食品販売会社がコンピュータを私が勤務していた会社のデータセンターで管理を始めると、通常の販売とは違って長いお付き合いになるのが前提なので、お客様とのソフトボールとバーベキューの懇親会だけでなく、色々な行事があって参加しました。
この食品販売会社では冷凍倉庫があって「マイナス50度の場所に入ってもらいましょう」というので東京近郊にある倉庫を訪問しました。
ここは食品の倉庫だけでなく、冷食も製造していたので、食材がどんどんとベルトコンベアを流れて完成するまでの工程を見学して感激しました。その理由は、毎日自分で調理する食材が実に巧妙に自動的に加工されるということでした。
又、或場所では大勢のパートらしいおばさん連中が肉を切っている場所もあってパック詰めををしていました。スーパーに並んでいる肉はここで加工しているのかと始めて理解もしました。最後は冷凍倉庫に入って零下50度を体験して寒さの恐怖を味わい見学会は終了しました。

前にも書いたように、この会社では何かにつけて酒を飲みたいという風習があって、毎年営業マンの私を除いて、データセンターの8時間交代のオペレータを慰労したいというので新年会を開催してくれていました。今ではどうなったのか不明ですが、お客様が現場の人達に気を遣ってくれたのはありがたく感じていました。
そのうちに、いつの間にか都市対抗野球も一緒に行きましょうというような事とか、私の後任になった営業マンがボクシングのセコンドをしているというので、ボクシング試合の見学をとか、これも現場の人達中心となって交流が行われて、人的な関係は非常に強くなるのを感じていた時でした。

しかしながら、そういう関係が商談では全く評価されずに、何時も厳しい条件でしか注文がもらえないのは、取引が始まって以来、担当者が変わっても何も変わることはありませんでした。
その後にホストコンピュータを、オープン系システムに全面に切り替えという一大プロジェクトがありましたが、私の勤務する会社ではとうてい対応は出来なかったので、システム開発完了後の運用のみを何とか担当させてもらうという案件もありました。
色々なチャンスがあっても、私が勤務していた会社の実力以上の案件が多くて対応が出来なかったという事でした。そういう事を経験すると、この会社は私の勤務していた会社にとっては不相応な会社だったのだろうという感想を随分と後に持ったのでした。
食品販売会社ではホストコンピュータに色々なソフトウエアを導入していました。その中でも、毎月稼働状況を報告する、物流で使っているパッケージソフトがありました。最初は毎月何気なくそのソフト名と稼働状況を、月に1回の報告会でデータセンターの管理者から何気なく聞いているだけでした。

時間のあるときに自分のデスクのパソコンで、そのソフト名が気になって検索をしてみました。会社名が出たので、その会社のホームページを見て驚きました。その会社の社長は以前私が担当していた会社にいた情報システム部員だったからでした。その社長の会社は化学会社の子会社でパッケージソフトウエアを開発販売をしているようでした。
あまりの事に驚きましたが、懐かしさと驚きを持って社長に電話すると相手も直ぐに私だと分かってくれたようでした。この社長が勤務していたのは、このブログでも以前に紹介したことのある川崎にあった会社でした。
現場は24時間運転ということもあって、社員は地方の高校を卒業した若い人が多く働いていました。そういう現場で少ない男女交際の機会として、社内で仮装ダンスパーティを開催していたので、粋な会社だという思い出があります。他人の会社はよく見えるという例かなとも思ったりしたこともありました。
この会社ではコンピュータの入れ替えで正月に作業をしましたが、その時に作業を手伝ったりケーキを持参したりとかした記憶があって、若い頃個人的には入れ込んだ顧客でした。
しかし、この社長には一つだけ負い目があって、その男がダンスパーティで知り合った女性との結婚の時に安く冷蔵庫を手配してあげたつもりだったのが、本人はプレゼントしてくれるものと思っていて、双方の思いに違いがあったということでした。当時の私の会社の状況からすると、その男に冷蔵庫をプレゼントできる程の財力や上司はアドバイスする程の知力が無かったという裏事情もありました。

