複雑系レトリック~自営業白書~ -37ページ目

私の作曲方法と作業工程

ギター

こんにちは。複雑系自営業者のコンプレクソロジストです。ごきげんいかが?



私は彼女の誕生日に歌を作曲してプレゼントする計画を立てています。

誕生日は10月ですが、かなりのブランクがあるのであんまりゆっくりしていられません。


カンを取り戻すために既存の曲をコピーして録音したりしていますが、最近やっとこさ機材の使い方・・バランスの取り方をちょっと思い出してきたところです。




今日は私の作曲の方法、自分なりの哲学を文章にしてみようと思っています。



まず大前提として、曲を作るスタイルは人の数だけ存在すると思います。


ピアノで交響曲を作曲出来る人もいるし、ギターがないと作曲できないという人もいますが、私は作曲をするときに楽器を全く使いません



というか、逆に楽器があると曲が出来ないんですよね。(`Θ´)



恐らく、頭の中に流れるメロディーを実際の音が打ち消してしまうんだと思います。

ピアノやギターの音は聞こえても、頭の中のメロディーが聞こえなくなってしまうんです。





ですので私の作曲スタイルは「鼻うた」という大分類にカテゴライズされるものだと思います。



ふんふんふふーーん♪ って感じでつぶやいて、そんで譜面に音符を書いていきます。




20才のころ原宿で勤めていた私は、会社帰りに代々木公園で作曲したりしてました。


代々木公園にはそりゃもう見事なでーーっかい松の木があります。あんなでかいの他で見たことないです。



その松の木の向かいに座って、ぼーーーーーーーっと鼻うたを歌うわけです。




ハタから見ると結構ヤバイですけどね。


夕暮れ時に松の木の前で放心して、ぶつぶつ言っている若者・・・(`Θ´)


しかも紺の安物スーツといういでたちで、ネクタイなんかオヤジのお下がりです。胸元から高度成長時代の最先端が覗いています。




それでも、私にとっては心を落ち着けてなにも持たずにボケーっとするのがマイスタイルなんです。





顕著にこれが表れるのは「寝る前」で、私はよく寝入る直前に音楽が浮かぶことがあります


たいていこういうときに浮かぶメロディーは自分ではすごく「いいな」と思えるものなのですが、なんせほら、眠いから(笑


そのまま寝てしまうことが圧倒的に多くて、これまで失われた音楽は数知れません。




どうやら私は、作曲するときはリラックスしていないとダメみたいです。

アルファー波が出まくっている時に曲が出来るクサイ。



いかにも締め切りに追われる商業音楽に向いていません(笑


追いつめられて力を出すタイプじゃないんですね。





作曲は調子がいいときほど全体像が一気に浮かんできます


メロディーだけではなく、バックの演奏や、時には歌詞までが完成系となって降りてくることがあります。



こういった瞬間に音楽の理論や方法論は不要。


記録を出来さえすればそれでよくて、自分で作ったという自覚すらありません。




そんな私にとっての作曲は記録することが最も重要な課題で、最近は携帯電話のメモ機能を使って鼻歌を録音してみたり、譜面の切れ端を持ち歩いてメモしたりしています。





そして記録した音楽を実際の音にするプロセスが結構大変です。

サクサクっといってもきっと1週間くらいかかると思います。




まずパソコンでカラオケのデータを作ります。


ドラムとかベースとかをパソコンに入力していき、その後にピアノやバイオリンのセクションなどの装飾的な音をつくっていきます。

これがいわゆる編曲っていう作業なんですけど、これがすごい楽しいんですよね。



私は作曲するときに苦痛を感じることがあります。

締め切りがあればなおさらですが、とにかくゼロの状態からなにかを生み出すのって大変だと思いますし、そういったものを仕事にされている方をすごく尊敬します。



一方で編曲というのは、作曲という骨格が出来上がった上での作業ですから、肉付け・・・絵で言うと塗り絵みたいなもんだと思います。


塗り絵は楽しいですよね。多少脳を使いはするけど産みの苦しみはありません。



「作業」と「創造」がバランス良く含まれているのでとても楽しいです。


生み出す作業に比べたら、批判や批評や評論というのはとてもラクチンで、楽しいものです。




ベースになるカラオケが完成したら、必要に応じてギターなどの生楽器を録音します。


ここで録音してくれるのもやっぱりパソコン。パソコンってほんとすげぇです。(`Θ´)




