精巣腫瘍治療記+α -3ページ目

精巣腫瘍治療記+α

2009年末、21歳で精巣腫瘍に罹患。一度は転移なしとなったものの翌年再発し5月から化学療法。患者であると同時に薬学生でもあるので、患者側と医療側双方の視点でこの病気と向き合っていければと思います。また自分の病気とは関係ない勉強、研究、趣味の話もちらほら。

※念のため。以下傷口の写真が載せられているので注意。そんなにグロくないけどね。


手術以降、ずっとドレーンからは150-200mL程度の液が出ていました。
しかも、白濁した液で、これは脂肪分を含んだリンパ液であるとのこと。
リンパ節を摘除しているためにどうしてもリンパ液が傷のところにもれてきてしまうんですね。
でもここ数日は液量がガクッと減って20mL程度に。
液質も白みがかった半透明という感じで、一時期の白濁した感じとは全く別。
ということで、これなら大丈夫だろうとのことで今日ドレーンを抜いて頂きました。
併せて、手術から1週間が経過したため、抜鉤も行いました。

精巣腫瘍治療記+α-傷口_抜鉤前

抜鉤前です。医療用のホチキスによって傷が止められています。数えたら42針ありました。
傷口はへそを避けるようにして、他は上下に一直線に伸びています。
ホチキスの上に、さらにテープが張られています。
向かって左下のガーゼの裏でドレーンが身体の中に入っています。
そこから伸びている管も見えますね。

精巣腫瘍治療記+α-ドレーンの行き先

ドレーンから出た排出物はこの中にためられます。
中を陰圧にできるようになっていて、液を吸い出す感じ。


 ↓↓


精巣腫瘍治療記+α-傷口_抜鉤後

抜鉤後です。
傷口はほとんどちゃんと閉じられていて、1週間やそこらでこういう風にちゃんとなるんだなと感心。


抜鉤は、それこそホチキス抜きみたいな感じで抜いていきます。
そんなに痛いわけではないけど、何せ数が多いので大変。腹緊に力もそんなに入れられないし。
ドレーンも本当にただ抜いていくだけなのだけど、身体の背中側まで入っているはずなので、
抜く時には何とも言えない変な感じがしました。

何はともあれこれで身体につながっている管も何もなくなったわけで、退院のめども立ちました。
週末傷口とかに何もなければ、来週月曜日に退院の見通し。
手術から11日後なので、予定通りと言えば予定通り。なんだか早い気もするけどね。
ただ、まだ傷口はやはり鈍く痛んで、背筋を伸ばして立つのが難しい感じ。
前かがみにならないと歩けないのはしばらく続きそうです。

今日昼過ぎ、主治医が来てこう言われました。


「病理の結果、問題なかったよ。」


あっさり言われたけど、とてもとても重い一言。

そもそも、今回の手術は、半分はこれまでの3クールの治療の効果の確認という意味合いでした。
つまり、これまでの抗がん剤治療でがん細胞が死滅していることが期待されるので、
実際に手術して転移巣および周辺のリンパ節を調べ、生きたがん細胞がいないことを確認する。

上の主治医の言葉は、これが確認されたことを意味しています。
現時点では自分の身体の中に癌細胞が残存している証拠はない。
そしてそれは、寛解ということです。
抗がん剤治療、手術を含めたあらゆる治療は終了し、経過観察に移行するということです。




なんだか今はうまく実感がわきません。
この寛解というものを目指してずっと治療して来て、期待通りの結果が出て、
「長かった…!」と思ったり感慨がもう少しあるのかなと思ったけど、割と淡々としています。
とりあえず親には電話しました。
明日以降、このことについてはまた書こうと思います。
手術から5日が経過して、やっとPCを開く気になれました。
手術前にコメントやメッセージをくださった皆様、ありがとうございました。

