横浜指路教会
以前にもブログに書きましたが今日前を通ったので。写真はJR桜木町駅とJR関内駅の間にある横浜指路教会。この建物はフランス初期ゴシック風の鐘塔とバラ窓が印象的。改めてウィキペディアで調べてみると・・・
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日本基督教団横浜指路教会(にほんきりすときょうだんよこはましろきょうかい)は、横浜市中区尾上町6-85にあるキリスト教会。1874年、ジェームス・カーティス・ヘボンにより、ヘンリー・ルーミスを初代牧師として関内居留地に設立された。「指路」とは旧約聖書にある地名・人名のシロ(Shiloh)であり、ヘボンの出身教会名でもある。
その後現在地に移ったが、当時の教会堂は関東大震災で倒壊した。現在の教会堂は1926年に再建されたものであり(その後横浜大空襲でも内部が全焼している)、現在は横浜市認定歴史的建造物となっている。
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日本基督教団横浜指路教会(にほんきりすときょうだんよこはましろきょうかい)は、横浜市中区尾上町6-85にあるキリスト教会。1874年、ジェームス・カーティス・ヘボンにより、ヘンリー・ルーミスを初代牧師として関内居留地に設立された。「指路」とは旧約聖書にある地名・人名のシロ(Shiloh)であり、ヘボンの出身教会名でもある。
その後現在地に移ったが、当時の教会堂は関東大震災で倒壊した。現在の教会堂は1926年に再建されたものであり(その後横浜大空襲でも内部が全焼している)、現在は横浜市認定歴史的建造物となっている。
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TOWER OF POWER/GREAT AMERICAN SOULBOOK
昼時に馬車道のディスクユニオンにぶらりと立ち寄ったら、結構サラリーマンで混んでいた。最近CD店はどこも元気が無いけれどディスクユニオンは音楽好きはたまりません。

今日は2009年に発売されたタワー・オブ・パワーのソウルカバー集を購入。結成40周年記念に発売されたこのアルバムは60年代、70年代のソウルの名曲を豪華ゲスト陣を迎えて録音。T.O.P.ならではのアレンジでソウルの名曲が蘇ります。
アメリカン・ソウル・ブック/タワー・オブ・パワー



今日は2009年に発売されたタワー・オブ・パワーのソウルカバー集を購入。結成40周年記念に発売されたこのアルバムは60年代、70年代のソウルの名曲を豪華ゲスト陣を迎えて録音。T.O.P.ならではのアレンジでソウルの名曲が蘇ります。
アメリカン・ソウル・ブック/タワー・オブ・パワー






馬車道いなり寿司専門店「泉平」
関内に行ったので馬車道交差点ある、いなり寿司専門店『泉平』(いずへい)へ。ここは1839年(天保10年)に創業という老舗です。まぁ、横浜市内にはここ以外にも直営店やこの弁当を取り扱っているスーパーなどもありますけどね。



濃いめの甘辛いタレがたっぷりと染み込んでいて、酢飯とのマッチングも絶妙でないなり寿司。ちょっと甘すぎるかなと思うんですけどこれがまたクセになるんですよ。

細長い形も特徴的です。中にはしっかりと酢飯が詰まっています。ちなみに北鎌倉駅前にある「光泉」というところのいなり寿司ものも同じく細長いタイプ。こちらにはごまが乗っています。微妙にタレの味が違うんですがこちらもおすすめ。

泉平馬車道本店
神奈川県横浜市中区尾上町5-62
045-681-1514




濃いめの甘辛いタレがたっぷりと染み込んでいて、酢飯とのマッチングも絶妙でないなり寿司。ちょっと甘すぎるかなと思うんですけどこれがまたクセになるんですよ。

細長い形も特徴的です。中にはしっかりと酢飯が詰まっています。ちなみに北鎌倉駅前にある「光泉」というところのいなり寿司ものも同じく細長いタイプ。こちらにはごまが乗っています。微妙にタレの味が違うんですがこちらもおすすめ。

泉平馬車道本店
神奈川県横浜市中区尾上町5-62
045-681-1514





旧露亜銀行「la banque du LoA」
みなとみらい線の「日本大通り駅」から中華街方面に歩いていくと旧 警友病院別館(旧露亜銀行)が今も残されています。ここはしばらく神奈川県所有の空き家でしたが去年の秋、結婚式場 「la banque du LoA(ラ・バンク・ド・ロア)」としてオープンしました。現役の頃は露亜銀行横浜支店(露亜銀行とは、露清銀行のロシア資本と北方銀行のフランス資本が合併して出来た外国資本の銀行)として活躍し、移転してからはドイツ領事館、横浜入国管理事務所、警友病院別館として使われていました。この建物は、1921年(大正10年)頃にイギリスの建築家のB.M.ウォードの手によって設計され、関東大震災で横浜市内の多々の建物が崩壊されていく中で唯一残った神奈川県において外資系建物唯一の遺構でもあります。



夜の雰囲気もなかなかいいですね。






夜の雰囲気もなかなかいいですね。






