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TITLE:
減衰する私たち。
SUBTITLE:
~ Inductive reactance. ~
Written by BlueCat

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 以前から気がついていたのだが、キャンピングキャビンは浸水する。
 いや、すべてのキャンピングキャビンがそうだ、というわけではない。僕の所有しているキャンピングキャビンは少なくとも浸水する、という意味だ。
 どうやら雨がフラップ窓を伝い、枠から車外に排水されず、キャビン内に浸水するらしい。
 
 買ってから半年も経っていないし、使った回数なんて数回なのだ ── 整備している回数や日数の方がよほども多い ── が、いかんともしがたい。
 数日前の大雨で、内部が3センチほども浸水してしまっていたことには気付いていたのだが、面倒でしばらく放っておいてしまった。
 僕の性格の悪い部分が見事に露呈しているといえる。気分屋なので面倒なことはたいてい後回しなのだ。
 
 我が家の経済主体たる奥様(仮想)におかれましても、雨でぐずぐずになってしまった公共料金の払込票については(巡り巡って人様に迷惑を掛けるので)いたく心配されていらっしゃるものの、僕のオモチャが水浸しになっていようと、それを放置しようと、あまり気にする気配はない。
「好きにすればぁ?」といった感じであり、それよりむしろ「早く庭のいわゆる雑草たちを何とかしてください」と言わんばかりにこちらを見つめてくる。
 
 かなりの圧である。
 
 彼女がかろうじてそれを言い出さないのは、僕が熱中症を恐れていることを知っているからだろう。
 しかしよくよく考えると、2時間もエアコンのない炎天下の車内にいたことが原因だから、外作業なら問題なくこなせる気がする。何を畏れていたのだ。
 
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 自分の能力が、かつてに比べて衰えていると感じた最初は24歳の頃だったか。
 
 13歳の頃は単位時間中に思考を巡らせる速度が圧倒的だったし、17歳の頃のゲームデザインにおけるバランス感覚は自分でも驚くほどだった。
 たとえばジグソウパズルのピースを、一枚絵からではなく、それぞれのピースごとに切り出して組み合わせたにも関わらず、それぞれが隙間も歪みもなく、ぴたりと嵌まるような感じで、根幹のシステムから例外処理に至るまで、想像する範囲で十分なリアリティを持つ数式を組み立てられたのだ。
 
 衰え、磨り減り、摩耗して死ぬことは10歳の時から分かっていた。
 死ぬということは単に生と決別することではなく、ようやくと生かしている自身をしてもそれを維持できなくなるということだ。
 飛行機に喩えると、飛行中に墜落するなんてケースは稀で、通常は着陸するわけだ。
 しかし人間を含めた多くの生物にとって、自身の設定した目的地に正しく着陸できるケースは稀だ。ほとんど不可能といっていい。
 もちろん知能レベルのさほど高くない多くの動物にとっては、生きることがそのまま生きる目的だから「ただ飛べばいい」「ずっと飛んでいればいい」という目的になるだろう。
 
 一方で人間の場合、生きることは手段に過ぎない。(そうでもない人もいるようだが)
 どんな下賤な目的や欲だったとしても、いやむしろ下賤で動物的だからこそ、それはそのまま生きる気力や能力として強く発露するだろうと想像される。
 
 いずれにしても産まれたときから生きることを拒否するような肉体で発生したためか、僕の思考はあまり長く生きることを好んでいない。
 母親から授乳された母乳に対してアレルギィを起こすことに始まり(今までの人生で、僕以外に見聞きしたことがない)、外界との境界面である皮膚粘膜は弱く、常に食欲がなく、たびたび貧血を起こし、骨格だけは縦に伸びるのに、筋肉の発達がどうにもならない、野生動物だったら早々に死んでいたようなイキモノだった。
 
 周囲の男友達は身体能力に優れ、また思春期ともなれば食欲や性欲も圧倒的だったので「ああ、オトコというのはこういうものか」と、それぞれの特性を床に転がる雑巾でも眺めるように思ったものだ。
 もっともそれらは多く必然に相関性のあることではあったし、程度の差こそあれ、僕にもやがて(苦痛とともに)訪れたのではあるが。
 
