20代の頃から、自分のカラダを撫ぜるようになった。
それも、普通に腕をさするとか、そういうレベルではなく、全身できるだけ隈なく撫ぜるようにして。
ことの発端はマッサージだったと思う。
筋肉痛だったか、疲労蓄積だったか、冷え性だったか。
多分、冷え性だろう。僕のカラダはいつも冷たかった。
代謝が悪い。内臓機能が悪い。姿勢が悪い。
ゆえの冷え性。
しかし僕のカラダはどういうわけか、まるでオトナになることを拒否するように、いくら運動しても筋肉の発達はほとんどしなかった。
一方で、骨格だけは上に伸びた。ひどいときは体重37kg、身長163cm(BMIにして15を下回るはず)であり、片親のこともあって、教師が家庭訪問でもないのに家に来ることがあった。
もしかしたら虐待を疑われていたのかもしれないが、父上は僕を大切に育ててくれた。
もちろん離婚は親の都合であり、そのぶんを差し引いて、子供の頃は感謝などしたことはない。
中学入学にあたって、貧乏一家には分不相応な8bit マシン(NECの8801である)を買ってもらって、僕はますます機械類が好きになる。
しかしこれといって感謝した覚えはない。
父上は、僕が食事をほとんど摂らないことを心配していて、ときに叱られた。
けれども無理に食べさせることはしなかった。
そのかわり、たまにたくさん食べるとそれは喜んで、そのときのおかずが食卓に上がる頻度が上がった。
僕が魚を好きな一方で、妹は魚が大嫌いだったから、父上は苦労しただろう。
とにかく子供の頃から、ごはんを食べなかった。
食べすぎると体調を崩すから、食べないでちょうどよかった。
クラクラしたときに何かを食べたり飲んだりすれば、だいたいは乗り越えられた。
学校で何度か貧血を起こして倒れたこともあるが、満腹まで食べて体調を崩すよりはましだった。
家では白米を好まず、おかずや味噌汁を中心に食事をして、朝はだいたい抜いていた(高校からは昼も抜いた)。
空腹というのを、それでもほとんど感じなかった。
食べ物の味や香りも、ほとんど分からなかったのではないかと思う。
母乳アレルギィが原因だったのかな、とときどき思う。
母乳によって得られるはずの抗体も得らなかったようで、僕は頻繁に体調を崩した。
僕が世界の感覚の仕方を覚えたのは17歳からだ。
恋人が増えるたび(往々にして、減ることもあったが)僕は感覚を覚えた。
花の好きなガールからは、色や香りの微かな違いを学んだ。
季節の光、風のにおい、動物たちの動き方を学んだ。
料理が好きなガールからは、味わうときは箸を置いて、目を閉じて、考えずに味わうことを学んだ。
同じものなのに、感覚はこうも変わるのかと思い知った。
猫たちも、僕にいろいろ教えてくれた。
速い動きとゆっくりの動きの使い方。
音や気配を消す方法も猫から学んだ。
出産の処置や、妊娠中の注意事項も、猫から学んだ(じつに9歳の頃には、何度か飼い猫の出産に立ち会って、一緒に世話をしていた)。
ガールの多くは、僕のカラダを気に入って(あるいはそのフリをして)くれた。
そして僕は、自分の身体がどの程度のサイズで、どんな作りになっているかを教わった。
女ばかりに囲まれて育ったためなのか、女性のカラダはそれなりに教えてもらって理解していたつもりだったが、男性のカラダについて、自分のカラダについて、僕は無知だった。
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20代はじめの頃、肌にひどい蕁麻疹ができた。
血液検査までしてもらったが、原因は不明。
全身を蚊に刺されたようなふくらみに覆われ、しかもそれが痒くて、その上掻くと広がる。
2週間ほど続いたそれが去ってみると、僕の皮膚はボロボロになっていて、感覚も、なんだかひどい状態だった。
もしかしたらその頃だろうか。
それとも20代後半になって、やっと筋肉が付くようになったときだろうか。
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まるで撫ぜられることが食事であるかのように、僕のカラダは接触欲求を持つ。
男友達と腕を組んだり、手を繋いだりするのに(抵抗されることはあってもこちらは)抵抗がない。バイクの後ろに乗って抱きつくのとかも好きである(タンデムバーを持てと叱られたことはある)。