私の場合、ギターもかなりのブランクがあるのでこの作業はわりと大変です。


練習して、何度も何度も録音して、マシなやつを採用!みたいな感じ(笑



そして歌を録音します。


私は結構歌が得意ではありますが、やっぱこちらもブランクがあってだいたい1日がかりの作業になります。


訓練されたボーカリストというのは2時間くらい歌い続けていても喉をいためることはありませんが、私は歌のレッスンは本当に少ししか受けたことがなくて、そうですね・・・だいたい30分くらいで音質が変わってしまうヘタレボーカルなんです(笑



休憩しながら、音質をよく確認しながら、はずれているところをもいっかい録音しながら・・・そんなことやっていると軽く1日が過ぎてしまいます。



そして最後にこれらの音をすべてミックスします。


音量や音が出てくる位置を調整して、その他の音響効果を付け加えながら完成系に仕上げる作業。




私が音楽の仕事をしていたときは師匠に褒められることはほとんどありませんでしたが、このミックスの作業だけはわりと褒めてもらっていました


どうやら全体のバランスを取るという作業が得意らしい。


録音の全体のプロセスを通じて、ある程度自信が持てるのはここだけです(笑



ここ4日くらい集中的に作業をしていて、かなり当時の感覚が戻ってきました。


とりあえず今月一杯を目標にしてブログで一曲ご披露したいと思っています。




ところで最近、音楽と料理の共通点について思索を巡らせています。この両者は非常によく似ています。


まとまり次第記事にして皆様にご覧頂きたいと思っています。(`Θ´)

カンフーハッスルを支える技術と発明

マトリックス

こんにちは。複雑系自営業者のコンプレクソロジストです。ごきげんいかが?



昨日は久しぶりに二人で映画を見ました。



カンフーハッスル!! (`Θ´)



私はカンフー映画に目がありません。

目がありませんとか言うわりにはかなり遅れていますがそこはカンベンしてください(笑



少林サッカーもおもしろかったけど、いやはやチャウシンチーって人はほんとにブっとんでるなと思います。



「こうだったら面白いよな」と思うようなことをどんどんやってくれる。



あんまり有名じゃありませんが、私はチャウシンチーの食神という映画も大好きです。料理対決カンフーを混ぜてるんですけどね・・・まぁとにかくなんでもカンフーですよ。

料理もカンフーも好きな私にとってはオアシスのような映画です。(`Θ´)




