スマートグリッド
そろそろ正月明けを意識してしまう。(・∀・)4日は混むし少しでも働きたくないので6日から仕事始めにします。v(^-^)v証券会社時代は暦通りにしか休めなかったから、5日間とかしか休まなかった。暮れの大納会の日は午後仕事がなければ帰ってもよかったが、仕事があるので、乾杯した後、一度仕事に戻り、4時過ぎくらいから、また飲みだす。そんな感じだったが、今は違うかもしれん。大発会は乾杯くらいはするが、仕事終われば三々午後で帰るか、飲みに行く人がいる感じであまり強制されなかった。90年代は強制で飲まされて、後片付けもしないと帰れなかった。営業マンのときはお客さんに付き合わなければいけなくて、いつ帰れるか自由にはならんかった。御歳暮を届ける仕事なんかも下っ端がさせられて、先輩の客までやらされた。俺は途中から営業マンから外れたから、自分がそういう体育会系の先輩後輩の先輩の立場になった経験がない。今思い返しても、いい思い出がない。もう20年も昔になるが、受けた嫌がらせ、いじめの記憶しかない。真夏や真冬に必死で歩き回って、公園のベンチで休もうと思ったら、会社の車が公園の木陰に駐車してあって、先輩が足を投げ出してエアコンの効いた中で昼寝してるのを見かけたり。先輩だけじゃなく、調子のいい同期や後輩が上司に可愛がられてて、俺とは違って引継ぎ客を与えられ、数字はそこそこ出るもんだからって、地面を這いつくばってる俺を尻目に同じことをやってた。数字が人格の世界だから、数字さえ上げていれば何をやっても許される。当時はこの差別と、そいつらにはない罵りを毎日受けてた俺の心情は気が狂いそうだった。俺が営業を外れた90年代中頃からは昼寝なんかできるような時代ではなくなっていって、胡座をかいてた人達はリストラに合ったのもいれば、更に悪どい話術に磨きをかけて生き残ったのもいる。俺がもう少しいい学校を出ていれば、『僕は勉強がしたいから』と言えて、スマートなやり方で脱出できたか、最初から会社の覚え目出度くあんな目には遭わずに済んでたのかもしれん。ほんと上司や先輩らは本気で俺を辞めさせに掛かってたからなぁ、あんときは。ま、俺だけじゃなくて、後から配属されてきた人間はことごとくいじめられて、そん中でも口答えするから俺が一番酷かった。あの苛酷な日々の中、選択肢の限られる俺は必死で脱け出す道を探したが、なかなか道は見つからなかった。やはり出身学校、コネの有無、派閥に入ってるとか、組合やってるとか、なんかないと手がない。努力だけでは他人は認めてくれない。と、気づいてもどうにもならんかった。まさに天を恨むしかなかった。あの時、俺が採り得た方策には何があったか。一、まず、冷静になる時間が欲しいので、体調不良と嘘を吐いてでも営業から異動すること。一、人事評価は最低になったが、心の健康を取り戻すため、当面は余計なことは考えない。一、少し余裕ができたら、それまで自分に過大な期待をしてきたことをやめ、目の前の小さな課題に地道に取り組む。馬鹿にされても構わない。既に馬鹿にされてるのだから。こっから一段、一段、ちょっとずつを繰り返すことに専念した。その間も次から次にロクでもないことが降りかかってきたが、右往左往しながらもなんとかこなした。少しでも興味が湧いたことに関しては分かったフリをせず、自腹を切って調べたりして追求する。日常、仕事の世界ではいろんな状況が訪れるので、普段はスター社員だけにお鉢が回るが、時にはスター社員でも知らないこと、対処に自信がない出来事が起きたりする。実際、俺に起きた最初の変化はその時だった。普段は誰からも軽視されてた或る金融商品で、俺はそんな窓際の業務の担当の一人だった。だが、そんとき、それまで会社で扱ったこともない金額の取引が、その商品で行われる話が舞い込んだ。みんなは今までやったことがないレベルの金額で、コストも掛かるし、今までやったことがないのでリスクもあるし、とてもうちの会社では無理だという意見だった。