手術から今までを振り返ってみる。


8/19(手術日)
その日2番目の手術で、時間はお昼過ぎ、13時~15時くらいだろうと言われていました。
手術室へは浴衣のような病衣を着て、弾性ストッキングというものを履いて行くんですが、
朝の時点で素肌にその病衣だけは着ておけという指示。
術中や術後に使う点滴のラインも朝のうちに確保し、輸液を流していました。
ご飯も何も口にできないので(危うく水をごく自然に飲みそうになること数回・笑)、
基本的にはヒマで、マンガ読んだりネットサーフィンしたり、あとは寝て過ごしました。
術後はPCいじったりなんてまず出来ないだろうけど、少し操作する位なら出来るだろうと思ったので
今のうちにとニコ動で奥華子の作業用動画をDLしておいたり(結局聞けなかったけど)。
昨年の手術の時もそうだったけど、手術する前はある程度緊張はするんだけど、
そのうち緊張するのにくたびれて、手術するときにはケロッとしているんですよね(笑)
あとはやっぱり、今回は2回目の手術っていうのも精神的には大きかったと思う。

14時少し前にお呼びがかかりました。
下に履いていたジャージや下着を脱ぎ、弾性ストッキングを履き、
それ以外は何も身につけるなということなので眼鏡とリストバンドを外し。
昨年の手術ではストレッチャーに乗って手術室まで行ったのだけど、今回は自分で歩いて行きました。
いつもは職員以外は入れない病棟の隅のエレベーターから4階に下り、
エレベーターから降りて2番目の自動ドアから中に入り、
手術室の待合のような場所で看護師さんの挨拶や簡単な確認を受け、
そこからさらに奥の、手術室が5つ連なっている廊下を直進して一番奥の手術室に入りました。
手術台(狭い)に乗り、枕を調節したり腕を乗せる補助の台をセットし、
手術中の様子をモニターするための血圧計と血中酸素濃度を測るやつを取り付け。
その後すぐ、手術室に入ってたぶん5分とかそれくらいで、最初の硬膜外麻酔の準備でした。
右側臥位になり、脚を抱え込むようにして体を丸めます。
麻酔科医が背骨を触って何やらチェックした後、最初に局所麻酔を打ちます。
これは次の硬膜外麻酔の針を入れるための麻酔で、痛いのはこの時だけ。
次に(感覚が無いから分からないけど)椎骨と椎骨の間に針を入れ、ある程度の深さにまで達せさせ、
管を留置して針を抜いて硬膜外麻酔の準備は完了です。
昨年の手術ではこの針が少し深く入りすぎたためか背中に何とも言えない違和感が走ったのですが、
今回はそんなこともなく、結局手術中はこれといって痛さや不快感を感じることはありませんでした。
この管を入れ終わり仰向けに戻ると、すぐ全身麻酔に行きますよと言われ不意を突かれた感じに(笑)
麻酔は腕に入れた点滴から入れられたのだと思います。
「ハイこれから薬入れますよ」と言われてすぐに意識が朦朧としはじめ、ちょっと抵抗したのだけど、
ものの2~3秒で眠りに入って行きました。

この日の記憶はほぼここまでしかありません。
多くの方から聞いた通り、意識が無くなった直後に手術が終わっていた、
というか翌日になっていたという感じ。
術前の説明によれば手術室で覚醒した所を確認してから病室に戻ったはずなのだけど、曖昧。
病室で父親の顔を見た気もするのだけど、その記憶も曖昧。
翌日も、朝は朦朧としていた気がします。
術前の説明では手術時間は4~5時間とのことだったんですが、手術は21時頃までかかったようです。
手術室に入ったのが14:10ころ、それから30分程度で全身麻酔で意識を失ったように思うので、
6時間くらいは手術にかかったんじゃないかな。
まあ手術時間が長くなるのはままあることだと思いますが^^;


8/20
後で、看護師さん皆さんに「あの日は死んでたよねー」と言われた日(笑)
病室は、術前の病室とは違う、スタッフステーションに近い部屋に移されていました。
この日は、痛かったのと、もしかしたら麻酔がまだ残っていた(?)のとで、ボーっとしていました。
格好は、病衣は前日と同じ浴衣のような病衣。腹部には傷の痛みを和らげる腹帯。
下着はオムツの上に、T字帯というフンドシのようなものをつけていました。
(下腹部に傷や管があり普通の下着はそれを圧迫するので着けられないのです。T字帯は今も使用。)
脚には血流促進(血栓防止)の弾性ストッキングと、圧迫を繰り返す機械。
背中には硬膜外麻酔の管をそのまま留置し、そこに麻酔を持続的に入れるボトルが繋がります。
腹部の傷の脇にはドレーンという管がつき、腹部で出る余分な分泌物を体外に排出します。
しばらくは歩けず自分でトイレに行けないため、尿を出すための尿道カテーテルが入っていました。
また酸素マスクも取り付けられ、呼吸を助けていました。
(感覚としては無くても大丈夫と思ったけど、外して暫くすると血中酸素濃度が下がっていたので、
実はこの日の朝の時点では結構麻酔が残っていて呼吸を抑制していたのかもしれません。)

