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映画を中心にエンタメ、旅などを紹介しています。

 2005年に公開された市川準監督作品「トニー滝谷」が4Kリマスターでリバイバル公開中。主演はイッセー尾形。共演は宮沢りえ。

 

 ほとんど二人芝居のこの映画、二人とも二役を演じている。


 イラストレーターとして働くトニーは基本無趣味な男。妻は浪費癖の女性だったけど、彼は気にしない。「妻のすきなように」と鷹揚。

 

 その妻が亡くなってしまう。残されたのは、妻が買いためた膨大な服。妻が亡くなると、トニーはその喪失感を埋めるために、妻と同じサイズの女性を探し、妻の残した服を着せる。

 

「トニー滝谷」★★★★☆

 

 一歩間違えば相当に危ない話。倒錯趣味。でも、市川準の抑制された演出と繊細な色調の画面で文学的な映画に仕上がっている。(原作は村上春樹)

 

 鼻につくといえば、その気取りが鼻につく。市川準はCMディレクター出身。それがコンプレックスだったのか、アンチ商業映画的なスタンスが垣間見れる。(同じキャリアで、少し先輩の大林宣彦も晩年はそうだった)それが一部の映画ファンに高く評価された。

 

 個人的には初期の作品は良かったけど、後期はいかにも「市川準」の世界であまり興味が持てなかった。イッセー尾形も、宮沢りえも好きな俳優なのに、初公開の時に見逃しているのは、そんな理由。

 

 観れば、それぞれ柄にハマった映画。ふたりの抑制された演技も良かった。特にイッセー尾形の二役。自由奔放に生きるオヤジと、生真面目に生きる息子。この演じ分けの見事さ。

 

 80分以下にまとめたのは良かった。これが2時間あったら、重い、暑苦しい。

 

 それにしても、この映画の宮沢りえは本当に美しい。高級ブランドを見境なく買う女の役。それを着こなす宮沢りえ。まるで全盛期のオードリー・ヘップバーンのように美しく服を着こなしていて見事。

 

 坂本龍一の音楽、写真家・広川泰士のモノトーンな撮影も美しい。

 フランソワ・トリュフォーが1966年に映画化したレイ・ブラッドベリー原作の「華氏451」。

 

 英語が得意ではないトリュフォーはフランスで映画化したかったそうだけど、製作費など諸々の事情でロンドンで撮影。トリュフォーにとっては初めての英語作品。

 

 「ある映画の物語」はそのメイキングにあたる日記。日記というスタイルがトリュフォーを気楽にさせたのか、彼自身の性格がそうなのか、表現がストレート。

 

 一番厳しい矛先は主演のオスカー・ウェルナー。この映画、撮影中のふたりの険悪なようすは映画界では伝説的な話になっているようだけど、知らなかった。しかし、この本を読むと、本当に戦争のような状況。

 

 今では、完全にアウトな表現なのだけど、ヒッチコックが「俳優は家畜」と言ったことに「それは正解だ!」とトリュフォーは書いている。それほど、この撮影中での監督と俳優の関係は最悪だったよう。

 

 他にトリュフォーが噛み付いているのは、フランスの巨匠ルネ・クレマン。戦後の「禁じられた遊び」やアラン・ドロンをスターにした「太陽がいっぱい」など不朽の名作の監督として知られるクレマン。



 

 トリュフォーはヌーベル・バーグの旗手的存在。(監督作だけでなく、ヌーベル・バーグの名作「勝手にしやがれ」の脚本も担当)。巨匠のクレマンは、巨匠ゆえにヌーベル・バーグの監督たちからは煙たがられていたよう。

 

 クレマンが監督した「パリは燃えているか」を「あんなオールスター映画を撮るなんて(バカバカしくて)自分には考えられない」とけなす。


 さらにクレマンが映画化を企画していた(現実には製作されなかった)プルーストの「失われた時を求めて」。こんな本を映画化がするなんて「愚の骨頂」「文学への冒涜」だと書いている。

 

 トリュフォーって、こんなに辛辣な人だったのだと驚いた。それだけにストレートでめちゃくちゃ面白かったけど。

 

 田中麗奈が演じているのは黄金に取り憑かれた主婦。平凡な主婦が大胆な手口で100億の黄金を盗むというクライム・コメディ。

 

「黄金泥棒」★★☆☆☆

 

 金を販売しているSGCという会社の全面タイアップ映画だった。森崎ウィンが演じるのもSGCの社員という役柄。ここまでストレートに企業とタイアップした映画も珍しい。

 

