南域結界☆ ジェルソミーナ -29ページ目

9 鏡の微笑

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 マチルダ・サザーランドは、その日は特にご機嫌で、何もない所から水晶球を、手品のように取り出して見せた。
「ほらっ」
 なにしろ今日は、宰相マーカス・キーツが、自分と一緒に「遊んでくれる」というのだ。
 マチルダはこの宰相を、ジェルソミーナの「お友達」と固く信じているから、相手の気持ちなどそっちのけで、「マチルダもキーツ君のお友達だ」と思っている。
(いいなあ、ジェルちゃん。キーツ君と仲良しなんだあ)
 キーツの「眼の力」に魅了されて、マチルダもぼおっとなっている。
 昨年の暮れ、喫茶店の地下倉庫で、ヌイグルミのリップルと一緒に「坤仍星(こんじょうせい。キーツのこと)」が一人ぼっちなんだ」と嘆いたことなど、もうすっかり忘れてしまっている。

 一方、もちろん遊ぶ気も、仲良しであろうはずも全くない宰相は、苛々と、マイペースな少女の背後を歩き回っている。
「まだか」
「出たよっ、キーツ君っ」
「何も映っていないではないか」
「映ってるよお。雪なんだあ。サンテルフェは今、雪が降ってるんだよお。吹雪だから真っ白なんだ」
 遠慮を知らない物言いに、彼は眉をひそめたが、
「それで」
「んー。ジェルちゃん、新年なのにお仕事なのかなあー」
「早くしろ!」
 その声に水晶球は身の危険を感じ取ったのか、マチルダが予想していた以上に、素早くジェルソミーナの居所を映し出した。

「生きてはいるんだな」
 マチルダは嬉しそうに宰相を見上げた。
 少女は、宰相が広場であんなふうに叫んでくれたのも、結界師を悪漢から守るためだったと、信じて疑わない。
 確かに宰相の一喝は、悪漢達の手を止めた。
 宰相を神と信じる狂信者に、キーツの声が届かないはずはない。
 狂信者達は声を、深く心に刻み込んだ。
 狂信者……帝都ロードの全ての国民が、その言葉を胸に刻んだのだ。
「結界師を殺してはならない。あいつは宰相閣下の手によって、排除されるべきものなのだから」

 ジェルソミーナの後ろ姿が、暗い地下道の隅に映った。
 その後ろで、まだ幼い王子が泣いている。
 よく見ると扉にしがみついている、もじゃもじゃ髭の大王も、目を真っ赤にして泣き叫んでいるようだ。
 結界師はそんな大王のマントを掴んで、扉から引き離そうと躍起になっている。
 年越しの祭で、宰相の狂信者に襲われた彼女は、命からがら広場を逃げ出した後、シェアに、魔力を全て注ぎ込んだ「箱」と、「魔力増幅装置」を返してもらって、マチルダや帝都の誰にも挨拶せずに故郷へ帰ってしまっていた。
 おそらくはケチのついた町で、新しい年を迎えたくはなかったのだろう。シェアから借りた汽車の出発時刻表には、予定より三時間も早い時刻に、赤いペンで印が付けられてあった。

「サンテルフェのお城だよ。女王様に植物が寄生しちゃったんだ。それでジェルちゃんが隔離したんだけどね……王様が、何度言っても開けちゃうんだ、扉を」
 扉の隙間から噴き出した花粉を見て、結界師が防御膜を張った。
「奴はいつ帰って来る?」
「分かんなあい」
「帰って来させるな」
 ん?、とマチルダは見上げた。
「聞こえなかったのか、奴にパストラルへ戻って来させるな」
「んー。キーツ君、ジェルちゃんを殺すんじゃなかったのーっ?」
「うるさい!」
 水晶球が床に叩きつけられた。
 マチルダはどうする事もできずに、飛び散った破片を見渡している。
「わたしに向かって、余計な事を口にするな!」
 マチルダは両手で口を押さえた。


