カンフーハッスルを支える技術と発明
こんにちは。複雑系自営業者のコンプレクソロジストです。ごきげんいかが?
昨日は久しぶりに二人で映画を見ました。
カンフーハッスル!! (`Θ´)
私はカンフー映画に目がありません。
目がありませんとか言うわりにはかなり遅れていますがそこはカンベンしてください(笑
少林サッカーもおもしろかったけど、いやはやチャウシンチーって人はほんとにブっとんでるなと思います。
「こうだったら面白いよな」と思うようなことをどんどんやってくれる。
あんまり有名じゃありませんが、私はチャウシンチーの食神という映画も大好きです。料理対決とカンフーを混ぜてるんですけどね・・・まぁとにかくなんでもカンフーですよ。
料理もカンフーも好きな私にとってはオアシスのような映画です。(`Θ´)
私はとにかくラブストーリーものをかなり敬遠しており、ゴーストもタイタニックも見ていない人間です。
もちろん、見てみたらきっと激しく感動すると思います。多くの人を引きつける映画ですから。
ただ、見て感動するよりは、あっさり、さっぱり、終了!みたいな後味を求めるタイプなんだろうと思います。
それと自分の中をよく観察してみると、恋愛の映画で感動するのが「もったいない」と感じている部分もある(笑
これはうまいこと説明が出来ませんが、その部分は現実世界のために取っておきたい・・・そんな風に思っているのかもしれません。
あまりに感動すると心をかき乱されます。
私は心をかき乱されることが嫌いですので、そうしたインセンティブになる映画を敬遠してしまう面もあります。
なにより、私は映画に夢の世界を求めているのでしょう。
なるべく現実ではあり得ないようなことを、さも本当のように表現する映画が大好きなんです。
だから尋常じゃない必殺技を繰り出すアクション映画や、ものすごいハイテクマシンが登場するSFを好んで見ます。
また先ほど申し上げた「後味」という意味においては、コメディーがとにかく好きです。
一言で言うと
ありえねー
と思わせるアホくさい映画が大好きです。
映画を発明したのは、かの有名なエジソンだそうです。
当時彼は映画を自分の発明の中でも最も役に立たないものだと考えていたらしい。
ところが今では莫大な経済効果をもたらす一大エンターテイメント産業になっているんです。
この乖離はどこから生まれたものなのでしょうか。
エジソンは
「誰もが行けば見ることができる映像に、お金を払うやつなんかいないだろう」
と考えていました。
映写機が発明された当時の映画は、例えば列車の映像をだらだらと撮影したものをただ流す・・交差点の風景をただ上映する・・・つまり
動画を撮影する機械がある
↓
なるべく動いているところを撮影する
という非常にシンプルな表現方法に限定されていたと言えます。
確かにこれだけだと、最初は物珍しくて見るかもしれませんが、すぐに飽きてしまうことでしょう。
しかも白黒だし、音もないし、実際に見に行ったほうがはるかにマシですよね。
ではこの「ただ動く物をえんえん流し続ける映画」と昨日私が見た「カンフーハッスル」との違いはなんでしょうか。是非考えてみて下さい。
当時放映された映画の中に「線路の脇にカメラを固定し、列車が走る様子を撮影した」ものがあります。
この映像のイメージはむこうがわから小さな列車がどんどん近づいてきて大きくなり、左端から列車がどんどん消えていく・・・珍しくもなんともない映像です。
当然のように遠近感から列車の大きさは変わるわけで、最後にはカメラの位置より後ろに行けばフレームの外に出て、列車は消えてなくなります。
ところが当時この映像を見た人の中には近づいてくる列車にびっくりして、あわてて椅子ごと避ける人なんかがいたらしいですよ(笑
また消えた列車がいったいどこに行ってしまったのかを議論する人などもいました。
新しい技術に初めて触れた人の反応は、とてもおもしろいです。悪いけど相当笑えます。
余談ですが、電話なんかも同じですよね。
昔は電線にフロシキがぶら下がっていることが少なくなかったそうです。
これ意味わかりますか?
つまり声を伝えるのが電線であるのなら、フロシキをぶら下げておけば遠く離れた人に荷物を送れるんじゃないかと考えた方がいたわけですね(笑
遠く離れて暮らす息子に荷物を送ってあげようと、電柱によじのぼってフロシキをぶら下げる父・・・・
微笑ましすぎて涙出そうになります。(`Θ´)
またファックスが普及しはじめた当初も似たようなことがありました。
孫が書いたイラストをファックスで受け取ったある祖父母は、せっかく書いたのにこっちに送ってしまったら孫の分がなくなってしまうじゃないかと心配したのだそうです。
送信された紙そのものが届いているのだと思ったわけですね。
イラスト原本がやはり孫の手にあると聞いた祖父母は「じゃあこれはいったいどこからやってきたんだ」といぶかしく思ったことでしょう。
さて、映写機を発明したエジソンは仕組みを知っていますので、列車が近づいて避けることはなかったと思います。
しかしそれを受け取る大衆にとっては、ただ動く映像はわりと刺激的なものだったようです。
それでも仕組みが分かってしまえば、列車に驚くことはなくなると思います。
つまりすぐに飽きられてしまうことでしょう。
それでは何故、すぐに飽きられてしまうはずの映画が未だにエンターテイメントの王様で居続けられるのか、その秘密は
編集
という技術にあります。
先ほど申し上げた、大昔の映画とカンフーハッスルの最大の相違点はこれ。
映写機という発明も重大なら、編集という技術も同様に偉大な発明であると言えます。
少し具体例をご紹介します。
最初に編集技術が使われたのは、火事で逃げ遅れた人を消防士が救出するという非常にシンプルな映画です。
この映画ではまず火事で逃げ遅れてあたふたしている人の映像が流され、次に消防車の出動の映像が流れます。
そして次に逃げ遅れた人が倒れる映像となり、最終的に消防士がその人を救出する映像に移行します。
つまり、カットがあるわけですね。
二つの現場を交互に見せるようにフィルムを切ったり貼ったりしてあるわけです。
それまではただ撮ったものを垂れ流すだけだった映画に編集という技術が加わることによって、観客は登場人物に対する感情移入が可能になりました。
編集が映画に付加した価値は、つまり「ストーリー」です。
編集というのはある意味で
神の視点
だと私は思います。
実際に逃げ遅れた人と消防車を同時に見ることは出来ません。
その二つの事柄は別々の場所で行われており、どんなに目の離れた人でも両方見るわけにはいかない。
現実を超越した客観の視点、それが編集だと思います。
カンフーハッスルは高度な技術でフィルムを編集し、あり得ない事柄をどんどん映像にしています。
私はこの映画の音楽の使い方にも着目しました。
なかなか奇想天外・・・悲のシーンで喜の音楽を使い、あほらしいシーンで哀の音楽を使う。うまいと思います。
そしてなにより作っている側が楽しんでいるのがびしびし伝わってきます。
ノリノリやな。(`Θ´)
あり得ないことが描かれなければ、私は映画を見なくなることでしょう。
そしてそのあり得ないことは、いろんな技術や発明に支えられているんだなとしみじみ思ったのでした。