直ぐにその社長を訪問してお互いの状況を話しあいました。社長は私よりは10歳くらいは若かったので一層立場の差に意識がいきました。社長は「情報システム部はコストセンターでね、こういう事業で稼ごうと始めました」という解説を聞くと、何かのきっかけで開発したソフトウエアを売り出したということでした。私の担当する食品販売会社にもこの社長が直々に売り込んで注文をもらったということでした。私の方は、転職したとか訳の分からんデータセンターの営業をしているとかの話を聞いてもらうだけでした。
後日、食品販売会社でこの社長が訪問したときにばったり出会って、お客様にこの社長とのなれそめを解説することにもなったのでした。
10年位後には、この会社も時流には抗することが出来なかったのか、そのうちに消えてなくなったようでした。この社長とも再び出会うことはないだろうと思いました。

業界は狭いのか、世間は狭いのか、全くもって人の世のつながりは目に見えない糸でつながっているのかと感じた時でした。この後でも、この食品販売会社を舞台とする、過去のつながりのある人が現れるのですが、ものすごい数の無関係な人ばかりがたむろする都会で、なんでこういう出会いがあるのか非常に不思議にも思いました。
食品販売会社のコンピュータをデータセンターに設置してから暫くすると、飲料販売会社同様に懇親のソフトボール大会を企画して好評でした。
この会社では肉を自社の出荷できない商品から調達してくれたので、沢山の肉を食べたという記憶が強烈に残っています。日本酒やビールなどの酒類やバーベキュー用の焼きそばセットは私の勤務する会社で準備して、一番の呼び物の肉はこの食品販売会社から提供された牛肉を食べきれないほどに食べました。
何回かソフトボール大会を開催するうちに、家族で参加する人たちも出てきて賑わいました。
私はカメラでそういう家族の写真も撮影して大きく引き延ばして差し上げたました、随分経った時に「ああいう写真はなかなか撮影出来ないので、今でも大切にしています」という言葉を聞くと喜びもひとしおの気分になれるのでした。
又、家族連れで参加している人の中には、子供と一緒にソフトボールをするだけでなく「一食助かりますから」と何だか切なくなるような発言をする人もいました。
食品販売会社の情報システム部員はこういう行事が好きらしく「休日には会社の近くの老人会のゲートボール大会にも参加しています」と言うのを聞いたことがあります。
会社には徒歩会というただ歩くだけの会もあって、役員が会長だけに大勢が参加していますという話もきくと、体育会系の行事が好きな会社かなとも思えるのでした。情報システム部にも某大学の相撲部出身という体のでかい人がいたのも思い出します。

ある秋の終わり頃、ソフトボールが終わって藤棚のある場所でバーベキューをしていた時でした。
食品販売会社の情報システム部員で、かなり太めの体格の良い人が座る場所がなくて、藤棚の陰から少し体が出て、汗がしみ出た背中に晩秋の午後の太陽がさんさんと降り注いでいるのを私が見て「暑くはありませんか」と言うと「かちかち山ですよ」と言いながらも場所を変わろうともしないで、ビールを飲んでいたのが忘れられません。
普通なら、もっと日陰に移動して涼しくなろうと考えるのですが、その人は暑いのも我慢していたので、性格もそういう人なのかなと思えた時でした。この人は非常に好人物で誰にでも好かれるような人で、嫌味なことは言わないで相手を思いやってくれるような人でしたので仕事をしていても楽しく会話ができたといいう記憶があります。このかちかち山の人はサラリーマンの鏡のような人だという記憶が残っています。
食品販売会社のデータセンター受注御礼には偏屈な事業部長も自分のPRをしたいと思ったらしく、社長を引っ張り出しました。以前、同じ事業所で勤務したこともあったようなので直ぐにそういう発想をしたようです。
この社長は非常に真面目な人で、私は会社にはこういうまともな人がいるんだという印象を持ちましたが、何回かお客様を訪問するタクシーの中で「XXさん、東北なんて転勤すると嫌だろう」と話しかけられました。どういう事かと思っていたら、社長職は短かくてあっと言う間に地方の子会社に移動になることを指して発言したものだと後ほどに知ることになりました。
この事業部には常務という人が同じフロアに来たのですが、業者からの接待を堂々と受けて長いこと常務を務めて、その後も子会社でなにもしないのに給料をもらっていたという人がいましたが、天と地ほどの違いだと思いました。善人ほど長くはつとまらない会社なのかも知れないとは、私の経験からはそう言えると思いました。
善人の社長が交代した後に、今度は食品販売会社の常務が子会社に異動するという話を聞いたので、或る時「どちらへ異動されるのですか」と単刀直入に質問すると「今度、新しい事業を始めるので、そこの社長へ赴任することになりました」という答えが返ってきました。ハンバーガー屋のパンを焼く事業というので時流に乗っているなという感想と共に伸びる会社は目の付け所が違うなという感想を持ちました。

