南域結界☆ ジェルソミーナ -27ページ目

4 もつれる糸

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 雨が上がり、青間の見える早朝の空は、なんとも気持ちの良いものである。
 真紅の花びらを開かせた、南国産の植木の葉に、昨夜の雨が溜まっている。
 肉厚で大きな葉だから水滴の溜まる量も多いのだろう、馬丁の息子がやって来て、「あっちだ、あっちだ」と言いながら、小間使いの少女と一緒に両手に水を溜めて遊んでいる。

 特にすることもないので、ジェルソミーナは手すりによりかかって、庭園の彼らを眺めていた。
 欠伸がひっきりなしに出てくる。
 故郷でのんびり、昼まで寝て過ごす生活を夢見ていたら、これだ。羽筒の知らせを使って、皇帝から「緊急事態」の信号が入った。
 確かに、可愛い愛娘のお願いは、「緊急事態」ものなのかもしれないが。

 並々ならない気配に気付いて、ジェルソミーナは、後ろを振り返った。
 昇り始めた太陽が、廊下を眩しく、照らしている。
 ジェルソミーナは思わず身を引いた。
 顔色のない、亡霊のような姿があった。
「……」
 見る事は滅多にない、儀礼用のいでたちで、マーカス・キーツ宰相が視界を遮っている。
 艶やかなマントは喉元から肘、足元までをゆったりと包み、廊下へと拡がり、丸みある肩当てから流れる織物は、腕を包み、手甲で一度途切れて、そこから金を織り込んだ手袋へと繋がっている。
 喉元に紋章の入った、留め金が陰鬱に輝いている。
 マントの中は見えないが、考えるまでもない。
 鎧を簡略化した軍装と、長帯、記章、そしてとびきり金がかかっているはずの軍刀諸々、である。
 全てが深みのある、青で統一されているのだ。

 ジェルソミーナが動けなくなったのは、主にその異様な、物々しさが原因であった。
 相手が憤りを通り越して、一触即発の状態にあるのは、一目見た瞬間から、分かりきっている。
(こんなことになるのは、これでもう、何回目だろう)
 しかし、彼女はもう、恐れてはいなかった。
 むしろ、呆れていた。
(この人とは絶対にうまくやっていけない……)
 あまりにも見慣れない新年のいでたちに、挨拶もためらった結界師であったが、ようやく一つ、丁重に礼をした。
 布の翻(ひるが)える気配がして、衣擦れの音が通り過ぎていく。
 意外であった。
 結界師は頭を垂れたまま、沈黙を守った。
 衣の音が遠ざかっていく――。

 と、廊下の先、庭園の渡り廊下から、華やかな笑い声が聞こえてくる。
 近付いてくるのは昨夜、自分を呼びつけた王女と、その世話係だ。
「まあ、結界師!」
 数時間前に別れたばかりだというのに、王女エオリオは「懐かしい」といわんばかりに手を振った。
 世話係のフィーネもまた同様で、笑みが頬からこぼれんばかりである。
 とてもこの二人、徹夜あがりとは思えない。

 恐れていた通りに、王女は迷わず、ジェルソミーナと宰相のもとへやって来た。
 そして目の前の、険悪な雰囲気を、物ともせずに、
「この者に殺されそうになっているのですってね、結界師」
 嬉しそうに、話しかけた。


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3 もつれる糸

 シトラビンスは、目尻を指で押し上げた。
 寝不足な上に、こんなに楽しみな事が続いてしまったら、ただでさえ下がっている目尻が、ほっぺたにくっついてしまう。
(私もそろそろお休みしましょ……)
 立ち上がろうとした瞬間、いつもの緩慢な動作からは信じられないほど、素早く、シトラビンスは柱の陰へ逃げ込んだ。
 一瞬遅れて、扉が開いた。

 青ざめた顔の宰相が、上着に腕を通し、飛び出してくる。
(……)
 准佐の見つめる目の前で、厳しい表情のまま、辺りに目を配り、宰相は、足早に歩き始める。

 思わず後を尾(つ)けていってしまうのは、諜報部員の悲しいところだろう。
 どんな早歩きも、シトラビンスほどの熟練の者になると、付いて行けないようなことは無くなるが、それにしても急いでいる。
(どちらへ行かれるのかしらん……)
 何度も何度も、暗く曲がりくねった階段を登り、廊下を曲がるうちに、シトラビンスも心配になってきた。
(まさか、まさか、この時刻に、こんな夜明け前に、皇帝陛下の寝所へ?)

