体が不自由なってから後悔したり、健康であった時期をうらやんだり、自分以上に状態がいい人を妬んだり。病院にいると様々な考えが、声が聞こえてくる。
基本はみな前を向こうとしている点で進歩もあるし、丸だと思う。自分も過去の良い状態を引き合いに出したならば無茶していた過去以上に体を労る自にになれたのだから得をしたと思うようにしている。ひいては、こんな状態でもドンドン回復出来るほど基礎体力や免疫があるのは当時の自分のお陰だとさえ思えるようになる。ようは考え方次第だと。
リハビリで僕の身体をまかせているスタッフは30代以下で若さとパワーとバイタリティに満ちあふれている。女性でも男性でも同じだ。とにかくすごい。自分の身体に多少なりとも不調を認めてもやり切る姿勢はプロ中のプロ意識を感じる。
今日の人は、側 彎で手術ぎりぎりのところで矯正し、コルセットをつけて生活し続けた中で、地元八千代に戻ってこの仕事に生きがいと地域貢献をもたらそうと頑張っている人だった。
自分の身体は治ることはないが、無理すれば確かに悪くなるけれど、仕事の作業自体に気を遣えば行けると言っていたのが印象的だった。
普通はやめてしまう、諦めてしまうような仕事に、敢えて、果敢に挑戦する姿勢に感動したのだけれど、それ以上に人の身体の心配をする気持ちに深く感銘したのです。
決して小さいことではない、していることのでかさはホコリに思うところです。
基本はみな前を向こうとしている点で進歩もあるし、丸だと思う。自分も過去の良い状態を引き合いに出したならば無茶していた過去以上に体を労る自にになれたのだから得をしたと思うようにしている。ひいては、こんな状態でもドンドン回復出来るほど基礎体力や免疫があるのは当時の自分のお陰だとさえ思えるようになる。ようは考え方次第だと。
リハビリで僕の身体をまかせているスタッフは30代以下で若さとパワーとバイタリティに満ちあふれている。女性でも男性でも同じだ。とにかくすごい。自分の身体に多少なりとも不調を認めてもやり切る姿勢はプロ中のプロ意識を感じる。
今日の人は、側 彎で手術ぎりぎりのところで矯正し、コルセットをつけて生活し続けた中で、地元八千代に戻ってこの仕事に生きがいと地域貢献をもたらそうと頑張っている人だった。
自分の身体は治ることはないが、無理すれば確かに悪くなるけれど、仕事の作業自体に気を遣えば行けると言っていたのが印象的だった。
普通はやめてしまう、諦めてしまうような仕事に、敢えて、果敢に挑戦する姿勢に感動したのだけれど、それ以上に人の身体の心配をする気持ちに深く感銘したのです。
決して小さいことではない、していることのでかさはホコリに思うところです。
年末のこと、すごい人がかつぎ込まれました。この病棟は救急隊と、病院の先生との無線内容がモニターされていてそのままダイレクトに聞こえるのです。その日の夜一人の若い男の子が車の事故で怪我をしたと話していました。意識はあるものの、顔から出血、唸り声をあげているそうでした。車はガードレールにぶつかりその衝撃で頭を打っていそうだとのはなしでした。病院側は搬送を許可しました。
たまたま、病室から出ていた僕はそれを聞いてしまい、看護師さんと、飲み会のあとでやっちゃったんじゃないの?と冗談混じりにはなしていました。
次の日、大晦日を迎えた僕は初日の出をとてもみたいと懇願してどうせ見るなら病院の最上階がいいと、わがままをいってしまいました。当然許可が降りるまで待ってくれといわれました。そんなやりとりをしているさなか、病室から首にカラーをつけた茶髪の男の子が看護師に連れられてやってきました。僕はすぐにそれが、例の自動車事故の人だとわかりました。
ここで電話すりゃいいの?あっそう、いちいち面倒だね。自分でやっからいいよ。傷?そりゃいてえよ、って、早く電話してえからもういいでしょ。終わったらこえかけるから。そんなやりとりをしていました。