午前中は痰が結構出て、でも歩くことはおろか上体を起こすだけでもきついので、
小さな容器に吐いたり、ティッシュを枕元においてそこに出したり。
飲水許可も出たのだけど、あまり飲む気にならず。
ベッドの上で下半身洗浄されるという辱めも受けましたw

多分夕方ころだと思いますが(食事もできなかったので時間の感覚が無い)、最初の歩行をしました。
両側から看護師さんに支えてもらって、病室の外まで1歩ずつ、ふらふらと。
何とか病室の外までたどり着きますが、疲れてぐったりでした。
傷が痛かったというわけではないんだけどね。何でだろう。うまく歩けなかった。
外に出たところで、車いすに乗って元の病室に戻りました。

この日は痛みで寝返りも打てない状態だったのですが、あまり長い間同じ姿勢で寝ていると
背中や臀部が痛くなりついには床ずれになってしまうので、無理やりにでも動かなければなりません。
背中に大きなクッションを入れて体の向きを変えますが、傷が痛みうまくいかず。
夜から翌日にかけては1時間に1回くらい眠りから覚めましたが、その度にベッドの柵をつかんで、
無理やり体を横向きにして背中を浮かせていました。でも30秒もせずに力尽きる。
この時は背中痛かったなあ…。


8/21
この日には痛みは大分マシに。
歩行も、まだ覚束ないものの、歩いた後へとへと、という状態ではなくなりました。
(とはいえ術前の説明では翌日には離床できるとのことだったので、これでも遅いくらいと思います)
尿カテをまだ入れていたのですが膀胱に尿が溜まっている感覚があって、
看護師さん「それは尿カテが膀胱を刺激しているからですね」→ボルタレン(座薬)投与。
しかし一向に良くならず、エコーで下腹部を見てみたら本当に尿が膀胱に溜まっていることが判明。
導尿(ピストンみたいなので吸い出す)したら900mLも出てきました(!)。
こんなこともあり尿カテは嫌になって、歩行もできていたので昼前に尿カテは抜いてもらいました。
一緒に背中の痛みどめの管も抜いてもらいました。

この日の昼から食事が解禁!
最初は五分粥からスタートです。
おかずも付いていたのだけど、この日はお粥を半分食べたくらいで終了。
消化管を切ったりした手術ではないのだけど、リンパ節は割と背側にあるので、
そこにたどり着くために腸とかを押しのけたりしているのでお腹の調子はあまり良くないのです。
ただ、曲がりなりにも食事ができたということで点滴の必要なしとされ、これも外れました。
これで身体についている管はドレーンだけに。
点滴が無くなったことでここから痛み止めを投与することはできなくなったので、
内服薬で痛み止めとしてボルタレン、および胃を保護するためのサイトテックが処方されました。
主治医には頓服的に飲んでいいよ、と言われているけど、今の処は処方通り毎食後飲んでいます。


8/22~23
特段書くことはないのだけど(えー)、ちゃんと回復は感じられました。
痛みも小さくなっていたし、歩いて売店や院内図書館にも行けたし、食事量も増えた。
ただとはいえ出来ることはまだ少ないので、時間が経つのが長くて長くて、退屈な日という印象。


8/24(今日)については、ワケあって次のエントリに譲ることとします。
今日は麻酔科の医師から麻酔の説明がありました。
今回行うのは硬膜外麻酔+全身麻酔。
硬膜外麻酔は昨年行ったのと同じやつで、背骨の脊髄の硬膜の外側に麻酔を入れます。
前回はこの硬膜外麻酔で針を入れるのがとても嫌だったので、今回は上手くやって頂きたいものです…。
硬膜外麻酔の管を入れ終わったら、全身麻酔がかかります。
その麻酔で眠った後、呼吸を助けるための気管内挿管をします。
術後は、手術室で覚醒し、十分な自発呼吸などを確認した後、気管の管を抜いて病室に戻ります。

