまった!と思わずつぶやき、食事もほったらかしで再び彼に電話をかけました。すると、彼はもう病院を後にしてるというのです。
理由はこうでした。一階で面会の了承を得て二階まできたが、ナースステーションで僕の面会と再度尋ねると僕が何処にいるかわからないからとの返答をされたそうでした。電話をかけて僕とコンタクトをとってもいいかと尋ねるとどうぞとのことだったそうです。
僕は病室にずっといて居るときはあまり携帯は見ないんです。電話をかけることがてきないし。しかも回診なので部屋移動すらしない。そのタイミングでの着歴で彼は繋がらない何処にいるかも分からないということで帰ってしまったそうです。

彼にとても寂しく辛いことをさせてしまったと僕は後悔し兎に角誤りました。そして、どうしてそうなったのか、一から紐解いていきました。

そこでわかったことが、忙しさにかまけてでした。
僕は介護師さんが悪いとはいいませんでした。ナースステーションで対応した看護師も悪いとはいいませんでした。

一言、たった一言だけお願いを伝えました。兎に角常に笑顔でいてくださいと。

初めて来る面会者、病院のしくみ、病棟のしくみ、介護の流れ、見るものすべて初めてです。来た人は患者さんと同じぐらい不安です。そこに、忙しそうな人やこわばった顔の看護師達がいたらどうでしょう?声をかけづらくはないですか?声をかけたら悪いなと思わせませんか?
仮に声をかけられても、突っ込んで話ができますか?
では、会話が上手に進むにはどうしたら?簡単、親切そうな人、優しそうな人だったらいいだけ。そういう人ってどういう人?
笑顔だよね。その顔だけで安心するんじゃないかな?
彼もその笑顔の人にあたったら、じゃいま病室にいるか見てきますので、デイルームで待っていてください、というゆとり、余裕が看護師から生まれるんじゃないかな?

どの仕事の基本でもあるのだから、笑顔!みんながんばって!
かれこれ2ヶ月以上入院生活を続けている。日課といえば三食食事を取ることとトイレは車椅子で行くこと。歯も三回磨くこと。
出来るだけ車椅子に乗るというのも日課だ。
トイレもなるべく、病室から離れたところに行くようにする。そうすることで運動不足を解消し老廃物の動きが良くなる気がするからだ。また、他の患者さんへの配慮だってある。車椅子用のトイレは病室から近いと移動が困難な人が多いので混雑する。それ故にたっぷり動ける僕はなるべく、遠くとなる。もう一つある。
元来トイレ好きな僕は綺麗な、広くて人が来ないトイレが好きだ。学生の頃からだからか、いろんなところに出歩くようになって、オフィス街であればそのビルのといれ、デパートなら敢えて駐車場のトイレ。商業ビルなら地下のトイレといった具合で人が来ないであろう場所を選ぶ癖がある。そして綺麗となればこの上なく喜んでしまう。まして、ウォシュレットなんか備えられていたら貼り紙張って僕専用にしたいくらいだ。病院でもそうしたトイレを探すのが大好きなので、いまではこっそりそこで至福の時間をすごすのです。