データセンターを決済してくれた食品販売会社の情報システム部長は年配だったので、暫くすると定年で会社を辞しました。その後の情報システム部長は、後に常務から社長を経て、社長退任後は政府の委員をしているという話を聞きました。
その部長は、格段に真面目でその風貌はガリ勉タイプに見えました。出入りの業者からゴルフ接待があるというので、後に部長になる当時の副部長がご指導に及びましたが、どうもうまくいかなかったようでした。
私が一番驚いたのは「毎日通勤途上に本を1冊読みます」と聞いた時でした、どれほどの蔵書があるのかと想像がつきませんでした。しかし速読家であらゆるジャンルの本を読むのが趣味だったようです。某新聞のコラムで古地図を調べるという表題で紹介されたこともありました。仕事の話よりも本の話をしたほうが面白そうなので、顔を見ると「今日はどんな本を」と聞くことが習慣になってしまいました。丁度私も若い頃の営業事始めの苦労談を茶化した本を自費出版したので贈呈しましたが、感想はとうとう聞けませんでした。
この部長が役員に昇格すると、副部長が部長に昇格しました。色が黒くて如何にもゴルフ焼けですといわんばかりでしたが、それを隠すこともなく「ゴルフは面白いよ」と言ってました。
頭の悪そうな顔をして学歴ばかり気にする事業部長から、私がこの顧客の担当を外された後も、度々通勤電車でこの部長と出会うので「お元気ですか」とか「今に何にこっていますか」等という会話をして近況を確認していました。これが縁というものかと思いましたが、この部長が定年で退社するときもわざわざ訪問して御礼を述べたので、そういう意味では心残りなくお別れが出来たたと思いました。
食品販売会社のコンピュータ移転は事件が勃発しました。この会社では20年以上も前からコンピュータは24時間稼働で、停止出来るのは12月31日の夜5時間位の非常に短いものでした。
コンピュータは事前に新しいコンピュータをデータセンターに設置して、古いビルに設置してある最低限の機器のみ移設するという準備をしました。
このときも、飲料販売会社でコンピュータ移転のノウハウを教えてもらった技術者が、物知り気にもったいぶって移転関連の資料などを客先に説明をしていました。

コンピュータも大型のもので水冷式というので、メーカーの指定通り万が一水がコンピュータから漏れてもデータセンターの床全体に染みないようにするために、コンピュータを設置する場所の床面にコンクリートで防水堤を作るということをしました。その大がかりな設備に驚くばかりでした。障害発生時のパトランプも大きなものを設置して一目で障害発生が分かる仕組みも作りました。そのパトランプを回すのは簡単な仕組みだったのですが、その簡単な回路に繋ぐコンピュータからのケーブルがものすごく太く頑丈で配線するときに曲げられないので、堅い外側のビニールを切って何とか配線をしました。その時は近くにいた皆が口々に「たいした信号を出すわけでもないのに、なんでこんな頑丈なケーブルが必要かね」と言うと、立ち会っていたメーカーの技術者が「これが規格ですから」と反論をしていました。コンピュータが設置されるとお客様がプログラムとかデータを入力して当日を待つばかりになりました。