私はとにかくラブストーリーものをかなり敬遠しており、ゴーストもタイタニックも見ていない人間です。



もちろん、見てみたらきっと激しく感動すると思います。多くの人を引きつける映画ですから。

ただ、見て感動するよりは、あっさり、さっぱり、終了!みたいな後味を求めるタイプなんだろうと思います。



それと自分の中をよく観察してみると、恋愛の映画で感動するのが「もったいない」と感じている部分もある(笑


これはうまいこと説明が出来ませんが、その部分は現実世界のために取っておきたい・・・そんな風に思っているのかもしれません。



あまりに感動すると心をかき乱されます。

私は心をかき乱されることが嫌いですので、そうしたインセンティブになる映画を敬遠してしまう面もあります。





なにより、私は映画に夢の世界を求めているのでしょう。


なるべく現実ではあり得ないようなことを、さも本当のように表現する映画が大好きなんです。



だから尋常じゃない必殺技を繰り出すアクション映画や、ものすごいハイテクマシンが登場するSFを好んで見ます。

また先ほど申し上げた「後味」という意味においては、コメディーがとにかく好きです。



一言で言うと


ありえねー


と思わせるアホくさい映画が大好きです。





映画を発明したのは、かの有名なエジソンだそうです。



当時彼は映画を自分の発明の中でも最も役に立たないものだと考えていたらしい。


ところが今では莫大な経済効果をもたらす一大エンターテイメント産業になっているんです。



この乖離はどこから生まれたものなのでしょうか。



エジソンは


「誰もが行けば見ることができる映像に、お金を払うやつなんかいないだろう」


と考えていました。



映写機が発明された当時の映画は、例えば列車の映像をだらだらと撮影したものをただ流す・・交差点の風景をただ上映する・・・つまり


動画を撮影する機械がある

 ↓

なるべく動いているところを撮影する



という非常にシンプルな表現方法に限定されていたと言えます。



確かにこれだけだと、最初は物珍しくて見るかもしれませんが、すぐに飽きてしまうことでしょう。

しかも白黒だし、音もないし、実際に見に行ったほうがはるかにマシですよね。


ではこの「ただ動く物をえんえん流し続ける映画」と昨日私が見た「カンフーハッスル」との違いはなんでしょうか。是非考えてみて下さい。






当時放映された映画の中に「線路の脇にカメラを固定し、列車が走る様子を撮影した」ものがあります。


この映像のイメージはむこうがわから小さな列車がどんどん近づいてきて大きくなり、左端から列車がどんどん消えていく・・・珍しくもなんともない映像です。

当然のように遠近感から列車の大きさは変わるわけで、最後にはカメラの位置より後ろに行けばフレームの外に出て、列車は消えてなくなります



ところが当時この映像を見た人の中には近づいてくる列車にびっくりして、あわてて椅子ごと避ける人なんかがいたらしいですよ(笑


また消えた列車がいったいどこに行ってしまったのかを議論する人などもいました。




新しい技術に初めて触れた人の反応は、とてもおもしろいです。悪いけど相当笑えます。


余談ですが、電話なんかも同じですよね。



昔は電線にフロシキがぶら下がっていることが少なくなかったそうです。


これ意味わかりますか?



つまり声を伝えるのが電線であるのなら、フロシキをぶら下げておけば遠く離れた人に荷物を送れるんじゃないかと考えた方がいたわけですね(笑


遠く離れて暮らす息子に荷物を送ってあげようと、電柱によじのぼってフロシキをぶら下げる父・・・・



微笑ましすぎて涙出そうになります。(`Θ´)




