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con-satoのブログ

映画を中心にエンタメ、旅などを紹介しています。

 2022年に伝記映画も公開されたプレスリー。(監督バズ・ラーマン、エルヴィスを演じたのはオースティン・バトラー)


 時代を超えたアメリカを代表するスーパースター。なのだけど、今で一度もエルヴィスのレコードもCDも買ったことがなかった。

 

 エンタメに本格的に目覚めた70年代。当時のエルヴィスは「昔の大スター」のイメージ。


 ドーナッツを食べすぎて、どっしりな体型になっていた。そんな体で無理してパツパツのジャンプスーツを着ている時代錯誤なオールドスターというのが正直な、エルヴィスのイメージだった。

 

 その意味では、エリザベス・テイラーも一緒。確かに少女時代は美しかったけど、でっぷりな貫禄で、どうして(70年代になっても)特別扱いされるのか、理解できなかった。

 

 なので、エルヴィスのレコードを買うということは、自分にとっては現実的ではなかったのだ。しかし、時間が過ぎてみると、エルヴィスがいかに貴重なシンガーだったのか理解できるようになった。

 

 アメリカで最初にティーンエイジャーを熱狂させたアイドル。それまでの大人向けのエンタテイナーたちではなく、10代のリスナーと同じ立ち位置のスター。



 

 ベストを聞くと、やはり、歌がうまい。



 それに耳に馴染んだ曲が多い。やはり、並みじゃない大スターなのだ。

 歴史ある銀座のフリーペーパー「銀座百点」。銀座の老舗に置かれている小冊子。

 

 

 テレビの脚本家だった向田邦子が、この冊子でエッセイを書き、それが評判になって、作家になったことも有名。


 生意気な中学生の頃から銀座に行くと、どこかのお店でいただいて、持ち帰った。

 

 日本一番の繁華街、銀座の格を感じさせる冊子。掲載される広告を見るだけでも、銀座には一流の店が集まっていることを実感した。

 

  その最新号を久しぶりに読んでみた。何と!巻頭は「ぎんざNOW」のメモリー鼎談。泉麻人、近田春夫と朝吹美紀さん。この方は一体誰?と思っていたら、番組の後期にアシスタントをしていたそう。

 

 知らなかったけど、近田春夫もその時期に司会をしていたそうだ。そういうメンツなので、当然、彼らの時代の話に特化されていた。

 

 「ぎんざNOW」についてのトークなのに、せんだみつおも、関根勤も、小堺一機も、太田裕美も、清水健太郎も出てこない話って、なさ過ぎる。

 

 これって「ザ・ベストテン」の話をしているのに久米宏が出てこないで、後期の司会をした小西博之とか渡辺正行の話をするようなもの。

 

 それで、このメンツで「ぎんざNOW 」同窓会をしましょう!はないない。

 

 「ぎんざNOW」の個人的な思い出。


 中学時代、この番組のゲストに浅田美代子が出ていた。丁度、番組終了時間近くに銀座にいたので、スタジオのあった三越裏に行った。

 

 15分ほど待ったけど、浅田美代子は出てこない。階段をせんださんが降りてきて「誰を待ってるの?」と聞かれた。「美代ちゃん」と答えると、せんださん「残念!美代ちゃん、帰っちゃたよ」と教えてくれた。

 

 生涯で1回だけの出待ち。


 それにしても、一般人の中学生に声をかけてくれた、せんださん。当時は大変な売れっ子だった。そんな人に声をかけられて、せんださんって、なんていい人なんだろうと思った。


 これが僕の「ぎんざNOW」。

 

 

 1970年代に撮影されて世に出ることがなかった坂東玉三郎の写真が、現在、六本木のフジフイルムスクエアで展示されている。撮影したのは2020年に逝去した写真家・鬼海弘雄。

 

 鬼海に撮影依頼をしたのは玉三郎の実兄だったそう。そんなきっかけで数年にわたり撮影された写真。ある意味、玉三郎の美しさの絶頂期。

 

 歌舞伎では「孝玉」コンビで絶賛を浴びていたころ。そして、玉三郎は歌舞伎の枠をこえて、新劇などにチャレンジしていた。(展示されている作品の中には、平幹二朗と共演した「マクベス」の婦人役の写真も)


 それにしても、どうして、この作品が封印されてしまったかは謎。どこかで、大きな力が働いて、なかったことにされた、という推測は成り立つ。(玉三郎を撮っていた、大物の横槍とか?)