明日の手術はその日2番目、時間にして2時とか、お昼過ぎの辺りになるそうです。
そこから4~5時間かけて手術。
時間がどれくらいかかるかは、癒着の具合とかによるらしいです。
前回(場所は違うけど)手術しているし、それに加え、抗がん剤の影響でも癒着って起こるらしい。
早く終わってくれるに越したことはないけど、それ以上に取るべきものは全部取りきってほしい。
中には、癒着がひど過ぎて取りたいものを取れなかった、というケースもあるみたいなので。

そうそう、そういえば、昨日の説明では今日の夕食まで食べられるはずだったんですけど、
今日になって昼食から食止めと言われてしまいました><
なので、今は飲み物でお腹を満たしています。。

今日の昼過ぎから腸内洗浄剤「ニフレック」を飲みました。下剤みたいなものですね。
2Lを2時間で飲んで下さいと言われたのだけど、不味くて不味くて吐きそうで、2時間なんてとても無理!
4時間以上かかってやっと飲み終えました。
今もトイレに時折駆け込む感じです。
もはや便という感じではなくて、完全に液体が出てきます。
明日の朝は浣腸もあるはずなのですが、これもニガテなんだよな…
そして、生涯最後の入院になってほしいなあ。
今日、手術のために入院いたしました。
手術は明後日。

今回は全身麻酔ということで、昨年12月にした手術とは幾分勝手が違うようです。
まず、全身麻酔では、術後に痰が出たり吐き気を感じることがあるようです。
手術直後で麻酔が残ってたりすると、それへの対応も難しくなるみたい。
起き上がれないし、寝返りすらまともに打てないので。

手術が終わって病室に戻ってくる時、身体に管やら何やら色々繋がれている状態になります。
尿道カテーテル(トイレに行けないので、尿道に管を通して排尿する)、点滴、
痛み止めの背中の管、フットポンプ(脚の血流を促進し血栓形成を抑制)などは前回通りですが、
今回は酸素マスクと心電図も付いてくることになります。
やはり呼吸や心臓の方まで麻酔が行くから、ということなんでしょうね。

局所麻酔では術後翌日まで足の方に麻酔によるしびれが残っていたんですが、
全身麻酔では身体から抜けるのも早いので、術後すぐに手足を動かせるらしいです。
まあその分意識はあまりはっきりしないので、朦朧というか、うとうとした感じにはなるらしいけど。

術後の離床は翌日。看護師さんだけでなく医師も立ち会っての歩行となるようです。
飲水も翌日から。食事は翌々日からだそうです。
消化器を手術するわけではないけど、腸をかき分けて手術する感じになるので、
やはり術後しばらくは腸の働きがよくなくて、食事の開始は様子を見ながらになるそう。

不安が無いわけではないけど、1ヶ月くらい前から怖いよーとか嫌だよーとか散々言ってきたので、
今はもう、さっさとやって終わらせてしまおうぜ、という感じが強いですねー。
心はもう退院後のことに向かっています。模試とかね(笑)
こんばんは。
入院2日前、手術4日前の夜です。

8/2~8まで、実家に帰省しておりました。ちょっと早めのお盆みたいな感じ。
親戚に会ったり、高校の先生に会ったり、友人をお見送りしたり。
その後、東京に戻ってきて、大学の研究室に3ヶ月ぶりに復帰しておりました。
…1週間だけね(笑)
それでも、一応ちゃんと実験はやって、病み上がり(というか病み中?)なのに、
夜12時過ぎまで研究室にいたりして、気分は完全復活。
まあ、体力的な衰えはたしかに感じるんだけどね。
腿の前面の筋肉(大腿四頭筋)とかの衰えがひどい。
階段登ったり自転車こぐので、慢性的な筋肉痛です。

昨日は研究室のメンバー+αで東京湾の花火を見に行きました。
「+α」というのは、主に、今うちの研究室にサマースチューデントで来ている留学生の友人たち。
当然彼らの話すのは英語なわけで、会話の場に留学生が1人でもいると言語は英語になります。
女性陣と自分、みたいな組み合わせになって、英語でガールズトークというか
「この服かわいいよねーo(^^)o」みたいな会話をされると、
二重の意味で自分には入り込むすきはありませんでしたw