またファックスが普及しはじめた当初も似たようなことがありました。


孫が書いたイラストをファックスで受け取ったある祖父母は、せっかく書いたのにこっちに送ってしまったら孫の分がなくなってしまうじゃないかと心配したのだそうです。


送信された紙そのものが届いているのだと思ったわけですね。



イラスト原本がやはり孫の手にあると聞いた祖父母は「じゃあこれはいったいどこからやってきたんだ」といぶかしく思ったことでしょう。





さて、映写機を発明したエジソンは仕組みを知っていますので、列車が近づいて避けることはなかったと思います。


しかしそれを受け取る大衆にとっては、ただ動く映像はわりと刺激的なものだったようです。




それでも仕組みが分かってしまえば、列車に驚くことはなくなると思います。

つまりすぐに飽きられてしまうことでしょう。



それでは何故、すぐに飽きられてしまうはずの映画が未だにエンターテイメントの王様で居続けられるのか、その秘密は


編集


という技術にあります。



先ほど申し上げた、大昔の映画とカンフーハッスルの最大の相違点はこれ。




映写機という発明も重大なら、編集という技術も同様に偉大な発明であると言えます。



少し具体例をご紹介します。


最初に編集技術が使われたのは、火事で逃げ遅れた人を消防士が救出するという非常にシンプルな映画です。


この映画ではまず火事で逃げ遅れてあたふたしている人の映像が流され、次に消防車の出動の映像が流れます。



そして次に逃げ遅れた人が倒れる映像となり、最終的に消防士がその人を救出する映像に移行します。



つまり、カットがあるわけですね。


二つの現場を交互に見せるようにフィルムを切ったり貼ったりしてあるわけです。




それまではただ撮ったものを垂れ流すだけだった映画に編集という技術が加わることによって、観客は登場人物に対する感情移入が可能になりました。


編集が映画に付加した価値は、つまり「ストーリー」です。





編集というのはある意味で


神の視点


だと私は思います。




実際に逃げ遅れた人と消防車を同時に見ることは出来ません

その二つの事柄は別々の場所で行われており、どんなに目の離れた人でも両方見るわけにはいかない。



現実を超越した客観の視点、それが編集だと思います。





カンフーハッスルは高度な技術でフィルムを編集し、あり得ない事柄をどんどん映像にしています。



私はこの映画の音楽の使い方にも着目しました。

なかなか奇想天外・・・のシーンでの音楽を使い、あほらしいシーンでの音楽を使う。うまいと思います。



そしてなにより作っている側が楽しんでいるのがびしびし伝わってきます。


ノリノリやな。(`Θ´)





あり得ないことが描かれなければ、私は映画を見なくなることでしょう。



そしてそのあり得ないことは、いろんな技術や発明に支えられているんだなとしみじみ思ったのでした。

世界をおもしろくしている張本人

ポークソテー

こんにちは。複雑系自営業者のコンプレクソロジストです。ごきげんいかが?



昨日の晩ご飯はポークソテーのワインデミグラスソースです。



昨日、世界陸上が閉会しました。


私は女子マラソンに注目していましたが、やっぱ優勝はポーララドクリフでしたね。


いつも思うんですけど、ラドクリフが走っている姿を基礎知識のない人がパッと見たら、きっとビリの選手だと思うんじゃないかな・・・(笑



ご存じない方にはなんのこっちゃわからんかもしれませんが、とにかくものすごい走り方なんですよ。


誰にも似てない・・・てか個人的にはすごく効率が悪そうに見えます。




正直言うてよかですか?


私はラドクリフの走り方を見て「素人くさい」と思います(笑

素人が言うなって話ですけど・・・




激しく頭を上下に振りながら、しかも肩がすごく上がっていて「力んでいる」ような感じ。



そして、辛そう・・・しんどそうです。(`Θ´)





ところがどっこい、彼女は女子で世界一速いんですよね。


最強なんです!




常識や既存の知識が実はほとんどアテにならないいい例だと思います。




日本では末續の走り方なんていうのもかなり変わっているんですよね?あと北島の水泳もそうだと聞きました。



彼らが何故強いかというと、それは恐らく「自分らしいスタイル」を貫いているからなんだろうなと思うんです。



自分らしい・・というのは語弊があるかもしれません。もっと言うと



自分にフィットした技術






これは私の想像ですが、昔の競技者はこうした個性を「くせ」として修正されたりしていたんじゃないかと思います。


まるで日本の野球選手が全員同じようにバットを構えるようなものです。



私はあまり野球に詳しくありませんが、王さんやイチロー、野茂のフォームが他の人と大きく違うことは容易に見てとれます。




人生に「たら・れば」を持ち込むのは無意味だと思いますが、もし彼らが一般的なスタイルに修正していたとしたら、あのように突出した活躍が出来なかったのではないでしょうか。