日課として、一昨日から不思議な人を目撃している。朝のトイレをすませると、どう見ても患者には見えない、健康そうな男性が病院の広い通路を行き来しているのです。何か計っているのかと最初はおもったのだが、そうではなくスマホを片手にかなり姿勢良くそして早くもなく遅くもなく歩いているのです。ただ歩くのです。年にすれば25、6だと思われます。顔つきもごく普通の青年に見え、血色も悪くない。ただ、格好がスタッフでも医療関係者ではない私服なのです。
憶測ですが、たぶんどこかの所属の医師で毎朝長い通路をウォーキングして健康維持をはかっているのではと思いました。外はさむい。病院内は距離がない。そんな中でやれることをひたすらやる、想像したのです。僕は自分の日課の中で、次に繋げられる皆に必要とされる活動に欠かせない日課を作らなければと彼を見て感じました。無駄な2ヶ月ではなく、ようやく次のステップにこれたのだと思いながら、患者さんの為に、良い治療が行えるように健康自己管理を行う彼を見習って頑張りたいと思った朝でした。
病院には患者さんのほかにスタッフが沢山いる。医師は勿論のこと直接介護看護を行う看護師達だ。
彼女、彼らの働きがとても重要で患者さんが日常に戻るためには不可欠な存在なのです。自分の生活のほかに他人の生活まで心配しなければならない職業とは考えるだけで過酷だと思う。給料云々ではなく、正にライフワークの域に居なければやってはいけない。
更に磨きがかかる人ならばライトワークにすらなれる。ナイチンゲールとかマザーテレサ並だ。
それでも、やはり人間、自身の仕事と割り切る場合もある。意識は高くプロなのだが、そんな看護師にあたると少しだけ寂しくなる。やはり、同じプロを目指すなら目指さずとも患者さんに気付かれないようにするのならプロ中の、プロになってほしいと思ったりします。
理由は簡単、通りすがりに同僚の悪口を言ったり、ナースコールを押されて舌打ちするような態度を一々患者に見られる隙が無くなると思うからだ。
どんな時も笑顔、なにされても笑顔。その覚悟こそ、プロ中のプロのはず。ストレスがたまるじゃん!
ならためればいい。溜まったら病気になる。なればいい。病院辞めたくなる?辞めればいい。ダラダラダラダラ続けて、患者さんや仲間に不快を与えて迷惑かけるのならいない方がましだ。
嫌ならそう言う自分がでたらいけない!気をつけなきゃと改めればいい。
僕も同じです。
少しでも病院内部がマシな環境になるべく、毎日笑顔で看護師達を応援し患者さん達に笑ってもらえるように日々を生きているんだ。
高齢者の骨折も多い。ギリギリ手術に耐えられる体力を温存している人もおればやはりだめなケースも多々。
大概は無理なのだが、何とか入院生活を長引かせたいという風な患者さんも居るのが事実だ。家に帰っても日中は独りきり、夕方ようやく家族が帰ってきても自分の時間と異なるので余り会話も出来ず就寝。家族との生活とは言葉だけのもので寂しいというのが彼らの本音みたいだ。
鎖骨を折った90歳の老人が運ばれた。病室には親戚も含めひっきりなしに詰めかけてきた。高年齢での骨折はイコール死に直結してるという安易な妄想から駆けつけたのかもしれない。本人は至って健康的だ。孫の結婚相手の品定めで絶対に幸せにならんから別れてくれと嘆願していた。何のこっちゃと思ってしまう。その骨折は家族と絆、結束力をとはじめはおもいました。
でも、よくよくその人の事を観察すると、全くそうしたまとまりを意図していないような感じだ。まず、90を過ぎて不平が多過ぎる話しぶりだ。病院の食事が不味いからはじまり、政治経済の不満話までさまざまだ。看護士の対応のまずさまでまるで揚げ足を取るかのごとく。
自分は農家だから米の味は心得ている。このご飯ならセブンイレブンのオニギリの方がましだ、粘りはないは香りはないは。
そのくらいの年になると感謝される側に成っていると僕は勝手に思うようにしているので、あえて、生きているだけでその人は感謝に値すると心の中で唱えたがやはり、責めて食べ物への不平はやめてほしかった。格好悪いもの。どれだけうまいものを食べてきたか知らないが、相当な魂磨き、人生観磨きをしてきていても、その一言で全てが薄っぺらく映ることだろうし、魅力なくなるから。

彼は早く転院と言っていたが、手術もできない、処置は完了して歩行もできる人を緊急病院に居させられないといわれ、まして転院などありえないと一括されてショックのようでした。病院が唯一彼にお情けをかけたのは七階の内科系で普通の検査入院で少しだけ滞在時間を延ばすことぐらいでした。

僕は今日は初めて外の空気を吸うことを許されました。そして、毎日窓越しから覗いていたドクターヘリコプターを間近に眺め写真まで撮ることを許されました。
日曜日でも、ちゃんと食事がでる。どんな材料であれ僕らに適切な物を調理して提供してくださる職員の方々に改めて感謝したい。そして、毎日床やトイレを清潔に保つことを欠かさない業者さんにも感謝したい。もちろん医師や看護師、介護補助のスタッフのみなさまにもです。こんなの、自分の家では出来ませんしね。

