南域結界☆ ジェルソミーナ -30ページ目

6 鏡の微笑

 好きになれないのは祭も、パレードも同じだ。理由など何もない、ただどうしても好きになれないのである。
 ギターとタンバリンが、彼女の歌声を後押しする。
 『囁く言葉はどこかで見かけた切り抜き
  身を捨てた愛の告白も
  あなたにはほんの 睦み言(むつみごと)の続き』
 女達は木箱を積み上げた、舞台の上で踊る。
 『シルクのシーツで見せる あどけない寝息が
  頑固者のあなたには別人
  本当は別れたいんだと言ってくれたら
  余程 楽になれるのにと思う
  もう愛していないと言ってくれたら
  私はあなたを 待たなくて済む』

 けれど彼の足は、階段を進ませた。もっと広場に近い所へ、もっとよく見える場所へ。
 我慢のならない笑い声、歌声に、足が速まるのは怒りのせいだったのだろうか。不愉快にさせる犯人を見つけてやろうと、無意識に足が走り出したのだろうか。
 風船売りや屋台のひしめく広場で、観客が集まる一角があった。

 木箱を集めただけの粗末な舞台の上で、商店の婦人達が腕を組んで踊っている。
 中央奥に座った女はギターをかき鳴らし、この楽しい年越の祭にご満悦の様子だ。
 『眠りが深く 安らぐごとに
  私の行き着く波止場がない』
 キーツはようやく、歌い手を遥か下界に見下ろす、テラスの最端に辿り着いた。
 女は観客と主婦達に向かって、歌い続ける。包帯だらけの腕も、彼女には全く苦にならないようだ。
 『本当の思いはあなただけにしか分からない
  愛していないと言って捨ててよ
  そうでないのなら最後に……』
 もちろん、キーツにはその女が誰なのか、遠目でも分かった。
「結界師……」
 『最後に……』
 女のソプラノの声が響き渡る。広場の端から端まで。
「生きて……いたのか……」
 セロを引き寄せて、男達は弦を弾く。
 主婦達が踊りやすいようにと、曲も軽く長めに変えた。軽業師が階段の上で、軽妙な演技を見せる。こんなに騒いで、明日の新年の祭は大丈夫なのだろうか。

 ジェルソミーナは間奏に軽口を入れて、足先でリズムをとる。明日は彼女も仕事は何もしない事にして、故郷のシプリペディルム公国へ帰るつもりだ。シプリペディルムは貧しくて、しかも今頃、大雪に埋もれているだろうから、こんな帝都ロードのような年末は期待できない。おそらく母さんも父さんも町の人も、それから魔法学院の人達も、質素で慎み深い年越を迎えようとしているに相違ない。
 斑猫が舞台へ上がってくる。ジェルソミーナは手を止めて、ポケットの中からクッキーの小片を取り出した。
「食べるー? ほらっ」
 猫はびっくりして舞台を降りかけ、また恐る恐るクッキーに近付いてきた。
 男達が、ジェルソミーナに目で笑いかける。猫は食べ物なのか調べてみるために、鼻先で匂いを確かめているようだ。
 ジェルソミーナも小さく笑って、続きを歌うために息を吸い込んだ。


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5 鏡の微笑

 そして正面には、キーツの姿。
 血走った目で、帰る家のない小犬のような、不安な表情の宰相の姿。
 そして彼のすぐ後ろで、銀色の豪華なスカートの裾を引き、こちらを振り返る貴婦人の姿。
 貴婦人は、穏やかに彼へ微笑みかけた。
「あ……」
 彼のとまどいに答えるように、肩越しに、優しく笑ってみせる。
 キーツは後ろを振り返ってみた。部屋の中には、あの窓際のマチルダとレイリ、二人の少女しかいない。
 けれど、目の前には確かに、鏡の中には確かに、彼の肩が触れそうなほどの距離に……。

 女は何も言わずに、ただ愛しそうに彼を見つめている。
 そうしているだけで幸せなのか、気品と慈愛に満ちた目は、決して彼から外れることはない。
「……嘘だ……」
 貴婦人は鏡の中で一つ、語りかけるようなまばたきをして、
「……」
 外のベランダの方角を指差した。
 キーツは泣き腫らした目で問いかける。
 女は優しく彼に笑って見せ、もう一度、ベランダを指差した。
「キーツくぅん?」
 おぼつかなく立ち上がった彼を、マチルダが不思議そうに見ている。キーツは吸い寄せられるようにベランダへ出、手すりに掴まりながら、指差された方角へ歩き始めた。