12月31日の夜6時には古いビルにあるコンピュータを停止して、プリンタとか周辺機器の一部のみを取り外して運搬してデータセンターに運びました。当日は天気もよく雨でなかったのが幸いでした。
データセンターでは必要な周辺機器が揃ってシステムで試験をすると新規に設置していた通信専用のコンピュータからオンラインシステムが立ち上がりませんでした。事前にテストをしていたのですが当日は不具合があったように見えました。
夜の12時も過ぎて運送会社の運転手さんが荷物の整理をして「そろそろ帰ります」と挨拶に来たとき、お客様から「悪いけど、もう一度古いビルに戻って通信専用コンピュータを運んでくれませんか」とお願いをしたのでした。運送会社の運転手さんは嫌な顔も見せず、再び古いビルに戻って通信用コンピュータをデータセンターに運んでくれました。今度ばかりは何が起きるか分からないので、運転手さんは直ぐには帰らずそのまま待っていてくれました。
予想通り、古い通信専用コンピュータを設置するとオンラインシステムが立ち上がり、システムは問題なく動作することの確認が取れました。朝3時くらいになっていました。トラックの運転手さんはここでようやく解放されました。
朝4時にはオンラインシステムの稼働が始まり、ここで漸く一安心してお客様が準備してくれた仕出し弁当を食べることができました。。

コンピュータの移転では何が起きるか分からないという事件を目の前にした貴重な経験でしたが、神経が大いにすり減る時間を過ごしました。後日、通信専用コンピュータの不具合の原因を聞くと、最新型だったので最新のソフトウエアを導入したのでホストコンピュータと通信が出来なかったということでした。案外単純なミスに教訓を得たような気にもなりました。
この事件の感想は、運送会社のトラックが帰るほんの間際に再送の依頼が間に合ったという神業みたいな状況を考えると、それは運がよかったというようなものではなく、全員の気持ちが一つの方向に集約されていた結果だったのではないかということでした。
この食品販売会社の真面目な課長さんからは次々に見積もり依頼が来たのですが、なかなか受注することは出来ませんでした。そのうちにとうとうホストコンピュータの更新時期となり、見積もり依頼をされたことがありました。課長さんから「うちはハードウエアは半値ですから」と言われた時は半信半疑でしたが、それは正しい情報のようでした。
私の勤務していた会社でも同じコンピュータメーカーの製品を何台も導入していて「特別に安くしてもらっているのだ」と豪語している人がいましたが、私が食品販売会社の半値という情報を伝えると「本当・・・」というような反応がありました。
飲料販売会社よりも沢山コンピュータを導入しているのに、買っている価格は遙かに高いものだったので、努力が足りないといわれても仕方がないと私は思いました。それくらいに、コンピュータメーカーからは甘く見られていたことだろうと思いました。酒さえ飲ませればほいほいと言うことを聞く連中ばかりだったので、値引きが少ないのは酒代だったかもしれないと思いました。
又、そういう事と関連するいやな事が起きたのは、親会社が利用する機器更新の時でした。メーカー2社で競争をさせていたのですが、部内の技術者にコンピュータメーカーの傀儡みたいな人間がいて他社の情報を全て流していたので、自然と決まるべき会社に決まったのでした。そんなにその会社が好きなのならば、その会社に入社したほうが余程幸せだろうと思うこともありました。私はそういう事は嫌いなこともあり、そういう人間を見ると軽蔑の目になっていたのだと思います。

飲料販売会社には仕方なくベストプライスと言い訳がましく説明して、先方が期待するものとはかけ離れた、ホストコンピュータの見積書を提示したのでした。
この飲料販売会社はそれだけ費用に厳しいので接待などは少ないと思ったのは全くの見当違いでした。ある程度の売上げの会社だったので、国産だけではなく外資系の中型コンピュータも数台が導入されていました。当然ながら相当に厳しい条件で販売をしていたのだと思いますが、接待攻勢は私が勤めていた会社とは比較にならない位に多いものでした。そういう意味では、費用は厳しいものの何とか客をつなぎ止めようとしていたのかもしれません。毎週のゴルフ接待に飲酒の接待と切れ目なく続くところに、私が勤務していた会社の忘年会とか懇親会が組み入れられるというような感じでした。
私は酒を飲まないこともあり頻繁には接待はしませんでしたが、データセンターで打ち合わせがあった後などには件の鰻屋とか地下鉄の駅前の飲み屋で接待をしました。私が飲酒をしないので、不満があるとは言いづらかったのかも知れません。逆に食品販売会社なので系列店で懇親会をやりましょうと言われて、わざわざ出かけて飲食をした時もありました。
食品販売会社のデータセンター契約が終わると、真面目な課長さんが待ってましたとばかりに少しばかり難しそうなホストコンピュータで使うツールの開発依頼がありました。以前から構想を温めていたと見えて、色々質問しても即座に答えが来るので分かりました。
このソフトウエア開発の担当には親会社のコンピュータを運用しているベテランのSEをアサインしました。仕様決めの時も私は立ち会って自分なりの意見を言ったつもりですが、担当のSEは年配の営業マンからあれこれと言われるとやりにくいという風に思ったようでした。以後、このシステムエンジニアは私の仕事についてはやりたがりませんでした。
費用は約一千万円程度のものでしたので、小さいとはいえ半年ほどかけて開発をしましたが、その後のお客様内での利用は芳しくなかったようでした。
これ以降は、私の勤務していた会社にはシステム開発の案件は紹介されなくなったので、ソフトウエアの出来が悪くて評価が低かったのだろうと思わざるを得ませんでした。私も無理して不得意な分野を受注することには内心抵抗があったので、自然とアプリケーション開発の見積もり依頼が来なくなったのだろうと思いました。

