こんばんは!
哲学を学び深めるため,そして
漠然としているものの本当にやりたいことを求めて,
楽しく働いていた会社をやめた.
二年前である.
そして,自分なりに有意義な時間を過ごせてきた.後悔がない.
何とかなるだろう.道は拓けるだろうという楽観的思考でいる.
しかし最近,ふと外を出歩くとスーツを着た人が輝いて見えるのである.
お店で働いている制服を着た人達も輝いて見えるのである.
そして対照的な自分を客観視すると,なんとも言えない気持ちが出て来る.
働いていないけれど,好きな事で活きていけるように頑張っている.
決して遊んでいるわけではない.
貯金で活きているんだからいいじゃん.
という気持ちは上辺である.
そして昨日,一段と心が感傷的になった.
電車にのると,前方にサラリーマンたちが座っているのが見えた.
ふと,心の芯から震えるような劣等感を感じた.
身震いするようであった.
その後,駅に併設された百貨店のエスカレーターにのっていると,
上階のブランド店で買い物してきたであろう女性達とすれ違った.
ひと目みればブランドの品で着飾っていることがわかる女性であり,
少し自慢げに,人生に勝ち誇ったかのように冷たく微笑んでいた.
いつもの自分であれば,そのような人を見ると,
ブランドに執着した,満足できない人なのではないかなと,
心の豊かさが少ない事に少しの同情をもった考えをしていた.
しかし,昨日は,その人さえ,素敵に思えた.
俗世界で裕福に好きなように活きているんだという自信が,
自分にないものであり,素敵に思えた.
でも,少し考えると,
電車で対面に座ったサラリーマン達も,エスカレーターですれ違った女性達も,
心の中には思い通りにいかない悩みがきっとあって,
必ずしも満足を現状に感じているわけではないんだ.
隣の芝は青いというのは本当の事なのだと思う.
感傷的になり過ぎると,隣の芝が青々と見えるようだ.
でも,そうなったからこそ,自分の芝をしっかりと見ようとも思える.
このままでいいのかと.
やっぱり,働いて世の人のためになっているという誇りっていうのは,
わたしは欲しい.
喉から手が出るくらい欲しい.
でも,
きっと働きはじめると,今度は別の何かが欲しくなると思う.
するといつまでも安心できない活き方だ.
常に重りをもって活きるような活き方じゃないだろうか.
そう.だから感傷的になっている状況は正しくないんだ.
ただ,感傷的になった要因をしっかりと受け止めて,改善改良して活きよう.
誇りにも自己承認欲求にもとらわれない.
感謝して万事に対応していけば必ず道は拓ける.
==============================
という内容を下書保存していた.
自分のいつもは控えめにしている心の一面が出た最近だったと思う.
紛れもなく本当に感じたことであった.
それはそれで受入れよう.
格好良くないことも書いているけれど,
その時の本当に感じたことであるから,記録として残しておこうと思う.
一方で,やっぱりここは譲れないと,思う事がある.
それは,現状を感謝すること,幸せであると思うこと,
たとえそれが全面でなくてもいいんだ,
一部分だけでもそう思うことができなければ,
どこにいこうと想い描く満足は得られないということだ.
ない事を数えている態度でいる限り,
不平不満の世界からは逃れられない.
あれもない,これもない,辛いやと思っても,辛いと思う感受性を
敏感にするだけだろう.
きっと 辛いと思う達人になってしまう.
あることを数えよう.そして感謝しよう.
そうすれば,自然と道は拓ける.
そんなことは当然であり,道が拓けるどうのこうのよりも,
今,この瞬間,この刹那が幸せになってくる
ないものを数えているときは,背後で,角が生えて,槍を持った悪魔が笑っている.
「ひひひ,こいつは俺ら悪魔の大好きな不平不満をたくさんばらまいてくれるぜ.こいつなら,
俺の家族みんな養えるだろうし,みんな連れてくるかな.へへへ」
あるものを数えているときは,背後で,布袋さんのような神様が微笑んでいる.
「迷っている多くの人間も,幸せにしてやれよう.味方してやるぞ.」
なんかそんな気がしますな.
悪魔が背中にいるときっと辛い.
でも,そんな悪魔を追い払って,背後に神様についてもらうのは案外簡単.
あるものを数えて感謝しようよ. ということである.
現実がどうのこうのじゃない.物質至上主義の尺度で考えるとあーだこーだじゃない.
キャリアがどうのこうのじゃない.
人の積極的思考は,物質的な現実の想定をはるかに凌駕する道を拓く.