con-satoのブログ

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映画を中心にエンタメ、旅などを紹介しています。

 実は9月に5連休があると気が付いたのは、つい最近。世間の方はすっかり準備をしていたのかもしれないけど、まったく予定など立てていなかった。

 

 通常の週末の基本は映画なのだけど、さすがに5日連続では毎日観る映画もない。 


 せっかくの5連休。なにか変わったことを考えて、地下鉄の1日券を買って東京を散策することにした。

 

 とはいえ、お彼岸でもあるので、まずは墓参り。ここは父親が亡くなった時に母が購入した墓。今は母もそこに入っている。

 

 板橋の志村坂上。便利な場所にあるので、もっと頻繁に来ないといけないなと思っているのだけど、なかなか行くことができない。

 

 板橋生まれで、練馬育ちだから、板橋の志村は近いのだけど、今は品川に住んでいるので若干、遠く感じてしまっている。

 

 板橋まで来たので、今まで行ったことのない近所の場所と思い、王子の飛鳥山公園へ。ここは大河ドラマにもなった1万円札の渋沢栄一記念館がある、元・渋沢邸。





 

 なぜか、近くには来たことがあるけど、中に入ったことがなかった。今回の1日券の「旅」は「初めて」がポイント。


▲都電に乗って飛鳥山へ


 歌舞伎俳優、尾上松也が金田一耕助を演じた新作「八つ墓村」。


 70年代の横溝正史ブームの頃に、東宝の市川崑&石坂浩二=金田一耕助に対抗して、松竹で野村芳太郎&渥美清=金田一耕助で映画化された作品。


 「八つ墓村」は過去に3度映画化。テレビにいたっては7作も映像化されている。しかし、何故か一度も見たことがない。


 角川書店が仕掛けたブームの頃には、数多くの横溝正史作品を読んだけど、この「八つ墓村」は読んでいない。

 

 なので初めての「八つ墓村」体験。でも名作とはすごいもので、大まかなシチュエーションは知っている。


 さて、映像化11作品目の出来は?



「八つ墓村」★★☆☆☆


 市川崑&石坂浩二版はすべて観ている。あの成功は時代設定を原作に忠実に戦後にしたことが大きい。


 戦後のどさくさを背景にした家族の怨念話。


 今回は現代。これが大きな失敗の原因。こんな時代めいた話が、スマホ時代に合うワケがない。2020年代に金田一耕助みたいな探偵がいるワケがない。


 にも関わらず、松也の役作りは昭和ぽい。すべてが中途半端なのだ。


 滝藤賢一が相変わらず快演。この演技を活かして、いっそ、このオヤジを主人公にした映画にすれば良かったのに。


 監督の清水祟はホラーの名手と呼ばれているけど、それは(世間が)ホラーを安く見ているから。

 

 ホラーとかサスペンスって、元来、演出の上手い人(監督)が(ある意味コメディも)作るべきジャンル。(ヒッチコック、スピルバーグなど)


 だから市川崑版は優れていたのだ。清水祟など比較の対象にもならない。

 


 吹奏楽への熱いパッションで高校生活を送る女子を描く「響け!ユーフォニアム」。最終章が公開中。


 アニメには詳しくないので、このアニメがテレビで放映されていたことすら知らなかった。(常識なんでしょうが)


 音楽をテーマにしている物語なので、好きなジャンル。それに京アニの作品は応援する意味も込めて劇場で観たい。

 

「最終楽章 響けユーフォニアム」★★★☆☆


 完結編。ヒロインの黄前久美子が卒業するまでの物語。この作品がラストなので、やたら感傷的なシーンが多い。(泣くシーン)


 気持ちはわかるけど、ちょっと過多。もう少しクールにした方が、彼女たちの熱い秘めた想いが伝わるのではないか。(これがファンサービスなのかも?だけど)


  ということで長い。2時間をこえる。2時間をこえる映画を観る時に思うのは、本当にその尺がいるのか、ということ。


 上映時間を長くすることで編集が散漫になっていないか。


 この映画も20分は切れる。もともとテレビアニメだから尺はあるのだろうけど、それを編集するから劇場版になるのだ。

 

 音楽がテーマなので、音響のいい映画館で観る意味はある。京アニの丁寧な仕事ぶりには感心するだけに、映画としての完成度がイマイチなのが惜しい。



 奥田秀朗が2001年に発表した「東京物語」。先日「オリンピックの身代金」を読んで奥田秀朗を堪能したので手に取った。


 物語は奥田秀朗の半自伝のような内容。主人公の久雄は、名古屋から東京へ上京。(奥田秀朗は岐阜出身)