 

 それを阻むことが、時間を経てなくなったので、50年という途方もない時間をかけて、公開された。


 鬼海氏は2020年に亡くなっている。聴くところに寄ると、展示されたプリントに死の間際の病床でサインをされたとか。



 中国・貴州省の山中に住む少数民族「トン族」。しかし、中国中央政府の政策は、彼らの伝統を守る方向には進まず、近代化を無理にでも促進させようとする。


 そんな内容のドキュメンタリー映画「晩夏ノ蝉」。



 

 描かれるのは、そこで伝統的な生活をする一家。おじいさん、おばあさんの世代から孫、さらにその子供まで4世代が暮らす生活。


 その若い夫婦が、この映画の主人公。

 

 彼女は、この村の伝統的な世界が好きなのだけど、夫は都会へ出たいという。すれ違う夫婦。


 辺境の弱小民族の村にも、中央政府の「改革」の波は襲う。若い男は、妻子を置いて、都会に出る。


 妻は「戻って来て」と懇願するが、彼は聴く耳を持たない。都会のネオンの生活。風俗店などに出入りして、アーバンライフをエンジョイしている。


 妻も一度は都会に出るが、性に合わないと村へ戻る。


 映画はその村も政府の手により再開発。今まで住んでいた家がとり壊されるところで終わる。


 その結果が、今の経済破綻した中国の現実。この村はどうなったのだろう?

 千葉に住む知人から数年前に、千葉のお菓子だともらった「ピーナッツ最中」。


 かたちが可愛らしいだけでなく、美味。いっぺんに気に入った。その知人によると千葉県内だけて購入できるとか。


 「成田空港でも売ってますよ」とのこと。でも、東京で買うことができた。


 池袋の東武百貨店。この地下はなかなか実のあるお菓子が並ぶ。都内のほかの百貨店では買えない、老舗コロンバンも、ここでだけ、買える。


 そのデパ地下の全国特選品コーナー。ここにあったのだ。以来、途中下車までしても、池袋・東武に立ち寄り「ピーナッツ最中」を買っている。


 この「ピーナッツ最中」の「そっくり」さんを海老名SAで発見!神奈川県特選品コーナー。何で神奈川で千葉?と思ったけど、まさに「ピーナッツ最中」だったので購入。


▲千葉

▲神奈川

▲千葉

▲神奈川


 裏側を見ると「神奈川県秦野市。名産のピーナッツを使用」と書いてあった。味は美味しかったけど、これ、ありなのだろうか?


 千葉が商標登録しているかはわからないけど、明らかにパクリ。誰が見ても、そっくりでしょ?

もしかして、秦野が早くて、千葉がコピーした?


 でも関東人の常識としてはピーナッツの名産地は千葉。美味しいのだから、いいじゃん!とは思うけど、千葉の製造者の気持ちは複雑だろうな?


 ジョージア(という表現には、いまだに馴染めない。頭の中では「グルジア」)から人探しで、イスタンブールにやって来た老女が主人公の「クロッシング・心の交差点」。

 