 その、まさかであった。
 ためらいもなく、キーツ宰相は、番兵の前を通り過ぎて行く。
 その急襲に、番兵も彼を止めることができない。
 シトラビンスも軽く会釈をして通り過ぎた。
 雨音が遠ざかっていく。
 絨毯の厚みに溶け込んでいくようだ。
 そして目の前に、宝石を散りばめた、青い華麗な扉が現われた。

 突然の宰相の訪れに、皇帝の寝室を守る番兵が、びくりと背筋を伸ばす。宰相は歩く速度を緩めない。
 さすがにこれには番兵も慌てた。
「あ……っ」
 呼び止めようと手を伸ばした瞬間、宰相は、青の扉には進まず、右の通路へと抜けた。
 バルコニーへ続く、格子扉が開いている。
(姫様っ!)
 バルコニーを抜ければすぐに、王女の寝室の裏窓へは、近い。
 シトラビンスは、雨の降るバルコニーへ飛び出した。藤の編み物で包まれたテラスが、雨に濡れて光っていた。
 だがキーツは、格子戸の傍から動いてはいなかった。
 バルコニーの壁に並べて掛けられた、ランタンの明かりを目で追い、その一番奥に、闇の中に浮かぶようにしてある、光いっぱいの窓を見ていた。

「誰か」
 シトラビンスが首を引っ込めると同時に、先ほどの番兵が返事をかえした。
「はっ、閣下」
 おもむろに、不気味なほどゆっくりとした動作で、光溢れる「窓」を指さす。
 宰相は、王女の部屋に、灯かりが点いている訳を尋ねた。
「結界師様がお越しです。姫様がどうしても、編物を教えて頂きたいと……」

 長い沈黙が続いた。
 雨音が、この時ばかりは特に、耳についた。
 宰相は何も言わなかった。何も言わずに、建物の中へと戻った。
 シトラビンスはずぶ濡れの宰相の体を気遣ったが、結局、姿は現わせないでいた。
 宰相の部屋から、王女の部屋の灯かりが、見えたのであろう。
 長雨の続かないロードにしては珍しく、この日は明け方まで雨が降った。
 妙な夜であった。

 シトラビンスが最後に尾(つ)けた時、宰相の部屋の方角から、扉の、力まかせに閉まる音が聞こえた。


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2 もつれる糸

 雨が降っていた。
 樋を伝い落ちる水滴の音に、シトラビンスは耳をそばだてた。
 時刻は深夜の三時にもなろうとしているのに、廊下を曲がったあの部屋からは、まだマイエル灯の明かりが漏れている。
 雨の中を走ってこの本城へ帰ってきたために、靴の中が、冷たく湿っている。
 どうしようか、と迷ったが、シトラビンスは最初の予定通り、そのまま廊下を突き進むことに決めた。
 このままでは自分もまた、気になって眠れないだろう。
 靴音を忍ばせて近付く。
 激しさを増してきた雨音が、ちょうど彼女の足音を、消していってくれる。

 すでに「神」の寝所は、目と鼻の先だ。
 それが諜報部の仕事ではないことは知りながらも、准佐は、部屋を覗かずにはいられない。
 シトラビンスは薄く開いた扉の隙間から、中の様子を覗き見た。

 思わず、心臓が止まりそうだった。
 心臓が止まりそうだったのは、彼女が緊張しすぎていたためだけではない。
 部屋の主、宰相が、今まさに扉の正面に立っていて、彼女の目を、ぎらりと睨みつけたからである。
 けれども……幸いであった。
 宰相は他に気になることがあったのか、准佐の姿に気付かずに、視線をそらした。
 宰相がいつから、その場所でそうしているのか誰も知らない。

 彼は寝つけなかったのだ。
 軽く腕を組み、凝(じっ)と鏡を見つめている。
 と思うと、手を伸ばし、鏡をなぜてみる、叩いてみる。
 そして待っている。
 何も、おかしなところはない。
 彼が宰相になる遥か昔に取り付けられた、私室用の、王宮に置くとすれば最適な、巨大な古い姿見である。
 鏡は初めてこの新しい主に、自分の存在を気に留めてもらうこととなった。が、いきなり叩かれたり、木枠から外されそうになるというのは、実に不本意で、冷汗ものな心もちだったに違いあるまい。
 憎しみのこもった眼で鏡を睨み、宰相はテーブルの書籍を叩きつけた。

(どうなさったのかしらー。ジェルソミーナさんを、殺そうとなさっていたのでは、なかったのかしらー)
 いつもの発作が彼を襲っていることなど、普通の士官であるシトラビンスに分かるはずもなかった。
 彼は額を押さえている。
 呼吸が乱れ、脂汗さえ滲み始めている。
 心の奥底から、彼にだけ、声が聞こえるのだ。
(ジェルソミーナさんもジュンクリフさんも、マイエル砲の暴走から一命を取りとめてしまった……ジュンクリフさん、さすがですわねー。そうそう、ジュンクリフさんと言えば「お料理対決」……どうなったのかしらー。エナさんったら……)

 シトラビンスは密かに、大きな欠伸をした。
(おいしいお料理ができるといいですわねー)

 エナがシェアに料理対決を挑んだのだ。というよりも、ジュンクリフがシェアの勝利を確信して、エナにわざと挑ませたと言ってよい。
 この対決で勝利した一方と、「俺はつきあう」と言うのだから、
(ほほほほ。結果が気になりますわあ)

 笑みがこぼれて仕方がない。
 扉の向こうでは、彼女も慕うキーツ宰相が、気が狂いそうに、悩み苦しんでいるというのに――
 諜報部員として有能な彼女でさえも、彼の苦しみには、全く気付かないのだ。



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※ただいまですー(´▽`)ノ ドイツで、ハンバーグばっかり食べてましたー♪
 あと、小説の連載、1日1回にしましたーw ゆるゆるペースでお楽しみ下さい^^ /ころら


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