 物語は80年、彼が大学を中退して広告代理店で働くシーンから始まる。日付けは12月9日。80年12月9日レノンが亡くなった日。


 第二章では、時間が少しさかのぼって、1978年4月4日。受験に失敗、浪人生活をするために上京。このアパートが北池袋というのが、妙にリアリティがある。


 この4月4日に、キャンディーズが後楽園で解散コンサートをしている。主人公、久雄は東京へ来た日に、たまたま水道橋駅に行くことになり、このコンサートを場外で聞く。


 奥田秀朗、ほんとうに固有名詞の使い方が上手い。日本の作家では珍しい。日本の小説ってN大学とかU市みたいな表現が目立つ。


 でも、書けない場合は周囲を描写してわからせる。主人公は、浪人して明治大学に(多分)入るのだけど、ここでは具体的に大学名は出さない。でも、明大だとはわかる。


 以降、81年、85年、89年の物語が続く。


 ちょっとだけ惜しいのは85年の年末。気の進まないお見合いをさせられ、有楽町のマリオンで「ゴースト・バスターズ」を見るエピソード。


 このシーンでマリオンで上映する映画のタイトルが出てくる。「ゴジラ」「グレムリン」はいいのだけど「Wの悲劇」はダメ。あれは丸の内東映でマリオンじゃない。映画に通じている編集者がいたら「W」は外しましょうになるのに。


 他の固有名詞はピタリとハマっているので、惜しい。


 個人的に嬉しかったのは大学生になった79年のエピソード。演劇部員になった久雄。部員仲間と居酒屋で与太話をするシーン。


 「ぴあ」が隔週になるという話で「シティロード」もな、という誌名が出る。


 この「シティロード」で20代から30代前半まで働いていた。


 こんなところで、懐かしい誌名が出るとは!


 奥田秀朗はどうも「シティロード」の愛読者だったよう。最後の89年のシーンで広告業界の仲間と話をするシーン。


 仲間のイラストレーターが「吉田カツ」に憧れたと語る。このカツさんこそ「シティロード」の表紙を書いていた人なのだ。(フジテレビの目玉マークもカツさん)


 奥田秀朗はちょい年上。だけど、ほぼ同じ時期に20代を生きた。その意味で懐かしさを共有した。

 織田裕二14年ぶりの「踊る大捜査線」の新作「メトロポリスを駆け抜けろ」。織田裕二、まだらな白髪頭で東京の街を駆け抜ける。


「NEW踊る大捜査線・メトロポリスを駆け抜けろ」★☆☆☆☆


 これはキツイ。織田裕二が老けて、スターオーラはすっかりない。


 物語もめちゃくちゃ。すべてがツギハギだらけ。やたら、かつての登場人物が出てくる。もう少し、的を絞って展開しないとら、散漫なだけ?これが君塚良一の脚本?


 それに事件自体がくだらな過ぎ。犯人に至るまでもショボい。


 ドラマの大ファンの人のファンイベントのような作品。終盤の過去映像。懐かしさはあるけど、それだけ。


 かつての大ヒット、もう一度!の願いはわかるけど14年は長い。織田裕二はすっかり老けて、痛々しいほど。


 あのコートも時代遅れにしか見えない。この「踊る」はフジテレビの衰退の象徴みたい。そこにあるのは、かつての栄光だけ。


 ちょっと得した気分になったのは、この回、音響のトラブルがあって、次回の鑑賞券をいただいた。実質ゼロ円で観ることができたこと。


 まあ、それでも映画は駄作だったけど。

 ネットニュースなどを見ていると、持ち上げられることのある機会が多い片岡鶴太郎。今は仙人のような生活をしているようで、それが良く取り上げられる。現在の職業は俳優なのだろうか。一時より「画家」という肩書きは聞かなくなった。

 

 別に芸人さんが作家になろうと、画家になろうと、どうでもいいいけど、知名度を利用して芸術家気取りというのは、個人的には好きにはなれない。

 

 確か一時期、福山雅治が「写真家」を名乗っていたことがあった。「植田正治」の最後の弟子という触れ込み。


 あの時、正直、写真界に失礼だなと思った。福山さんが暇な時間に写真を撮ることは、彼の勝手。でも「写真家」を名乗ることは別の次元。


 今はそんな肩書きはないみたい。では、あれは一体何だったのだろう。「写真家・福山雅治」は引退?

