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イラストとマンガ ときどき哲学

哲学とイラストとマンガを気の向くままに投稿しています!

こんばんは!

 

最近,人生の大きな岐路に立つ.

 

自分の判断次第で今後の生活が変わると思うと,どっちが正解なのか

 

安易に決めることができない.

 

しかし,断を下さねばならない.

 

こんなとき,どんな心持ちでいるべきなのか.

少し簡単に大切なことを羅列したい.

 

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◆雑念妄念で霧がかかっている心境の自覚

 

先ず,客観的に自分自身をみると,

 

感謝ができていない.

 

感謝が万事を生成発展に向ける活力の源泉であることを知りながら,

 

感謝ができていない.

 

それは,自分が私心,自己本位な心にとらわれ,

 

何が正しいかを見失っているからであると思う.

 

雑念妄念だらけの心境になり,本当の純な心を見失ってしまっているからだと思う.

 

 

いざというときだから,そのような心境でよいではないのか?

 

否,いざというときだからこそ,一層感謝で生きていくことが大切なのである.

 

感謝が,必ず,目の前の道を切り拓くのである.

 

 

 

◆雑念妄念にながされないために

 

さればいかにして雑念妄念によって霧がたちこめている心境を

 

夕立後の太陽に乱反射する雫を携えた木々のような鮮やかな心境に持っていけるのか.

 

簡単ではない.

 

しかし,自己本位な心がたくさんある限り,

 

道をふみはずしかねない.

自分だけではない.

他者にも迷惑をかけかねない.

 

だから,正しい判断を目指すんだ.

 

 

迷って,雑念妄念がたくさんでてきて,

本当の心が分からなくなった時,

朝と夕で考えることが正反対になってしまった時,

まるで野球の乱打戦であり,心境がまったく落ち着かないようなそんなときには,

 

自分にとってもよく,同じくらい相手にとっても,社会にとっても良い選択を選ぶことである.

 

自己にとらわれている.

眼前の小利にとらわれているからこその雑念が多い.

 

だから,世の人のためという尊い気持ちを引き出してあげることが大切なんだ.

 

 

しかし,最近思うのは,いくら眼前の小利と思っていても,

 

目先のお金,権威,他社からの評価に対して,

 

とらわれてしまう.

 

眼前の小利と分かっていても,全部ほしくなってしまうのである.

 

それを体験した.

 

 

そこで自分自身に厳しく,自分のため,世の人のためという心を堅持していくのが,

 

本当に尊いことなんだと思う.

 

そうあろうと思う.

 

 

そして,そうあるためには,

 

「今」を,この刹那を真剣に生きることに徹することで,かなりの雑念妄念を抑えられると思うのである.

 

未来を考えると,私欲が大きくなる.

ああなればよいな,こうなりたいな.

 

しかし,未来ってのは自分勝手に決められるものなのだろうか.

やはり,大自然の営みの一環であり,ご縁によって決まる面が多いのではないだろうか.

 

されば,我々にできることは「今」この刹那をだれよりも真剣に生きることではないだろうか.

 

中村天風哲人の言葉であったと思う.

 

  過去は及ばず,未来知れず.さしあたるそのことのみをただ思え.

 

 

 

考えないでよいことは考えず,今を全力で生きていれば,必ず運命は拓かれる.

 

それを信じればよいのである.

 

目先のことにとらわれず,感謝で,全体本位の気持ちで,今を生きていれば,

 

自然の理法として,必ず調和した安定した現実が創造される.

 

その理法に信念をもって,生きるんだ.

 

 

 

人生はシンプルである.

 

複雑にしているのは,私心,自己本位な心,雑念妄念である.

 

 

いついかなる時だって,感謝と世の人のためという気持ちで,

「今」この刹那を生きていけば,それで大丈夫なんだ.

こんばんは!

 

感謝をすることは,本当に大切なことだ.

 

ご飯を食べないとやせ細って,つらくなってしまうように,

感謝をしないと心は活力をなくしていき,狭くなっていき,つらくなってしまう.

 

 

幸せって何か?

 

多くの人は外に求めている.

権力,承認欲,お金,おいしいごはん,マイホーム,結婚,,,などなど

 

しかし本当は,幸せは自分の中から出てくると,

多くの哲人,偉人が話している.

