成功者の幻想と確証バイアスといつものお話
バカな人の特徴の一つに、
成功者を敬わないと言うものがあります。
バカな人は他人の成功を素直に祝福出来ず、
逆に悪口を言ったり欠点を探す。
私もそう思います。
はあっ?
いつも世の成功者様を勝手に敵視している確証バイアスがゴリゴリのお前のどの口が?
とか言わずに最後まで読んでいただければ幸いです。
成功者とは?
ほとんどは周りの皆さんが『この人は成功者だ』と呼んでいるから。
そう、世の中的に成功者ぽい扱いをされているから否定するのは何となく憚られるので追従している。
世の中の95%の人はそんな感じなんでしょう。
自分の頭で考えて本質を見ないのですから当然。
実に見事な日本人的な同調バイアスです。
そして証拠不足のままの確証バイアスです。
私は成功している側の方とお話をするのが大好きです。
なぜなら自分は成功する側に居たいと思うからです。
だから本当に成功している側の方からの薫陶を受けるのは大事と考えています。
またスピリチュアルなアレでは無いですが何か良いものを貰えるようにも思います。
ただ、ニセモノの成功者とはお話どころか出来る限り席を同じくしたくはない。
またインケツ(不幸や不運)が伝染りそうで嫌です。
その類の方々は、
話の内容は後乗せサクサク感なお手盛満載が普通ですし、
何なら成功もしていないのに『〇〇の取り組み』とか『〇〇の事例』って、
それって本当に参考になるの?それで成功するの?他人に語れる内容なの?
…なんて言うとやはりお前が確証バイアスにドップリのバカじゃないのか?
いえいえ、私は批判する前には必ず信用機関から財務諸表を取り寄せます。
財務諸表の記載が無いのであれば、
売上高と従業員数と業界での平均限界利益率(世の中的な粗利率)その他諸々を取り寄せます。
するとだいたい理解出来ます。
どう理解できるのか?
自己資本比率数パーセント台とか、
業界平均から極端に一人あたりの粗利率が低いとか、
コロナ前の2019年以降の信用機関への更新が途切れているとか、
倒産グレードが10段階の7以上とか。
そういうのはかなり危険水域だと思うので、
私は世の中的に成功者と扱われていても成功者として尊敬しないだけです。
これだけ理路整然と判断しているのに、
ただの嫉妬とかと決めつけられるともう説明する気力すらも起きません。
「どこどこの誰々さんもそう言っていました」とか、
自分の周りが何となく『この人は成功者だ』と呼んでいるからと有難がって疑いもしないって、
これが一番の確証バイアスに首まで漬かっている人の情けない姿とちゃうの?
あの任天堂の山内溥さんは生前に、
周りから成功者と呼ばれる事に対して、
『私はたまたま運が良かっただけ。そんな人間を成功者とか有難がってどうするの?』(主旨のみを略)
あの天下の任天堂の山内さんかそう言うのですから。
しかも亡くなられるまで嬉しがって人様の前で呼ばれてホイホイと講演なんてしかなったそうです。
だから私はこう考えています。
『たまたま名前が売れただけで成功もしていない人を有難がたがってどうすんの?』
いくら立派な話をしても、
本業での財務諸表の数字が付いてこなければ、
それは絵に描いた餅に過ぎません。
クソの役にも立たないと言う事です。
なので、自分も頑張ります♪
ぺイトナー娘の変遷とお年寄りの変遷
前のブログにもちょっと書いたのですが、
あまり誰も話題にしてないけど、
私はこの娘がかわいいと思っていました。

他の打者には厳しいインハイのシンカーかもしれませんが、
私にとっては絶好球!
全力で長打を狙いに行くみたいな感じでしょうか?
あれ?何だか雰囲気変わったのかな!
と思っていましたら、
更に雰囲気が変わってしまいました。
別人か?とも思ったのですが、
服装が全くの一致なので同一人物に間違いない。
ともかく私は1枚目の画像に一票入れておきます。
タレントさんではなくホンモノの社員さんらしいので、
本業のお仕事も頑張ってください。
ものづくりのまち東大阪からひっそりと応援しております。
写真写りと言えば、
正解は、
長谷川町子先生が描くおじいちゃん像が、
54歳の定年間際の波平さんというのも理解出来ます。
と、まあ前回のブログの復習みたいになっていますが、
実は先週ちょっと歌を聴きに兵庫県の西宮北口まで♪
渡辺真知子さんと岩崎宏美さんとサーカスの皆さん。
演奏はあのアロージャズオーケストラ♪
最後に舞台からのお許しが出たので一枚!