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8 鏡の微笑

 テラスの上からならよく分かる。彼女の茶色い髪が波打った。
 逃げ道は完全に塞がれている。
 行列の中で揉み合いながら、彼らは教会の袋小路へと追い込まれていく。

 声を上げようとするジェルソミーナの口に、男達は詰め物をしようと試みたらしいが、それは必死の抵抗にあって果たせなかったようだ。
「静かにしねえか、このあま!」
「てめえは生かしちゃおけねえんだ、帝国のためにもよ!」
 太鼓やパレードの騒ぎはけたたましく、新年の捧げ物をかう買い物客でごった返して、少しぐらいの喧嘩や騒ぎなど、目立ちもしなければ珍しい事でも何でもない。
 ほんの近くに、治安部隊の隊員がいたが、彼らには気付かずに露店の警備へと行ってしまった。
「ロープをよこせ、こいつの両手足をふん縛るんだ!」

 男達のマントが舞う。
 麻のロープが踊る。
 四方から飛びかかる男達の体の下に、彼女の体が消えていく。

 ジェルソミーナの叫びが聞こえた。
 道化師の笑い声が、それをかき消す。
 祭の騒ぎとあの騒ぎは、全くの別物であるはずなのに。
 誰も気付かない。
 茶色い集団の、海の中に、ついに彼女の姿が消えた。
 白い金属の光が、集団の中で、ちかりと光る。
「やめろ!」
 シンバルの音が広場を劈(つんざ)いた。

「そいつに手を出すな、結界師はわたしが殺す!」
 テラスからの宰相の叫びに、広場は途端、沈黙した。


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7 鏡の微笑

 その時、猫が真っ先に異変に気付いた。人間が気付く時には、猫はすでに舞台を飛び降りている。
 顔を隠した男達が、観客達をかき分けて、舞台の上になだれ上がってきたのである。
「きゃあああっ!」
 マントの下に隠し持っていたナイフに気が付いて、婦人達は一斉に左右に飛びのいた。

 ジェルソミーナも逃げようとするが、奥まった所にいる彼女は、木箱や逃げまどう主婦達に阻まれて、思うように動くことができない。
 男の一人が彼女の肩をつかんだ。
 が、思いきり足を踏みつけられて悲鳴を上げる。その隙にジェルソミーナは舞台を飛び降りた。
 リーダー格らしい男の合図で、男達は群集の中に飛び出した。
 先回りをしていた男が彼女に手を伸ばす。だが、割り込んできた牛の頭に邪魔されて届かない。
 一方、ジェルソミーナも屋台の間に逃げ込みながら、生ゴミやガラクタに足を取られて逃げにくそうだ。

 キーツ宰相はその様子を、テラスを移動しながら初めから見ていた。
 男達は結界師を、広場の中から教会の門前へ、追い込もうとしているようだ。
(なにをしている!)
 あまりにも結界師らしかぬ追い込まれ方に、キーツは吐き捨てた。
(なぜ逃げない!)
 彼は自分の矛盾した台詞に、気付いていない。

 ジェルソミーナは思わず転倒した。
「いてててっ」
 足首に、都市旗を吊り下げるロープが絡みついている。焦って、それをはずす。
「どこへ行った」
「こっちだ!」
 ジェルソミーナはまた駆け出した。ギターはまだ弾きこなせたが、右肩のケガが治っていない。
 魔法を使うために力を入れると、骨が砕けそうに痛むのだ。
「あっちに追い込め!」
「急げ!」
 男達の足音が間近で響く。
 ジェルソミーナはテントの柱から広場の様子を覗き見て、一瞬の隙にパレードの、花で飾った大きな車の影に隠れた。

「お姉ちゃんなあに?」
 花冠の少女が、車の上から彼女を覗き込んだ。
「隠れんぼ?」
 ジェルソミーナはあいまいな表情で、微笑み返す。
「なにをしているの。みんなに手を振ってあげて」
 母親らしき声が、少女を引き離す。
「あのねー。ママ」
「お利口にしてなさい。みんな見てるわよ」
「あのね、あのね」
「じっとしていなさい。お利口にできない子、ママきらいよ」
「いたぞ!」
 広場の出口で待ち構えていた男が、仲間に叫んだ。
「おい、そこだ!」
 男達は一斉に飛び出した。
 彼女は鼓笛隊の合間を縫って、仮装行列の中に紛れ込む。
 けれど、男の手が伸びて、ジェルソミーナの腕をつかみ取った。
「離して!」


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