相撲で言うと、舞の海など。


彼は立ち合いでジャンプしたり、相手に平気で背中を見せたり、目の前で手をはたいて相手をびっくりさせたりして、それまでの相撲の常識をひっくり返しました。

そして最高位・小結という優れた成績を相撲界に残しました。


舞の海が他の人達と同じように相撲取って、小結になれるとは思えません。






彼らの共通点は、自分からにじみ出てくるものを完全に肯定しているところだと思います。




それを個性ととらえてか、当たり前ととらえてか分かりませんがいずれにしても「自分はこれで良い」と考えているはずです。


そして、そこに迷いがないから高みに立つことができるのだと思うんです。




これは、競技者に限った話ではなく「自分はこうである」という点にフタをし続けると、人間は生きていくのが辛くなるものだと思っています。



例えば、私は小さいときから武器が好きです。


父親にベニア板を切らせて剣を作り、それを振り回して遊んでいました。


ぶっちゃけ一人で遊んでました (`Θ´) ハハハ



かきーん ばきーん とか言うて・・私、こうした一人あそびがものすげぇ得意です。





どんなにマニアックな趣味でも、人が沢山いて分母が増えると仲間が出来るものです


私は中学のときに、私と同じように武器Loveな友人と知り合い、彼とは今でも年に一度は必ず会います。かれこれ15年の付き合いになります。



ところが、高校のときに武器や魔法への興味を悪く言う人がいたらしいんですね。


私は同じ学校でしたがクラスが違ったので、そんな話は今まで全く知りませんでした。



彼は明確に「迫害」という言葉を使いました。





幸いにも、私はそうした迫害を受けた覚えがありません。


てか、もしかしたら私が鈍かっただけかもしれぬ・・・本気でその可能性あると思っています(笑





理由はなんにせよ、未だに私がぶきぶきぶきって言えていることは有り難い話ですし、私は「それでいい」と思っています


私が多様な世界の一部を担っているからだから世界はおもしろいのだと自負している次第。



私は世界が多様だから、生きている価値があると思っています。


もし平らかで、抑揚のない世界なんてつまらなすぎ。おもしろくなさすぎ。



私が、そしてあなたが世界をおもしろくしている張本人なのだと思うんです。(`Θ´)



自分の中からわき上がってくるもの、そしてあなたの中からわき上がってくるものを決して粗末に扱いたくないと思っています。

埋められる差と埋められない差

かめはめ波

こんにちは。世界陸上効果によって変な時間に起きてしまった複雑系自営業者のコンプレクソロジストです。ごきげんいかが?




変な時間に寝て変な時間に起きると、だいたい私の場合変な夢を見ることになります。



今朝はドラゴンボールの孫悟空が出てきました。トランポリンでジャンプしながらかめはめ波の練習をする彼のマネをして、私も懸命に練習していました。


あ、ちゃんと出せましたよ。でかいの。(`Θ´)ハー




世界陸上では福士加代子が5000メートルの決勝にコマを進めましたが、12位という結果に終わりました。


テレビでも何度も言っていましたが、それでもこの結果は「世界の12位」ですよね。



すげぇや!!!もちろん日本では1番なんだろうし。



それにしても長距離の選手ってのはほんとに我々と同じ構造をしているのか疑わしく思います。


あんだけ走った後に、ものの数分でもう普通の状態。息が切れているのって、走り終わった直後くらいのもんですよね。



野口や高橋が金を取ったときもそれを感じました。


私だったら駅までダッシュするだけでも、その後10分くらいはハァハァ言うてるんじゃないかと思いますが・・・



ほんとすごいです。やっぱ鍛えられ方が違うんだな。



短距離では男子リレーも健闘し、決勝で8位の結果を納めました。

8位ってのはつまりこのレースでビリだったわけですけど、日本人のチームが決勝に残るというだけでも本当にすごいことだと思います。




その超人的な姿を見て、私が孫悟空の夢を見たのも頷けようというものです。


そして陸上・・陸上・・・オリンピック・・・あ、体操とか・・・トランポリン・・・みたいな・・・(`Θ´)ムリ?






