一見平和そうに見える病院ない、でも、必ずどこかでもめ事がある。
患者さんがそういうことを呼び寄せてくるのはよく理解できたところだろう。そもそも、病気はどんな症状であっても、100パーセントその人の責任と考えています。何インフルエンザといってもワクチンをしてもかかる人もいれば何もしなくともかからない人も大勢います。責任というと悪いとか悪くないとかの次元の話をしたくなるところでしょうが、この場合、気の持ちようが充分か充分じゃないか程度のことだと思った方が楽です。
怪我も僕は実は同じだと勝手に考えています。
その人が今この瞬間に選んだ選択肢の先に、何分か何年か分からないけれど用意された結果だと思ったあるのです。
こんな事を書けば、じゃぁ運命とか宿命とかなのだから変えられのか!と怒られるかもしれません。結果はやってみなければわからないじゃぁないか!とも言われそうです。
そう言うときは僕はそりゃそうですよ、だかそう思えば良いんですからといってあなたが正しいといってその人との会話はおわりにします。争ったらこちらに負がふりかかりますから。
何?と思う方は最後まで読まれて、感じてくれたならば幸いです。
結論から言えば、怪我は相手がいて自分がいて、が論点でしょう。そうではなく、其れを選んでしまったのは自分だったな、と思えば気持ちも楽に相手にも周りにも心配させないとおもうのです。やられ損か?
またそういうことを、いう!
どうしても、人は自分以外は受け入れがたいので必ず自分に損になることはしたくなくなります。なのてプラスにするには誰かにマイナスになってもらうしかなのです。僕はそこで、その結果を選んだ時点でたまたま怪我をしただけで失敗ではないといいたいのです。事を起こすというのは前にすすむ、一つ足された動きなわけですよ。なのに、痛い上に俺のせいにされてバリバリマイナスじゃんというのです。そういう人はすでに自分はいつも損をしたくない選択しか考えてないので僕がいいたいことはつたわらないはずです。事を進めた結果が痛いとか失敗したとかでマイナスと思っていては次がマイナスからのスタートですよ。こんなんじゃいつまでも悪たれ屋のままです。
デイルームという場所がフロアーにあり患者さんが気分転換にこられたり、面会者と交流したりさまざまですね。
そこにいると患者さんだけではないたくさんのグチや悪たれそして、文句がでます。
この前は病院とは関係のない文句と侮辱めいた話を家族とともに確認し合ってる恐ろしい光景を眼にしました。聞けば自分が住むアパートが税金があがったことをうけて少しだけ上げたいとその家族の旦那さんに頼み込んで来たそうです。するとその旦那は冗談じゃあない、損なとしたらとっとと出て行ってやるから。まあ好きにしてよ。と大家につたえたそうです。そもそも、税金の値上げで家賃はあげられないだの、借り手がいなかった時家賃の見直しを計った時に借りたのだからその価格が適正価格だど、もう隙間のないもっともな考えを家族の前で自慢げにかたってるのです。そして、ここが味噌なのだが、患者さんはその人の父親で背中を骨折しコルセット生活を余儀なくされている状態でした。その彼が、あんな古い家、借りてやってんだからだめだよな、値上げは。といってのけたのです。
嫁も、奥さんも、誰一人かわいそうだよというひとなぞいません。息子も味方がヤッパリ父だなとばかりに、だろ~あめ~んだよあの大家。そんでも、それでしたらお引き取りくださいなんていわれたらマジびびちゃうけどよ、今さらさがせないし、駐車場だって押さえて金つかったしさ。と鼻息荒くかたってました。
其れを聞いた母親は、賭にでたんだね、まあ結果オーライじゃん。といってましたよ。
怪我への反省のまえにすこし人への感謝から始めないと息子も怪我するだろうなと思った瞬間でした。で怪我したら必ず誰かを訴えてしまわないと気にくわないのです。それをしたくてしたくてしかたがない。だから、デイルームを大勢で占拠していても悪気も感じないし孫が数人廊下を運動会並みにはしゃいでいても気にならないのだろうなと、かなしくなったのです。