ところが、その取引を持ってきたのは社長で、部長としてもなんとか実現したいという気持ちで、諦めきれずに部下に何度も食い下がる。無理と言わずに、なんとかやれる方法を考えてみてくれと。課長らが集まっての九首会議が部長の席の前で何度も行われる、その直接の担当だった我々のチームにも相談が来た。だが、我々のチームの古株社員は無理だとして首を縦に振らない。何回目かのとき、使えない社員として下っ端扱いだった俺はたまらず、できるかもしれません!と声を上げた。みんな俺を見て、えっ?という顔をしていたが、部長だけは、やっと前向きな意見を言う奴が現れたか、という顔をしていた。俺としては根拠がなかった訳じゃなかった。営業から窓際の仕事に飛ばされて、しかもまた同じように嫌がらせされて失敗ばかりして、また失敗したのかよ?とか言われていたが、失敗の過程で、何度も業者などともやり取りをしていたので、取引を実現するためには新たにどの程度の費用が掛かるか、その取引を実現した場合、どれくらいの収益となるか、おおよその計算ができた。年間利益5億円に対して新たなコストは200~300万円。やらない方がどうかしてる。が、リスクは確かにあった。まず、取引と同じ金額を一日立て替えなければいけない可能性があること。立て替えなければならない金額は数50~100億円で、当然そんな手持ち資金はないから銀行から借りなければいけないが、仮に金利1%としても100億円なら一日で30万円弱。実際には1%ではなくてシミュレーションしたら120万円くらいだったかな。でも、それで進めろと部長の許可が出た。それよりもまず、たとえ一日でも100億円なんて簡単に借りられない。これはやはり無理なので、社長に取引先と交渉してもらい立て替え無しでやれるようにしてもらった。あとは、お金のデリバリーとコストの交渉を俺と取引先と業者の三者で交渉して話を付けた。俺も本当にできるか分からんかったし、もしトラブルが起きたらクビでは済まないと震えた。が、難なく実行できた。これで年間5億円の利益が自動的に入る。他の人は反対した建前からか一切手伝ってくれなかった。無事終わってみれば、できて当然みたいな言われ方をした。取引を持って来たのは社長だし、最大の功労者は社長なのは当然、しかし、全員反対してた中、ネックになる問題点、クリアすべきことを示して実行したのは俺、あと、俺に一切任せて許可したのは部長。俺に対する見る目が少し変わったのは、そんな出来事からだったが、ほんの少し変わったったってだけで、冷たい視線は相変わらずだった。見る目が変わったと言っても、むしろ危険人物扱いに近かったかもしれない。それでも腐らずらやっていたし、俺としては仕事が面白いと感じれた瞬間として、いつまでも記憶に残っている。そんな目立つ仕事もあったけど、いっつも差別されて雑用を押し付けられてな。不規則に入ってくる雑用を毎回押し付けられる。ま、今の職場になってみて思うことだが、どうしても雑用的なものは入る。なんつーのかな、雑用やってこなかった人間は人の気持ちが分からんね。今だと単純作業の雑用はなかなかさせてもらえないけど、なんも考えずに雑用やってるときに、いいアイディアがふっと湧いたりしていいもんなんやけどな。いざやろうとPCに向かってもいいアイディアが出ないのに不思議やね。馬鹿だったし、今もバカだから、単に話だけで理解しようとしないつーか、そもそも理解できないんで、割と取引先を知ろうとする際は、上場会社なら短信見たり有報見たり今でもしてる。あんな100ページある書類なんか見てもなかなかよう分からんけど、こちとら四季報は当然昔見てたし、入札制度の頃から目論見書を見て、いくらで入札したらいいかとかやってたから、あんなよう分からんものでも、もう数百回も目を通してんのかな。社債とか投信のもあるから数百回じゃ効かんか。今はEDINETがあるから簡単に見れる。昔とは随分変わった。iPhoneからの投稿