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イラストとマンガ ときどき哲学

哲学とイラストとマンガを気の向くままに投稿しています!

こんにちは!

 

思い通りに行かないことは,人と交流すると顕著に出てくるように思う最近である.

 

しかし,それらを無責任にも他のせいにするような考えをしても,

 

決してその課題は乗り越えられない.

 

大切なのは,

 

目の前の環境は,自身が引き寄せている,

 

自身に原因があるという素直な考えを持つことである.

 

 

さすれば,変えるべきは当然ながら,自分自身である.

 

自分自身の考え  である.

 

 

 

自分自身に至らない点があったことを気づかせてくれたんだ.

 

なんてありがたいんだ.

 

そうでこそ,道が拓ける.

 

 

不平を言っていた対象が,感謝の対象にふとすると変わっている.

 

だから,心境で不毛な争いをする必要もなくなる.

 

 

本質を常に見極めて,その通りに生きる.

そうした信念を自分のものとして生きていくんだ.

 

こんにちは!

 

明日から,お盆明けはじめの仕事が始まる人が多いのではないでしょうか!

 

どうせなら,楽しいこと,お給料で何しようかとか考えていきたいですね.

 

三食食べられていること,ミサイルが降ってこないこと,笑顔になれること,おいしいお店があること,

 

いろいろと感謝していれば,つらいことはその分消えるわけです.

 

 

つらいことは,心配して考える必要は本当はないのではと思います.

ただただ,感謝していれば,与えられた道を素直に進めるように思う最近です!

 

 

 

こんばんは!

 

最近,人生の大きな岐路に立つ.

 

自分の判断次第で今後の生活が変わると思うと,どっちが正解なのか

 

安易に決めることができない.

 

しかし,断を下さねばならない.

 

こんなとき,どんな心持ちでいるべきなのか.

少し簡単に大切なことを羅列したい.

 

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◆雑念妄念で霧がかかっている心境の自覚

 

先ず,客観的に自分自身をみると,

 

感謝ができていない.

 

感謝が万事を生成発展に向ける活力の源泉であることを知りながら,

 

感謝ができていない.

 

それは,自分が私心,自己本位な心にとらわれ,

 

何が正しいかを見失っているからであると思う.

 

雑念妄念だらけの心境になり,本当の純な心を見失ってしまっているからだと思う.

 

 

いざというときだから,そのような心境でよいではないのか?

 

否,いざというときだからこそ,一層感謝で生きていくことが大切なのである.

 

感謝が,必ず,目の前の道を切り拓くのである.

 

 

 

◆雑念妄念にながされないために

 

さればいかにして雑念妄念によって霧がたちこめている心境を

 

夕立後の太陽に乱反射する雫を携えた木々のような鮮やかな心境に持っていけるのか.

 

簡単ではない.

 

しかし,自己本位な心がたくさんある限り,

 

道をふみはずしかねない.

自分だけではない.

他者にも迷惑をかけかねない.

 

だから,正しい判断を目指すんだ.

 

 

迷って,雑念妄念がたくさんでてきて,

本当の心が分からなくなった時,

朝と夕で考えることが正反対になってしまった時,

まるで野球の乱打戦であり,心境がまったく落ち着かないようなそんなときには,

 

自分にとってもよく,同じくらい相手にとっても,社会にとっても良い選択を選ぶことである.

 

自己にとらわれている.

眼前の小利にとらわれているからこその雑念が多い.

 

だから,世の人のためという尊い気持ちを引き出してあげることが大切なんだ.

 

 

しかし,最近思うのは,いくら眼前の小利と思っていても,

 

目先のお金,権威,他社からの評価に対して,

 

とらわれてしまう.

 

眼前の小利と分かっていても,全部ほしくなってしまうのである.

 

それを体験した.

 

 

そこで自分自身に厳しく,自分のため,世の人のためという心を堅持していくのが,

 

本当に尊いことなんだと思う.

 

そうあろうと思う.

 

 

そして,そうあるためには,

 

「今」を,この刹那を真剣に生きることに徹することで,かなりの雑念妄念を抑えられると思うのである.

 

未来を考えると,私欲が大きくなる.

ああなればよいな,こうなりたいな.

 

しかし,未来ってのは自分勝手に決められるものなのだろうか.

やはり,大自然の営みの一環であり,ご縁によって決まる面が多いのではないだろうか.

 

されば,我々にできることは「今」この刹那をだれよりも真剣に生きることではないだろうか.

 

中村天風哲人の言葉であったと思う.

 

  過去は及ばず,未来知れず.さしあたるそのことのみをただ思え.

 

 

 

考えないでよいことは考えず,今を全力で生きていれば,必ず運命は拓かれる.

 

それを信じればよいのである.

 

目先のことにとらわれず,感謝で,全体本位の気持ちで,今を生きていれば,

 

自然の理法として,必ず調和した安定した現実が創造される.

 

その理法に信念をもって,生きるんだ.

 

 

 

人生はシンプルである.

 

複雑にしているのは,私心,自己本位な心,雑念妄念である.

 

 

いついかなる時だって,感謝と世の人のためという気持ちで,

「今」この刹那を生きていけば,それで大丈夫なんだ.

こんばんは!

 

感謝をすることは,本当に大切なことだ.

 

ご飯を食べないとやせ細って,つらくなってしまうように,

感謝をしないと心は活力をなくしていき,狭くなっていき,つらくなってしまう.

 

 

幸せって何か?

 

多くの人は外に求めている.

権力,承認欲,お金,おいしいごはん,マイホーム,結婚,,,などなど

 

しかし本当は,幸せは自分の中から出てくると,

多くの哲人,偉人が話している.

