私は子会社のデータセンター営業を担当してから誰にも頼まれる訳でもなく、自らの意志でサラリーマンとしてのなすべきことを考えて、自ら新規顧客開拓の計画を立てて訪問して会社紹介と事業紹介を延々と1年以上も続けていました。他の営業マンは確かに素人ばかりですが、親戚頼みの営業の殻を破れないままに毎日を忙しそうに会議に明け暮れていました。事業部として何とか食っていけるベースを親会社からもらっていたので、そういう人たちには営業職は好きこんで担当しているわけでもなく仕方なくやらされているのだという意識があったと思います。そういう意識は自ら考えて動こうという事にはならないので、必然的に一日中座って誰からか電話を来るのを待っているしかないという日常を送っているという勤務態度に現れていると思いました。それが年配だけの組織のうちはそれですんでいましたが、人の新陳代謝が起きてもそういう風土は文化となっていったのを目にしたのでした。
そういう環境の中で変わり者が一人でしこしこと仕事をしていると思わぬことが起きて驚かされました。次なる新しいお客様になったのは偶然ではなく、そういう姿勢が評価されたのだろうと考えております。
データセンターの新規顧客開拓のために可能性のありそうな顧客を洗い出して、訪問計画をたてて100社位の情報システム部長と面談してきました。ちょうど100社目に訪問をした飲料販売会社から受注してコンピュータの移転も終わり、次の冷凍食品会社のデータセンター移転案件が具体化している頃の事でした。今から20年も以前のことです。
突然事務所にある飲料製造会社の情報システム部長から「再訪してほしい」という連絡があったので驚いたのでした。驚いた理由というのは、この顧客には私が最初に毎日新しい顧客を訪問している時に、3年も前に一度だけ面会した人でした。
当時、この会社ではコンピュータを新橋の自社ビル内に設置していて、情報システム部員と派遣外注社員がオペレーションをしていて、コンピュータをデータセンターに移そうという計画はなかったので、単なるデータセンターや会社の紹介だけで終わったのでした。当然見込み客とはならないので放置しておいたところに向こうから電話がきたという筋書きでした。後ほど情報システム部の担当の人から当時の事情を聴くと「部長はあなたの説明を聞いて非常に驚き、ずっと記憶に残っていたそうですよ」ということでした。私は自己流の分かりやすい説明を心掛けていたつもりでしたが、そういう説明が人によっては新鮮に聞こえたのかも知れないと思いましたが、一営業マンとしては3年前の訪問の事をずっと記憶してもらっていた事の方がよほどうれしく思えて忘れられない顧客の一つとなりました。この顧客も同じコンピュータメーカー2社とは20年以上の長い付き合いがあって、馴れ馴れしい営業マンとの落差が新鮮に思えたのではないかとも考えたのでした。
当時はデータセンターにコンピュータを設置することは少ない時代という事もあり、費用をかけてまでする仕事かどうかと選択を迷う企画でもありました。
私はビル内でのコンピュータ設置は地震時には問題がありますという問題を提起しました。11階に設置されていたコンピュータが地震時にどうなるか、ビルを建築したゼネコンに問い合わせたところ、地震時にはコンピュータが動いて壊れる可能もありますとの回答があったと聞きました。これが契機となってコンピュータのデータセンター移転検討が具体化したのでした。
当然ながら既に取引のあるコンピュータベンダーと私の勤務していた会社との一騎打ちでしたが、何時ものあることないことまくしたてて優位性を強調したことと、費用でもぎりぎりの費用で何とか受注をすることが出来ました。
こういう苦労を知らない口先だけの部長や役員は、費用が安い安いと悪口を社内で広めるのでした。そういう事は気にしても仕方ないので、サラリーマンとして会社の業績に寄与しているという自負に置き換えて知らん顔をせざるを得ませんでした。
そういう環境の中で変わり者が一人でしこしこと仕事をしていると思わぬことが起きて驚かされました。次なる新しいお客様になったのは偶然ではなく、そういう姿勢が評価されたのだろうと考えております。
データセンターの新規顧客開拓のために可能性のありそうな顧客を洗い出して、訪問計画をたてて100社位の情報システム部長と面談してきました。ちょうど100社目に訪問をした飲料販売会社から受注してコンピュータの移転も終わり、次の冷凍食品会社のデータセンター移転案件が具体化している頃の事でした。今から20年も以前のことです。
突然事務所にある飲料製造会社の情報システム部長から「再訪してほしい」という連絡があったので驚いたのでした。驚いた理由というのは、この顧客には私が最初に毎日新しい顧客を訪問している時に、3年も前に一度だけ面会した人でした。
当時、この会社ではコンピュータを新橋の自社ビル内に設置していて、情報システム部員と派遣外注社員がオペレーションをしていて、コンピュータをデータセンターに移そうという計画はなかったので、単なるデータセンターや会社の紹介だけで終わったのでした。当然見込み客とはならないので放置しておいたところに向こうから電話がきたという筋書きでした。後ほど情報システム部の担当の人から当時の事情を聴くと「部長はあなたの説明を聞いて非常に驚き、ずっと記憶に残っていたそうですよ」ということでした。私は自己流の分かりやすい説明を心掛けていたつもりでしたが、そういう説明が人によっては新鮮に聞こえたのかも知れないと思いましたが、一営業マンとしては3年前の訪問の事をずっと記憶してもらっていた事の方がよほどうれしく思えて忘れられない顧客の一つとなりました。この顧客も同じコンピュータメーカー2社とは20年以上の長い付き合いがあって、馴れ馴れしい営業マンとの落差が新鮮に思えたのではないかとも考えたのでした。
当時はデータセンターにコンピュータを設置することは少ない時代という事もあり、費用をかけてまでする仕事かどうかと選択を迷う企画でもありました。
私はビル内でのコンピュータ設置は地震時には問題がありますという問題を提起しました。11階に設置されていたコンピュータが地震時にどうなるか、ビルを建築したゼネコンに問い合わせたところ、地震時にはコンピュータが動いて壊れる可能もありますとの回答があったと聞きました。これが契機となってコンピュータのデータセンター移転検討が具体化したのでした。
当然ながら既に取引のあるコンピュータベンダーと私の勤務していた会社との一騎打ちでしたが、何時ものあることないことまくしたてて優位性を強調したことと、費用でもぎりぎりの費用で何とか受注をすることが出来ました。
こういう苦労を知らない口先だけの部長や役員は、費用が安い安いと悪口を社内で広めるのでした。そういう事は気にしても仕方ないので、サラリーマンとして会社の業績に寄与しているという自負に置き換えて知らん顔をせざるを得ませんでした。