あの島へ 第二海堡ツアー その1 | 酒と散歩の日々                                               

 

 のっけから地図である。東京湾、三浦半島と房総半島の間に3つの人工島があった。東京湾要塞とよばれる「海堡」。そのうちの第三海堡は、15年ほど前に撤去をされた。

 残る2つの海堡のうち、第二海堡へ上陸する市民ツアーに参加してきた。

 

 「撮って出し」といいたいところだけども、撮影した写真も多くその整理に時間がかかったのと、説明の必要な情報も多いので、このブログとしては少し時間をかけて書いていって、完成したところでアップするつもりである(で、こうしてアップした)

 

 まず、この「海堡」という存在についてである。明治期に入って、首都防衛の目的で三浦半島や房総半島の海岸線の高台には砲台が築かれた。

以前紹介した「千代ヶ崎砲台跡」もその1つである。

 ところが当時の大砲の能力というのが、弾の飛ぶ距離が約3㎞。東京湾の最も幅の広いところは、7kmあるので到底届かない距離の場所が出る。

 それを解消するために東京湾内に人工島を築き、そこに砲台を設置する計画が立てられた。まず、造られたのが第一海堡。上の地図で、第二海堡の東側(右側)に載っている。水深約5mのところに小舟で岩を運び、まず海面より上にそれが顔を出すようにして、その周囲を防波堤で囲うことによって作り上げられた。

 同様の方法で1889(明治22)年に着工されて、1914(大正3)年に完成したのが第二海堡であった(こちらは水深約10m)。

 しかしながら、完成はみたものの、大砲の性能があがったこともあって、砲台として利用されることはなかった。しかも、関東大震災でダメージを受け、修復されることなく砲台としての役割を終えたのであった。

 

 この第二海堡は、現在では国土交通省関東地方整備局・海上保安庁第三管区海上保安部・海上災害防止センターの管理下に置かれて、一般の上陸は禁止をされていた。ただし、そのあたりが緩かった時代は漁船で上陸したり、映画の撮影でロケ地として使われたりしていたようだ。

 2019年になって、一般向けの上陸ツアーが開始される。そのテストツアーに、参加をしている。ただ、この日はかなりの風雨の中の上陸。十分な見学もできず、次の機会を狙っていた。

 上陸への興味をもったのは、その前年くらいまで横須賀のカレーフェスティバルの際に、第二海堡の周囲を巡るクルーズツアーが企画され、それに参加をしていたため。

 

 旅行会社によるツアーもHPなどでみていたが、なかなかお高い。そんな折、横須賀市民限定の上陸ツアーが企画されたので、それに申し込んだわけだ(ね、説明が長いでしょ)。

 

 

 出発は、三笠公園のすぐ横にある三笠桟橋。ここからは、猿島への観光船も出ている。どの船でいくのだろうと、ワクワク。右側に写る「シーフレンド1」が第二海堡上陸ツアーの船だった。

 乗船時間。乗る際に、水が配られた。乗船前のレクチャーで、第二海堡には給水場もなくトイレもないという説明を受けている。この日も暑い。もちろん、自分でも飲み物を用意したが、ありがたい。

 

 

 ボトルには、ちゃんと「第二海堡上陸記念」とラベルされている。

 

 定時を少し過ぎて、出港。約30分のクルーズだ。

 

 

 途中、東京湾唯一の無人島 猿島の横を通る。

 

 そして、実はこの時点で第二海堡はみえている。それが近づくにつれて、徐々に大きくなる。

 

 

 このあたりは東京湾の交通路、浦賀水道。1日に約500隻の船が北航路(東京湾内に向けて)南航路(東京湾外へ向けて)通行する。それを横切る形で、シーフレンド1は第二海堡に近づいていく。

 

 

 桟橋は、最初の地図の第二海堡の「逆への字」型をしたその折れ曲がったあたり(の内側)にある。

その桟橋も徐々に大きくなってきた。

 

 

 このコンクリートの桟橋は、第二海堡が作られた当時のものではなく、近年になって海保(だったかな)が造ったもの。

 さぁ、いよいよ上陸だ。天気も上々、前回とは違った海堡の顔を拝めそうだ。