その通りと思うのである.

 

もちろん,外に求める幸せもある程度ある.

しかし外に求め続ける限り,その欲は際限をなくし,その人を飲み込む.

そして,欲に駆り立てられ続け,ひと時も安息を得ることはない.

さらにはその欲は大抵満たされない.

満たされたとして,,,その直後に新たな欲が生じる.

 

足るを知った中で外における幸せを楽しむのが爽快だ.

自己本位に堕さずに.

 

 

そして自分の中にある幸せ.

その幸せは心境が融通無碍となり,雑念妄念がない状態で得られる.

 

その「安定」の中に本当の幸せがあるのである.

 

何物にもとらわれていない心境.

そこに光るものがあるのだ.

 

その心境はどんなときに得られるのかというと,

私は利他の気持ちを持ったときと,感謝したときと思っている.

 

 

 

 

感謝は幸せの根源である.

 

さらにここがすごい.

 

縁日での無料の金魚すくいと同じである.

 

だれでもが,幸せをいっくらでも何の対価なくしてすくい放題なのだ.

 

 

目の前のことに感謝するのみなのである

 

 

さすれば,自身の心境は感謝でみたされ,

消極的なことを考える心は雲散霧消していく.

 

しかし,感謝することがそんなにないよという意見もある.

 

 

そこで本題の「感謝の順番」の話である.

 

哲学者の中村天風氏が書籍に書かれていることがある.

 

それは,何か善いことがあったから感謝するのではなく,感謝するから善いことが生じる

 

ということである.

 

 

私は最近,感謝するのに条件を無意識につけていた.

 

「こういったことには,感謝できないかな」

 

勝手に思っていた.

 

 

そうじゃなかったんだ.

 

理由はいらない.目の前のことに真摯に向かい,ひたすらに感謝すればそれでいいんだ.

 

きっかけは,自分の覚悟からである

 

感謝しよう.

 

 

さすれば,幸せが得られる.

 

そして,心境が融通無碍になっていくにつれ,心の各性能は向上していく.

 

運命も健康も好転し,力強く安定が建設されていくのは当然のことである.

 

 

万事に感謝で対応していこうと改めて覚悟を決める今日だ!

こんにちは!

 

先日,観光地にある大きな庭園を散策した.

 

広場にはテーブルと椅子が並んでいて,家族連れやカップルらがゆっくりしていた.

 

 

広場の一角に小さなソフトクリーム屋さんがあった.

 

お兄さんが一人でソフトクリームをつくって,売っていた.

 

 

生乳ソフトクリームとのこと.看板の写真がとても冷たく美味しそうで,

 

その日,たくさん歩き,心地よい疲労感を感じていた自分はすぐさまお店の前に並んだ.

 

 

前には,5歳くらいの子供とそのお父さんが並んでいた.

 

 

お店のお兄さんがソフトクリームをその子供に手渡す.

 

そこで気づく.

 

ソフトクリームの回転が明らかに一段少ないのだ.

 

量が明らかに少ないのである.さらに形が崩れとる.

 

 

私は,子供の気持ちを気遣った.

 

せっかく庭園の中で,家族で楽しく過ごしていたのに,

 

このソフトクリームはないや.きっと心に木枯らしが吹いているだろう.

 

まあ,人生はそういうこともあるもんだぞ...

 

にしても,店員さん,もっとプロらしくしてほしいなぁ

 

 

 

しかし,私の心配とは裏腹に,

 

その子供は,純真できらきら輝いた目をして,

 

「お父さん,このソフトクリームすごいおいしそう!」

 

と本心から言葉にしていた.

 

幸せをかみしめた表情をしていた.

 

 

そんなことがあり,

自分の至らなさを改めて反省したのである.

 

自分はソフトクリームを見た時,ないものを数えていた.

 

しかし,子供はソフトクリームを見た時,あるものを数えていた.

 

その子供にとっては,ソフトクリームが少し少なかろうと,形が崩れていようと,

 

「ソフトクリームが食べられる」

 

そのことだけで,心のそこからうれしく,幸せだったんだ.

 

 

ソフトクリームの量や形にとらわれて,

 

ないものを数えていたらつらい.

 

そうして食べたソフトクリームはきっと味がしない.ただ,胃袋に入れただけだ.