患者さんがそういうことを呼び寄せてくるのはよく理解できたところだろう。そもそも、病気はどんな症状であっても、100パーセントその人の責任と考えています。何インフルエンザといってもワクチンをしてもかかる人もいれば何もしなくともかからない人も大勢います。責任というと悪いとか悪くないとかの次元の話をしたくなるところでしょうが、この場合、気の持ちようが充分か充分じゃないか程度のことだと思った方が楽です。
怪我も僕は実は同じだと勝手に考えています。
その人が今この瞬間に選んだ選択肢の先に、何分か何年か分からないけれど用意された結果だと思ったあるのです。
こんな事を書けば、じゃぁ運命とか宿命とかなのだから変えられのか!と怒られるかもしれません。結果はやってみなければわからないじゃぁないか!とも言われそうです。
そう言うときは僕はそりゃそうですよ、だかそう思えば良いんですからといってあなたが正しいといってその人との会話はおわりにします。争ったらこちらに負がふりかかりますから。
何?と思う方は最後まで読まれて、感じてくれたならば幸いです。
結論から言えば、怪我は相手がいて自分がいて、が論点でしょう。そうではなく、其れを選んでしまったのは自分だったな、と思えば気持ちも楽に相手にも周りにも心配させないとおもうのです。やられ損か?
またそういうことを、いう!
どうしても、人は自分以外は受け入れがたいので必ず自分に損になることはしたくなくなります。なのてプラスにするには誰かにマイナスになってもらうしかなのです。僕はそこで、その結果を選んだ時点でたまたま怪我をしただけで失敗ではないといいたいのです。事を起こすというのは前にすすむ、一つ足された動きなわけですよ。なのに、痛い上に俺のせいにされてバリバリマイナスじゃんというのです。そういう人はすでに自分はいつも損をしたくない選択しか考えてないので僕がいいたいことはつたわらないはずです。事を進めた結果が痛いとか失敗したとかでマイナスと思っていては次がマイナスからのスタートですよ。こんなんじゃいつまでも悪たれ屋のままです。
デイルームという場所がフロアーにあり患者さんが気分転換にこられたり、面会者と交流したりさまざまですね。
そこにいると患者さんだけではないたくさんのグチや悪たれそして、文句がでます。
この前は病院とは関係のない文句と侮辱めいた話を家族とともに確認し合ってる恐ろしい光景を眼にしました。聞けば自分が住むアパートが税金があがったことをうけて少しだけ上げたいとその家族の旦那さんに頼み込んで来たそうです。するとその旦那は冗談じゃあない、損なとしたらとっとと出て行ってやるから。まあ好きにしてよ。と大家につたえたそうです。そもそも、税金の値上げで家賃はあげられないだの、借り手がいなかった時家賃の見直しを計った時に借りたのだからその価格が適正価格だど、もう隙間のないもっともな考えを家族の前で自慢げにかたってるのです。そして、ここが味噌なのだが、患者さんはその人の父親で背中を骨折しコルセット生活を余儀なくされている状態でした。その彼が、あんな古い家、借りてやってんだからだめだよな、値上げは。といってのけたのです。
嫁も、奥さんも、誰一人かわいそうだよというひとなぞいません。息子も味方がヤッパリ父だなとばかりに、だろ~あめ~んだよあの大家。そんでも、それでしたらお引き取りくださいなんていわれたらマジびびちゃうけどよ、今さらさがせないし、駐車場だって押さえて金つかったしさ。と鼻息荒くかたってました。
其れを聞いた母親は、賭にでたんだね、まあ結果オーライじゃん。といってましたよ。
怪我への反省のまえにすこし人への感謝から始めないと息子も怪我するだろうなと思った瞬間でした。で怪我したら必ず誰かを訴えてしまわないと気にくわないのです。それをしたくてしたくてしかたがない。だから、デイルームを大勢で占拠していても悪気も感じないし孫が数人廊下を運動会並みにはしゃいでいても気にならないのだろうなと、かなしくなったのです。