子供さんと意思疎通が上手くいかないお母さん、またお母さんの言葉を受け取ってくれない子供さんにオススメの本です。

 年齢関係なく、どのお母さんにも、子供さんにも読んでもらいたい本です。私も息子も頻繁に読んでいます。わかりやすくてとても良い本です。


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 2月にブログを公的用と私的用と完全分離して本当によかったです。これから私が書くことは、公的用には書けないことですので・・・。

 今から書くことは、あくまで一個人の考えとして言っていることですのでご了承願います。基本的に「政治や宗教、人の生死」に関することはとてもデリケートな問題ですのでよほどのことがない限り、極力避けてきましたが、今回はどうしても書かないといけないかなと感じましたので書かせていただきました。

 先日、「ベッキー不倫事件。」について私の個人の意見を書きましたが、その直後、また週刊文集で特大スクープが発表されました。自民党に所属する宮崎謙介議員の不倫騒動です。

 今回の不倫は芸能人や事業家、有名人・著名人の不倫とはわけが違います。なぜなら、

① 昨年12月に「育休宣言」をしたこと。
② 結婚して1年も経っていない。
③ 出産直前の不倫。
④ 二度目の再婚。など

 ・・・とまぁ、いろいろ問題がありますが、私にとっては宮崎議員の不倫相手が誰とか、ハニートラップだとか言ったことははっきりいってどうでもいいことであり、宮崎議員の奥さんが可哀想というのは二の次三の次です。(ですので、宮崎議員の不倫については次回のブログで書きます。)

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 そんなことよりも、私が今、一番危惧していることは、宮崎議員が国会議員で初めて「育児休暇」(←と宮崎議員は表記していましたが、正式には「育児休業」(育児介護休業法)の取得宣言をしていたということです。

 事の発端は昨年12月23日。
 自民党の国会議員である宮崎謙介衆議院議員が、来年2月に生まれてくる我が子と妻のために2016年の通常国会期間中の1ヶ月間、育児休業を取得することを宣言しました。

 過去において、

 ① 国会議員にははっきりとした育児休業の規定がなく、男性議員が育児休業を取得することは過去においてなかった。

 ② 同時に男性議員が育児休業を理由に、国会を一定期間休むことはなかった。

 ③ 国会議員は年収が高いのに(税金によって給料が支払われているのに)、育児休暇・育児休業給付などを取るのか。

 等、国会議員が育児休業を取得することへの賛否両論が議員のみならず国民を巻き込んでの大議論となりました。


● そもそも「育児休業」とは・・・?●  


【1991年5月成立/1992年4月施行(平成3年法律第76号)】
 育休 = 正式名称:育児・介護休業法
※ 1995年に6月に育児休業法が一部改正。1999年から「育児休業等育児又は介護を行う労働者の福祉に関する法律」として施行。全企業に導入が義務づけられている。

 労働者が子の養育に専念するために、法律に基づいて出産後の一定期間仕事を休業し、その後の復職を保証する制度。1991年5月に成立し、翌年1992年4月より施行。公務員・民間企業の男女労働者に認められる。

 <改正後>
 ① 1歳未満の子を持つ男女労働者が育児休業を申し出た場合、事業者は申し出を受理しなければならない。
 ② 育児休業を理由に解雇をしてはいけない。
 ③ 休業していた労働者に対し、職場復帰後の賃金・配置を保証する努力義務。


【育児休業期間】

 公務員・民間企業の男女労働者は1歳未満の子を養育するために、最長1年間の休業が保証されている制度。事業主は休業者が復職する際に円滑な職場復帰ができるように努めなくてはならない。復職後は働きながら育児しやすいような措置を講じるべきだとして勤務時間の短縮などを規定している。


【休業期間中の賃金保証】
 1995年より休業期間の所得保証が義務化され、休業中でも雇用保険により育児休業給付が受け取れるようになる。(金額は休業前賃金の25%)当時は1歳未満の子供を対象としていたが、2005年度から1歳6ヶ月未満に延長された。


【育児休業法の歴史】
 日本では1968年に電電公社に導入されたのを皮切りに浸透し始め、1976年には女性公務員の特定職種(教師、看護婦、保育士など)を対象とする「育児休業法」が施行。

 1985年には男女雇用機会均等が成立し、1986年に施行。以後女性の社会進出が加速し、労働組合の要請により1991年民間全労働者を対象とする新たな育児休業法が成立。