 

 鶴太郎に対して違和感を感じるのも同じ理由。お笑い芸人でマッチとか小森のおばちゃまのモノマネをしていた時は決して嫌いな芸人ではなかった。趣味で絵を描くのは別に悪いことではない。ただし「画家」を名乗るのは別の次元。

 

 本気なら芸能活動はやめて、画家専任で活動すればいいのに。(ジミー大西みたいに)  

 

 NHKは彼のことを気に入っているようで、朝ドラや大河で頻繁に起用している。(現在放送中の「風薫る」にも出演)


 でも、俳優として彼の演技が優れていると思ったことはない。「俺はうまいだろう」というような自意識が透けてみえる。

 

 デビュー作「異人たちの夏」で、思いのほか好評で、映画賞などももらったので勘違いしたのだろう。(坂東英二だって日本アカデミー賞最優秀男優賞を受賞している)

 

 賞を得て勘違いというのは又吉直樹も同じ。あの芥川賞はなんだったのだろう。あの後、あのレベルでの活躍はしているとは思えない。



 

 もう、芸人ではなく文化人気取り。

 

 今年はオードリーの若林の小説が直木賞の候補になった。でも、さして大きな話題にならなかったのは又吉のケースを見て、なんか胡散臭いと世間が感じているからなのではと感じた。

 ガサの少女がイスラエルの攻撃に遭い瀕死の状態になる。その少女がパレスチナの赤新月社に助けを求めた事実を基にした「ピンドラジャブの声」。



「ピンドラジャブの声」★★★☆☆


 レビューでは絶賛。でも、パレスチナの少女が助けを求めるだけのお話。どうも、このイスラエルVSパレスチナの紛争を色眼鏡で見ているように感じた。


 やたら犠牲者として女性、子供を強調している。そこには、パレスチナの見事なプロパダンダが存在する。


 もちろんイスラエルが強行な国家であることは否定はしない。でも、イスラエル真っ黒、パレスチナ真っ白ではないはず。


 ならばエジプト国境でパレスチナ難民を受け入れないのは何故か?というような疑問には応えていない。


 イランとアメリカの戦闘も同様。まるでイランが一方的な被害者(トランプ憎しだから)だけど、イランの現行の政治体制なんて、とても、肯定できるものではない。


 これをオセロゲームのようにシロクロで片付けてはいけない。


 この映画を観て、一番危険に感じのは、こんなわかりやすいシロクロ感情になること。

 

 多分、この少女に肩入れして映画を観れば、観客は善意のカタルシスに酔える。


 でも、それはNHKやTBS的な心地良い正義感に満足することと同じ。そんなわかりやさが、一歩間違えば、ナチズムのような盲目的な思考に繋がることを意識した方がいい。


 シロクロは危険。カタルシスも甘い味の罠。


 どちらかには寄らずにいることが大切だと思う、ちょいアナーキストな自分。

 フランス映画の専科だと思っていた昭和の映画評論家、田山力哉が書いた「小説・浦山桐郎 夏草の道」を読んだ。浦山は吉永小百合を本格的な女優に仕立てた「キューポラのある町」で監督デビューした昭和の巨匠。



 

 第2作の「不良少女」では和泉雅子を女優開眼させたといわれ、モスクワ映画祭で賞にも輝いた。しかし、浦山がデビューした頃は日本映画の衰退期。賞も獲り、ヒットもしたのに浦山はなかなか思うような映画が撮れない。

 

 そんな浦山の葛藤が描かれている。


 歌人として知られた父親は戦後の混乱期を生きることができずに自殺。それを背負いながら浦山は映画監督を目指す。

 

 当時、映画監督になるには、大手映画会社に入らなければならない。そのためにも東京大学に行く必要があったのに、浦山は受験に失敗。浪人して名古屋大学へ入る。

 

 名古屋でくすぶる浦山に手を差し伸べたのは松竹から日活へ移籍する鈴木清順。 


 そして彼は日活の撮影所に採用される。(実は次点。本採用になったのは山田洋次。しかし、彼は日活の社風に合わないだろうと松竹へ行く。それで浦山が採用になった)

 

 優秀ではない助監督を支えてくれたのは、チーフ助監督の今村昌平。今村との関係は生涯にものになっていく。


 デビュー作「キューポラ」から「青春の門」まで13年。しかし、浦山に撮れたのはわずか4作。そのどれもがキネマ旬報でTOP10に入る高評価を受けた。

 

 映画自体が評価を受けただけでなく、浦山映画に出た女優のそれぞれの代表作になっている。「キューポラ」吉永小百合「不良」和泉雅子「私が棄てた女」浅丘ルリ子「青春の門」大竹しのぶ。そして唯一、浦山がテレビで演出した「飢餓海峡」の藤真利子。

 