 珍しいジョージア人が主人公。片田舎の町からイスタンブールへ、トランスジェンダーの甥(姪)を探しに来る。


「CROSSING心の交差点」★★★★★


 ファーストシーンはジョージアから。昔、教師だった老女が、かつての教え子の家を訪れる。その家には、甥が住んでいたのだ。消息を知らないか?と聞くが、知らないという。


 実はその甥は、トランスジェンダーで女になっているのだ。ジョージアでは暮らし辛いので、イスタンブールへ移っている。


 叔母である老女はイスタンブールへ。そこへ、教え子の弟が旅の友になる。無職でブラブラしているので家には居づらい。


 強引に、老女についてくる。トルコ語やカタコトの英語も喋るというので、仕方なく、同行を許す老女。


 このジョージア人という設定が面白い。ジョージアとトルコは隣国。その微妙な関係もドラマを盛り上げる。


 映画は甥を探し、イスタンブールの街をさまよう姿が描かれる。このイスタンブールの裏町がすごく魅力的。


 決して美しくないのに、人間のぬくもりがある。この映画では、イスタンブールという街が第二の主役。

 

 なんでもありなイスラム教の街でトランスジェンダーになった甥は暮らしている。この老いた叔母は彼に一言伝えたくて、必死に彼を探す。


 生き辛さを抱えるのは、大小はあっても皆同じ。だから、このドラマが心に染みる。

 通勤時間。電車の中で聴くのは、基本クラシック。この時間はスマホをカバンに納め、読書をしている。クラシックは読書のバック音楽としても最適。

 

 最近、リピートしているのはアンジェラ・ゲオルギューの「プッチーニ歌曲集」。

 

 1曲目は「蝶々夫人」の名アリア「ある晴れた日に」。これはもちろん名曲だけど、個人的な好みでいえば、このオペラで最後に歌われる「さよなら坊や」が好き。

 

 オペラらしいドラマチックな曲。蝶々夫人が死ぬ前に、自分の人生を振り返る曲。最後のピンカートンの「バタフライ」の絶叫も切ない。

 

 もちろん「ラ・ボエーム」の「わたしはミミ」も名曲。

 

 オペラ自体はそれほど名作ではないのにアリアだけが突出して有名な「私のお父さん」。

 

 

 それにしても、プッチーニの楽曲は、本当にオペラチック、ドラマチック。

 

 歌唱力だけでなく、美貌も褒め称えられるゲオルギュー。一度、来日公演で拝見したけど、やはり、ため息出るほど美しい。

 

 このゲオルギュー、ロシアのウクライナ侵攻でロシア側を擁護するような発言をしたとかで、欧米の表舞台から締め出されている。(指揮者んのゲルギエフも同様に、欧米からは締め出されている)

 

 芸術家の政治的発言。リベラル寄り発言だけはOKで、それ以外はNGというのは、真の自由ではないのではないか。


 どんな発言をしても、それに賛同できない、それで、そのアーティストには触れたくない、というのは自由の選択。

 

 抹殺してしまうのは、ある意味ファッショ。

 映画記者クラブが選出する「ブルーリボン賞」が発表された。「国宝」は作品賞には輝いたものの、そのほかの主要部門では外された。

 

 毎日映画コンクールでは作品賞が「敵」だった。ブルーリボン賞では「国宝」。毎日では主演男優、監督賞、脚本賞などは獲得。

主演女優は広瀬すず、助演は佐藤二朗と窪田正孝。

 

 ブルーリボンでは監督が山田洋次「TOKYOタクシー」主演男優が妻夫木聡「宝島」助演は佐藤二朗「爆弾」主演女優は広瀬すず「遠い山並みの光」「ゆきてかへらぬ」助演は森田望智「ナイトフラワー」新人賞は「ナイトフラワー」の渋谷龍太。

 

 と見事に「国宝」以外から選んでいる。女優部門はともかく、主演男優(吉沢亮)助演男優(田中泯)以外はないのではないか。特に両方で田中泯が選ばれていない。(ブルーリボン賞では男優2人も選ばれているのに)

 

 もちろん、妻夫木も佐藤二朗も熱演。特に「爆弾」は彼が主演でいい作品。でも佐藤二朗の演技が田中泯を超えていたとは思えない。「国宝」は日本アカデミー賞では田中以外にも渡辺謙、横浜流星が最優秀候補になっている。

 

 日本の映画賞の「国宝」はずし。ちょっと露骨で、イヤな感じ。多分、王道の日本アカデミー賞では「国宝」一色になるだろう。それを意識して、わざわざ「外す」のは違う。(そんな露骨なことが許されるのは「映画芸術」とかつてのビートたけしが勝手に選んでいた「東スポ映画賞」だけ!)