最近の入院者は交通事故が多い。ハネられ、ぶつけてなどだ。とくに顕著なのは軽度の人だ。
手術ないし、処置、検索を事故でかつぎ込まれてから行い病室に来るやもう部屋からでて歩き回る姿をよく見る。もうかれこれ4人位みたい。骨を折ってしまっていても肋骨であったり、腕であったりなどで脚は大丈夫だからということらしい。
中でも脚を折っているのに、直ぐに退院したい、仕事したいという中年男性にはおどろいた。点滴や心電図をつけて顔面が腫れているのにウロチョロ部屋と広間を三分おきの感覚で出歩くのです。僕は見ているだけで目が回りそうになりました。師走と言えども、そんなにせわしなくしていては、病院内でし事故をおこしかねないと思っちゃいました。
やることない、退屈、広間であちらこちらに電話をかけて言うセリフに、僕は心の中で、身体を休ませる大事な大事な仕事があるでしょうにとつぶやきました。
焦って退院したら骨だって変にくっついてしまうだるうに。見えない内部のダメージが健康なときと同じ生活をする事で余計ダメージとして徐々にあらわらたらそれこそ本末転倒。彼をかりたたせる焦りは何なのかな?
同じように落ち着きなく部屋を出たり入ったりする女性も顔面が腫れたまま、昨日退院していきました。
体が今という時の流れの中で安心して安定するのを僕や他の患者さんは充分に待っているのに。
何も病室にいるからといって入院患者さんばかりが僕の題材になるのではない。ネタにされて可哀想だということならおかまいなく、人は人それぞれだし、僕もその人を傷つけるつもりはない。

今日は感動した。
入院中、その患者さんのほとんどが利用するのがテレビ。利用するには専用のカードを買わなければならない。カード管理販売は、病院がやっているのではなく、専用の業者がおこなっている。業者は更に委託でアルバイトを頼み売り上げ管理と集金を任せていた。
当然アルバイトとはいえ、お金に関わること故に、身分などにかんしては慎重にしなければ大変だ。
僕は使わないカードの清算をどうしようかとその人に持ちかけるや親切に三階へ行けば百円単位で清すする機械がありますよと教えてくれたので早速用事を済ませることにしました。帰って来るとその人はまだ作業の途中のようでした。
そして、外が気になるのか定期的にヘリコプターの方をちらちらとのぞいていました。
台帳を閉じたのを確認した僕は徐に話を切り出しました。ドクターヘリすきなのですか?
返ってきた返事に凄く驚きました。
運転していましたから。
医療用の其れではなく、何と自衛隊のものでした。
彼は習志野の落下傘部隊の隊長だったそうです。
その会話のやり取りから本当に楽しくそして、感動的な内容まで有意義な時間を過ごすことができました。今の時代、感動的なことはたくさんあるけれど、職業として、憧れになれるものがない。彼の話を聞けば聞くほど自衛隊はすごいなと素直におもえました。事実、阪神大震災や、東北地震などの際に活躍ぶりが表にでたときは入隊者がふえたそうです。憧れを人は求めるのだなとおもえたのです。
彼の話はしかも、ドキュメンタリーです。広報で切り張りされたものでも、テレビで脚本演出されたものでもありません。ノンフィクションゆえに生々しくそして勇敢で、おもしろいのです。
大学生上がりのエリート士官が空挺部隊を指揮するさ際、まず誰にパラシュートのノウハウを習うのか、民間などではありません。上官でもありません。彼ら落下傘部隊からだそうです。そして、彼等と共に実際に降りるそうです。一度や二度ではありません。訓練中毎日だそうです。人は12メートルを越えると脚がすくむそうです。その高さで、隊長が隊員の尻を叩くそうです。叩かれたものは降下、となります。初めは誰もできません。それでもやらされるそうです。
僕は絶対に嫌だといいました。だってといいながらこの脚をみつめました。
でも、彼らは、目的が国を護ること、日本国民を守ることですから嫌などはありえないのです。僕はとても自分が恥ずかしくおもえました。
当然彼等の部隊は年がら年中骨折しているそうです。それでも、軍医病院で快復すればまた戻ってくるそうで、活躍していくそうです。
あの、日航機墜落では彼等は本当に活躍した。降りられない場所でも日々の訓練ゆえに困難など関係なくおこなっていました。
たくさんの話の中で最後のオチがすごかった。
御年63歳。リュックサックを背負って仕事する。中身は当然売り上げなどの小銭。僕は両手でも持ち上げられません出した。彼は其れを背負ってかえってあきました。
病院にまできて喧嘩する人、やはりいますね。大人の見方をすれば、退屈、痛みからの解放、大部屋のうるささ、そういう自分の日常生活とは違う環境ゆえのストレスが原因だから仕方ない部分もあると言いたいようだ。
文句はいっていいと、僕もおもいます。
ただ僕の場合は前提が違うようです。まず、何のためにここにいるの?からはじまってます。確実に健康を取り戻したいという気持ちの為にぼくはいます。早い遅いではなく、確実、つまり、健康であった前の生活と変わらないくらいの状況を取り戻せたら大好きな家族と大切な時間を今まで以上におくれると信じてるからです。
そのための、今は時間や環境下を生き抜いていますから確実な事以外は不要なのです。喧嘩?ストレス?とりもどすことを妨げてませんか?何故わざわざ進んでその先に見える喜びという目標のまえに障害をつくるのか。その障害のために余計なしなくてもいい苦労をするのか、僕はそういう人は訓練しているのかなとさえ思えます。僕には訓練はいりません。入院生活は毎日が楽しい楽しい各駅停車で進む電車のようだぐらいにしか思ってないのです。
せっかちな僕は本当なら各駅停車は嫌です。高速でもバンバンスピードを出してしまうほどです。
でも、それはふつうの時、つまり、健康なときならの話です。そんな事をいまやったら体が持ちません。