 この法律の改正によって1992年4月以降、民間の男女性労働者も育児休業を取得し、子が1歳になるまで休業を保証されるようになった。

 3年後の1995(平成7年)年6月には育児休業法に介護休業制度を取り入る改正案があがり、1995年10月次いで1999年4月に段階的に施行。現在の育児・介護休業法が制定した。
  
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 男性が育児休業を取得できるようになったのは1991年(平成3年)です。それからすでに25年経つのですが未だに男性の育児休業取得率は低い状態にあります。

 厚生労働省の平成26年度雇用均等法調査(確法) 2014年度(2016年10月1日調査時点)から抜粋した「育児休業者割合」(http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?lid=000001137174)によると、

<平成24年10月1日~平成25年9月30日までの間に出産>
 育児休業率 : 女性労働者 86.6% /男性労働者 2.30%


  •  という結果が出ています。

    (↓ 表やグラフの画像が潰れていますが、クリックして拡大するとよりクッキリ、ハッキリと見ることができます。)

     

     上記の表とグラフは内閣府男女共同参画局のデーターを元に作成したものですが、上記でもわかるように男性の育児休業の取得率は25年前とほとんど変化していません。

     この育児休業法はもともと先進国の一つであるスウェーデンを参考にして作られたものですが、そもそも日本はスウェーデンのように育児に対する男女平等の考えが発達しているわけではありません。未だに「男は会社、女は家庭。家事・育児は女の役割だ。」という考えが暗黙の了解で根強く残っていますし、男性が奮起して育児休業を取得しても復業した時の周りからの風当たりが非常に強いのです。つまり、法律は制定されていても実際には機能していない(男性が取得しにくい)状態と言えるでしょう。


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     男性が育児参加をしたくても現実としてなかなかできない・・・。そんな状態を打破しようとしたのが元衆議院議員の宮崎謙介さんです。

     彼は昨年2015年5月19日に同じ自民党の衆議院議員の金子恵美さんと「授かり婚」をしました。2016年2月に恵美夫人が出産することになり、その際に全然機能していない育児休業法を取得することで、世の中の男性たちが育児休業法を利用しやすいようにするために、2015年12月23日に育児休業法の取得を宣言したのですが・・・。

     結果的には彼が自分で引き起こした様々な不祥事によって男性の育児休業法を促進するどころか、逆にさらに育児休業法を利用しにくい状態にしてしまったと言わざるを得ないでしょう。

     彼の今までの一連の行動を見ていくと単に自分が目立つため、主役になって注目されたいだけのパフォーマンスであることが明らかです。特に今回の育児休業法を利用したパフォーマンスは悪質で、法律を利用しての売名行為と言われても仕方がないと思います。(←すみません。私から見ると言っていることとやっていることに一貫性がなく、そのようにしか見えないのです。)

     きっと彼が政治家じゃなくて、事業家のままだったら不倫にしろ育児休業にしろここまで問題にならなかったと思います。そう、彼が政治家じゃなければ・・・。

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     私は育児休業法をもっと男性に浸透させたいのであれば、育児休業を安心して取得できる状態に国だけではなく各企業や事業主がもっと努力するべきだと思います。

     育児休業を取得しにくい組織のシステムにこそ問題があり、それは法律として制定されていても暗黙の了解で打ち消されてしまうのです。

     昨年の5月。
     私は最終追善供養行脚として青森の恐山に行った時に電車の中でこのような素晴らしすぎるポスターを見つけました。

    (↓クリックして拡大するとよりgood!)


    カジダン(家事男子)

    イクメン(育児メンズ)
    イケメン(イケてるメンズ)

    カジダンの人はゼッタイモテる。
    イクメンの人はゼッタイモテる。

    間違いない!!!!!
    少なくとも私には
    絶対モテるであろう!!


    女性も男性も平等と
    いうのであれば、
    家事も育児も平等にすべきだと
    私は強く強く強く思います!!!



    そうだ。
    私の元旦那がカジダンであり、

    イクメンだったら離婚は
    しなかっただろう!(たぶん)


    少子化対策だけではなく、
    離婚率を下げるためにも
    カジダンとイクメン
    大いに賛成です!!