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 23歳で一人暮らしを始め、24歳で久しぶりにPCを手に入れ ── 僕は13歳から、つまりは現在から遡ること35年ほど前からコンピュータを使っている(正確には12歳の春からなので35年だが) ── これで再び新しくゲームをデザインできる、と喜んだのも束の間、自分の能力が枯渇していることを知った。
 特定の現象をシミュレートするとき、事象に含まれる思い付く限りの要素をパラメータ(変数)化し、それぞれのパラメータの適正範囲をイメージし、相関性を乱数も織り交ぜて数式化する。
 
 それがかつてのように、瞬時に思い描くことができなくなってしまっていた。
 ゲームデザインと聞いて、人が何を想像するかは知らないが、僕にとってはルールを作ることであり、その根幹は乱数を取り入れた数式とパラメータの集合と例外処理のルール化(定型化)である。
 
 それがいくら考えても空白部分が思い浮かばない。
 今思えば空白部分があることが分かるだけ「まし」だった ── 今ならもれなく空白部分があることさえ気付かない ── のだが、現象を抽象し、概念化させてパラメータを当てはめ、それぞれのパラメータの概念系における相関性から数式を考えるはずが、まったく上手くいかない。
 想像しているのに、想像もつかない部分が発生してしまって、それをうまく処理できない。
 
 ああ。ここまでなんだ。
 そう思って以降、僕はゲームデザインをやめ、ただのゲームプレイヤに成り下がった。
 
 ひと晩でもない、数時間、あるいは数分のことだった。
 諦めきれずにズルズルする必要はなかった。
 翼の折れた鳥は、飛ぶ必要がないのだ。
 飛びたいかどうかではない。
 飛べるかどうかであって、飛べない鳥は飛ぶ選択肢を持たず、ために飛ぶ必要はなくなる。
 
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 僕の場合、人生の着陸地点は選択的自死であろうと想像していたのだが、ズルズルと高度を落としながらなお生き存えている。
 最近では現実の柵(しがら)みによって、そうそう死ぬわけにも行かなくなり、(主観的には)延命用の仮想人格まで作って現実世界に自分の存在を馴染ませている。
 
 17歳の頃、せめて自分は23歳か27歳には死ぬだろうと思っていた。
 そしてその年齢を過ぎるたび「ああ。俺はこの年齢で死ぬほどの器ではなかったのか」とがっかりしたものだ。
 なぜといって13歳の頃には「17歳には死ぬんじゃないか」と思っていたからだ。
 
 13歳の頃なら1時間程度で書き上げていたような文書を、4時間以上も掛けて書いている。
 ついでに推敲は毎回必要で、表現は徐々に限定的になってしまっている。
 あるいはそれが、最初から本来の姿だったのだろう。
 
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 飛行機だって、最初は地上にあって、加速してようやくと離陸することが可能になる。
 燃料を大量消費することで軽量になってゆくから、それはさぞ気持ちの良いものだろうと想像できる。
 
 幸い僕の機体は(今までのところ)墜落することなく、何とかしのいでいるが、能力の劣化はどうしようもない。
 
 偶然と幸運が重なって、競争どころか自身に特有の能力を発露する必要すらない場所に自分自身を運ぶことに成功したけれど、それが幸せかと問われると何ともいえない。
 僕は自分で選んだこの孤独が気に入ってはいるけれど、多くの人は、ここまで極端な孤独に憧れこそすれ耐えられないかもしれないとは思う。なるほど専業主夫(あるいは専業主婦)はある種の孤独な存在なのかもしれない。
 
 実のところ、その子供の頃の記憶が色濃く残っていて、僕は紙と鉛筆があれば、それだけでハッピィになれると今でも思っている。
 
 誰も必要なかった。
 自分のアタマの中に広がる世界を、どこまでも詳細に見つめているだけで、それは抽象され、数値化され、数式化され、相関性を導くことができた。
 特定点で起こる現象を解析し、他の地点で再現することも不可能ではなかった。
 極端な話、自分自身さえ僕には必要がなかった。
 