 お話は実話をベースにしている。その割には軽いコメディ。

 

 田中麗奈は魅力的。若い時は元気さと清廉さだけの女優さんというイメージ(CM「なっちゃん」の印象が強い)。やや中年にかかる年代になって、幅広い役柄をこなす女優になっている。(「虎に翼」のパンパンの親玉の女性など)

 

 その意味でも、この映画の田中麗奈もいい。森崎ウィンも相変わらず嫌味のない素直な演技。

 

 イマイチなのは脚本。いくら軽いコメディだとはいえ、田中麗奈がなんで金に取り憑かれたかがわからない。森崎ウィンと北海道へ行く話も何か中途半端。もう少し丁寧に説明しないと、唐突な話な展開にしか見えない。

 

 全体に乱暴なのだ。主婦としての田中麗奈の描写も下品。専業主婦であんな手抜きの女なんて。あそこは、完璧に主婦業をこなす女が気の紛れで盗みをしてしまうとしないと、話として美しくない。

 

 だらしない女がだらしなく盗むという下流な展開にしかならない。いくら勘違い女の話でも、そこは話の流れを考えないと、唐突に展開にしか見えないのだ。クライム・コメディと自称するなら、品格がないと、ただの貧乏泥棒の話になってコメディにはならない。(オシャレさがないとね)

 

 それにしても、このSGCという会社、ここまでコケにされていいんだろうか?それでも結構というなら、相当に寛容な会社なんだ。

 トリュフォーが66年に撮影をした「華氏451」。その撮影日記「ある映画の物語」。この日記を読むとトリュフォーの素顔が見えてくる。実にストレートな性格なのだ。

 

 もうひとつ、彼の素顔。それは無類の映画好きだということ。この映画、英語作品(しかもハリウッド資本)なので、ロンドンのパインウッド撮影所が使われている。

 

 この撮影所の規則で、土日は(基本)お休み。フランスでは撮影している時は、土日など関係ない。週末休めるのはリラックスできるて、嬉しいと書かれている。

 

 その土日の過ごし方、毎週、映画を観て過ごしているのだ。映画撮影中に、資料的な意味ではなく、楽しむために映画を観る監督なんて稀だろう。

 

 トリュフォーが観ているのはクラシックな映画。そのほとんどがジャン・ルノワールの映画。(他にはオーソン・ウェルズの「市民ケーン」など)登場するのは「黄金の馬車」「フレンチ・カンカン」「ゲームの規則」など。




 トリュフォーは映画評論家の出身ということもあるけど、本当に映画(観ること)が好きだなと実感する彼の映画愛。


 トリュフォーの感想を読むと、いかにジャン・ルノワールが偉大な存在かがわかる。もう一度、キチンと観直さなければ。

 

 

 アニメ「スポンジボブ」の劇場版「呪われた海賊と大冒険だワワワワワ!」。たまたま時間がピッタリだったので日曜日の朝、渋谷のシネコンで観た。
 
 「スポンジボブ」についてはアメリカでは人気キャラになっていたことは、もう25年以上前から知っていた。
 
 ハワイのデパートにグッズがたくさん売られていた。でもアニメは見なかったので、イマイチ、ピンと来ていなかった。(後年、NHKで放映されていたTVアニメをチラッと見た程度)

「劇場版・スポンジボブ」★☆☆☆☆

 

 この場合はホントにごめなさい。まったくキャラの知識がないので、シニアのおじさんには何が面白いのが理解不能。もともと観てはいけない類の映画。

 

 それにスポンジボブって、もう少し日本でもキャラが浸透しているのかと思ったけど、シネコンは日曜日なのにガラガラ。(普通は「コナン」に行くよね)

 

 ただし、良かったのは「ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ」の短編。(「おもちゃ大パニック」CahtGPTとかAIを題材に、彼らの肖像権問題をテーマにした短編。こっちが長編だったら良かったのに。


 それにしても、タートルズ、まだアメリカでは人気があるのだろうか?初めて目にしたのは30年近く前のような気がする。息の長いキャラ。


 

 

 先日、神保町を訪れた時に買ったフランスの名匠フランソワ・トリュフォーの「ある映画の物語」。彼が1966年に撮影をした「華氏451」のメイキング日記。(翻訳は山田宏一) 

 

 これが最高に面白かった。日記という形態もあるが、非常に正直に自分の思いを書き綴っている。無駄な形容もなく、実に平易な文章でトリュフォーの思いが書かれている。



 