 太鼓の音がかすかに聞こえる。
 ラッパだろうか、人々の歓声も近い。
 彼はよろめきながら、細いベランダを伝う。
 階段を行き、跳ね梯子を渡る。塔に出る。下界を見晴らす、見張り台の上。吸い寄せられるように、彼はそこに辿り着く。
 『もう会わないと言ってくれる方が
  余程 楽になれるのにと思う
  つまらない女だと言って捨ててよ
  好きな人ができたと言って捨ててよ
  本当の思いはあなただけにしか分からない』
 耳障りな歌が聞こえている。キーツは眉間にしわを寄せて、この騒ぎを眺めまわした。
 なんの騒ぎだろう。
 この見張り台からは、町全体が一望できる。大通りではパレードが始まっている。民家の屋根屋根には、赤や黄色の看板が飾り文字で、大きく掲げられている。
「さようなら6041年。皇帝陛下、万歳!」

 もうそんな時期になったのか。
 彼は我に返った。私室に閉じこもっていたので分からなかったが、そういえば、年が明けてもおかしくない頃だ。
 明日、花火が上がる予定の岩山の中腹から、早すぎる祝砲が一発上がった。
 『余計なおしゃべりならいくらでも与えてくれる
  ひだまりの中のスズメのように
  優しい手招きなら夜の底に忍んで
  ムクドリのように与えてくれる
  でも肝心な言葉は 見あたらない』
 道化師の放つ甲高い笑い声に紛れて、やはり歌声が聞こえてくる。

 苛つく歌声だ。彼は耳を塞いだ。元々、彼はこういう遊びは好きではない。皇帝とのつきあいで、無理矢理、声楽隊やらオーケストラの演奏会に引っ張り出されることもある宰相だが、例外なく、第一幕の頭で退出しているほどである。
(いやな季節になった)


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4 鏡の微笑

 二人の少女は顔を見合わせて、全く宰相が自分達に気付いてくれないね、と困ったように首をかしげた。
 マチルダが先に、ぴょこんと絨毯の上に降り立った。それを真似るようにして、もう一人の少女も、おずおずと絨毯に足を伸ばしてみる。
 天井にまで届くほどの大きな鏡に、二人の姿が映し込まれた。
 その影に彼はようやく気付き、顔を上げた。
「なんだ!」
 三つ編の少女は本棚に手を伸ばそうとしている、もう一人の少女はキャンディを舐めて、ぶ厚い眼鏡で興味津々に辺りを眺めまわしている。
「キーツ君、遊びに来たのーっ」
「帰れ!」
「んーっ」
 開口一番、怒鳴られて、マチルダは放心したように、
「帰ろう、レイリちゃん」
「うんっ」
 今、降りてきたばかりの、窓によじ登ろうとした。
(木偶が)

 ――なぜ、こんな奴らばかりなのだろう――。
 彼の体はもう動かない。
 床の上から、動き出す力さえなくしてしまっている。
(なぜ、こんなつまらない……)
 あの時、聞こえた幻聴が、再び耳をくすぐりだす。
『木偶を作り出した張本人は、あなた自身なのよ?』
 幻聴は、あの女の声で囁いていた。
『あなたさえ出て来なければ、他の人達は意味ある物として生きることができたのに』
(……そうなのだろう……きっと)
 彼は容易くうなずいた。もう、言い訳も思いつかない。
(わたしさえ出て来なければ、きっと世界は、もっと明るいものになっていたのに違いない)
 何の音も聞こえない。
 体中から力が抜けていく。深い闇……そう、あの縦穴で見ていた、深い闇……。
(なぜなんだろう。あの木偶は、なぜわたしを否定したのだろう)
 彼はふと、その疑問につきあたった。
(なぜ。なんのために?)
 口論をした。剣を撃ち込み、手傷を負わせた。魔法をはね返し、結界を破り……それでも……。
(それでもあいつは何と言った?)
 木偶の視線を思い出す。何度も悪夢のように思い出した視線だ。
 今でも思い出せる。
 あれは何物も突き破ろうとする、勢いのある視線。
(あいつは……一体……)
「……なぜ……」
 涙が、止まらない。
(なぜ……?)

 今は心の底から、あの木偶がなぜ彼に逆らっていたのかを、知りたいと思った。
 キーツが目を覚ましたのは、次の瞬間であった。
「!」
 いや、目は最初から閉じていなかったかもしれない。気付いたのだ、その光、その動きに。
「動くな!」
 彼はいつもの宰相に戻った。言われた通りに帰ろうと、大人しくホウキにまたがった少女達は驚いて、危うく窓辺で踏み留まった。
「っ……」
 キーツはゆっくりと、窓に対面した、その大きな鏡を振り返った。
 鏡の中の一番奥、窓際には、ホウキにまたがったままのマチルダが映っている。


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