DESIGN STUDIO COLOR CODE -189ページ目

レシプロエンジンからモーターに移行していくのか

世間は金融危機、エコ、メタボがキーワードのモノやコトで持ち切りです

エコに対するアプローチや企業努力の方法と方向は色々ありますが
モータリゼーションに関する限り
レシプロエンジンから電気モーターへ移行していくのは明らかになって来ました

1997年に初代プリウスが出た時は230万円くらいの車両価格だった気がします
この時、すでにエコロジー問題について語られていた記憶がありますが・・・
どちらかと言うと先鋭的・・・ラジカルな企業戦略の一つとして認識されていたような・・・

しかし、昨年のインサイトの発売・・・今年に入ってからの新型プリウスの発売・・・
そして今年の補正予算での一定以上の条件を満たしたクルマを購入する際の助成金で
ハイブリットカーへの移行は加速度的に増えて行く事と思います・・・

こんな状況の中・・・バイク業界はどうして行くのでしょうか・・・

バイクは趣味だから・・・と割り切って・・・乗っているから
ハイブリットまたは電気モーターへの移行はないと思っているのが現状です

バイクは不良の乗り物っていう認識も未だに多くの人が持っている・・・
だからバイクは今後も変わっていかない・・・と思っている人が多数派


確かにその通りなんですが・・・

それでは今でもリーゼントでボンタンはいて歩いているのと同じじゃないですか・・・
街にリーゼントで長ラン着て、ボンタンはいてペッタンコの学生カバンを持って歩いている
人がいるのでしょうか・・・


不良のスタイルも時代とともに変わっていくし、何が不良かという認識も時代とともに変わって来ました

バイク自体が不良のスタイルを追い掛ける様なビジネスとして成立していないのに・・・

バイクの情報を発信する方向を変えないといけない時代になって来ているのではないでしょうか・・・

コミューターとしての新しい移動方法としての提案なり、自然と共生出来る唯一の移動手段としての
バイクを作り上がるとか・・・

この不況を乗り切るために取った国としての手段はクルマ産業の衰退を止める事に焦点が行ってしまいました
都市の移動手段としてのバイクのために駐輪場を増設するとか、バイクのレーンも設けるとかのインフラ整備などほとんど不可能です・・・

趣味としてのバイクの存在はすでにあるのです・・・
これを否定する気も批判する気もありません・・・
基本的に趣味性の高いバイクは好きなので・・・

しかしビジネスとして考えるならば、バイクの価値観と存在感をもう一度認識させる企業努力が必要だと
思うのですが・・・・いかがですか・・・


アメリカは先行してこんなバイクも作ってますよ・・・
作っているのはインテリの人たちです

MISSION BIKE


COLOR CODE BLOG


しっかし・・・もうちょっとデザインなんとかならないのでしょうか・・・

イスファハン・・・世界の半分と呼ばれた古都・・・

ちょっと最近忙し過ぎて・・・頭がウマく回っていない感じです・・・
忙しくてもブログはちゃんと更新していこうと思っているんですが・・・

で、こういう時は過去の旅を思い出し・・・
頭の中の世界を広げて、地球規模の空間にして、さっぱりしたいと思います・・・(/ω\)




1991年に当時まだソ連だったロシアの首都モスクワを訪ね・・・その後はトルコを周遊し・・・
そして当時はまだ閉鎖的だったイランに入りました

1991年の日本・・・イラン人が仕事を求めて日本に大挙して押し寄せて来たのもこの頃・・・
代々木公園はそれまでのイギリス人やフランス人、ジャマイカ人達がサッカーをして楽しんでいたですが・・・
この人たちに替わり、
代々木公園はイラン人の憩いの場と情報交換の場になってしまったのでした・・・
その数・・・今時のゴスロリ系のお姉ちゃんやビジュアル系のお兄ちゃん達の比ではありません・・・

日本ではそんな状況でしたが、一方イランではイラン・イラク戦争が終結してからまだ3年あまり
経済的にもインフラ的にも破壊されたまま・・・
仕事を求めて海外に出稼ぎに行くのも仕方のない状況だったのです・・・
イランの街には足をなくした人や松葉杖の人も多く・・・戦争をした国という場面はいくつもありました

そんな状況を頭に入れつつイランに入りました
イランには陸路で入りました


トルコのドゥバヤスィット・・・ノアの箱船が埋まっているんじゃないかと言われている山が見える街・・
から国境のギュルブラックまで行き・・・
イミグレーションを通り、イラン側へ・・・

国境の街バザルガンから乗り合いタクシーでマクーへ行き・・・
マクーからテヘラン行きの夜行バスに乗ったんです・・・

いつも思うけど・・・陸路で国境を越えるって大変なんですよね・・・
待たされるし・・・疑われるし・・・言葉通じないし・・・


そんな訳で翌朝、テヘランに到着・・・
テヘランも面白い街でしたが・・・別の機会に書きますよ!!