 「華氏451」はレイ・ブラッドベリーのベストセラーSF小説が原作。あまりに有名な伝説的な小説。有名な小説の場合、読者がそれぞれのイメージを持っているので、映像化するにはリスクが多い。

 

 しかも、トリュフォーは「SF嫌い」を公言している。しかし、この物語には惹かれ、極力、従来のSF映画みたいにはならないように心がけ映画化を試みた。

 

 それでもSFであることには変わりないので(セットなど)彼の意図が理解されていない部分には、いらだちを隠さない。結構、赤裸々な撮影日記なのだ。(それが面白い)

 

 一番、赤裸々なのは主演俳優オスカー・ウェルナーへの批判。相性の悪さ。これが、はじめて組んだ相手なら理解できる。でもトリュフォーとは「突然炎のごとく」でコンビを組んでいる。

 

 この「華氏451」で再び組む間は4年。この4年にウェルナーはアカデミー主演男優賞にノミネート。


 日記にも書かれているけどウェルナーがアカデミー賞候補になり、業界的な注目を集めたことが、この映画の製作資金集めに影響した。(もうひとりの主演者ジュリー・クリスティも前年、公開した「ドクトル・ジバコ」で主演候補)

 

 トリュフォーとの確執は、注目の俳優にのしあがったことでの、彼の傲慢さが原因なのだろう。


 この作品までは、世界の映画界から注目を集めていたウェルナー。キャリアの後半は目立った活躍をできなかった。


 一方、トリュフォーが絶賛するクリスティは生涯4度のアカデミー賞候補になり、「ダーリング」で受賞している。

 

 スターになった、俳優の自意識、驕りは禁物なのだ。



 実話を基にしているという「ヴィットリア抱きしめて」。主人公はナポリでヘアサロンを営む中年女性。男の子3人を産んで、子育て中。長男はもう大きくなっているけど、末の子はまだ幼い。3人の子供に恵まれているけど、彼女は女の子が欲しい。できれば女の子の養子を迎えたいと考えるという話。

 

 彼女は死んだ父親が女の子をすすめる夢を見たという。男ばかりの家庭にうんざりしている彼女の願望がそんな夢を見させたのかもしれない。でも、その想いを止めることはできない。しかし、周囲は全く理解を示してはくれない。



「ヴィットリア抱きしめて」★★★★☆

 

 日本ではあまり養子が制度的に定着していないように感じる。欧米では比較的当たり前にようになっているのは宗教の影響なのか。

 

 子供を育てたいと思えば、養子という選択肢が日常にある。それでも、この映画の主人公は3人も子供がいるので、イタリア国内では養子を紹介してもらえない。

 

 それでも諦めきれない、彼女の思いに寄り添えるかといえば、簡単にはできない。それでも、思う気持ちの強さ。どうしても諦めたくないという彼女の気持ちで周囲を納得させてしまう。(一番反対していた夫でさえも)

 

 ラストに登場する幸せそうな家族写真。明るい笑顔には嘘がない。幸せのかたちなんて、他人が決めるものではなくて、自分が求めるもの。そんなことを考えさせられた映画。

 先日の自民党大会での高市首相の憲法改正発言以来、また憲法論議が盛ん。相変わらず野党は議論すらタブー。どうして、そこまでタブー視するのか、理解できない。



 

 他国を見れば、少なくとも先進国は何度も憲法改正をしている。第二次世界大戦で日本と同じように敗戦国だったドイツはなんと67回も改正をしている。

 

 改正をしていなく国なんていうのが例外中の例外。それなのに、議論すらいけないというのは、一体、なぜなんだろう。

 

 戦後、アメリカの強力な後押しがあって日本に警察予備隊が結成され、それが自衛隊になって、半世紀以上。自衛隊は誰が見ても軍隊だと思うのに、軍隊とは名乗れない。その矛盾。

 

 憲法改正反対派は、自衛隊の存在すら許していないのだろう。しかし、防衛手段を持たない国家なんて、存在しない。そんなのはファンタジーの世界。

 

 「戦争反対」と偉そうにいう人がいるけど、戦争がない方がいいのは当たり前のこと、でも、世界を冷静に見たら、戦争、紛争がまったく世界中でなかった時代なんてない。世界のどこかでは戦争や紛争が起こっている。

 

 日本だけ平和なんて未来永劫続くわけはない。望みなどしなくても、巻き込まれてしまうことがあるのが戦争の現実。「NO MORE」とプラカードをあげれば、巻き込まれないなどということ絶対ない。

 