看護師に対して随分と横柄な態度だとおもったけれど、この病院にいきなりつれてこられ、なにも知らないことと、怪我をしていて痛いのを我慢しているかと想像したらそんなものかと横目でみてみぬふりをしていました。
彼は友達に電話をかけはじめ、事故を起こしたことを伝えていました。
おそらく昨日のうちに両親は医師からの説明を聞き、入院の手続きやら諸注意を確認して帰ってしまったのだと僕は解釈しました。
驚いたのはその後でした。
今回事故を起こしたのは飲酒と居眠り、しかも時速100キロオーバーでガードレールに激突。頸椎損傷ならびに顔のあちらこちらに何針も縫う傷、そして左腕の打撲という診断でした。医師は安静とMRIの検査を勧めていましたが、当の本人はお構いなし。それだけではありません。その事故を武勇伝として友達に自慢するありさまです。そして、警察なんかちょろい、もし免停になっても無免許で乗るから良い、この病院も大したことない大人しかいなさそうだから適当にいって、今日の夜退院するから、というのです。昨日の今日で脳や頸椎がどう反応するかまだわからないのにです。
世の中をなめきって生きた代償としては十分な結果が彼には通用しないのかと憤りを感じました。もし、本当に無免許で事故を起こし今度は僕の娘を怪我させたらと想像したら腹立たしさ以上にこの病院のICUに監禁してしまえとおもったほどです。
そして、結局彼の退院は許可されませんでした。理由は未成年、19歳ゆえに両親が検査が行われ安心とわかるまではサインを書かないとなったからでした。彼は医師、看護師、警察、両親にさえ嘘で塗り固めたいいわけをして何とか退院しようと躍起でした。今までも同じ要領で窮地を逃れてきたのだとすぐにわかりました。困ると友達に電話し相談と作戦をねり、次に展開されたときの言い訳のシナリオを用意している話を聞いたからです。
今度は姉を登場させて、両親代理で正月に退院を主張していました。病院側はこちらでできることをあえて放棄させるというのであるならばもし、病院をでた後で体に異変があってもいっさいその責任は病院側にはないことの一筆をかかせてもらうといいました。姉はその責任が自分に降りかかるのはごめんとばかりに弟を説得させてました。そもそも何故そんなに急いででる必要があるのか尋ねると、3日から仕事があるだの、大破した車を取りに行かねばならないだのといっていました。ただだれも、本当のことはしりません。友達と遊びたいと電話で漏らしていた本音など。
それから、彼は病院でしてはならない喫煙を二回行い、強制退院を宣告されてしまいました。一回目に一筆謝罪と誓いをかいたにもかかわらず、二回は悪質とばかりに。病院側はそれでも責任ある対応で通告の翌日MRIまでとり、退去後の別病院での治療に役立つだけの資料を用意しました。彼は反省こそしたそぶりはみせましたが、それは、何か体に異変があってももうこの病院では治療が受けられないという恐怖からでした。彼にとっては願ったりのはずで、三が日がすぎたとはいえ待ちに待った友達と遊べる状況になったのに喜んではいないのです。
僕はとても寂しい気持ちになり、所詮十代ではこんなものなのかなと、半ばあきらめて納得してしまいました。青二才、粋がってという姿がどれほどはずかしいか、当時の自分にあてはめながら。
もちろん、僕は元旦から七階の最上階で雲の切れ間から鮮やかに昇る初日の出を拝むことができました。怪我をしたからこそえられた、病院側からのご褒美に感謝でした。
たまたま、病室から出ていた僕はそれを聞いてしまい、看護師さんと、飲み会のあとでやっちゃったんじゃないの?と冗談混じりにはなしていました。
次の日、大晦日を迎えた僕は初日の出をとてもみたいと懇願してどうせ見るなら病院の最上階がいいと、わがままをいってしまいました。当然許可が降りるまで待ってくれといわれました。そんなやりとりをしているさなか、病室から首にカラーをつけた茶髪の男の子が看護師に連れられてやってきました。僕はすぐにそれが、例の自動車事故の人だとわかりました。