イラン国内の旅行は飛行機で回りました!!
しかしテヘランまではバス・・・
このテヘランでもう慣れてしまった闇両替ってヤツで換金・・・
数十ドルで大量のイラン・リヤルを手に入れたのでした・・・
なので飛行機のチケット買っても正規のバスよりも安い・・・

で、僕の旅では珍しく大変快適な旅をしたのでした

ぴゅーんとイスファハンへ・・・
もちろん空港からホテルまではタクシー
ホテルも5つ星の高級ホテル・・・
支払いはイラン・リヤルで・・・
贅沢だなぁ・・・・

このイスファハン・・・色々と旅した街の中でも最高級にキレイな街でした
ゴミがぜんぜんない・・・
道がキレイ・・・
クラクションが鳴ってない・・・
建物も雰囲気のあるモノばかり・・・
知的な何かがある街ってあまりないけど、この街は街全体が知的な感じがするのです・・・


ここでイスファハンって街を語ると・・・

紀元前から存在している街ではありますが、歴史に出て来るのは
イスラム帝国に占領されイスラム傘下になり
11世紀後半にセルジューク朝のトゥグリル・ベクが街を本格的に整備し
以来、セルジューク朝の本拠地として発展したのです

セルジューク朝とは中央アジアに起源を持つトルコ族の一派
この人たちが中央アジアから進出して来て、アフガニスタンを侵略し・・・
イランを侵略し・・・スルタンとしてバグダットのカリフに認められ・・・
その勢いでイスラム帝国を手中に収め・・・一大帝国を築いたのでした

ローマはこの頃は本当に小さな国に成り下がっていました
アナトリア(今のトルコ)は東ローマ帝国の覇権下にありましたが・・・
このセルジューク朝がそのほとんどを占領し・・・
この頃から、あの自慢ばかりしやがるトルコ人がこのアナトリアに住み始めたのです

イスラム帝国の首都はバグダッド・・・
しかしセルジューク朝の本拠地はイスファハン・・・

イスファハンはこのセルジューク朝の繁栄で栄えていったのです

しかし観光名所のイマーム広場はこの後のサファヴィー朝になってからなのです
サファヴィー朝のアッバース一世がこのイスファハンに都を移してからのイスファハンが
今のキレイなイスファハンなのです

これが有名な王の広場(イマーム広場です)


COLOR CODE BLOG


このモスクは有名なタイルで出来たアラベスクがスゴい・・・
ここまで緻密に・・・ここまで徹底してやられると
あら探しなど出来ないです・・・

COLOR CODE BLOG


イスファハンは水の都とも呼ばれています
街の真ん中を流れるザーヤンデルード川は砂漠の地下水が上がって川となりこの街に流れて来ます
この川のおかげで砂漠の中に豊富な水が溢れているのです
その川に掛かる橋・・・スィー・オ・セ橋

COLOR CODE BLOG


夜になるとこんな雰囲気です

COLOR CODE BLOG


ライトアップされ・・・若いカップルがいっぱいデートしていました
もちろん、このカップルたち・・・婚前デートではありません・・・
カップル=夫婦が基本の国なので・・・


川から王の広場側が旧市街・・・こちら側の方が観光客には目の保養になるフォトジェニックな景色が多いんです

裏路地に入るとこんな雰囲気です

COLOR CODE BLOG


この路地裏では子供達が駆け回り・・・ヒジャーブを着た全身真っ黒の女性達が井戸端会議をしています
仕事もなく暇な男性が僕を見かけると皆、自分の家に誘います・・・
つたない英語で「日本はいい国だ・・・」と皆、それから会話が始まります

イランも大陸のほぼ中央に位置する国
歴史上では権力と宗教に翻弄され静かな時を過ごす事のない国です
現在も外交上の問題を多数抱え・・・国内の性的差別・・・宗教的な差別が国際社会の反感を呼んでいます

女性は外国人であれ、外出する時はスカーフを頭に巻かなければならないし
イランの女性はヒジャーブという真っ黒な衣装を着ています
しかし・・・何度か招かれて行ったイラン人の家・・・
家の中では「お母さん・・・そんな服着てどうしたの・・・???」と言いたくなるような
胸が大きく開いたナイトクラブのステージ衣装みたいなドレスを着ているのでした・・・

「お姉さんも同じ服じゃん・・・・」お姉さんもセクスィーなドレスを着て
何処の馬の骨かわからない旅行者を迎えてくれるのでした・・・

伝統的イスラム主義の矛盾を見たような気がします・・・
民主主義、資本主義社会はなんて行っても欲望の社会・・・
どんなに宗教で押さえ込もうがイデオロギーで押さえ込もうが・・・人間、やりたい事はやりたいのです・・
きっと・・・


