こうして振り返ってみると、

娘がアイドルの推し活に

どんどんのめり込んでいくきっかけを作ったのは、

やはり親…

すなわち私だったのではないか、

と思うことがあります。

 

学校にまったく居場所がなかったわけではありません。
ただ、当時はコロナ禍でもあり、

思い描いていたような高校生活ではなかったのだと思います。

 

その寂しさを埋めてくれたのが、

キラキラしたアイドルたちの存在でした。
歌やダンス、ドラマや映画。
娘にとっては、楽しい時間だったのだと思います。

 

「推しは推せる時に推せ」

 

そんな言葉があるように、

今はどのジャンルでも、どの年代でも、

夢中になれるものがある時代です。

 

だからこそ、

私は推し活そのものを悪いものだと思ったことはありません。
推しがいることで活力が湧いたり、

勇気をもらえたりすることもあります。
気持ちの面でプラスになることが多いことは、

私自身も理解しています。

 

ただ、問題はその「方法」だったのだと思います。

 

高校生のうちは、身の丈に合った応援の仕方をする。
それが本来の推し活ではないかと、私は思っていました。

 

けれど、この考え方自体が、

今の時代には合わないのかもしれません。

 

そして、ここでも私の反省点があります。

 

推し活について、

私はつい頭ごなしに文句を言ってしまっていました。

 

「そんなにグッズを買ってどうするの?」
「そんなにたくさんいらないよね?」

 

そんなふうに、否定から入ってしまっていたのです。

 

これでは、娘が良い気持ちになるはずがありません。

 

もし、もう少し言葉を選んで、やわらかく会話をしていたら…

 

大学生になってから、

ここまで羽目を外した推し活や、

メン地下にまでのめり込むことはなかったのではないか。

 

そんな後悔を、今でも感じています。

 

過去に戻ることができないのが、やはり一番つらいですね。

ただ反省するだけではなく、

声に出したり、文字にして目にしたりしないと、
どこかでその想いは伝わらないのではないか。
そんな気がしています。

 

今振り返ると、高校生になった娘に対して、
私は少し期待をかけ過ぎていたのかもしれません。

 

大学進学を見据えて選んだ高校。
もちろん最終的に選んだのは娘ですが、

そのレールを引いたのは旦那さんでした。
旦那さんは、

最初から大学進学を視野に入れていたからです。

 

一方で、私の考えは少し違っていました。

 

今思えば、少し甘い考えだったのかもしれませんが、
「女の子なのだから、何か手に職をつけた方がいいのではないか」
「専門学校で専門的な知識や技術を学ぶ道もあるのではないか」

 

そんな、少し昭和的な考え方を私は持っていました。

 

そもそも夫婦の足並みが揃っていなかったこと。
これも、今振り返れば大きな反省点の一つだと思います。

 

娘の気持ちをもっとしっかり確認して、
大学進学なのか、専門学校なのか、
それとも別の道なのか。

 

もっと時間をかけて話し合うべきだったのではないかと、

今になって思います。

 

当時の娘は反抗期でもあり、

正直なところ「扱いにくい」と感じていた部分もありました。
そのため、できるだけ揉めないように、

言葉を選びながら会話をしていたように思います。

 

その結果、娘から相談されることもあまりなくなり、
自分の好きなことにだけ、

どんどん没頭していったのではないかと感じています。

 

そして今振り返ると、こんなことも思うのです。

 

大学進学をすれば、推しがいる地域に行ける。
娘は、自分の将来のためというより、
推しがいる場所に住むために勉強していたのではないか。

 

そう考えると、
娘を「反抗期で扱いにくい存在」と決めつけてしまった私の対応も、
一つの原因だったのかもしれません。

 

もちろん、動機がどうであれ、
あれだけ成績が下がっていた娘が大学に合格したことは、
娘なりによく頑張った結果だったとも思っています。

過去を変えることはできません。

 

ですが、過去を振り返り反省することで、

同じことを繰り返さないようにすることは

できるのではないかと思っています。

 

私がまず思い当たるのは、娘の幼少期の育て方です。
一つの出来事というより、日々の小さな選択の積み重ねでした。

 

その中で、今振り返ると

「最初の選択ミスだったのかもしれない」と思うことがあります。

 

少しわかりやすく例えると、こんな感じです。

 

たとえば、可愛い折り紙が5種類あったとします。
その中から「一つだけ選んでいいよ」と娘に言うと、

娘は嬉しそうに一つ選びます。

 

ここまでは普通のことです。

 

ですがそのあとで、

私は「おまけでもう一つあげるね」と言って、

もう一つ渡してしまうのです。

 

こうして娘は、

結果的に2種類の折り紙を手に入れることになります。

 

もちろん、何でもかんでも与えていたわけではありません。
たくさん物を買い与えていたつもりもありませんでした。

 

ただ、一人っ子の一人娘。
娘が喜ぶ顔を見るのが嬉しくて、

知らないうちに私は「もう一つ」を与えることを繰り返していたのだと思います。

 

