あの島へ 第二海堡ツアー 番外編~帰航路 | 酒と散歩の日々                                               

 3回に分けて書いてきた東京湾要塞 第二海堡への上陸ツアー。

 

 

 毎回書いてきているが、東京湾の三浦半島と房総半島の中間に造られた人工島である。

その歴史など、またこの第二海堡の様子などに興味を持たれた方は3日前のブログからお読みいただくと、その歴史なども含めて書いてある。

 

 この第二海堡まで、横須賀の三笠桟橋から片道約30分。東京湾の要路である浦賀水道をクロスする形で船でいく。海堡での滞在時間は、約1時間。見学を終えての帰路だ。

 この浦賀水道は一日に往来する船の数が約500隻。タンカーや貨物船など首都圏の物流や燃料を支えている。ここをクロスして、海堡へ往復したわけだ。

 行きは船内のアナウンスにもあったが、ほとんどこの水道で他の船に遭遇しなかった。これはかなり珍しいことらしい。

 

 そして、帰路。第二海堡を離れた「フレンドシップ1(これが我々の乗った船)」はまず、第二海堡の周囲を時計回りに一周。上の地図の逆への字のへこんだあたりが船着き場だったのでそこから出発をして、左側の端のあたりまでぐるりと海堡の周囲を外から見学した。海堡の周りには、釣り船がたくさん。小s楽ここを埋め立てるために海中に投じられた岩石が良い漁場となっているのだろう。

 

 

 これが逆への字の右端あたり。一昨日書いたトーチカが右側にみえる。海堡のまわりこのあたりの防波堤は近年になって造られたもののようだ。

 

 

 かなりでかいガスタンカーに遭遇。北航路(東京湾内方向)に進んでいる。車とは逆で、この浦賀水道はこの北航路が右。南航路が左という風に、船たちが対向していく。

 

 

 昨日書いた加農砲があった砲台あたり。現在では当然砲座は撤去されている。そして、その1つには灯台が設置。浦賀水道の安全航行に貢献をしている。コンクリート部分には、「Fort No.2」の文字。昨日も書いたが、旧日本国帝軍が敵性語を使用するわけがないので、これは戦後になって書かれたもの。

 

 

 このブイは、北航路と南航路の境界線を示している。船内のアナウンスでは、道路の中央分離帯に例えて説明をしていた。

 

 

 南航路へと向かう貨物船。この後かなり近づいた。

 

 そして、浦賀水道を横切ったあたりで船のアナウンス。横須賀の基地があるあたりから出港した艦船がみえると。最初は小さかったが、徐々にこちらに近づく。もちろん、こちらも進行している。その姿をはっきりととらえることができた。

 

 

 最初のアナウンスでは、アメリカ海軍のイージス艦ではとあったが、訂正が入る。海自の艦船、そしてAISのデータから最新型のミサイル護衛艦であるまや型の「はぐろ(GCC-180)」と説明があった。

 「はぐろ」は2021年に就役。母港は佐世保。

 

 もう少しあちらの出港が速かったりこちらの出発が遅ければ、上の貨物船のようにもっと近くの正面からの姿が見られたかも知れなかったね。

 

 

 こちらは、もう到着の準備。記念艦「みかさ」のすぐ横が発着の三笠桟橋だ。

約2時間の短いツアーが終わる。短いようで、中身は濃かった。第二海堡の計画からその運命など、色々と感慨深い思いといっしょに船をおりた。