     もっともっと家事男子+育児メンズ
    増やしてください。


     そうすれば、小さいお子さんがいらっしゃる
    お母さん方も安心して心置きなく仕事をすることができます。結果的に労働者が増えるので税金も確保しやすくなります。同時に生産率も上がって経済的にも潤ってくるでしょう!!!(しかし仕事がなければどうにもならないが。)

     復職後、ブランクがあっても子供がいても働きやすい環境を作れるのは企業や事業主さんです。

    ちなみに、
    「育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律」では、
    男女を問わず育児休業・介護休業を取得することができ、それを理由とする解雇、その他の不利益な取り扱いは禁止されています。また、育児または介護を行っている労働者から請求があった場合、一定時間を超えての時間外労働や深夜労働に就かせることも禁止されています。


     世の中のお母さん、お父さんが子育てしながらでも働きやすい環境を。そしてそういった良い環境の中で育った子供達は良い大人へと成長していきます。子供たちにとって良い模範であるように、尊敬されるように。そういった明るい未来や社会を作れるように努力していきたいです。

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     最後に。

     本当に宮崎元議員のすべてが悪いのでしょうか?いいえ、違います。
    確かに宮崎元議員の行動は政治家として問題があるでしょう。(倫理的な部分においても問題がありますが。)ですが、その宮崎元議員を政治家として選んだのは私たち国民です。彼が政治家だったからこそ、今回の育児休業の取得がより深刻な問題となったのです。


     政治家はその地域地域の町民、市民、県民の代表です。そして同時に国民の代表でもあるわけです。今回のような事件があったことで不快に思うのならば、そのような人を出さなければいいだけです。そのためには、一人一人が政治にもっともっと興味をもつことが大切だと思います。

     政治家を目指す理由は様々でしょうが、多くの方が少しでも日本を良くしたい。子供たちに明るい未来を、希望を与えたいと志していらっしゃいます。そして多くの政治家の方が良い政治家になろうと努力していると思います。

     そういった良い政治家になろうとしている人を見抜くのが私たち国民の役目でもあり、良い政治家を選ぶのは私たち国民の権利でもあり、義務でもあると思います。
     携帯の無料ニュースを見ていたら、ほら、よく漫画の広告とか入っているじゃないですか。タイトルが面白くて、ちょっと読んでみたんですが・・・。

     何?!これ!!超絶おもしろーーーーーーっっ!!!(◎_◎;


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     ・・・というか、まるで私みたいじゃん。  

     
    作者は沖田×華(おきた ばっか)さんという方なのですが、言葉では表現しずらい発達障害をよくぞここまで漫画化してくれました!!!

     しかも息子さんも発達障害とのことで、発達障害を理解するにはとても参考になります。「もしかして私、発達障害かも?」と思われたり「ボーダー?」と思われている方、ぜひ一読を!

     もうなんだかすごいことになっていますね・・・。「ゲスの極み乙女。」の川谷絵音さんと、タレントのベッキーさんの不倫事件・・・。ベッキーさんは不倫によって今までの仕事を全部失うし、踏んだり蹴ったりですね・・。

     あ、勘違いしないでくださいね。私はベッキーさんやゲスの極み乙女。川谷さんの妻:A子さんの行動に対してどうこういう言える立場じゃないですし。

     ただね、私はベッキーさんの気持ちもなんとなくわかるし、不倫被害の経験者としてA子さんの気持ちも理解できるので、経験者の立場としてここにこうやって書いているだけなのです。
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     私は20代前半で結婚し、そして結婚して1年も経たずに離婚しました。その原因は主人の不倫でした。私の場合、さらに生後3ヶ月の息子もいて、その時の怒りと悔しさは半端なかったです。

     「結婚して子供もいるのになんで?!」
     「籍を入れて1年も経ってないのになんで?!」
     「信じていたのに裏切られた!」
     「なんで私を女としてみてくれないの?妻として認めてくれないの?!」

     こんな考えが頭のなかをぐるぐると駆け巡り、怒りと悔しさと憎しみでどす黒いドロドロしたものが胸の中に渦巻いていました。私はこの時人生で初めて「腸が煮えくりかえる」経験もしましたし、人に対して初めて殺意を抱くという経験もしました。そして私を陥れ、辱めた主人と不倫相手に対し、本気で復讐したいと思いました。