私は小さい頃から、短距離で日本人がメダルを取るのはムリだと勝手に思っていました。


そこには構造的な違い・・・つまりDNAの違いが存在していて、それを乗り越えるための努力は並大抵じゃないと思います。



相手がそこら辺うろうろしているブラザーだったら勝てるかもしれません。しかし「すごく訓練している黒人」が相手だから、私たちに勝ち目はないんだと思っていたのです。



だけどそうでもなさそうだと感じる今日この頃。

実際既に日本人は短距離でメダルを取っていますし。

マラソンは日本女子が優勝することが多くなってきましたが、考えてみると高橋が初金メダルなんですよね?


それまではやっぱアフリカ勢とかラドクリフとかが強かったわけで(今でも強いけど)、つまりはDNAの差を埋めるなにがしかの要素があるんだなと思うのです。



「めちゃめちゃ頑張る!」


とかはダメですよ。だって相手もめちゃめちゃ頑張っているんだから。そんなんじゃ通用しないと思います。



秘密は二つあるんじゃないかと私は思います。



まず一つめは選手層の厚さです。

これは競技人口の多さと言い換えてもいいです。


たとえばアフリカ人のランナーが99人いて、日本人のランナーがたった一人だけ混ざっていたとしましょう。


ここで日本人のランナーがトップでゴールするのは相当困難なはずです。これは確率の話ですね。



ちなみに私は「井の中の蛙」という現象は確率の論理だと思います。





二つめの秘密、こちらのほうが恐らく重大ですが、それは


技術 



ではないでしょうか。



日本女子マラソンにどんどん力をつけているのは、これまで培ってきた技術・・・つまり戦略だと思います。





私は武術をたしなみますが、武術の目的は「相手を倒す」ことにあります。


これをさらに修飾させていただくとすると、武術は自分より強い相手を倒す」ための技術であると言えます。




体が大きかったり反射神経に優れていたりと数え上げればキリがありませんが、世の中には最初から強い人ってのが存在します


私の経験上、もともと強い人間はなかなか武術に興味を持たないと思います。


武術なんていうものは弱いからやるもんだと認識しています。



その弱い人が、最初から強い人に勝つために行われた先人達の工夫の集大成が武術だと思います。




勝てるはずもない相手をやっつける「技術」なんです。





ところで私の武術の先生が、よくこんなことを言います。



「我も人なり、彼も人なり」



私は武術家が虎を殺したとか、牛を一撃でやっつけたとかいう話を信じられません。


牛触ってみると分かるけど、あんなの絶対にかなうわけないですよ。道理がありません。




武術はあくまでも人を相手にする技術であり、人間の骨格や視野などの前提で成り立っていて、それに特化していて当然なんです。もし牛に関節技をかけようと思ったって、どうしていいか分からないはずです。


自分も相手も、同じ人間である。これは重要なことです。




陸上競技も同様のことが言えますが、馬より早く走れる人間はこの世に存在しません



オリンピックに出場するような人類最速のスピードでもたかだか時速30キロちょっとです。


これでは馬どころか、クマから逃げることもまず出来ませんよ。クマは時速50キロで走ることができます



また、あの鈍重で今にもハラが地面につきそうなカバ・・・カバだって時速40キロ程度で走ることができるんです




ノロそうだと思っていましたか?



ところがどっこい、モーリスグリーンよりも早いんですよ。

あなたが地上でカバに襲われて、逃げ切れる可能性はほとんどありません。


さらにもし水中でカバに襲われたら、逃げ切れる可能性はゼロです。



技術や努力で埋められるような差じゃないんですね。





そのことを考えると、黄色人種と黒人の差なんてものはごくごくわずかなんだなと思う次第。


そのわずかの差を埋めるために、優れた技術を錬磨しているアスリート達。




きっとそんな遠くない未来に日本が短距離で金メダル取るんじゃないか・・・期待を込めてそんな風に思います。


そして逆に、柔道で金を取る黒人とか、卓球で金を取る白人とかも登場するんだろうなと思います。(`Θ´)

夏休み突入 蟻の巣と複雑系

コーヒー

こんにちは。複雑系自営業者のコンプレクソロジストです。ごきげんいかが?