今日は映画「インセプション」を見て(新宿ピカデリー立派過ぎた!)、
今のスニーカーがさすがにぼろぼろ過ぎたので新しいのを買って、
研究室に寄ってPCなどを回収してきました。
これで、退院までの2週間ほど、研究室とはしばしお別れです。

明日は、研究室の教授の別荘に行って、研究室メンバーでBBQしてきます。
入院前日なので、あまりはじけたことはできないので途中で失礼する形になっちゃいますが、
それでも、教授の別荘とか楽しみですねー。

…と、病人とは思えない生活を満喫していますw
今は、泥酔するまでお酒を飲みたくて仕方がありません(笑)
さすがに入院前にそれはまずいので、退院したら、友達の家にでも行って、
吐くまで飲みたいなというのがとりあえず今やりたいことです。
それをすれば、しばらくは酒なんて飲みたくなくなるんだろうな…w
前回のエントリからだいぶ間が空いてしまいました。
もはや前回までにどこまで書いたかすら忘れてしまったよ(爆)

第3クールを終えて退院したのは、先月、7月の30日でした。
これまでの経過とともに、手術の説明を受けました。

手術日は8/19。2日前の17日に入院します。
手術名は「後腹膜リンパ節廓清術」。
みぞおちの辺りからヘソのちょっと下までを開腹し、表面近くにある内臓をかき分け、
比較的背中に近い所にあるリンパ節をごっそり除去します。
抗がん剤によって組織が破壊され、癒着している可能性が高いので難しいとのこと。
身体の上部まで開腹するため、麻酔は全身麻酔(意識を失う方)で行います。
時間は、3~4時間くらいかかるらしい。目安だけど。

説明された合併症は、
・射精障害(逆行性射精)
・腸閉塞
・リンパ瘻
・出血
・感染
です。
1番目を除けば、術後の過渡的なもので、仮に起こったとしてもずっと続くものではないとのこと。
(その1番目のやつが一番問題なわけですが)
リンパ瘻、ってのは、よく分からないけど(ググっても耳の病気みたいのしかヒットしない)、
リンパ節を取っちゃう関係で、腹部にリンパ液が溜まっちゃうこと、…かな。
説明を聞いた印象はそういう感じでした。
で、それがひどくなると、もしかしたら腹に針刺して液を抜くこともあるかもしれない、とのこと。

手術後、摘出した組織を病理検査にかけて、中に生きたがん細胞がいるかどうかチェックします。
もしいなければ、その時点で寛解、つまり一通りの治療は終了です。
生細胞が見つかったら追加の抗がん剤治療を行う可能性がある…のですが、
そのことについては知らんぷりをしています。
今度の手術で治療終了だと決め込んでる。

しばらくは外の世界で、寛解後のためのリハビリです。
昨日のエントリはさすがにひどすぎたので、その内容を文章にまとめてみようかなと思います。


今クールは先週水曜日、7/7からでした。
今までと同様、前日6日に中心静脈ラインを確保し、7日にブレオ、エトポシド、シスプラチン。
8~11日はエトポシドとシスプラチン。
吐き気止めとして、カイトリル(内服)、プリンペラン&デカドロン(点滴)に加え、
今回からは初日からイメンドカプセル(一般名アプレピタント)が処方されました。
日本では昨年末に承認されたばかりの新薬で、ネット上の同病の方たちの間でも評判は高く。
ちょっと専門的なことを書くと、イメンドはニューロキニン神経系というものをブロックする薬で、
今までのセロトニンやドーパミンをブロックする吐き気止めとは根本的に作用機構が異なります。
そんなこんなで期待も高いイメンドカプセル。
ちなみにすごいゴツいシートに入っています。なんか厳重。やっぱり新薬だからかな?
初日は125mgのもの、2日目以降は80mgのものと、日によって飲むカプセルが異なります。
で、効果のほどですが、前回は投与が遅れた(3日目から投与)こともあってか
あまり効果は実感できなかったんですが、今回は結構効果があった気がしました。
少なくとも吐き気に関しては前回より楽だったと思う。
まあ、辛かったことに変わりはないんですけどね。
というか、吐き気止めの効果にしても、そもそもの抗がん剤由来の吐き気にしても、
個人差とか心身の調子による差はでかいなと実感。
あと、イメンドは結構な頻度でしゃっくりの副作用が出るらしく、自分もそれに見舞われました。
そんなに大したことはなかったけど。

