8月15日、終戦の日。
この時期になると毎年思い出す奇妙な経験を今日はお話したいと思います。
それはタイのチェンマイで、インパール作戦で亡くなった方々の慰霊祭に参加したあと、移動中の車内で聞いたある声についてです。
チェンマイで参加した慰霊祭
15年程前、知り合いからの誘いでチェンマイで行われる慰霊祭に参加していました。
その場所とは、第二次世界大戦中、戦病没された日本兵が眠る場所。
現在チェンマイ県メーワン郡のバーンガート 中高校敷地内に慧燈財団が建立したタイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之碑の中2万柱近い 皆さんがに収められています。
当時、慧燈財団にいらした小西誠さんと言う方が現地での諸々を取り仕切ってくださいました。こちらの番組でも紹介されている日本人青年が小西さんです。
タイ北部ミャンマー国境地帯に放置された日本兵の遺骨の発掘を行いながら、現地の貧しい子どもたちを救うため里親制度をつくり支援を行っている僧侶と、現地でその意思を継いで活動する、戦後生まれの日本人青年の姿を通して、戦後日本がやり残してきたことを浮き彫りにする。
慰霊祭のあと、小西さんと一緒にミニバンで一路ミャンマーとの国境にあるメーホンソンへ向かいます。現地にあるタイ日友好記念館とお寺を訪問することになっていました。
道中首長族の皆さんが住んでいる村にも案内してもらいちょっと旅行気分!
とはいえ旅はそこから。
4時間以上延々と山の中の移動が続きます。疲れもあっていつしか眠ってしまいました。
人の声で目が覚めた
車の座席で眠りこけていたわたし。
どれくらいの時間眠っていたのかはわかりません。
よく響く声で「○○○○です!」と呼びかけられました。
はっと目が覚めたけど、もちろん車内。周囲は山と谷ばかりです。
今起きた出来事をガイドさんに話すと、戦後このあたりで起こっていた話を教えてくれました。
鎮魂の鐘の話
インパール作戦当時、闘いよりもこの山中で餓死や病死された方がとても多かった。
戦争が終わっても、毎晩毎晩山の中からうめき声が聞こえてきて周囲の村人達は眠れないほどだったそう。
村の皆さんが無念のうちに亡くなった兵隊さんを弔うために鎮魂の鐘を設置。そしてその鐘をついた夜からうめき声はすっかりしなくなった。
ガイドさんはこう言いました。
「声をかけてきた方もおそらくこの場所でなくなった方でしょうね」と。
思い出すことが供養
帰国後、すぐに靖国神社に詣でました。他にどうすることもできなかったので...
あれから15年以上が経ちましたが、その方がどういった方かは知る術もなく、もやもやしたまま今に至ります。
今は残っていないブログではその時のことをもっと詳細に書いていたのだけど...
残念ですがその時撮影した写真も手元にありません。
とはいえ、機会があるときには現地で見たこと、知ったこと、体験したことをお話するようにしています。
この行為があの場所でなくなった方々の供養になればと祈りつつ。
その後も不思議と戦争体験の語り部からお話を聞く機会が多かったです。
その話はまたの機会に。
合掌
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