 

たとえ,量と形が理想であっても,な~んにもとらわれずに感謝している人と比べたら,

 

ソフトクリームの味はまだまだだろう.

 

何にもとらわれず,あるものにまごころから感謝する.それは幸せだ.

 

ソフトクリームの味は,至高の味になるだろう.

 

 

これはソフトクリームだけじゃないとも思う.

 

お金に,権力に,人の目にとらわれていやしないか.

 

ブランドバッグで一喜一憂するのは人間のきれいな心だろうか.

 

承認欲求にとらわれて,無理をしてはいないだろうか.

 

 

本当は,あるものをただただ感謝していれば,幸せなんじゃないだろうか.

 

幸せは,外にあるのではない.

 

幸せは,その人の内側から出てくるんだ.

 

 

 

ちなみに,私のソフトクリームも,もれなく一段少なく,形が崩れていた.

 

しかし,私に5歳の子供が大切なことをことを教えてくれた.

 

形の崩れたソフトクリームに,

 

「こりゃ美味しそうだ」

 

ととらわれなくつぶやく.

 

 

ソフトクリームは,いつも食べてたものより,ちょっとおいしかった.

 

ありがたいなぁと心から思う.

 

子供さん,大切なことに気づかせてくれて感謝してますウシシ

こんばんは!

 

哲学を学び深めるため,そして

漠然としているものの本当にやりたいことを求めて,

楽しく働いていた会社をやめた.

二年前である.

 

そして,自分なりに有意義な時間を過ごせてきた.後悔がない.

何とかなるだろう.道は拓けるだろうという楽観的思考でいる.

 

しかし最近,ふと外を出歩くとスーツを着た人が輝いて見えるのである.

お店で働いている制服を着た人達も輝いて見えるのである.

 

そして対照的な自分を客観視すると,なんとも言えない気持ちが出て来る.

 

働いていないけれど,好きな事で活きていけるように頑張っている.

決して遊んでいるわけではない.

貯金で活きているんだからいいじゃん.

 

という気持ちは上辺である.

 

 

そして昨日,一段と心が感傷的になった.

 

電車にのると,前方にサラリーマンたちが座っているのが見えた.

ふと,心の芯から震えるような劣等感を感じた.

 

身震いするようであった.

 

その後,駅に併設された百貨店のエスカレーターにのっていると,

上階のブランド店で買い物してきたであろう女性達とすれ違った.

 

ひと目みればブランドの品で着飾っていることがわかる女性であり,

 

少し自慢げに,人生に勝ち誇ったかのように冷たく微笑んでいた.

 

 

いつもの自分であれば,そのような人を見ると,

 

ブランドに執着した,満足できない人なのではないかなと,

 

心の豊かさが少ない事に少しの同情をもった考えをしていた.

 

しかし,昨日は,その人さえ,素敵に思えた.

 

俗世界で裕福に好きなように活きているんだという自信が,

自分にないものであり,素敵に思えた.

 

 

 

でも,少し考えると,

電車で対面に座ったサラリーマン達も,エスカレーターですれ違った女性達も,

 

心の中には思い通りにいかない悩みがきっとあって,

必ずしも満足を現状に感じているわけではないんだ.

 

隣の芝は青いというのは本当の事なのだと思う.

 

感傷的になり過ぎると,隣の芝が青々と見えるようだ.

でも,そうなったからこそ,自分の芝をしっかりと見ようとも思える.

 

このままでいいのかと.

 

 

やっぱり,働いて世の人のためになっているという誇りっていうのは,

 

わたしは欲しい.

喉から手が出るくらい欲しい.

 

でも,

 

きっと働きはじめると,今度は別の何かが欲しくなると思う.

するといつまでも安心できない活き方だ.

 

常に重りをもって活きるような活き方じゃないだろうか.

 

 

そう.だから感傷的になっている状況は正しくないんだ.

ただ,感傷的になった要因をしっかりと受け止めて,改善改良して活きよう.

 

誇りにも自己承認欲求にもとらわれない.

 

感謝して万事に対応していけば必ず道は拓ける.

 

 

 

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という内容を下書保存していた.

 

自分のいつもは控えめにしている心の一面が出た最近だったと思う.

 

紛れもなく本当に感じたことであった.

 

それはそれで受入れよう.