 作品は高く評価されたけど、酒癖、女癖の悪さでは有名。それで、浦山を避ける映画人も多かったと、著者の田山力哉は愛を持って描いている。


 洋画(しかもフランス専科の)田山力哉が浦山とこんなに親交があると知らなかった。浦山への敬愛にあふれた伝記だった。

 第48回日本アカデミー賞で最優秀アニメーション賞を得た「ルックバック」。この作品を是枝裕和が実写化した。主役の藤野を演じたのは出口夏希。京本は蒔田彩珠。



「ルックバック」★★☆☆☆

 

 個人的にはイマイチだなと感じたアニメ(あの主人公の女の子が苦手だった)。世間的には高評価でヒットした。それから2年で実写化。そもそも、そんな短期間に実写化する意味があったのだろうか。

 

 個人的には好みではなかったけど、アニメとしては完成度の高かった作品。素材は漫画だし、アニメで展開するから意味があるように思えた。

 

 是枝版、子役の使い方をはじめ、主役の出口夏希など俳優は悪くない。でも、やはりアニメで良かったんじゃなのか?という疑問が最後まで残った。



 

 それに家族の描写。実写では人間が演じているので家族との関係は大切。


 特に蒔田が演じた京本。あれでは、一人で暮らしているみたい。家族がまったく出てこない。


 アニメ版では人間恐怖症が納得がいく形で描かれていた。実写では人間が演じているので、もっと深い描写が必要。

 

 アニメでは許される世界。でも、実写では人間が表現するので、もっと人間の深みがなければ説得力がない。

 

 あの事件の描写も雑。あんな大きなツルハシを持って、学校内に入れるわけはないだろう。実写だからこそ、丁寧に描かなければいけない部分の描写が雑なのだ。

 

 教師を演じた宮藤官九郎、編集者を演じた菅田将暉がそれなりにいいけど、彼ら他ではもっとエクセレントな演技を見せている。


 これでヴェネチアの参加できたのは、是枝の名前があったから。


 それにしても、是枝監督、還暦を迎えているのに、作風は成熟していない。今年2作目の新作だけど、どちらも食い足りない作品だった。

 ルポライター軍司貞則が92年に発表した「ナベプロ帝国の興亡」。その文庫本を神保町の古本屋で見つけて読んだ。



 

 渡辺プロダクションの繁栄のきっかけになったのは日劇のウェスタンカーニバルから。 


 この本はそれ以前、渡辺晋が早大の学生時代に遡って書かれている。

 

 あわせて美佐夫人の出自から、渡辺晋に出会うまでの経過も。


 戦中、戦後の部分は知らないことが多い。一番興味深かったのは、戦後の事情。進駐軍が来てエンタメ需要が高まった。


 なんとなくは知っていたけど、この描写はまるで映像を見るように鮮やか。アメリカの力を借りて復興した日本が見える。


 渡辺晋は、まさに、その時代の波に乗った人。


 美佐も同じ。英語堪能な母親のおかげで進駐軍に太いパイプができる。


 ふたりが出会い、結婚。そしてウエスタンカーニバルが始まる。プロデューサー渡辺美佐の功績として有名なエピソード。


 しかし、本当の企画立案者は、のちにホリプロを起こす堀威夫だと、軍司は書いている。


 後半にも堀威夫のことが出てくるが、やたら堀威夫が善人で実力者として描かれている。   


 調べてみたら軍司は現在ホリプロ所属。この文章が書かれた時に、そうだったかは知らないけど、ルポライターとしては、やや偏った印象を後半では受ける。


 前半はウエスタンカーニバルの成功。ピーナッツの売り出しにも成功して「シャボン玉ホリデー」が国民的番組になる。


 渡辺プロダクション、いけいけの時。


 後半は日本テレビとの決裂で坂道を下る。


 そこで再び登場するのが堀威夫。その堀威夫の最大の功績が山口百恵を天塩にかけて育てたことだと書いている。


 これは事実とは思えない。デビュー当時、百恵はホリプロの一押しなどではなかった。


 ホリプロで亜流扱いだった百恵を育てたのは専務だった小田新吾。(石川さゆりも。ホリプロの主流は和田アキ子、森昌子)


 松田聖子も出てくるが、これもサンミュージックが全社をあげてデビューを盛り上げたと書かれている。


 松田聖子を売り込んだのは、CBSソニーの若松宗雄。聖子をどこに売り込んでも相手にされなった。(ソニーの社内でも)それでも、聖子の声に魅せられて育てた。なんとかサンミュージック社長の相澤さんに頼み込み、所属。

 

 しかし、サンミュージックには、同期に違う一押しがいた。


 百恵も、聖子も、軍司の本を読めば、デビューから事務所の総力体制だったみたいだが、事実は違う。


 たかが芸能の話だけど、ルポとしては事実は歪めてはいけない。