コミュニケーションの学校 回覧板(錦糸町&両国&浦和) -40ページ目

サラリーマンという仕事は⑤

新聞記者をしていたとき、こんなことを言う先輩がいました。
「○○社の記者というより、一人の記者でいたい」
正確ではありませんが、このような内容だったと記憶しています。

とても優秀でした。
記者でありたいという言葉通り、よく記事を書いていました。
全然怠け者ではありません。
というより、人一倍働いていたと思います。

会社も大事にしていました。
ただ、確かに会社、
正確には社内政治とか言ったりするのかもしれませんが、
とは一定の距離を置いているように見えました。
実力に見合ったポジションかというと
そうではなかったように思います。

なんか残念ですか?
いかにもサラリーマンらしいでしょうか?
でも、その見方って、
誰の基準なんでしょうかね。
その人は記者としてとても満足していたかもしれませんよ。
実際、楽しそうでしたし。

もしかしたら、
会社との付き合い方を決めるという特権が
サラリーマンにはあるのかもしれません。

真剣に会社と向き合う。
仕事について真摯に考える。
すると、自分なりの答えが見えてくるのではないでしょうか。

会社を否定したらなにも始まらないのだけど、
会社との付き合い方は
いろいろあっていいのかもしれないと考えた次第です。

サラリーマンという仕事は④


プロの仕事というとき、
専門性というのを意識していると思います。

最近では、専門職という言葉が氾濫していますが、
専門職は国家資格を持つ仕事のことを言うらしいですよ。
さらにプロの仕事とかプロ意識っていうけど、
プロってなんなんでしょうね。

プロの定義はとても難しいです。
定義できないけど感じるのが、
サラリーマンは集団の中で生きるプロであって、
職種に対するプロではないかもしれないということです。

このへんを誤解してしまうと、大変かもしれません。

専門職とか言っているけど、
職種は会社員としての単なる担当でしょう。
ライターだろうが営業だろうが外商だろうがSEだろうが、
会社の中では、○○(職種名)担当。
会社員である限り、職種という担当領域があるに過ぎないですよね。

そうだ、
エンジェルスの松井秀喜選手は、ものすごいプロです。
サラリーマンにとってすごく参考になる気がします。

だって、
自分のバッティング(職種)技術を自分のために使うのではなく、
for the teamでチーム(会社)に徹底的に貢献していますよね。
野球(仕事)に対する哲学もあって、
それが果たせないことは絶対にしない。
移籍やWBCに対する姿勢もとても参考になります。

集団の中で与えられた役割を果たすのは当たり前。
集団は(行き過ぎた)個人の願望を成就させるところではないのです。
もちろん、集団は個人が犠牲を払う場所でも絶対にありません。
そんな集団は存続しないでほしいね、ホントに。

サラリーマンという仕事は③

サラリーマンの仕事ってなんでしょう。
前回の内容を掘り下げていきたいと思います。

サラリーマンは日本語で月給取り。
会社員の意味で使っていますが、
会社員なのに、会社員じゃない人、けっこういると思います。

どういうことかと言うと、
会社のことを大事にして仕事をしている、
そういう会社員が、少なくなってきている気がするんですよね。
(自分自身を振り返っても、そうでした。
だから、偉そうなことは全然言えません)

給与が上がらないから仕事も手を抜いてしまおう、とか。
プライベートでは絶対仕事のことなんか考えない、とか。

会社員なのに、会社が嫌いで、ときには憎んですらいる。
それってすごく悲しいことだと思うんです。
というか、悲しいということに気づきました。

まるで、
松戸に住んでいるのに松戸を嫌いだし憎んでいるみたい。
○○家に生まれたのに家族のことを嫌いだし憎んでいる。
○○高校を卒業したのにその高校のことを嫌いだし憎んでいる。
そのような状況と一緒な気がします。

会社って一つのアイデンティティじゃないですか。
そこにいる人たちって仲間です。
それなのに嫌いだとかって、ちょっと悲しい。

とはいえ、急に好きになれと言われても難しいのも事実。
でも、いいところの一つや二つはあるんじゃないかと。
自分の属する集団=組織=仲間のことを考えてみる。
助けられていること、支えられていることがある、はず。
まずは、そんな事実に目を向けてみようじゃありません?

それができるようになったら、
「会社に対して自分は何ができる」
「仲間に対して自分は何ができる」
という発想も持つようにしたらいかがでしょう。
そうしたら、
仕事に対する考えが変わってくる可能性が出てきます。

これはキレイ事というより、
自分を楽しくする考え方ですよね?