道標を探して -3ページ目

道標を探して

 ただ、そこに進んでみたい道がある。
 仰いで見たい空がある。
 踏んでみたい土がある。
 嗅いで見たい風がある。
 会ってみたい、人がいる。

雨が降る季節になった。私の住む関東も、そろそろ梅雨の候となるようだ。霧雨とも小雨とも言い難い粒の小さな雨が顔にまぶされる。

大学キャンパスの中もそこはかとなく陰気に見え、あまりいい笑顔が目に入ってこない。まあ、明るい笑顔をされたところで「あの野郎、呑気にエンジョイしやがって」という嫉妬しかしないわけなのだが。

梅雨は好きだ。雨が世の中や自分の汚いところを少しでも洗い流してくれるような気がする。最近は特に、大学生活に慣れようとして見えない疲れも溜まっていることだろう。
ここ最近、時間が飛ぶように流れてる日々を送った。毎日起きてすぐに電車に乗り、好きに動けないカリキュラムに忙殺される毎日がそうさせるのだろう。

かと言って、辛いわけではない。随分と平穏で、高校時代と比べればかなり大人しくなってしまったと思うほど、他人からの敵意は感じなくなった。
しかし、このような刺激の少ない生活は慣れない。それにつまらない。

現代的なサイズに縮小されてはいるだろうが、私はもっと危険な世界に住んでみたいと思い続けている。昨日までピンピンしていたやつがいきなり死人になるような、そんな世界の方が私には合っている。あまりにも俗な生活をしていると、自分が田舎で奔走して毎日色々なバカをやっていた頃を嫌でも思い出すようになる。
「あの頃は楽しかった」と

それではいけない。過去に生きては現状は悪化の一途をたどるのみだ。

何か、何か手を打つ必要がある。洗い流してもらうなら、その上にコーティングする塗料を見つけなければ。何もないままに外気に晒せば錆びついてしまう。

さて、この場合のコーティング剤とは一体何なのか。
長い夢を見たような気がする。

平凡な日常を送り、日々の苦い汁とたまに味わえる、ほんのり甘い汁を啜って暮らしている夢だ。

夢の中の私は仕事先で上司に叱られ、知らない妻と夫婦喧嘩をし、金曜日の夜に居酒屋でビールを馬鹿みたいに飲み続けていた。

変にリアルな世界だった。
もしかしたらこれは自分の未来のことで、予知夢のようなものなのかもしれないとも思った。

・・・これは、自分と人間社会があまりにも違いすぎで、無理やり適合しようと足掻いている自分なのだろう。
元々私は社会に合わない性格で、これまでは学生身分ということで、特権的にその自分と社会の食い違いを許されてきた。しかしそれもあと約四年で終わる。

その時、きっと私はこの夢の中の私のようになるだろう。
そしていろんなものに押され挟まれして、潰れていく。

今の私が、これから一体何をするのかは私にはわからない。わからずにのうのうと暮らしてきたからこそ、この夢を見たのだろう。

これまでは将来なんてどうにでもなれと思っていたが、考えてみると、1つこのままだと大きな後悔をしたまま死んでいきそうな事項が見つかってしまった。

少し、将来の自分に対して警戒心を持とうと思う。
かと言って酒も煙草もやめる気はサラサラないが
昨日は雨が振った。道の先がかすむような霧雨で、学校へ行く時は新しい週の始まりという嫌な別の事実と重なって、随分と憂鬱に見えたものだった。

私の頭の中も似たようなもので、随分とぼんやりしながら、気だるそうに授業を受けつつ日中を過ごしていた。

私には、未だに大学で友達と呼べそうな相手がいない。正直、そろそろ手遅れになり始めたような気もする。平日は起きるのも億劫(おっくう)になってきた。いよいよ1日に消費する煙草の本数も5本を越しそうになってきている。

そんな腐り始めてきた私に、霧雨。雨だとわかる水滴が徐々に私の体を濡らしてゆく。視界は白くぼんやりとして、なかなかうまく先が見通せない。これを情景一致と言わずして何と言うのか。

外を歩けば顔に雨が当たる。目を細める。傘をさす。軽い雨粒が舞い上がって顔にまた当たる。鬱陶しいことこの上ない。



そう思っているうちに、日が暮れた。大学構内から外を見ると、降り続ける霧雨は、昼間に見たそれとは全く違うものを私に見せてくれていた。薄くかすみがかるまでに宙を舞っている極小粒の雨たちが各々近くの明かりを反射している。まるで夜のスキー場のゲレンデのようだった。
校門を出るとアスファルトや電柱など目に映るすべてのものが濡れ、街灯や車のライトに照らされ、普段は灰色や黒といった塊が暖かな色彩に変わっている。一定間隔で並ぶ街灯、街灯と街灯の間を通る自動車。

全てが鮮やかに見えた。

まだ大学生活をほぼ孤独なままに過ごしている私だが、もう少し、この孤独感に耐えられるような気がした。

今日は火曜日。
快晴の中、今日も独りで大学へ。








一言
おっぱい一揉み100円とかないの?
2000円くらい払うからさ





一言
電車でバカップルを見ると、よくそいつらを殴りたくなることがある。自分や他の人達が今日も苦労して学校やら会社やらに行っているというのに、こいつらが揃って幸せになっているのが私には許せない。

顔や一芸といった天性のスキルに恵まれ、アホな顔をしてお互いに愛をささやきあっている。
・・・あ、またあんなに顔を近づけて
うらやまけしからん

しかしというかやはりというか、私のような人間はどうしてこうも「リア充」的存在に敵意を抱いてしまうのだろうか。
別世界の人間のことだから、予測や推察しかできないが、結果や理由としては、何においても中途半端なのが、その原因になっているのではないだろうか。

彼らバカップル共は、とりあえず形はどうあれ、相手のために一日中、色々と考え事を頭の中で巡らせているのだろう。その点私は色んなものに手を出した挙句、何か一つに落ち着いた試しがない。
あっちに行けば、今度はそっち。
相手一筋の彼らとはきっと正反対の生き方をしているはずだ。

まあ、こんなこと考えたところで何が変わるというわけでも無いのだが。
道標を探して-1368410765560.jpg

道標を探して-1368420389514.jpg

若葉の青臭さを感じる風を心地よく思いながら自電車を走らせていると、にじむ汗がなかなか乾かず、雨がこれから少しずつ雨の日が多くなり、梅雨が始まるだろうことを地球が知らせているような気がした。

南風が強く吹いている。
青空には薄く広がった雲が入道雲もどきの形をして、下界を見下ろしている。

都心の大学に通学するようになってわかったことだが、どうも季節の移り変わりと空の色は田舎の方が自己主張が強いらしい。

田に植えられた稲が泥に根を張り、若葉の色が水に映えるようになってきた。


人は、私はこの季節の植物の姿に小さな頃から魅せられてきた。植物たちは冬の自分を知りながらも「早く、もっと」と言うように、前向きに全力で走り抜こうとしている。

ーー私はここまで強く生きることはできない。それでも彼らのひたむきな生き様を見ていると、元気を与えられているような気になる。

また、新しい一週間が始まった。
のびのびと、とまではいかないだろうが、せめてしおれず、枯れずに生きていければと思う。