 

格好良くないことも書いているけれど,

 

その時の本当に感じたことであるから,記録として残しておこうと思う.

 

 

一方で,やっぱりここは譲れないと,思う事がある.

 

それは,現状を感謝すること,幸せであると思うこと,

 

たとえそれが全面でなくてもいいんだ,

 

一部分だけでもそう思うことができなければ,

 

どこにいこうと想い描く満足は得られないということだ.

 

 

ない事を数えている態度でいる限り,

 

不平不満の世界からは逃れられない.

 

あれもない,これもない,辛いやと思っても,辛いと思う感受性を

 

敏感にするだけだろう.

 

きっと 辛いと思う達人になってしまう.

 

 

あることを数えよう.そして感謝しよう.

 

そうすれば,自然と道は拓ける.

 

そんなことは当然であり,道が拓けるどうのこうのよりも,

 

今,この瞬間,この刹那が幸せになってくる

 

 

ないものを数えているときは,背後で,角が生えて,槍を持った悪魔が笑っている.

 「ひひひ,こいつは俺ら悪魔の大好きな不平不満をたくさんばらまいてくれるぜ.こいつなら,

 俺の家族みんな養えるだろうし,みんな連れてくるかな.へへへ」

 

あるものを数えているときは,背後で,布袋さんのような神様が微笑んでいる.

 「迷っている多くの人間も,幸せにしてやれよう.味方してやるぞ.」

 

 

なんかそんな気がしますな.

悪魔が背中にいるときっと辛い.

でも,そんな悪魔を追い払って,背後に神様についてもらうのは案外簡単.

 

あるものを数えて感謝しようよ. ということである.

 

現実がどうのこうのじゃない.物質至上主義の尺度で考えるとあーだこーだじゃない.

キャリアがどうのこうのじゃない.

 

人の積極的思考は,物質的な現実の想定をはるかに凌駕する道を拓く.

こんばんは!

 

~最近思う事~

 

何かなすときは,一種の諦念というか,根性の振り切れというか,

 

自然の流れに身を任せる過程が必ず必要になってくるように思うのである.

 

 

何かしようとすると,必ずストレスは伴ってくる.

 

人との接点が増えればなおさらである.

 

 

そうすると,つい後戻りしたくなる.足が震える弱気な自分が出てくる.

 

けれども,心の奥底の自分は,やっぱり前に進みたいのである.

 

 

すると,後戻りしたい上辺の層にいる自己本位な自分と,自分の根幹にいる肯定的な自分が

 

エイヤ,エイヤと 心境をどちらが多く占められるか葛藤することになる.

 

 

その葛藤はさらにストレスにもなるように感じている.

 

 

だけども,

 

ずっとエイヤ,エイヤと心境で葛藤していると,

 

 

時が来ると,一種の諦念,悟りが来るように思う.

 

ときに血みどろの戦を経ていき,ついには,

脱力と共に,

 

「あっ  もういいや・・・

 わしは 自然の流れに任せるよ・・・

 自分勝手に自分の力でどうのこうのしようとするのはよすよ・・・

 なるようにしかならんわな」

 

 

そんな心境になるんだ.

 

すると,何かしらにとらわれを有していた自己本位な自分は雲散霧消し,

 

本心良心からの自分が心境に残る.

 

 

すると,

 

「あとはやるだけだ.万難を排して成し遂げよう.

 不屈不撓の心で成し遂げよう」

 

という覚悟が決まる.

 

後ろを向くことのない覚悟が決まる.

 

そして物事を成し遂げていくのである.

 

 

そんなところで,何を言いたいのかというと,

 

今どんなに思い悩んでいようと,

心境で,ひいこらひいこら葛藤していようと,

 

いずれは諦念が出て来るんだということである.

なにも心配はなく,いずれ諦念がでてきて,脱力して,

覚悟が決まるから,

 

今の自分を大切にしてあげるのが大切なんだなと思う.

 

葛藤は客観的に心境を観察することで,ストレスも受けづらくなる.

 

 

ただ一つ言えるのは,

葛藤しているときの,自己本位な自分は必ず後々降参する存在だから,

そっちの応援はなるたけしないことである.

 

やっぱり正義は必ず勝つという道徳は,正しい側面があるなあという最近である.

 

あまり整理されていないけれど,描いている自分は整理できたぞ!