この真面目な課長さんからはいろいろな引き合いがありました。情報システム部にシステムエンジニアを派遣してほしいという話はすぐにまとまって4・5人のシステムエンジニアを派遣しましたが、システムエンジニアの評判はよかったので苦労はしませんでした。

一番の難題は紙の販売でした。当時は出力はまだレーザープリンタで大量の出力をしている時でしたので、この会社も大量のB4サイズの印刷をしていました。真面目な課長さん曰く、データセンターで印刷しているので紙も私の勤務していた会社から購入したいので見積もりをくれませんかというものでした。最初は1枚あたりの単価で電話で確認すると「そういう金額では現在よりも高いですよ」と言われて再考を促されました。会社で消耗品を発注している担当にその旨伝えると「とても対応は出来かねるね。仕方ないので、もう一度当たってみよう」と言って再見積依頼をしましたが、その再見積の金額でも尚高いといわれました。
真面目な課長さんからは「うちの商品は厘まで管理している会社です、生半可な金額では対応できません。桁数が多いのでA4ではなくB4サイズの紙に最小の文字で印刷しているんです」と諭されてしまいました。私の勤務していた会社でも利益はほとんどないような状態で見積金額を伝えるとようやく了解が得られました。この会社の費用に対する厳しさを思い知らされました。
お客様と打ち合わせをしていた或る時、私が「何時も見積金額は厳しいですね」という感想を述べると「いや、うちでは一銭でも安ければ即座に稟議をあげます。ちなみに通信回線費用はベンダーを競わせて毎月費用が下がるので毎月稟議をあげていますよ」といわれてびっくりした記憶があります。
食品販売会社から正式な注文をもらう前にお客様を訪問する機会がありました。
書類の確認を早々にすませてから「せっかくなので一杯行きましょうと誘われて、情報システム部長と真面目な課長さんと連れだって連れて行かれたのは、その古いビルの地下にあった飲み屋でした。古いビルの地下の飲み屋なので、そのたたずまいはいっそうひなびた感じのする店となっていました。

午後5時を過ぎたばかりなので店には誰もおらず、私たち3人が最初の客のようでした。静かな店の真ん中のテーブルに座り、部長は早々にビールを注文していました。私をさかなにして飲める場所を作ったのかとも思えました。
最初なので情報システム部長の経歴を聞きました。部長は定年間際という話だったので、確かに白髪は年齢を感じさせました。又、転職してこの会社の情報システム部長に収まったということでした。転職理由は不明ですが、人当たりがよいのがうけたのではないかと思いました。
ビールがコップに注がれて、私は酒が飲めないとは言ってもそれは遠慮だろうと思われて「まあまあ」と催促されながら飲むのを強要されているような気分でした。それでも水をもらうと流石に酒は弱いのかなと分かったようでした。
そこで部長が「ここはあじフライが美味くてね」と言ってあじフライを注文しました。確かに揚げたてのあじフライは美味しいという思い出が残った一席になりました。
後日、情報システム部の副部長から私の顔を見て「地下に行ったの・・・」と言って少々からかわれたような気分になりましたが、それは折角の機会があじフライでは少し物足りないという意味だというが分かりました。

