サラリーマンという仕事は⑧
常々思います。
サラリーマンは自分で勝手に損をしているのではないかと。
なぜなら、しばしば自分で自分の仕事の価値を下げているから。
自分の仕事の価値を収入の高低で計ってみたり、
人気不人気で計ってみたりして、
威張ったり落ち込んだりしています。
最近では市場価値なる言葉も出てきました。
市場価値って、転職するとき、どのくらいの年収になるか、
というお話ですよね。
市場価値の高い人材になろう、なんて、
なんだか転職をうながされているみたい。
まあ、このへんは、
市場価値という言葉を安易に使う人材会社にも問題があると思いますが。
年収にしろ人気にしろ市場価値にしろ、
それって他人の評価じゃないですか。
自分は自分の仕事をどう判断するのでしょう。
自分の仕事ですよ。
1日何時間も費やすんですよ。
雨が降ろうが風が吹こうが、
眠かろうが通勤電車が込んでいようが、
彼女の誕生日だろうが、
仕事をするわけです。
誇りを持ちたいじゃないですか。
サラリーマンという仕事は⑦
職業という側面から仕事について、考えてみたいと思います。
世の中には本当にさまざまな職業があります。
求人の仕事をしていると、
「はあ、こんな仕事もあるんだ」と感心しきりです。
中には、
厚紙をカッターで切るだけ、
ネジを適量つかんで皿の中に入れるだけ、
という仕事がありました。
お笑いのねづっちは、
板金をおさえるだけの仕事をしていたと言います。
ホントにいろいろです。
こんな仕事の数々が、世の中を成り立たせているんですね。
でも。
どんな仕事も世の中に欠かせないと本当に言えるでしょうか。
棋士で実力制第四代名人(要するに将棋の世界ですごい人)の
升田幸三は「棋士は無くてもいい商売だ」と言っています。
言ってしまったな、という感じですね(笑)
しかし刈田は
「だからプロはファンにとって面白い将棋を指す義務がある」
と続けて述べました。
熱いです。
刈田は、「ファンを面白がらせること」を
自分の義務であり役割であり、その仕事をする意味と見ていたと思います。
もしかしたら、本当は必要とか不必要とか、
そんなことはどうでもいいのかもしれません。
ただ、自分の仕事に意味を見つけるのが大事だと思います。
無くてもいい商売をしている棋士は自分の仕事に意味を見つけました。
サラリーマンはいかがでしょう。
サラリーマンという仕事は⑥
コピーライターの糸井重里さんの有名なキャッチフレーズです。
このコピーは1989年のバブル真っ只中に発表され、
一生懸命働くことを軽視していた時代にあって衝撃的なメッセージでした。
「サラリーマン」をしていかに適当に、
楽して、お金をもらうか。いかに得に生きるか。
そんな享楽的な雰囲気に痛烈な皮肉をこめていたのですが、
今やサラリーマンは享楽どころか恐怖、哀愁が漂っています。
少しでも気を抜いたら、明日には職がないかもしれない。
気を抜かなくても、明日には会社ごとないかもしれない。
それでもあくせく、ロボットみたいに働くというイメージがあるでしょう。
でも、そんなイメージは捨ててしまいたい。
あくせくではなく、一生懸命という言葉を使ってほしい。
仕事も安っぽく扱わないでもらいたい。
サラリーマン一人ひとりは他の誰にもできなくて、
世の中に必要とされる仕事をしています。
今日してきた仕事は、カリスマ(古い言い方だなあ)経営者だって
できることではありません。
できないから、人を雇っているのです。
自分自身で自分と自分の仕事を落としめしちゃ、バカバカしいです。
尊いことをしているんだと胸を張りませんか。
サラリーマンであることが残念なように言われるけど、
何をおっしゃっているのやら。