当たり前ですがプロフェッショナルの歌声に感涙でございました。
コンサートも終了し西宮北口駅へと歩いていたのですが、
多分私が辛うじてそのハイスペックな平均年齢を下げるべく踏ん張っているのかも?…と。
いや、私もさっきの43歳男性よりはかなり歳は食っているのですけど。
さて、今週もかなりたくさんのお仕事案件を仕上げました。
また、たくさんのお見積も終えました。
今年の3月は3年ぶりに期待出来そうな予感♪(←その音符はヤメい!)
なぜ工場を移転する必要があったのか?
年に何度かの超多忙な日々でした。
特にこの金曜と土曜と日曜は午前2時とか3時の帰宅でした。

次の日も朝早めに出社して!と。
さすがに日曜日は昼前まで寝てましたが夜半までのコース、
祝日は早朝3時に出勤しては工作機械のお守り。
現在の工場に移転する際に、
レンズ加工用の超精密加工領域(10ナノ制御)の工作機械を2台整理しました。
まだまだ使えるボールネジ機を廃棄して、
リニアモーター機だけを残しました。
リニアモーター駆動のMC4台。
リニアモーター駆動の非球面加工機(ダイヤモンド旋盤)2台。
現状では試作レンズのより高精度化を目指しているので、
ボールネジ機を処分するという判断になりました。(粗加工用は除きます)
上の画像の左下には今のところは三鷹光器のレンズ測定機を仮置きしていていますが、
次の高性能な工作機械を入れる為にスペースを計算して空けているのです。
「従業員の数や売り上げの規模の拡大で勝負する」
若い頃は私もそんな風に考えていましたが、
ちょうど拡大出来なかったのも不幸中の幸いで、
『小さい企業が小さい規模のままで業界で特化して飛び抜けて稼ぐ』
そんな風なビジネスモデルというか経営の意識になりました。
製造業が構造不況(平成不況とか)と言われてもう20年とか25年でしょうか?
その25年前なんかは、
町の中にある文字どおりの町工場が、
汎用機や償却の終わったNC工作機械での加工品の値崩れとか仕事薄が不況のネタだったのに、
今では郊外に最新の立派な工場を建設して、
NC工作機械を並べるられるだけ並べて、
最安値の仕事を奪い合うというような不況のネタに変化しています。
しかもそれらがすべて経営者1代では到底返せない借金が元手だったりするのが、
平成不況とは大きく違う所。
私は色々な製造業の経営の事例を見てきたつもりです。
ここに書いていたのは批判屋とか皮肉屋と揶揄されてもそれはすべて自分の為の貴重な情報と解析でした。
そして考えついたものづくり屋である私の経営者の終活として、
割と都会に近い便利な場所で(大阪市内に約500メートルの距離の東大阪市で場所で)
賃貸をヤメて自社所有の建物で(中古物件ですが内部留保金で購入しました)
無借金経営を理想として(今回は改装費と移転費用をBKから借りたので自己資本比率90%→50%台に…)
高性能な工作機械だけを揃えて(経年数の多いのもありますが、まぁそこはリニアモーター機なので)
少人数の枠で最大の売り上げを達成する。(適正価格のお仕事だけを請けられます)
そして加工現場は社長自らが率先垂範する。(加工技術の開拓は責任者である社長の仕事ですからね)
移転した建物は"昭和"ですが、
経営方法は"昭和"からかなり変化していると思います。
昭和の昔の時代では、
満六十歳ですでにフガフガのヨボヨボだったそうです。
磯野波平さんは54歳で当時の定年まであと1年弱だったとか。
でも、令和の六十歳は午前回っても仕事が出来るほど元気ですよ。
あっ、私はまだ還暦を迎えていませんけどね。
さて、もうすぐフガフガのはずの私がいつまで率先垂範が出来るのか?
ともかく今は数字を上げ続けて結果を残し続けるしかございません。
自分も頑張ります♪











