南域結界☆ ジェルソミーナ -43ページ目

6 二つの秘神

 夜の静寂を壊すまいとする、蚊の鳴くような細い声だ。
 ドアの隙間から、鴨居に隠れて顔の見えない、巨大な体が現れた。
 おそるおそるドアを開ける視界いっぱいの大男、ならぬ虎男ベトル教員は、使いが遅くなったその言い訳として、医術部の研究室から、腕いっぱいの食料や医薬品をもらってきていた。
 医術部は普段、刺激の少ない落ち着いた、静かな生活を好んでいるだけあって、深夜の、しかも眼を血走らせて飛び込んでくる大男には、かなり仰天させられたようである。
 ベトルは心配気に、まだ明かりのついているらしい室内をのぞきこんだ。
「お」
 彼がその時目にしたのは、つらそうに咳き込むプリッター教授の姿と、やんちゃ坊主テトラの姿であった。
「て……てめえー……」
 雄牛の目に、炎が宿ったように見えた。
「ちょっと来いっ!」
「なんだよ、虎男っ。俺はなんにもしてねえよっ」
「馬鹿野郎っ、おめえがいるだけで先生は病気になるんだっ。出てけ!」
「なんだとーっ」
 少年はもっと何かを言おうとしたが、太い腕がその口を塞ぎ、彼はあっという間に部屋の外へ連れ去られてしまった。
「ごほん……ごほん……っ」
 プリッター教授は苦しそうに咳をする。
 宿舎のどこかで、聞きなれた二人の怒鳴り合いが聞こえた。
「春が来る頃には……」
 私のことも、あの子のことも、全てが落ち着いていればいいのですが。彼は、血糊のついた手の平を見た。
 窓の外では、風が吹き荒れている。
「一人でいる子を放ってはおけない……。リュイ君という子は、いったいどういう子なんでしょうかね……」


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5 二つの秘神

 ぱかぱか、お菓子を口に運ぶと、いつものように明るい手拍子を、軽く楽しげに打ち鳴らした。
 リズムよく、流し場のポットが浮き上がる。
 銀色のスプーンが次々と、ティーカップの中に飛びこんだ。
「……テトラ君……申し訳ないですが……」
「えー、なにー? せんせー?」
 戸棚の中に首をつっこんだまま、テトラは答えた。
 どうもレモンがきれているらしい。
 粉ミルクが手前に残っていたが、ミルク嫌いの彼は目もくれずに、そのまま瓶を奥の奥へと追いやった。
 プリッターは枕に顔をうずめて、しばらくじっと目を閉じていたが、
「……それが、恥ずかしいんでしょう。女の子にしてみたら……」
「分かんないなあ」
「きっと、恥ずかしいものなんだと思いますよ」
「えー」
 テトラは奥から、干からびたジャガイモを取り出してきた。
「じゃあなんで、リュイのヤツはあいつに声をかけたの」
 ジャガイモからは無数の真白い足が生えていて、なんだか気持ちの悪い生物のようだ。
「なぜだと思いますか」
「やだなあ、なんか試験みたい」
「テトラ君。あなたにも……彼と同じ心が、少しはあるはずだと、私は思っているのですが……」
「なんだろ」
「あなただって、最近はレシングを意識に止めるようには、なってきたじゃないですか……」
「そりゃあ、先生が」
「多分ね、彼は、気になったんだと思うんですよ。やはりね……いつも一人でいる、女の子なんかがいますとね……放っておけないというか……」
「……せんせ。それ、虎男が言ったんでしょ……らしくないというか……、先生の考えじゃないでしょ」
「テトラ君……」
 少年は明らかに、不快そうな視線を向けた。
「せんせえっ」
「だとしてもね、テトラ君」
「せんせーっ」
 その時、ごくごく控え目に、表からドアがノックされた。
「え、ええー、ごめんなすってー」


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4 二つの秘神

 咽(むせ)んでいたプリッターの目が、急に険しくなった。
 毛布の袖から口を離して、
「本当ですか、それは」
「本当だよ、俺、見てたもん」
「本当にレシングが」
「本当だよ、俺、レシングだけは見間違わねえぜ。あんな目立ちやすい、暗い奴もいないもんなあ。先生に言われてから、俺も一応、あいつを気にはするようになったんだ。そしたら……」
 放課後、誰もいないはずの医務室の前を通りかかったとき、中から誰かのひそひそ声が聞こえてきた。
 テトラはおや、と思った。
 医務の先生は先日から産休で休暇をとっているし、その弟子達もとっくの昔に、山のふもとの酒場街へ、安酒を飲みに行っている頃のはずだ。
 医務室には貴重な薬も置いてあるから、普段は表から錠が下りていて、誰も入れないようになっている。
 となると錠はかかっているようだから、何者かが二階の窓からか、もしくは「有らぬ所から」侵入した可能性が高い。
(やだな。放課後の医務室って、不気味なんだよな)
 怖がらせるのは好きでも、その逆にはあまり慣れていない彼は、おそるおそる、扉の小窓から医務室の中を覗きこんでみた。
 十二歳ぐらいの男の子と、女の子が、互いに向き合って、板間の上に座っている。
 女の子はずっとうつむいたままで、男の子の方がしきりになにか、話しかけている様子だ。
 テトラはおもむろに、ふところからキツネ型の耳を取り出した。
「それで、何を話していたんですか」
 苦しそうに咳き込みながら、プリッターはテトラに聞いた。
「それがねー、なんにも聞こえなかったんだよね」
 クッキーを口にくわえて、テトラはさもつまらなそうにそっぽを向いた。
「でもね、先生。一つ分かったこと。女……レシングは話しかけられるのがすっごく迷惑みたいで、絶えず逃げだそうとしてたみたい」
「逃げ出す……? 仲良くしようとしているんじゃなかったのですか」
「リュイの方がね」
「はあ……」
 プリッターは水さしから一口、水を飲んで、ピンク色の錠剤を飲みこんだ。
「だからね、先生。つまり、リュイが嫌がるレシングを、無理やり、放課後の医務室に連れ込んだってこと」
「テトラ君……。その表現はちょっと、危険すぎやしませんか」
「構わないでしょ。まるっきり嘘じゃないはずだよ」
 テトラは、ぱんぱん、と景気よく両手を叩いた。
 そのリズムに反応して、ストーブの炎が勢いを増す。
 炎は陰気な病室の闇を、隅に追いやる。
 けれども、元気いっぱいの彼の魔法は、長引く病身にはこたえたようだ。一方で、頭痛に気を失いかける師匠がいたことを、このかわいい愛弟子は知らない。
「でもねー、俺が見てた限りでは、リュイの奴、レシングに拒まれっぱなし」
 テトラはクッキーをかじりながらも続ける。
「仲良くしてやりたいって、ヤツは努力してるみたいなんだけど、レシングがねえ」
「……それは……きっと、恥ずかしかったんじゃないんでしょうかね。……相手が……同じ年頃で、しかも男の子だし……」
「どうして。別に同じ年頃だったって、なんだっていいじゃないか。同じ歳だろ。仲良くしよう、って言ってきてるんだ。仲良くしてやりゃあ、いいじゃないの」


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