今回の喧嘩は寝たきり状態の患者さんと手術したばかりの患者さんの双方のストレスのようでした。
寝たきりの方は仕事のことで、会社にある資料や請求書などの書類の位置を奥さんに何時間も説明し、行けばわかるから持ってきてほしいと言ってました。ちなみに、毎日来る妻に毎日頼んでいます。手術した方は緊急オペの術後明けで痛みに耐え苦しんでいる気の毒な状態です。その前まではそれなりに勝手気ままな入院生活を過ごしていました。外国人である事も、言葉の壁というハンデがありました。
それぞれそうした、自分を守りたいという事からの衝突でした。
そのうち、いびきがうるさいだの、声がでかいだの、いつまでもナースとしゃべっているだの、言いたい放題って感じでした。
そして、看護師達がきて、その場はおさまりましたが、もう溝は埋まりません。
看護師は車椅子で散歩する僕に事情を聞いてどうしたらいいか尋ねてました。看護師の結論と同じで部屋を変えるしかないね、といいましたが、ストレスからくる挫折でみな悩むのだから、一言いってやんなといいました。なんでここにいるかわかりますか?落ち込むためじゃないよって。目標さえはっきりみせて、ぶれなければ回り道はくだらないことでしかないと気付きますからとね。

負の環境に居るときは僕は楽しいことをより見つけて楽しみます。回診で傷消毒すればその痛さで死にそうなときもあります。処置中は大声げて手ぬぐい噛んで耐えます。終わりだよと先生にいわれた次の瞬間、如何でしたこの演技、かなり迫真にせまってませんでた?アカデミー賞いただけます?それが僕の毎日の車窓です。
健康なときは其れが当たり前だということで一々体になど感謝しない。ちょっと具合が悪くなったり傷でもつけようなら、どうしちゃたのかと心配やいたわりはするが大したことではないとわかるとまた元の生活にもどる。つまりはあまりこだわらないのが普通だと思う。僕も同じです。多少体に気遣って過度のことはしない、取り込まないと言うくらいでそれでもいたわりは少なそうです。

感謝。これがどれほどのものか本当に分かる人が隣にあらわれました。
林業を営むその人は木に登って作業中に落下。ドクターヘリでやってきました。首と、腰の骨折で肋骨も二本おっていて、血をはきながらやってきました。オペの最重要課題は頸椎と腰椎の固定。そのために、ハローベストという装置で頭と肩を固定させました。そして、こコルセットができるまではベッドの傾斜は三十度までという制限がひかれました。
このくらいでしたら苦痛ですがたえられるでしょう。
彼の場合は痛いとかよりも、便がでない悩みでした。食事は傾斜角度でもわかるとおり介助がなければ食べることはできません。しかも、喉から食道への流動で通常の固形の食事は危険性が指摘されていました。なので、かなり細かく刻んだものを食べさせられていました。
彼にはこれが嫌で嫌でしかたがなかっようです。ナースが付き添いでスプーンに一々何の料理を砕いたのか説明しても、必ずみえないからなぁと枕詞をつけて口にするのです。どんな心境か僕はめつむってやってみました。見えない恐怖に比べてたら多少角度によっては見えたり鏡を使ってみたり工夫すれば中々どうして愉しいところかなぁと思いました。
そして、次の常套文句がでます。見れば何だかわかんねぇ食事だから食べる気なくなるんだよな。というのです。これは宇宙食とおなじで見栄えは悪いだろうと思います。しかし、これをやる手間を考えたらは食べるに価しないなどの不平はでないはずなのです。
そして、最後の捨て台詞は元々少食だし、野菜はたべないし、プリンやゼリーとかあとキャラメルコーンだったらというのです。
僕はなる程と思いました。そんな食生活の人がいきなり、規則正しい食事を出されたら体も驚くだろう。そして、食べられるために命を奪われた食材もこんなん悪たれのために落とされたんじゃかなわないとばかりに怒ってしまうだろうと。おとなしく栄養にとりこまないのならひどいぞ!そんな風におもいました。
下剤の錠剤を毎日とらされていました。三日たっても四日たっても便が出ないと苦しむかれ。
もう少し大怪我はしたが命ながらえて点滴ではない食事にありつける自分は幸せだなと感謝すれば下剤などいらないのにとおもいました。

