広告代理店の情報システム部とは初対面の人たちばかりでした、それで最初はどうしても双方に壁があるように思われるのでしたが、何回も話をするうちにお互いの気心が知れてきて仲良くなれるような気がしました。
特に理系出身の30歳代の男はなんでも正確に理解しようとするので変に修飾したりべんちゃらを言う必要もなく淡々と事実を説明すれば分かってもらえるように思いました。若い20代の男は元々営業マン志望というのでコンピュータには詳しいとは思えず、質問も事務的な内容に終始したので対応は簡単でした。この男はどちらかと言えば30歳代の真面目な男のアシスタントのようにも見えて、自身での判断は出来ないように思えました。
一番の難関は当時室長に次ぐと見られていた50歳代の男で、この会社に入社して以来情報システム一筋というような経歴だったので、質問も素人同然の私の勤務していた会社の技術者ではとても回答が出来ないような厳しい内容のものがありました。当然ながらそういう質問は既存の外資系コンピュータベンダーからもたらされるものであるとは薄々感じていました。
私の勤務していた会社は元々コンピュータユーザーであった経験を生かして社外販売を始めたものですが、元々全部コンピュータメーカーに丸ごと面倒を見てもらっていたという風土なので社内には名前は技術者と言えども名ばかりの人たちの集団でした。そういう人たちが難しい質問をもってきても答えられるはずもありませんでした。私は長年のコンピュータ営業の経験から、そういう劣悪な社内環境を理解した上で対応を考えていかざるを得ないのでした。若い社員はこういう程度の低い技術者に色々と質問したり資料を作成をしてもらったりするので、自然と客筋はベンチャー企業とか情報関連の技術者のいない会社がユーザーとなっていくのでした。
データセンター移転がいよいよ具体化して、検討メンバーの3名があちらこちらのデータセンターを見学に行ったようでした。勿論、私の勤務していた会社のデータセンターの見学もしてもらったのですが、情報システムにそこそこ詳しいメンバーには、多分どこの会社のデータセンターを見ても同じにしか見えなかったように思えました。それが分かったのは、彼らの反応が良かったのは、データセンターの機能には全く無関係な眺めの良いデータセンターの屋上で景色を説明していた時だったからでした。事実、このデータセンターを契約した後に、屋上から花火が見えますというデータセンター見学の際に説明したのをちゃんと覚えていて、花火大会の見学案内をしたところ「是非に伺います」という二つ返事で夕方にデータセンターに来てもらいました。
データセンターの検討は費用とか機能とか色々な要素を比較検討しなければならないので最終結論が出るまでには半年以上もかかりました。すべての質問に対する回答書は全て自分で作成したのですが、相手を納得させるだけの材料を提供するのには相当に苦労しました。何せ社内の名ばかり技術者に質問したところで何の役にも立たないので四苦八苦したという事です。こういう事実を知らない尊大な態度の部長とか役員は凡人の極みかと思うばかりでした。
又、当時はインターネットの普及前夜で情報の収集にも苦労をしました。そういう意味では情報を少々ねつ造しても検証が出来ないので、情報に手を加えて演出することもありました。そういう事実の積み重ねが段々と評価されていったのは、検討の最終段階になって最後の3社に残ることができたからでした。しかし、営業とは最後に注文を貰わなければなんに意味も無いというのは十分に分かっていたので、3社に残った以降は夕方に検討メンバーを訪問し昼間の競争相手の動きを聞くという事が多くなりました。その動きに対して素早く資料を作成しては反論するというようなことが続いたのでした。
特に理系出身の30歳代の男はなんでも正確に理解しようとするので変に修飾したりべんちゃらを言う必要もなく淡々と事実を説明すれば分かってもらえるように思いました。若い20代の男は元々営業マン志望というのでコンピュータには詳しいとは思えず、質問も事務的な内容に終始したので対応は簡単でした。この男はどちらかと言えば30歳代の真面目な男のアシスタントのようにも見えて、自身での判断は出来ないように思えました。
一番の難関は当時室長に次ぐと見られていた50歳代の男で、この会社に入社して以来情報システム一筋というような経歴だったので、質問も素人同然の私の勤務していた会社の技術者ではとても回答が出来ないような厳しい内容のものがありました。当然ながらそういう質問は既存の外資系コンピュータベンダーからもたらされるものであるとは薄々感じていました。
私の勤務していた会社は元々コンピュータユーザーであった経験を生かして社外販売を始めたものですが、元々全部コンピュータメーカーに丸ごと面倒を見てもらっていたという風土なので社内には名前は技術者と言えども名ばかりの人たちの集団でした。そういう人たちが難しい質問をもってきても答えられるはずもありませんでした。私は長年のコンピュータ営業の経験から、そういう劣悪な社内環境を理解した上で対応を考えていかざるを得ないのでした。若い社員はこういう程度の低い技術者に色々と質問したり資料を作成をしてもらったりするので、自然と客筋はベンチャー企業とか情報関連の技術者のいない会社がユーザーとなっていくのでした。
データセンター移転がいよいよ具体化して、検討メンバーの3名があちらこちらのデータセンターを見学に行ったようでした。勿論、私の勤務していた会社のデータセンターの見学もしてもらったのですが、情報システムにそこそこ詳しいメンバーには、多分どこの会社のデータセンターを見ても同じにしか見えなかったように思えました。それが分かったのは、彼らの反応が良かったのは、データセンターの機能には全く無関係な眺めの良いデータセンターの屋上で景色を説明していた時だったからでした。事実、このデータセンターを契約した後に、屋上から花火が見えますというデータセンター見学の際に説明したのをちゃんと覚えていて、花火大会の見学案内をしたところ「是非に伺います」という二つ返事で夕方にデータセンターに来てもらいました。
データセンターの検討は費用とか機能とか色々な要素を比較検討しなければならないので最終結論が出るまでには半年以上もかかりました。すべての質問に対する回答書は全て自分で作成したのですが、相手を納得させるだけの材料を提供するのには相当に苦労しました。何せ社内の名ばかり技術者に質問したところで何の役にも立たないので四苦八苦したという事です。こういう事実を知らない尊大な態度の部長とか役員は凡人の極みかと思うばかりでした。
又、当時はインターネットの普及前夜で情報の収集にも苦労をしました。そういう意味では情報を少々ねつ造しても検証が出来ないので、情報に手を加えて演出することもありました。そういう事実の積み重ねが段々と評価されていったのは、検討の最終段階になって最後の3社に残ることができたからでした。しかし、営業とは最後に注文を貰わなければなんに意味も無いというのは十分に分かっていたので、3社に残った以降は夕方に検討メンバーを訪問し昼間の競争相手の動きを聞くという事が多くなりました。その動きに対して素早く資料を作成しては反論するというようなことが続いたのでした。