この古いビルにあった飲み屋はビルの改築で退去したのですが、暫くすると私の勤務していた会社のすぐ近くに店が出来たので驚きました。席数は10人もないような店で通りから奥までが見通せる程でした。しかしながら、あじフライが懐かしくて店に入るということはありませんでした。私の記憶に残る店が、自分の勤務する会社の近くに引っ越してきたという何かの縁を感じるだけでした。
飲料販売会社のコンピュータの移転が5月に終わって、その年の年末頃に食品販売会社の情報システム部からコールがありました。電話の主は、関西のデータセンターを検討したいと言っていた真面目な課長さんでした。ライン課長ではなく担当課長のような立場でいろいろな案件を検討するような立場にあったようです。
現在コンピュータを設置しているビルからデータセンターに移転したいので提案してほしいというものでした。この会社の当時のコンピュータ室は、普通のオフィスビルの一角を間仕切りして電源とか空調も独自に工事して設置していました。検討をするのはビルの老朽化でオーナーが改築したいという意向が出る見込みなので、それに先んじてきちんとしたデータセンターにコンピュータを設置したいということでした。
このビルでは空調が弱い時には窓を開けたりしているとも聞いて、新宿にあった飲料販売社とおなじことをしているなと思いました。又、降雪が大きい時、空調機の室外機が停止したので、窓を全開して外の寒気を室内に入れたという話も後ほど聞くことになりました。コンピュータも当時としては大型コンピュータといわれる程のものだったので、その発熱たるや相当のものだったとは容易に想像ができました。

提案依頼をもらってから会社に帰って、私自身で提案書を書きました。あることないこと全て書いてワープロを打ちました。費用はコンピュータを設置する費用だけではなく、24時間稼働させるためのオペレータや、データセンターとこの会社の情報システム部に出力帳票を配達するメール便といわれる配達費用も含まれていました。
私の勤務していた会社のデータセンターは建物が新しいので仕様では他社に負けないと自負をしていましたが、費用はそうは問屋が卸しませんでした。お客様は取引のある会社と一見さんの私の勤務する会社の5社ほどに声をかけていたらしいのですが、場所とか仕様で使用中のコンピュータメーカーと私の勤務していた会社に早々に絞られました。それでも数ヶ月掛かりました。
 それから何度か質問状などにタイムリーに答えました。拙速が私の信条なので、細かい間違いよりも早く提出することに心がけたことも評価されたのだろうと思いました。又、同時に費用を何回も出し直して、提示費用が原価に近くなるにつれて、お客様が私の勤務していた会社のデータセンターに決めてくれているように思えてきました。
 検討が始まって翌年の6月頃、雨が台風の影響で激しい日に真面目な課長に呼ばれて訪問しました。何時もの会議室は使っているという理由で残業とか徹夜の時に利用するような小さな和室に通されました。靴を脱いで上がるときに雨用の少々よれた靴を履いていたのをその真面目な課長さんに見られてしまいました。営業マンとして少々恥ずかしいような気分になりました。雨の日だからといって使い古した靴で出勤すると、案外お客様からコールされるという皮肉な結果になるという教訓を得たのでした。ベテラン営業マンと思っていた自分に少しのスキがあったと今でも思い出すたびに自戒しています。
 その時、真面目な課長さんから「オペレータ費用が高いので経理部長が納得しません。説明をしてもらえませんか」という依頼でした。説明のために後日情報システム部の借りている古いビルではなく、当時は竣工して日も浅い本社を訪問して経理部長にも「費用は自分なりにも相当がんばって事業部から承認を得たもので、これ以上の値引きは難しいです」という説明をしてその場は収まりました。
 しかし後日再び呼び出しがあり「今の費用は本当にベストプライスというのを、一度あなたの上司から説明してもらえませんか」という質問がきました。この会社も最初から最後まで私が一人で対応していたので、お客様も本当にそうなのかということを確認したいということでした。ここまで言われると、流石に私の勤務していた会社のデータセンターに決めたのだろうというのは確信が持てましたが、会社に帰って誰に頼もうととうのが気になりました。
 このときの営業部長は当時の事業部長が連れてきた男で、頭が悪そうな顔で学歴ばかりにこだわる人間だったので、私は営業部長を飛び越して事業部長に同行してほしいと依頼しました。この事業部長も、ものすごく偏った人格の持ち主で偏屈でしたが、事業部の問題プロジェクトを少しでも改善しようという気持ちはあったと思われて、それで営業部長を飛び越して依頼しても応じてくれました。
 この事業部長が訪問した時には、お客様は情報システム部長や経理部長の他に担当取締役までが出てきたので、私の勤務する会社のデータセンターに決めてくれているのは分かりましたが、更に値引きでもされると困ると思っていました。事業部長から「担当から提示させて頂いた費用は当社のベストプライスで、これ以上の値引きは無理です」と説明すると、取締役も「分かりました」という回答がありました。趣旨は、会社として確認をしておきたいという意向のようで、形式として責任者と面談したという形をとりたかったのだろうと思いました。
 この食品販売会社では、決定する最後は全員がデータセンターを見学して、確認してから決めたいという方針のようでした。私は不便な場所柄を払拭するために、タクシーを呼んでもすぐには来ないのが分かっていたので、4台のハイヤーをチャーターしました。データセンターと地下鉄のえきまでの送迎でしたがスムーズにお送りすることが出来ました。後日、事業部長からは「見事に見送りができたね」という感想がありました。
 引き合いをもらってから約1年、何度かの山を越えてこの食品会社のデータセンターを私の勤務する会社に決めてもらいましたが、今度はコンピュータ販売会社から「私の勤務する会社がうちの商売を持って行った」と悪口をたたかれるようになりました。このコンピュータ会社と私の勤務していた会社とは割合に仲良くしていたのですが、私が悪人のように言われていたのを知ったのは随分と経ってからでした。
この食品会社への訪問をした時、面会したのは部長ではなく課長さんでした。眼鏡をかけた真面目な人に見えましたが、事実非常に真面目でしたが部長への受けは悪いようでした。
この課長さんに会社案内に加えてデータセンターの話をしました。新しいデータセンターもありますが、全国に点在する工場にも情報システム部があるという話をして帰りました。