    ● 私の主人と離婚するまでの経緯/不倫発覚~離婚まで


    ▶︎  出産。
      ↓
    ▶︎  出産直後、主人の帰りが異常に遅くなり、不審な行動をとるようになる。
      ↓
    ▶︎  夜、寝る時、肌身離さず携帯電話を持つようになる。(←怪しすぎる)
      ↓
    ▶︎   主人のお財布から不倫相手とキスをしている写真が出てくる。
      ↓
    ▶︎ 問い詰めると、不倫相手がいることを白状する。
      ↓
    ▶︎  不倫相手と主人を交えて直談判することになる。
      ↓
    ▶︎  不倫相手は主人が既婚者だと知らずに付き合っていたと言っていたので、今後誰かと付き合う時は既婚者かどうかを確認してから付き合うように諭し、念書を書かせてその場は一旦落ち着いたように見えた。
      ↓
    ▶︎  実は不倫相手は主人の会社のアルバイトの子で、主人を既婚者だと知っていた。私は二人に嘘をつかれて騙されたことを知り、怒りで頭がおかしくなりそうだった。 
      ↓
    ▶︎  主人に不倫相手を呼び出してもらい、二回目の直談判。彼女は謝って二度と主人と関係を持たないことを約束した。
      ↓
    ▶︎  その後、車のダッシュボードの中から携帯電話を発見。中身を見ると、不倫相手と主人がまだ付き合っていたことが発覚。しかも不倫相手が主人に離婚をすすめていた。
     
    「早く奥さんと別れて一緒になろうよ。」
     
    「もっと種付けして。あなたの子供が欲しいの。」など

      ↓
    ▶︎  怒り爆発。不倫相手に電話。嘘をついていたことを諭すと逆ギレされる。
      ↓
    ▶︎  逆ギレされたことでブチ切れて携帯電話を主人の両親のところへ持っていく。証拠を見せて、主人の両親に主人を咎めてもらう。
      ↓

    ▶︎  主人と自宅に帰宅。主人が両親から咎められたことに腹をたて、私を絞殺しようとした。
      ↓
    ▶︎ 主人は不倫相手にのめり込み、結局離婚。私は生後3ヶ月の息子をかかえて母子家庭となる。子供がいるため公正証書を作って離婚したが、慰謝料・養育費を払ってくれなかった。だけど愛のない生活するよりは、主人の顔をみて不倫していたことに対し毎回ぐちぐち言い続ける生活に比べればさっさと別れて正解だったと思う。(精神衛生上)

     ・・・とまぁ、こんな感じで私は離婚に至ったわけです。

     あ、これは余談ですが離婚したあとに主人がその不倫相手と一緒になりませんでした。その後、主人は女性遍歴を色々と繰り返し離婚して10年目で再婚したようです。

     私はこの不倫の傷のせいで完全に男性不審になって4年間誰とも付き合えない状態になりました。精神的なトラウマをめちゃくちゃ与えられて、息子もまだ生後3ヶ月で・・・。不倫した二人はその後ラブラブでいいかもしれませんが、不倫された側の心のケアは誰もしてくれません。本当に不倫は人の人生をめちゃくちゃにしますね・・・。


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     川谷さんとベッキーさんのLINEでのやり取りが不倫の動かぬ証拠となったわけですが、この情報がどこから漏れたのか・・・。それは関係者にしかわかりません。(勝手な予測でこうだと決めつけるほど恐ろしいことはありません。)ですが、このLINEでのやり取りの情報漏洩は、それこそ私が主人の携帯を見てしまったことによって泥沼化していった経緯ととても似ているのです。

    ①<私の場合>
    ▶︎ その後、車のダッシュボードの中から携帯電話を発見。中身を見ると、不倫相手と主人がまだ付き合っていたことが発覚。しかも不倫相手が主人に離婚をすすめていた。
     
    「早く奥さんと別れて一緒になろうよ。」

      ↓
    <今回の事件> 川谷さんとベッキーさんのライン情報
     「大丈夫だよ!待ってる。卒論提出できたらけんちゃんにいっぱいわがまま、聞いてもらおうっと。」


    ②<私の場合>
    ▶︎ ブチ切れて携帯電話を主人の両親のところへ持っていく。

      
    <今回の事件> 誰かがマスコミに不倫の画像(証拠)を持っていく。



    ③<私の場合> 証拠を見せて、主人の両親に主人を咎めてもらう。

      
    <今回の事件> 二人のLINEの情報が漏れて世間からめちゃくちゃに叩かれる。


     私は、主人は不倫相手にぞっこんで私が何を言っても無駄だと思ったので、第三者である主人の両親の力を借りて主人が両親から咎められることによって自分の元へ戻ってきてほしい、目を覚ましてほしいと思ったのです。

     きっと私のその時の気持ちと同じように、A子さんはベッキーさんは憎いけれど嫌なことをされてもやっぱり川谷さんのことが大好きでしょうがないから第三者(情報拡散したマスコミ、世間の反応)を味方にして、早く川谷さんに正気を取り戻してもらいたかったのではないでしょうか?