僕はだから毎日快便です。
一見平和そうに見える病院ない、でも、必ずどこかでもめ事がある。
患者さんがそういうことを呼び寄せてくるのはよく理解できたところだろう。そもそも、病気はどんな症状であっても、100パーセントその人の責任と考えています。何インフルエンザといってもワクチンをしてもかかる人もいれば何もしなくともかからない人も大勢います。責任というと悪いとか悪くないとかの次元の話をしたくなるところでしょうが、この場合、気の持ちようが充分か充分じゃないか程度のことだと思った方が楽です。
怪我も僕は実は同じだと勝手に考えています。
その人が今この瞬間に選んだ選択肢の先に、何分か何年か分からないけれど用意された結果だと思ったあるのです。
こんな事を書けば、じゃぁ運命とか宿命とかなのだから変えられのか!と怒られるかもしれません。結果はやってみなければわからないじゃぁないか!とも言われそうです。
そう言うときは僕はそりゃそうですよ、だかそう思えば良いんですからといってあなたが正しいといってその人との会話はおわりにします。争ったらこちらに負がふりかかりますから。
何?と思う方は最後まで読まれて、感じてくれたならば幸いです。
結論から言えば、怪我は相手がいて自分がいて、が論点でしょう。そうではなく、其れを選んでしまったのは自分だったな、と思えば気持ちも楽に相手にも周りにも心配させないとおもうのです。やられ損か?
またそういうことを、いう!
どうしても、人は自分以外は受け入れがたいので必ず自分に損になることはしたくなくなります。なのてプラスにするには誰かにマイナスになってもらうしかなのです。僕はそこで、その結果を選んだ時点でたまたま怪我をしただけで失敗ではないといいたいのです。事を起こすというのは前にすすむ、一つ足された動きなわけですよ。なのに、痛い上に俺のせいにされてバリバリマイナスじゃんというのです。そういう人はすでに自分はいつも損をしたくない選択しか考えてないので僕がいいたいことはつたわらないはずです。事を進めた結果が痛いとか失敗したとかでマイナスと思っていては次がマイナスからのスタートですよ。こんなんじゃいつまでも悪たれ屋のままです。

デイルームという場所がフロアーにあり患者さんが気分転換にこられたり、面会者と交流したりさまざまですね。
そこにいると患者さんだけではないたくさんのグチや悪たれそして、文句がでます。
この前は病院とは関係のない文句と侮辱めいた話を家族とともに確認し合ってる恐ろしい光景を眼にしました。聞けば自分が住むアパートが税金があがったことをうけて少しだけ上げたいとその家族の旦那さんに頼み込んで来たそうです。するとその旦那は冗談じゃあない、損なとしたらとっとと出て行ってやるから。まあ好きにしてよ。と大家につたえたそうです。そもそも、税金の値上げで家賃はあげられないだの、借り手がいなかった時家賃の見直しを計った時に借りたのだからその価格が適正価格だど、もう隙間のないもっともな考えを家族の前で自慢げにかたってるのです。そして、ここが味噌なのだが、患者さんはその人の父親で背中を骨折しコルセット生活を余儀なくされている状態でした。その彼が、あんな古い家、借りてやってんだからだめだよな、値上げは。といってのけたのです。
嫁も、奥さんも、誰一人かわいそうだよというひとなぞいません。息子も味方がヤッパリ父だなとばかりに、だろ~あめ~んだよあの大家。そんでも、それでしたらお引き取りくださいなんていわれたらマジびびちゃうけどよ、今さらさがせないし、駐車場だって押さえて金つかったしさ。と鼻息荒くかたってました。 
其れを聞いた母親は、賭にでたんだね、まあ結果オーライじゃん。といってましたよ。

怪我への反省のまえにすこし人への感謝から始めないと息子も怪我するだろうなと思った瞬間でした。で怪我したら必ず誰かを訴えてしまわないと気にくわないのです。それをしたくてしたくてしかたがない。だから、デイルームを大勢で占拠していても悪気も感じないし孫が数人廊下を運動会並みにはしゃいでいても気にならないのだろうなと、かなしくなったのです。