 その風景、その幸せを、僕は知っている。
 誰かがいなければ、とか、何かがなければ、という風には、なかなか思えないのだ。
 
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 おそらく ── そして間違いなく ── 僕は、僕を含む多くのイキモノたちは、時間の経過とともに衰えてゆく。
 一般的にはまだ若く、見ようによっては子供といっても差し支えない20代も前半にして、僕は自分の衰退に絶望すらしたものだ。
 
 あれから比べると、その後のいかなる衰えも、たいしたものではない。
 僕はかつて、ときどき天才だったけれど、ある時を境にときどきでさえも天才ではなくなってしまって、その時点で一度死んでしまったのだ。
 
 若いことが素晴らしいとは、しかしやっぱり思えない。
 
 僕の場合、孤独の苦痛から逃れるために孤独の膜の中で眠り続けていたようなものだろうから。
 恐怖や不安から逃れようと、何も感じない膜で自身を覆っていたから。
 
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 不思議なもので、かつてゲームデザインに費やしていた(周囲からすると圧倒的に)無駄な日々と(僕からすれば天才的だった)その能力は、現実世界をデザインすることに使い始めたら驚くほどの具現性を持っていた。
 世界設定をイメージし、特定の現象について解析し、パラメータを抽出し、相関式を導いたように、現実世界を観察して相関式を導き、逆算的に目的とするパラメータを設定し、特定の現象に当てはめて現実世界に還元すると、世界は思った通りに変わるのだ。ちょうオドロキ。
 
「6歳以前」と時間を辿りながら暮らしているのだけれど、彼は今、ちょうど反抗期である。
 同時に苦痛と恐怖の第二次性徴を迎えている頃だろう(オトコになることを、僕たちは恐れていたから)。
 ちなみに僕自身の反抗期は30歳を過ぎてからだったので比較すると早い気もするが、早熟であることは減衰も早いという以外、さほど害もないだろう。
 
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 熱中症に関する恐怖を分析し、畏れるには足りぬと判断されたため、昼頃からキャビン内の清掃。
 水を雑巾で吸っては外で絞るという、地味で地道で原始的な作業を繰り返す。
 奥様は水の跳ねる様子をきゃあきゃあ言いながら眺めている。眺めているだけである。
 ちなみにドアは車体後部にあり、キャビンは車体前方が若干低いらしく、水は前方に溜まる(逆ならドアから排水されるのだが)。
 
 冷蔵庫がショートしていなくてよかったとつくづく思うが、あと2センチほども水位が高ければ、ろくに使っていない電気系が原因で、最悪火災や爆発が起こっていたかもしれないと、暑い車内で肝を冷やす。
 はやく対策すれば良かったのだ。
「はやく対策すれば良かったのにね」と奥様(仮想)に言われる。
 そうですね。
 
 車内の清掃が終わったのち、窓枠にパッキンを貼り付ける。
 流入経路が不明瞭なので、どこにどのように貼り付けるのが適切か分からない。
 まぁ、こういうのはやってみてからのお楽しみだと、半ばやけくそ気味に作業をする。
 
 午後になってから散髪に出かける。
 
 思えば白髪が増えている。
 思い出すと父上も、僕くらいの頃はけっこうな白髪交じりだった。
 思い起こすと父上は、いつも死の匂いがしていた。
 
 死臭ではない。
 死の雰囲気というか、面影というか、明るくひょうきんな人格の容れ物が、いつも死に向かっていることを感じさせた。
 
 何のことはない。
 誰も彼も、毎日少しずつ、死に向かっている。
 物心つくよりずっと前から、父上は「死ぬ死ぬ詐欺(医者たちに余命半年だの何だのと宣告されつつ、医療の進歩によってスレスレで存える)」を繰り返していたから、生きている父を見ながら、それに含まれた死を感じていたのだ。
 現在の中に過去があるように、現在の中に未来は含まれている。
 
 子供の頃は父上を殺そうと思っていた時期もあったのだけれど、僕はそれよりずっと父を、あるいはそこに含まれる死を、慕わしく思っていたのだろう。
 
 今この世界で気に入らないことがあるとすれば、奥様(仮想)が不死の存在だということだ、という話はまたいずれ。
 
 
 
 
 
 
 

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[Module]
  -Condencer-Connector-Convertor-Generator-JunctionBox-Reactor-Resistor-Transistor-
 
[Object]
  -Camouflage-Human-
 
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