こんにちは!
先日,観光地にある大きな庭園を散策した.
広場にはテーブルと椅子が並んでいて,家族連れやカップルらがゆっくりしていた.
広場の一角に小さなソフトクリーム屋さんがあった.
お兄さんが一人でソフトクリームをつくって,売っていた.
生乳ソフトクリームとのこと.看板の写真がとても冷たく美味しそうで,
その日,たくさん歩き,心地よい疲労感を感じていた自分はすぐさまお店の前に並んだ.
前には,5歳くらいの子供とそのお父さんが並んでいた.
お店のお兄さんがソフトクリームをその子供に手渡す.
そこで気づく.
ソフトクリームの回転が明らかに一段少ないのだ.
量が明らかに少ないのである.さらに形が崩れとる.
私は,子供の気持ちを気遣った.
せっかく庭園の中で,家族で楽しく過ごしていたのに,
このソフトクリームはないや.きっと心に木枯らしが吹いているだろう.
まあ,人生はそういうこともあるもんだぞ...
にしても,店員さん,もっとプロらしくしてほしいなぁ
しかし,私の心配とは裏腹に,
その子供は,純真できらきら輝いた目をして,
「お父さん,このソフトクリームすごいおいしそう!」
と本心から言葉にしていた.
幸せをかみしめた表情をしていた.
そんなことがあり,
自分の至らなさを改めて反省したのである.
自分はソフトクリームを見た時,ないものを数えていた.
しかし,子供はソフトクリームを見た時,あるものを数えていた.
その子供にとっては,ソフトクリームが少し少なかろうと,形が崩れていようと,
「ソフトクリームが食べられる」
そのことだけで,心のそこからうれしく,幸せだったんだ.
ソフトクリームの量や形にとらわれて,
ないものを数えていたらつらい.
そうして食べたソフトクリームはきっと味がしない.ただ,胃袋に入れただけだ.
たとえ,量と形が理想であっても,な~んにもとらわれずに感謝している人と比べたら,
ソフトクリームの味はまだまだだろう.
何にもとらわれず,あるものにまごころから感謝する.それは幸せだ.
ソフトクリームの味は,至高の味になるだろう.
これはソフトクリームだけじゃないとも思う.
お金に,権力に,人の目にとらわれていやしないか.
ブランドバッグで一喜一憂するのは人間のきれいな心だろうか.
承認欲求にとらわれて,無理をしてはいないだろうか.
本当は,あるものをただただ感謝していれば,幸せなんじゃないだろうか.
幸せは,外にあるのではない.
幸せは,その人の内側から出てくるんだ.
ちなみに,私のソフトクリームも,もれなく一段少なく,形が崩れていた.
しかし,私に5歳の子供が大切なことをことを教えてくれた.
形の崩れたソフトクリームに,
「こりゃ美味しそうだ」
ととらわれなくつぶやく.
ソフトクリームは,いつも食べてたものより,ちょっとおいしかった.
ありがたいなぁと心から思う.
子供さん,大切なことに気づかせてくれて感謝してます