妹や姉の頭を撫でたり、背中を撫でたりするのも、普通にする。子供の頃より多いかもしれない(子供の頃は向こうから近づいてきて、蹴られていた)。
まるで皮膚を使って、ものごとを知ろうとしているかのようだ。
あるいは相貌失認の傾向が、これに拍車を掛けているのだろうか。
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身体は、その部分部分で温度が異なる。
おしりはたいていひんやりしている。
身体が過熱しているときは、僕は脇腹が熱を持つ(脇の下ではなく、脇腹が熱いと感じる)。
疲れているときはだいたい関節が冷えて固くなっている。
様々な骨を、皮膚の上から探り、その骨に近い部分の温度や感覚を探る。
筋肉が疲れていたり、冷えているときは、たいていそこから心臓寄りの関節が冷えている。
ふくらはぎなら膝。膝だけではなく腰骨のときもある。尾てい骨が冷えるとなかなか身体は温まらない。
肩が凝ったことはほとんどないが、凝っている人は首か肩の関節が冷たい。こめかみや肘が冷えているのが原因の人もいる。
僕は自分であろうと他人であろうと、骨からマッサージする。
温めるのに必要なのは、骨を撫でることだ。
皮膚を撫でても、外から温めても、僕の場合はそれなりにしか効果はなかった。
数年前、巷で見かけるリラクゼーションマッサージの店で数ヶ月研修を受けたが、あれらの店は「筋肉をほぐす」ことに重点を置いているから、男性相手には力が必要だったり、接触箇所も増える。
骨を撫でるのに必要なのは、親指と人差し指、多くても中指までだ。
ために、ある人はリラクゼーションマッサージで揉み返しを起こし、肩凝りは直らなかったらしい(施術所には、ちゃんと言い訳が決まっている)が、僕が小一時間関節をマッサージしたところ「関節を押すだけ(実は、だけではないが)で、こんなに肩がラクになるの?」と言われていた。
筋肉なんか押したって痛いだけである、少なくとも僕は。
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カラダを撫ぜて、骨を探り、骨を指で掴む、骨を撫ぜる。
心臓に遠い場所からスタートして、しばらくすると、次に撫ぜるべき場所が、冷えたり温かくなったり、かゆくなったりする。
カラダが満足するまで、僕はカラダを撫ぜる。
時間がかかるし、シングルサイズのベッドや布団では役に立たない。
(ためにシングルサイズしかない伯母の家では、現在かなり苦労している)
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背中の肩甲骨の裏や、臀部の奥(臀部からの骨は遠い)、鼠径部のさらに内側など、普段ほとんど触れない場所も、触れられる限り撫ぜる。
骨を撫ぜ、肌を撫ぜる。
知らない傷がある。
気付かなかった膨らみがある。
まさかの角質がある。
思わぬ贅肉がある。
肌触りを確かめる。
僕は僕のカラダを発見してゆく。
皮と筋肉と骨をなぞって、古代の化石を掘り出そうとするかのように。
骨を手で曲げる。逆向きも、そっと曲げる。
必要な箇所以外、力を入れないように注意して、呼吸に気をつけて、撫ぜる。
押す、つまむ、撫ぜる。
弱く押して、強く押して、その箇所を力ませて、脱力する。
そのうち、僕は安心して眠る。
カラダは昔から、僕とは違うイキモノみたいで、まったく制御が効かない。
だからそうやって、僕は自分のカラダと交信する。
あるいは、自分のカラダに耳を澄ます。
長らくそんな余裕もなかったと思い出しながら、昨日はそんなふうに、自分を撫ぜ回していた。
自慰行為と呼んで差し支えないかもしれないが、性感があるわけではない。
背中を撫ぜるのは少々手間だが、そのためだけに人を雇うわけにもいかないのは悩ましいことである。
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思い出した。
不眠症のときにもしていたんだ。
眠れなくなっている人の多くは、アタマの中で迷子になっているのだろう。
カラダに帰ってくればいいし、帰ってこられないときは、そろそろ出発の準備をしてはどうだろう。
自分のカラダと手を繋げなくなったら、もう死ぬしかないのだから。