昨日も書いたとおり、今までの3回の治療の中で今回が一番辛かったです。
…でも、今思い返してみて、「なにが辛かったんだろう?」と思い返すと、なんかよく分からない。
今回に限ったことではないけど、吐き気で辛かった時のことってよく思い出せないんです。
真っ只中にいる時は長くて長くて先が見えない気がするのに、
後から思い返すと記憶が圧縮された感じがして時間の実感があまりない。

いま振り返ってみて思うのは、今回辛かったのは精神的なものが大きかったかな、と。
第1クールより第2クールの方がきつかったんだから、今クールはもっときつくなると思ってもよかったのに、
なぜか今回は第2クールと同じように進んでいくんだろう、みたいな思いがあった。
先の見えない苦しみも辛いけど、終わりだと信じて耐えてきたものがそこで終わらなかった時も辛いよね。
5日間の投薬期間はつらいのは当たり前だし、覚悟の上だったし、吐き気はむしろ楽な方だったけど、
それが終わった後、6日目にはある程度体調が回復してくだろうって思っていたのに
それほど上向きにならなかった時が一番しんどかった。
吐き気というより、胃のむかつき、食欲不振。そしていらいら。
部屋にじっとしているのが嫌で、院内散歩して、でも体力落ちているからすぐ疲れて病室帰って寝て。
寝ると体力も気力も幾分回復するけれど、起きてるとやっぱりだめで。
そんなこんなで、いらつきの矛先は点滴に向きました。
自分の場合、本来は中心静脈ラインはday8のブレオマイシン投与まで確保しておいて、
それまではシスプラチンの腎障害回避などのために一定量の輸液を流すのですが、
この時は点滴につながれてることそのものが自由を束縛されている感じがして苦痛で、
副主治医もたぶん大丈夫とおっしゃったので、ワガママを言ってday6で点滴抜いてもらいました。
(その後は輸液の無くなったのを補うために飲水励行です。1日1.5Lくらい)
それでスッキリとまでは言わないけど、だいぶ楽になったかな。

このことで思ったのは、医療行為を受けるって、それだけで精神的に苦痛になり得るってこと。
何らかの病気と診断される。薬を飲む。点滴につながれている。
ただそれだけで、苦痛って生まれちゃう。
例えば今回、「吐き気がつらいようだったら追加で吐き気止めの点滴入れますよ」
と言われたけど結局1回もお願いしなかった。
点滴で薬を入れているということそのもので、精神的にやられて、
かえって辛くなるような気がしたから。

治療に際して起こりうる副作用は一通り説明されるけれど、
今回はいわゆるその副作用ではないものに苦しめられたクールでした。
一言でいえば治療のストレス、ということになるのかな。
点滴につながれてることによるイライラ。
吐き気というより、胃酸過多から来ると思われる胃や食道のむかつき。
点滴に24時間つながれているので夜もトイレに起きる必要があり、そのための眠りの質の低下。
病院という狭い空間内に閉じ込められてる閉塞感。
こういう、一見大したことのないようなものの蓄積が一番辛かった。
大学で副作用や有害事象の話を習った時、治療関連のストレスについてかなり甘く考えていたけど、
全然甘くない、薬の副作用そのものよりストレスの方が辛いなんてこともあるんだなと思った。

現時点で一番辛い副作用は、味覚障害かもしれない。
最初は病院食の味落ちたなーと思ったんだけど、たぶんそうじゃなくて、自分の舌の問題。
加えて胃腸の調子も悪いから、食べることがちょっと辛い。
食欲不振っていうより、食欲はあるけどいざ食べると食べられない。
今まで吐き気で食べられなかった分、なおさらおいしいものを食べたい欲求は強いんだけど、
おいしそうなものを買って食べてもおいしくない。食べられない。
あとは手のしびれも地味に残っている感じかな。


今日は外泊!
売っているものがおいしくないなら自分で作ればいいじゃないか、の気概です。
ご無沙汰してます。
昨日あたりまでだるくて死んでいました(笑)
まあ笑い事じゃないんですけどねー。
今日から、外出できるくらい体力的に回復してきたので、中間報告。
でも消灯時間近いのでどこまで書けるか分からん(笑)


あ、時間本当にないから箇条書きにしよう(^^;