 

圧倒的な存在感

 

「映芸」No.1はもちろん、荒井晴彦監督作品「月と星は天の穴」。ワーストは「国宝」!「映芸術」なら当然!の結果。ある意味、さすがのブレのなさ。

 

 発表された今年に「キネ旬」ベストテン。1位はなんと「旅と日々」。映画関係者の「国宝」排除の負のベクトルパワーには、驚くばかり。

 

 画家を独自の視点で解説する中野京子が書いた「名画で読み解く・ハプスブルグ家12の物語」(光文社新書)を読んだ。ヨーロッパの名家。その歴史は600年にも及ぶ。

 

 13世紀の神聖ローマ帝国の皇帝になったルドルフ1世から19世紀のフランツ・ヨーゼフ、エリザベートの時代まで、一家が書かれた絵画で、この歴史を読み解いている。

 

 ヨーロッパの皇室、貴族は専門の画家に肖像画を書かせている。それがそのまま歴史のドラマになっている。取り上げているのはパプスブルグ一族だけど、それはそのままヨーロッパの中世、近代史。

 

 馴染みがあるのは、やはり、その歴史の中での「劣等生」マリー・アントワネットとエリザベート。さまざまな人が語り尽くしているアントワネットは別にして、近年、ミュージカルの主人公として脚光を浴びるエリザベート。



 

 中野京子の解説によれば、ミュージカルで語られているような「悲劇」のヒロインではないみたい。エリザベートの放浪も、王に嫌われたからではなく、彼女のわがまま。名君カールは、エリザベートに惚れたばかりに、彼女のわがままに翻弄された。

 

 運命とはかのごとくドラマチックで面白い。

 

 

 深田晃司が監督した「恋愛裁判」。企画・脚本・監督が彼なので、ストーリーはオリジナル。でも、物語の下になった事実があって、それをベースにしているそうだ。

 

 齊藤京子演じるアイドルが、倉祐希演じる、同郷の大道芸人と恋愛関係になる。彼女はアイドルより彼を選ぶ。それが所属事務所から「契約違反」だと訴えられ、裁判になる。

 

「恋愛裁判」★★★★☆

 

 多分、自分の世代がアイドル第一世代だと思う。小学校の時に南沙織を好きなり、中学前半は浅田美代子、後半から高校時代は山口百恵。

 

 その世代から見ると、アイドルの恋愛禁止というのは信じられない。アイドルは好きになっても、その対象を虚像(アイドルの意味)だと認識してしていた。

 

 それを承知で、ファンとして応援しているのだ。そこには確実に「フィクション」というフィルターがあった。小学生でも、そのことは理解していた。山口百恵は教室にいる同級生ではない。

 

 その意味で、この映画の「アイドル」の意味は何なのだろうと考えた。どうも20世紀のアイドルと21世紀のアイドルは、同語でも、まったく違った意味のよう。(それも、いい大人が擬似恋愛の対象にしている)

 

 映画では齊藤京子演じるアイドルが、作られたキャラを脱ぎ捨てて、一個の人格に目覚める。

 

 結論は書けないので、ややもどかしいけど、結局、女(の子)は強い。男は社会制度に弱い。それが小気味いい。

 

 これまでインディペンデントの星のような深田晃司が、こんなメジャーな作品を作るなんて思いもしなかった。深田監督、意外なほど女性の感情の機微を描くのが上手だなと再認識。(前作「よこがお」も女性の機微が描かれた映画だった。)

 

(映画の本質には関係ないけど、この映画、東宝が自社製作して、共同製作にはフランスのアート系のMK2が出資している。時代は変わった!)