訪問から2・3週間もすると再訪の要請があったので、喜びいさんで行くと「実は大阪でコンピュータの置き場所を検討しています。何処かデータセンターを紹介してくれませんか」というものでした。
会社に帰っても誰も頼りにならないので、自分で関西の支社経由で工場の担当者を紹介してもらいました。その工場の担当者から話を聞くと「場所はコンピュータを更新したので十分に広い場所があります。もし預かるにしてもパーティションで区切ることなどはできません。それに建物が古くてみすぼらしいですよ」という説明でした。他社のコンピュータを預かるということについては特に抵抗はありませんでした。それに加えて、こういう話は当然ながら初めてということで、費用も適当に決めて資料を作成しました。
食品会社の情報システム部の課長さんに「古くて自信がありませがどうされますか」と恐る恐る質問すると「是非、一度見学をさせてください」とえらく前向きの姿勢だったので拍子抜けしました。私は場所はありますがみすぼらしい建屋ですと説明したのにも関わらず好反応だったのは何故だろうと不思議でした。後から聞いた話では、実は自社の冷凍倉庫の2階がコンピュータの設置場所候補だったのですが、そこには置きたくない事情があるということでした。

再び会社に帰り関西の工場の担当者に連絡をして、お客様が見学したいという意向を伝えました。場所や車での行き方などを教えてもらいました。意外な事に割合と冷凍倉庫と関西の工場とは近い場所であるということが分かりました。
車での行き方を書いた地図や担当者の名前や工場への入場の仕方を説明した資料を持参して課長さんを訪問して提出しました。それから1週間ほどもしないうちに現地を関西のお客様が訪問したと聞きました。
結果としては不採用となり、大阪のコンピュータは元々の計画通り冷凍倉庫の2階に設置することになりました。
後で考えると、既にこの時には東京のデータセンター検討の前哨戦となっていたと思いました。対応とか説明とか、少しは私の営業活動が評価されて、一見さんの私の勤務する会社に引き合いが来たのだろうと思いました。