 それに憲法改正というと9条だけの話になるけど、他の項目だってある。どちらにしても、議論はすべき。しないのは思考停止。


 毎度、毎度、こんな話になるのがバカバカしい。特に中道の議員は偉そうだけど、議員数でも、支持率でも、国民からは見放されているという現実を見るべき。(もちろん、共産党、社民党のみなさんも同様)

 平日の朝の7時台。基本的には、ジムでTVを見ながら自転車をこいでいる。見ているのはNHK-BS。


 7時15分から朝ドラ旧作のリピートを見て、30分からは朝ドラ新作の流れ。45分からの番組は、見たり見なかったり。(たいていは見る)

 

 この時間、民放のニュースを見る気はしないし、地上波NHKも締まりのないニュースを流している。(特に週末は)。


 BSの民放はほとんどが通販番組。選択肢がないのだ。

 

 それでも朝ドラが面白かったら、旧作、新作で30分は楽しめる、はず。ところが、今作の朝ドラ。3週目が終えて、まったくといっていいほど、つまらない。

 

 

 江戸末期の生まれ、明治を生きたヒロインという設定は朝ドラとしては定番中の定番。(前作「ばけばけ」は同時代。神木隆之介&浜辺美波が主演した「らんまん」も)。

 

 ヒロインが職業夫人であるというのも定番。(「虎に翼」「ブギウギ」などなど、ほとんどの朝ドラ)

  

 このようにがっちりな定番の要素が揃っているのに、まったく、面白くないのは珍しい。(さらに東京制作で駄作ということも。大阪制作の場合、2割3割で駄作の可能性)

 

 もう、見なくてもといいなと思ったのは、やたら、あの時代の有名人を登場させること。大山巌、勝海舟、それに坂東彌十郎演じる清水卯三郎。

  

 明治時代の政界財界を支えた有名人がヒロイン達と偶然出会い、手助けをする。そんなに都合のいいことなんて、あるわけない。


  ヒロインのモデルになっている人はいるようなのだけど、このエピソードは創作。モデルになった人が大山巌と知り合いだったりする事実はまったくないらしい。


 こんな創作をばかばかしいなと思い、今週から完全にリタイアした。

 

 もっと悲惨なのは7時45分からの「田中美佐子の自転車旅」。火野正平亡き後の2代目。


 こういう番組って、出演者のキャラに依存している。田中美佐子は一言でいって品性がない、

親しみやすさと下品を勘違いしている。


 あの番組は火野正平という、たぐい稀なキャラだから、長く愛されたのだ。あんな名番組をぶち壊しにされて、怒りすら感じる。(たかがTV番組なんだけどね)

 ハンガリーのアニメ「ペリカン・ブルー」。描かれるのは社会主義の崩壊により、自由を得た若者の旅への憧れ。それを突飛な方法で実現した話。

 

 ペレストロイカの影響で、長い間ソ連の支配下にあった東欧の国々に自由が訪れる。外国へ旅行することも認められる。でも、問題はお金がないこと。その問題に若者たちは偽造切符を作って旅をする計画を立てる。

 

 そんな実話をもとにしたアニメ。時折、実写の映像が挿入されるのは、この作家の定番スタイルらしい。



「ペリカン・ブルー/自由への切符」★★★★☆

 

 78分のアニメ。ネットではアニメにする必要がないのでは、との意見。でも、アニメにしたことで、逆に、当時のことにリアリティを感じたし、オフビートなノリの笑い要素が加わった。

 

 たまたま知り合った若者3人。旅に出たいという願いだけの共通点。3人で知恵を出し合い、なんとか偽造チケットを作って旅をする。それまで、国家に縛り付けられた若者が手にした自由。

 

 自由なんて当たり前で育った日本人にはわからない自由の重みを感じる。それだけに「偽造切符」を作って、国家権力をあざ笑いタイ彼らの気持ちは理解できる。

 

 そして、そんな行為が、だんだん周囲に知られて、商売になる皮肉。それがキッカケで仲間割れするというものも、お金にまつわる「あるある」な展開。

 

 ハンガリーは今、選挙で大変な転機を迎えている。ソ連から解放されても、その時代のノスタルジーが完全に消えることなく「あの時代の方が良かった」と思う人もいる。政権は独裁的なロシア親派。しかも、長期政権だった。


 その政権の是非が問われたのが今回の選挙。結果はロシア寄りだった長期政権を揺るがしている。


 そんなタイミングで観たハンガリー映画。この国の若者が自由を謳歌するように願いたい。