ここで電話すりゃいいの?あっそう、いちいち面倒だね。自分でやっからいいよ。傷?そりゃいてえよ、って、早く電話してえからもういいでしょ。終わったらこえかけるから。そんなやりとりをしていました。
看護師に対して随分と横柄な態度だとおもったけれど、この病院にいきなりつれてこられ、なにも知らないことと、怪我をしていて痛いのを我慢しているかと想像したらそんなものかと横目でみてみぬふりをしていました。
彼は友達に電話をかけはじめ、事故を起こしたことを伝えていました。
おそらく昨日のうちに両親は医師からの説明を聞き、入院の手続きやら諸注意を確認して帰ってしまったのだと僕は解釈しました。
驚いたのはその後でした。
今回事故を起こしたのは飲酒と居眠り、しかも時速100キロオーバーでガードレールに激突。頸椎損傷ならびに顔のあちらこちらに何針も縫う傷、そして左腕の打撲という診断でした。医師は安静とMRIの検査を勧めていましたが、当の本人はお構いなし。それだけではありません。その事故を武勇伝として友達に自慢するありさまです。そして、警察なんかちょろい、もし免停になっても無免許で乗るから良い、この病院も大したことない大人しかいなさそうだから適当にいって、今日の夜退院するから、というのです。昨日の今日で脳や頸椎がどう反応するかまだわからないのにです。
世の中をなめきって生きた代償としては十分な結果が彼には通用しないのかと憤りを感じました。もし、本当に無免許で事故を起こし今度は僕の娘を怪我させたらと想像したら腹立たしさ以上にこの病院のICUに監禁してしまえとおもったほどです。
そして、結局彼の退院は許可されませんでした。理由は未成年、19歳ゆえに両親が検査が行われ安心とわかるまではサインを書かないとなったからでした。彼は医師、看護師、警察、両親にさえ嘘で塗り固めたいいわけをして何とか退院しようと躍起でした。今までも同じ要領で窮地を逃れてきたのだとすぐにわかりました。困ると友達に電話し相談と作戦をねり、次に展開されたときの言い訳のシナリオを用意している話を聞いたからです。
今度は姉を登場させて、両親代理で正月に退院を主張していました。病院側はこちらでできることをあえて放棄させるというのであるならばもし、病院をでた後で体に異変があってもいっさいその責任は病院側にはないことの一筆をかかせてもらうといいました。姉はその責任が自分に降りかかるのはごめんとばかりに弟を説得させてました。そもそも何故そんなに急いででる必要があるのか尋ねると、3日から仕事があるだの、大破した車を取りに行かねばならないだのといっていました。ただだれも、本当のことはしりません。友達と遊びたいと電話で漏らしていた本音など。
それから、彼は病院でしてはならない喫煙を二回行い、強制退院を宣告されてしまいました。一回目に一筆謝罪と誓いをかいたにもかかわらず、二回は悪質とばかりに。病院側はそれでも責任ある対応で通告の翌日MRIまでとり、退去後の別病院での治療に役立つだけの資料を用意しました。彼は反省こそしたそぶりはみせましたが、それは、何か体に異変があってももうこの病院では治療が受けられないという恐怖からでした。彼にとっては願ったりのはずで、三が日がすぎたとはいえ待ちに待った友達と遊べる状況になったのに喜んではいないのです。
僕はとても寂しい気持ちになり、所詮十代ではこんなものなのかなと、半ばあきらめて納得してしまいました。青二才、粋がってという姿がどれほどはずかしいか、当時の自分にあてはめながら。
もちろん、僕は元旦から七階の最上階で雲の切れ間から鮮やかに昇る初日の出を拝むことができました。怪我をしたからこそえられた、病院側からのご褒美に感謝でした。