・今回は一番辛かった!
・初日からイメンドカプセル投下したので吐き気の意味では第2クールより楽だったかもしれない
・でもその分、吐き気とはまた違っただるさがやばかった。
・あと、精神的にちょっと死んだ。
 病気とは違う個人的な事情も関係したし、心のどこかで勝手に
 「今回は第2クールと同じように進んでいくはずだ」て思いこんでたのが悪かった。
 体力の回復が第2クールより遅れて、そのことに対していらいら。
・点滴についていらいら。点滴につながれてることそのものに激しくストレスを感じた。
・右手のしびれは結構つらい。
・味覚異常はもっときつい。
・いわゆる「副作用」ではない種々の症状に悩まされたクールだった
・現時点で感じている異常は、味覚障害、食道の圧迫感、食欲不振、耳鳴り、手のしびれ。辛い順。
今日朝、退院いたしました!
…それで、その足で別の病院に行って、精子採取と検査をしてきました。
その病院はめちゃくちゃ立派で、ロビーにグランドピアノとかあって、
病院というよりはむしろホテルっていう感じでした。
紹介状を主治医からもらっていたのでそれを渡して、受診。



…で、ここから先は書こうかどうかちょっと迷ったのだけど、まあ、書きます。
"そういう話"が出てくるので、女性の方とかはご注意、ということで。



精子"採取"っていうから、なんとなく、仰々しい感じのイメージがあったんですよね、最初。
採血で血管を刺すみたいに、専用の機械なり器具なり使ってやるイメージ。
だけどよくよく考えてみたらそんなわけもなく。
もっと原始的に、日常的に、いってみれば"出す"わけです。
専用の個室に案内されて、小さな容器を渡されて。
その個室には、"そういう"本やDVDまで用意されているわけです。
いろいろ配慮されてるけど、それはそれで、みたいな。
容器の中に出して、個室の外の窓口みたいなところに提出して。
それをもとに、とりあえず精子の個数や状態を検査。
良好であればそのまま凍結保存するし、
個数が不十分とかであれば退院期間中にもう何回か採取ということになる。
検査には1時間弱かかりますよと言われていたので、その間病院外をぶらぶら。

ちなみに、精子採取には5日~1週間の「禁欲期間」が必要ということです。
若い人とかだともっと短くてもいいみたいだけど、最低でも3日間くらいは必要。
自分の場合、もし今回の検査結果で精子数が少ないとなれば、
化学療法を最大1週間遅らせて精子採取を行いましょうという予定だったので、
多ければ今回のほかにあと2回、採取できますねという話でした。

それで、検査結果ですが、精液中、精子は


ゼロ


でした。


…予想できなかった結果ではないです。
結局、抗がん剤というのは増殖の盛んな細胞をたたく薬なので、
がん細胞のほかに髪の毛、上皮、そして生殖細胞なんかもダメージを負う。
そのダメージが強くて、一時的に精子生産が止まっているということなんでしょう。
(もちろん可能性としては自分がもともと不妊だったということもあるし、
抗がん剤のダメージが不可逆的に残ってしまうこともあり得るわけですけれど。)
十分ありうる結果だったし、想定内だったし、
こういう結果になったとしても、手がないわけではない(注)。

…けど、やっぱりショックだよね。
そういう数字を突き付けられると、男としてはやっぱり、さ。



もともとの予定は
「精子が十分取れなかったら複数回採取を行って、その分入院は延期しましょう」
だったのだけど、不十分も何もゼロなので、何回やっても意味ないし、
ということで、予定通り明後日月曜日に再入院ということになりました。
抗がん剤投与は水曜日から。

まあ、へこんでもしょうがないので、治療の方に集中しようと思います。


(注)
そもそも今回精子保存をしようと思ったのは、抗がん剤の影響回避というよりも、
リンパ節廓清術を行って射精障害になった時のことを想定して、という色合いが強いです。
で、もし逆行性射精になってしまったとしても、もとの精巣の方が元気を取り戻して、
精子をちゃんと作ってくれるようにさえなってくれれば、精子を回収する手はあります。
逆行性射精は精液が膀胱に逆流してしまうということなので、膀胱から精液を回収する方法。
または、精巣から直接精子を得る方法。
これらの方法は手間もお金もかかるので、今回保存できれば一番良かったわけですが、
今回できなくても方法はなくはない、ということです。
…精巣が元気になってくれれば、という前提ではありますけど―。