最後に一つ・・・イランですごく気になった事が・・・
この国・・・ご飯は最悪です・・・

外食産業ってモノがほとんど発達してないです
もちろん5つ星のホテルはまともなモノはありますが・・・
庶民の行くレストランの数は多いです・・・食堂もいっぱいあります・・・
しかし、どれもこれも皆・・・シシ・ケバブ屋です
これしかありません・・・
羊の串焼きの肉をパサパサのご飯に上にのせているだけのご飯・・・
本当にこれしかありませんでした・・・

今はちょっとは変わっているのでしょうか・・・

もう少し食べれるモノでしたらサンドイッチスタンドが道端にいっぱいありました
ショーケースに具がいっぱい並べられていて、好きな具を選んで挟んでもらうシステムです
具のほとんどはまぁ・・・いけるモノでしたが・・・

羊の脳みそだけはサンドイッチにする気になれませんでした
脳みそ、そのままの姿で何十個もトレイの上に並べられているのです・・・

味は想像できますが・・・脳みそがフランスパンに挟まっているのをイメージして
よだれが出るかと言ったら・・・そうでもないです・・・

ちなみに羊の脳みそはトルコで食しました
レモンをかけてさっぱりといただきます・・・


そんな所でした・・・

頭がすっかり大陸の西の方へ行ってくれました・・・
ちょっとは頭がリラックスしてくれたようです・・・




鴨川つばめって今は何をしているのですか・・・マカロニほうれん荘って・・・

漫画はほとんど読まない人です・・・
スゴい嫌いって訳ではないんですが・・・興味を持てる漫画もなくて・・・
ドラゴンボールもハリウッド版が出来て騒がれてますが・・・何がスゴいのかわからないんです・・・

と、いっても小学生の時はマンガが大好きでしたね!
アニメも含めて漫画、好きでしたね・・・
真似して漫画描いて絵を覚えたようなもんです

で、誕生日の日にちょっと「マカロニほうれん荘」を拝借して載っけたら何故か反応よかったんで
「マカロニほうれん荘」について書いてみたくなってしまいました・・・

作者の鴨川つばめは1957年生まれ
少年チャンピオンに連載が始まったのが1977年なので、若干20歳の若さでデビューしているんですね!

この漫画キョーレツに好きだったんです・・・でも鴨川フリークではないです

当時、ギャグ漫画は赤塚不二夫流のマンガがまだまだ人気で・・・
「がきデカ」は小学生では笑っていいのか恥ずかしくした方がいいのか迷う笑いだったし・・・
吾妻 ひでおの「ひたり五人」は笑いとしてはイマイチだし・・・
谷岡ヤスジの笑いは難しくて・・・
永井豪はギャグ漫画よりバイオレンスの方が好きでしたし・・・
「まことちゃん」はどうしてもホラーにしか見えません・・・
「こち亀」の価値観はいまだに理解不能ですし・・・

で、漫画の世界の中の漫画を見てもその価値観に共感できるほど感性がなかったのかも知れませんが
「マカロにほうれん荘」って時おり見せる大人の価値観というか、洋楽や政治的なネタとか
現実味のある恋愛とか下宿暮らしとか・・・現実味があり、小学生として憧れる大人の世界に
非現実的な二人が出て来て騒ぎを起こすのが好きでたまりませんでしたね・・・

この漫画で「クィーン」とか「レッド・ツェッペリン」の洋楽と
大人の行く喫茶店とか、女子大生の色気とか学んだような気がします

で、第1話のきんどーちゃんってけっこうちゃんとした人間のプロポーションで気持ち悪いんです・・・
しばらくすると見慣れた2頭身のきんどーちゃんになるんですが・・・
ちなみにトシちゃんは「ブライアン‥フェリー」がモデルとなっておりますが・・・

単行本の7巻くらいからか・・・絵が変わって来て、どんどんおかしくなって行ったんです
最後の方は話しがまとまらないまま終わったり・・・
スクリーントーンも使っていないペンだけの絵になったり・・・と

後の話しではこの頃、鴨川つばめはノイローゼ気味になっていたと言う事で・・・
それだけ大変なんですね・・・漫画家を続けると言うのは・・・

「マカロニ2」になると当時の僕ではついて行けない笑いで読むのやめました・・・
このあたりの鴨川つばめのインタビューは
『消えたマンガ家』って本で、小山田圭吾と対談しているようです
読んでみたいですね・・・

現在も鴨川つばめは漫画を描き続けているそうですが、漫画はほとんど読まないし・・・
ましてや、掲載している雑誌がかなりレアなものばかりなので僕では追いつきようがないですね・・・

で、「マカロニほうれん荘」の舞台はなんと下井草・・・
けっこう家から近いな・・・
ここにいまだに「マカロニほうれん荘」と書かれた看板がある下宿があるそうです
このサイトに写真があるので見て下さいな↓

マカロニほうれん荘


30年前の漫画が新鮮に思えるなぁ・・・

僕の持ってた単行本はどこに行ってしまったのだろう・・・
まだ実家にあるのかな・・・


COLOR CODE BLOG