その小さな積み重ねが、結果として、

中学生の頃から始まった物欲や収集癖につながってしまったのではないか。

 

今になって、そう感じています。

 

当時は、なぜあんなにも物に執着するのか理解できませんでした。

 

でも今振り返ると、
「たくさん集めることは楽しいことなんだ」と、

私自身が無意識のうちに教えてしまっていたのかもしれません。

 

そう思うと、これは私のミスだったのだと感じています。

自分のために、そして家族のために。

 

過去から現在までの出来事を書いてきました。

 

ですが、これがすべてではありません。

 

文章にしにくい部分は書いていませんし、
心の中だけで受け止めている出来事もあります。

 

書き方や伝え方を一つ間違えれば、

大きな問題になってしまうこともあります。

 

それに、我が家の場合は少し事情が複雑です。


読み方や受け取り方によっては、

まったく違う意味に捉えられてしまうかもしれません。

 

また、当時の私の本音や心の葛藤と、
今の私の本音や心の葛藤には、

どうしても温度差があります。

 

だからこそ、ここからは――

 

過去の出来事から目を背けず、
当時の自分の気持ちと、

今の自分の気持ちを冷静に見つめ直してみようと思います。

 

 

どこが悪かったのか。
どこで歯車が狂ってしまったのか。

 

少しずつ、紐解いていこうと思います。

結局、いろいろなことが明らかになり、

娘は本人の希望で、

大学三年生の後期から再び休学することになりました。

 

この休学に、いったいどんな意味があるのか。

 

私にはまったく理解できませんでした。

 

娘の姿を最後に見てから、
すでに一年以上が経っていました。

 

そろそろ、いろいろなことが落ち着いてほしい。
心からそう願っていた、ある日のことです。

 

入院していた義父――
娘にとっての祖父、

そして旦那さんのお父さんが他界しました。

 

娘に連絡を取りたい。

でも相変わらず、私たちは連絡が取れません。

 

代わりに義母と旦那さんのお兄さんが連絡をしてくれました。

 

ですが、娘の返事は――

「親に会いたくないので、お通夜も告別式も行きません」

でした。

 

……は?

 

この人、本当に人間なの?

 

思わず、そう思ってしまいました。

 

でも、孫が来ないお通夜や告別式って、
世間一般ではどうなんだろう。

ありなのか。
なしなのか。

たった一人の孫なのに。

 

しかも義父は、

亡くなる前に娘あてに手紙を一通書いていました。

その手紙が娘のもとへ届いた日が、
義父が亡くなった日だったのです。

 

それでも、来ないの?

 

そう思わずにはいられませんでした。

 

このままではいけないと、
旦那さんがなんとか娘と連絡を取りました。

 

ですが返ってきたのは、罵声の嵐。

 

お通夜や告別式の準備、親族との打ち合わせ。


自分の父親を亡くしたばかりの人に向かって、

娘は容赦なく言葉をぶつけてきました。

 

このままでは旦那さんが倒れてしまう。

 

そう思い、私が電話を代わると――

火に油を注いだかのように、

さらに激しい罵声でした。

 

私は一睡もできないまま、

お通夜に参列することになりました。

 

もう、どうにでもなれという気持ちと。

それでも、ここで崩れてはいけない。
最後まできちんと義父を見送らなければ。

 

そんな複雑な思いのまま、

時間が過ぎていきました。

 

そして告別式当日。

あれだけ強い言葉をぶつけていた娘が、
何事もなかったかのように会場に現れました。

 

親戚の手前、私たちも普通に接しましたが、

「はらわたが煮えくり返る」

とは、こういう気持ちを言うのだと実感しました。

 

結局、娘は火葬場にも一緒に来て、
最後はきちんと義父を見送ることができました。

 

そのこと自体は良かったと、心から思います。

 

でも、私の心の中はぐちゃぐちゃでした。

義父は生前、旦那さんにこう言っていたそうです。

「たった一人の孫だから、やっぱり大学は卒業してほしいな」

 

その言葉もあり、
義父の葬儀をきっかけに、

再び家族で話し合いをしました。

 

そして再び、

四月から大学へ復学する方向で話が進み始めました。

 

ですが――

さすがに、何の条件もなく
「はい、復学しましょう」とは言えません。

 

いくつか条件を出し、
娘もそれに納得したうえで、

復学に向けて動き出しました。

 

ところが。

 

その矢先に、また連絡が取れなくなりました。

 

もう、何が何だか分かりません。

 

このままだと娘は四月から再び復学します。

 

学年としては大学四年生。
でも実際には、

また二年生からやり直すことになります。

 

いったい、私たちはいつまで振り回されるのでしょうか。

 

そして、この状況に正解はあるのでしょうか。

 

そんな自問自答の日々を送っています。

 

これが、簡単ではありますが、
娘との激動の約四年間です。

 

でも――

人生は、これで終わりではありません。

 

ここからどう気持ちを立て直していくのか。

それが、今の私の課題です。