その通りと思うのである.

 

もちろん,外に求める幸せもある程度ある.

しかし外に求め続ける限り,その欲は際限をなくし,その人を飲み込む.

そして,欲に駆り立てられ続け,ひと時も安息を得ることはない.

さらにはその欲は大抵満たされない.

満たされたとして,,,その直後に新たな欲が生じる.

 

足るを知った中で外における幸せを楽しむのが爽快だ.

自己本位に堕さずに.

 

 

そして自分の中にある幸せ.

その幸せは心境が融通無碍となり,雑念妄念がない状態で得られる.

 

その「安定」の中に本当の幸せがあるのである.

 

何物にもとらわれていない心境.

そこに光るものがあるのだ.

 

その心境はどんなときに得られるのかというと,

私は利他の気持ちを持ったときと,感謝したときと思っている.

 

 

 

 

感謝は幸せの根源である.

 

さらにここがすごい.

 

縁日での無料の金魚すくいと同じである.

 

だれでもが,幸せをいっくらでも何の対価なくしてすくい放題なのだ.

 

 

目の前のことに感謝するのみなのである

 

 

さすれば,自身の心境は感謝でみたされ,

消極的なことを考える心は雲散霧消していく.

 

しかし,感謝することがそんなにないよという意見もある.

 

 

そこで本題の「感謝の順番」の話である.

 

哲学者の中村天風氏が書籍に書かれていることがある.

 

それは,何か善いことがあったから感謝するのではなく,感謝するから善いことが生じる

 

ということである.

 

 

私は最近,感謝するのに条件を無意識につけていた.

 

「こういったことには,感謝できないかな」

 

勝手に思っていた.

 

 

そうじゃなかったんだ.

 

理由はいらない.目の前のことに真摯に向かい,ひたすらに感謝すればそれでいいんだ.

 

きっかけは,自分の覚悟からである

 

感謝しよう.

 

 

さすれば,幸せが得られる.

 

そして,心境が融通無碍になっていくにつれ,心の各性能は向上していく.

 

運命も健康も好転し,力強く安定が建設されていくのは当然のことである.

 

 

万事に感謝で対応していこうと改めて覚悟を決める今日だ!

こんにちは!

 

先日,観光地にある大きな庭園を散策した.

 

広場にはテーブルと椅子が並んでいて,家族連れやカップルらがゆっくりしていた.

 

 

広場の一角に小さなソフトクリーム屋さんがあった.

 

お兄さんが一人でソフトクリームをつくって,売っていた.

 

 

生乳ソフトクリームとのこと.看板の写真がとても冷たく美味しそうで,

 

その日,たくさん歩き,心地よい疲労感を感じていた自分はすぐさまお店の前に並んだ.

 

 

前には,5歳くらいの子供とそのお父さんが並んでいた.

 

 

お店のお兄さんがソフトクリームをその子供に手渡す.

 

そこで気づく.

 

ソフトクリームの回転が明らかに一段少ないのだ.

 

量が明らかに少ないのである.さらに形が崩れとる.

 

 

私は,子供の気持ちを気遣った.

 

せっかく庭園の中で,家族で楽しく過ごしていたのに,

 

このソフトクリームはないや.きっと心に木枯らしが吹いているだろう.

 

まあ,人生はそういうこともあるもんだぞ...

 

にしても,店員さん,もっとプロらしくしてほしいなぁ

 

 

 

しかし,私の心配とは裏腹に,

 

その子供は,純真できらきら輝いた目をして,

 

「お父さん,このソフトクリームすごいおいしそう!」

 

と本心から言葉にしていた.

 

幸せをかみしめた表情をしていた.

 

 

そんなことがあり,

自分の至らなさを改めて反省したのである.

 

自分はソフトクリームを見た時,ないものを数えていた.

 

しかし,子供はソフトクリームを見た時,あるものを数えていた.

 

その子供にとっては,ソフトクリームが少し少なかろうと,形が崩れていようと,

 

「ソフトクリームが食べられる」

 

そのことだけで,心のそこからうれしく,幸せだったんだ.

 

 

ソフトクリームの量や形にとらわれて,

 

ないものを数えていたらつらい.

 

そうして食べたソフトクリームはきっと味がしない.ただ,胃袋に入れただけだ.

 

たとえ,量と形が理想であっても,な~んにもとらわれずに感謝している人と比べたら,

 

ソフトクリームの味はまだまだだろう.

 

何にもとらわれず,あるものにまごころから感謝する.それは幸せだ.

 

ソフトクリームの味は,至高の味になるだろう.

 

 

これはソフトクリームだけじゃないとも思う.

 

お金に,権力に,人の目にとらわれていやしないか.

 

ブランドバッグで一喜一憂するのは人間のきれいな心だろうか.

 

承認欲求にとらわれて,無理をしてはいないだろうか.

 

 

本当は,あるものをただただ感謝していれば,幸せなんじゃないだろうか.

 

幸せは,外にあるのではない.

 

幸せは,その人の内側から出てくるんだ.

 

 

 

ちなみに,私のソフトクリームも,もれなく一段少なく,形が崩れていた.

 

しかし,私に5歳の子供が大切なことをことを教えてくれた.

 

形の崩れたソフトクリームに,

 

「こりゃ美味しそうだ」

 

ととらわれなくつぶやく.

 

 

ソフトクリームは,いつも食べてたものより,ちょっとおいしかった.

 

ありがたいなぁと心から思う.

 

子供さん,大切なことに気づかせてくれて感謝してますウシシ