本日から彼女のゴージャス9連休がはじまります。

彼女の会社は休暇やお金の面での待遇「非常にイイ会社」だと思います。

夏休みは全部社休なので有給を使う必要さえありません。3日だけ社休であとは有給使って大型連休にしてねーってのが多いと思いますが、彼女の会社は全部が社休なんですよ!!

お金に換算するとかなりの額になりますし、私自身ここまで待遇のいい会社を他に知りません。

彼女は既に退職時期が決定しているにもかかわらず、しっかり一人前のボーナスを貰いましたし・・・

実際私たちはボーナスについては期待していなかったのでとっても有り難い話です。

今年の夏休みは特に出かける予定などはありません。

本当は旅行に行こうと思っていたのですが、彼女が仕事を辞めるんだったら混んでない時期に好き放題出来ますので、とにかくゆっくり過ごすことに決定しました。

アリの観察もあるし・・・(`Θ´)

それではアリの観察日記をご覧下さい。

巣の写真、参ります。

アリ0812


この写真は昨日の記事にのせたやつです。


そして今朝の状態は

アリ0813

伸びてます・・・掘っています!!!

私が観察していたときはなんと6匹で同時に作業していましたよ!!

たった一日でこんなに掘れるもんですね。すごいや・・

ところで、昨日ちょっと心配していた右上方向に伸びる穴は、案の定地上に貫通しました(笑

これで入り口が二カ所になった・・・いいの?いいのかなぁ・・・(`Θ´)

巣穴の左下先端部分は非常に細くなっていて、掘っているヤツはゼリーを持って上がる際にバックする必要があります

観察の結果、彼らはあんまり目が良くないみたいで、基本的には触覚でより多くの情報を取得している模様。

当然ながら尻には触覚がありませんから、かなり恐る恐る後退している様子がよく分かります。

そしてそんな時に限って、後ろから別のヤツが近づいてきたりするんですね。

触覚で人のケツをサワサワサワサワサワ・・・

バックしているアリはびっくりしていることでしょう。

しかし後ろからやってきたアリは、そんなことにはお構いなしに強引に狭いところですれ違おうとするのです

巣穴を作るプロセスは掘る→広げるという二段階になっているようで、とりあえず一人だけ作業できるスペースがあればどんどん先に進んで、また別の機会にその巣穴を拡張しています。

そんなわけで非常にクソ狭いところで強引にすれ違おうとすると、当然

ムギューーー

って感じになるんですよね。

自分たちが作ったお城に詰まって動けなくなるという、最悪レベルの醜態をなんとか避けるために足をばたばたさせるアリたち・・・

夜中に二人で大爆笑していました。



アリをよく観察していると、あんまり協調性とか感じられないです。

協力して作業しているというよりは、それぞれが好きなように掘っているようにしか見えません。


彼らは非常にシンプルなプログラムによって動いているわけですが、それぞれが別々に単独で完結している生き物です。

それなのにこうして全員が同じように作業を行い、現時点でほぼナナメ一直線の巣穴が出来上がっているのが不思議です。

実はこうした現象を得意としている分野が複雑系という学問です。

複雑系が取り扱う命題の一つが「シンプルなルールを無数に集めると、複雑な現象が発生する」というもの。

アリたちはこの巣をこれからどうしようと思っているのでしょうか。

恐らくなんも考えてませんね。うん、見ててそう思います。

しかし、シンプルな行動ルールに則って一生懸命作業している彼らが作り出すお城の完成形は、恐らく今からは想像もつかないような状態だろうと思います。

なんか思わぬところからブログタイトルに相応しい内容になっている気がする (`Θ´)