広告会社のデータセンターが私の勤務していた会社に決まった後、幹部の挨拶に行かなければいけないというので、この時に初めて社長と営業部長を連れて広告会社の情報システム室長と常務に面会したのでした。
案内されたのは歴史のある本館の玄関横の薄暗い昭和初期とも思えるような部屋の応接室でした。カーテンから机までが現代から一昔どころか二昔でもどうかなと思えるような雰囲気のある室内でした。私の勤務していた会社の社長はそういう重厚な室内を見て「何とも言えないね」と自分が場違いな場所にきているのを分かったようでした。挨拶なんかは別に決まりきったものだっただろうと思います。広告会社の恰幅の良い室長や常務に対して、私の勤務していた会社の社長や部長は格が違うという風に思えて仕方ありませんでした。それは本人の性格もあるかと思いますが、社内で厳しい仕事に耐えて社長に就任したというような風貌ではなく、単に役回りで社長業や部長職をやっていますというようなものだったのではないかと思えたのでした。
挨拶とか契約の打ち合わせが始まると、コンピュータの移転作業のプロジェクトが始まり、社内の融通の利かない名ばかりの技術者が出てきて移転の会議が始まりました。
移転プロジェクトの会議が始まる前、勉強にために大型コンピュータを移転するプロジェクトの資料はありませんかという質問を30代の真面目な情報システム室員からもらいました。当然ながら社内にはそんなものは無く、考えた挙句に初めてコンピュータを移転した時にプロジェクトを仕切ったコンピュータメーカーの資料があることに思いついて、入手した資料からベンダー名をすべて消した資料を作成して提出しました。この資料がどういう事で本家本元のコンピュータメーカーに伝わったのかは不明でしたが、書式を見て直ぐに自社の物だというのは分かったのだと思います。別項の食品製造会社でも紹介しましたが、その食品製造会社の新システムのお披露目パーティの席でばったりとそのコンピュータベンダーの営業部長と出会い、咄嗟に「あんたが私どもの資料を広告会社に出したんですよね」と言われて驚いたのでした。業界はつくづく狭いというのを感じた時でした。
移転プロジェクトメンバーは、広告会社情報システム室はデータセンターの検討メンバー3名に2名程の室員が加わり、私の勤務していた会社の移転担当の技術者に加えて、コンピュータベンダーのシステムエンジニアも加わりました。
会議は古びた狭い情報システム室の横の小さな会議室ではできないので、別棟の会議室で行いました。歴史ある古い本館に継ぎ足して奥に奥にと長屋が出来ているように思えて面白く思えました。その会議室でも一世代前のビルのような古びたもので、この広告会社の歴史を感じると同時に、勤務している人たちは肩身の狭い思いをしているのではないかと思えたのでした。
情報システム室は狭い室内だけに、情報システム室員を訪問すると直接机の横に座って会話せざるを得ないような状況だったのが情報システム室員と仲良くなれた原因ではないかと思えたのでした。現在では出入り業者が室内に入ることさえ情報漏洩の観点から許されないだろうと思いますが、当時はそういう事に対しても鷹揚な良い時代だったと思います。
案内されたのは歴史のある本館の玄関横の薄暗い昭和初期とも思えるような部屋の応接室でした。カーテンから机までが現代から一昔どころか二昔でもどうかなと思えるような雰囲気のある室内でした。私の勤務していた会社の社長はそういう重厚な室内を見て「何とも言えないね」と自分が場違いな場所にきているのを分かったようでした。挨拶なんかは別に決まりきったものだっただろうと思います。広告会社の恰幅の良い室長や常務に対して、私の勤務していた会社の社長や部長は格が違うという風に思えて仕方ありませんでした。それは本人の性格もあるかと思いますが、社内で厳しい仕事に耐えて社長に就任したというような風貌ではなく、単に役回りで社長業や部長職をやっていますというようなものだったのではないかと思えたのでした。
挨拶とか契約の打ち合わせが始まると、コンピュータの移転作業のプロジェクトが始まり、社内の融通の利かない名ばかりの技術者が出てきて移転の会議が始まりました。
移転プロジェクトの会議が始まる前、勉強にために大型コンピュータを移転するプロジェクトの資料はありませんかという質問を30代の真面目な情報システム室員からもらいました。当然ながら社内にはそんなものは無く、考えた挙句に初めてコンピュータを移転した時にプロジェクトを仕切ったコンピュータメーカーの資料があることに思いついて、入手した資料からベンダー名をすべて消した資料を作成して提出しました。この資料がどういう事で本家本元のコンピュータメーカーに伝わったのかは不明でしたが、書式を見て直ぐに自社の物だというのは分かったのだと思います。別項の食品製造会社でも紹介しましたが、その食品製造会社の新システムのお披露目パーティの席でばったりとそのコンピュータベンダーの営業部長と出会い、咄嗟に「あんたが私どもの資料を広告会社に出したんですよね」と言われて驚いたのでした。業界はつくづく狭いというのを感じた時でした。
移転プロジェクトメンバーは、広告会社情報システム室はデータセンターの検討メンバー3名に2名程の室員が加わり、私の勤務していた会社の移転担当の技術者に加えて、コンピュータベンダーのシステムエンジニアも加わりました。
会議は古びた狭い情報システム室の横の小さな会議室ではできないので、別棟の会議室で行いました。歴史ある古い本館に継ぎ足して奥に奥にと長屋が出来ているように思えて面白く思えました。その会議室でも一世代前のビルのような古びたもので、この広告会社の歴史を感じると同時に、勤務している人たちは肩身の狭い思いをしているのではないかと思えたのでした。
情報システム室は狭い室内だけに、情報システム室員を訪問すると直接机の横に座って会話せざるを得ないような状況だったのが情報システム室員と仲良くなれた原因ではないかと思えたのでした。現在では出入り業者が室内に入ることさえ情報漏洩の観点から許されないだろうと思いますが、当時はそういう事に対しても鷹揚な良い時代だったと思います。