    「いろいろあったかもしれないけれど、最終的には自分の元に戻ってきてくれた。これだけ公にバッシングされたんだから、もう私の元を去らないでね。私を大切にしてね。」


     これがA子さんの本当の願いなのではないでしょうか?

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     社会的には絶対的にベッキーさんが奪略者として叩かれるでしょうが、ベッキーさんはもともと川谷さんのファンであり、そんな彼からアプローチされてしまったら乙女心は暴走してしまうと思います。しかもその当時は川谷さんが結婚しているとも知らずにどんどん好きになってしまったのだから、彼女は彼女でとっても辛かったと思います。年齢的にもいっても婚期や出産時期等を考えると今しかないと考えたのでしょう。

     でもA子さんの立場からすれば、言い方は悪いですがポッと出てきたベッキーさんにいきなり川谷さんを奪われるのは本当に許せないことだったと思います。A子さんの場合、川谷さんがメジャーデビューする前からずっとずっと川谷さんを信じて尽くして待ち続けていたのですから。そしてやっとの思いでゴールインできたのに、結婚して1年経たずに離婚を切り出されて・・・。しかも奥さんなのに「友達」と言われてしまう・・・。彼女の心の苦しみがどんどんエスカレートしていって「復讐したい」と思う気持ちになるのは当然なのではないでしょうか?

     ベッキーさんはまだ川谷さんとお付合いして半年経ちません。一方A子さんは何年も時間と労力を川谷さんに注いでいるのです。A子さんの一人を思い続けての年月とベッキーさんとの年月には雲泥の差があり、そこに対する思いは一言では語れないと思います。

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     しかしながら、私の場合とA子さんの場合の決定的な違いは、不倫が公になる前に

     ・ 私の主人は離婚の話を持ち出さなかった。
     ・ 川谷さんはすでに離婚の話を持ち出していた。

     の違いにあり、そういった意味ではA子さんに対しては本当に申し訳ないですが川谷さんの方が誠意があるように感じられます。彼はベッキーさんとの前向きな未来のためにそれなりに頑張っていたように感じます。

     ただA子さんとしては、「はい、そうですか。」と簡単に納得できる問題ではありません。本当に川谷さんがベッキーさんと一緒になりたいのであれば、時間はかかるかもしれませんがA子さんが納得する形で離婚話を進めなければいけなかったと思います。しかし、A子さんもすでに離婚を切り出されていてとても追い詰められていたのでしょう。

     きっとA子さんは色々と考えた結果、川谷さんが一番折れる方法がマスコミや世間を味方につけることだと思ったのでしょう。当時、川谷さんは紅白に出るなどして知名度もウナギのぼりでしたでしょうし、マスコミも新しい話題がほしいので渡りに船だったかと思います。

     しかし、マスコミによってボロクソにベッキーさんと川谷さんが叩かれた瞬間に、川谷さんの態度は曖昧になり、この曖昧さがさらに問題を大きくしていったように思えます。

     奥さんとしてはしてやったり!ベッキーさんとしてはなんであんなに誓い合ってたのに?!と思ったかもしれません。

     そういった意味では本来一番叩かれるべき相手は、この二人に対してどちらにも誠意を見せれなかった川谷さんだと思います。川谷さんの今の状況ではどちらの女性も不幸にしてしまいます。はっきりさせないということは「二人とも好きじゃない」とも言えます。




     今、不倫をしてしまっている、または不倫をされていて悩んでらっしゃる方に一読していただきたいです。


     最後に。

    「不倫するなら腹を括ってやれ。責任を取れないなら初めから不倫なんてするな。これだけいろんな人を巻き込んで、たくさんの人たちを傷つけているんだから、責任持ってどちらかをきちんと選べ。そしてその選ばなかった相手の人生をめちゃくちゃにしたことに対して謝罪し反省して、選んだ相手を選ばなかった相手の分まで責任持って幸せにしろ。」

     以上。

     過去に不倫によって離婚した人間の一意見でした。
     こんにちは。Akiraです。

     ・・・いや、なんというか変な気分ですね。今まで結喜という名前でブログを書いていたのですが、今回色々とありましてパブリック用(公的)の結喜ブログと、プライベート用(私的)に完全分離いたしました。

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     今後は、

    《表サイト ~幸せはすべてあなたの手のなかに~》「占い師 結喜」



    《裏サイト ~もう大丈夫。あなたは一人ぼっちなんかじゃないよ~》「Akira」
    (↑このブログね。)

     の二部構成で、Akira版ではめちゃくちゃ重い話や他の人があまり触れないような内容も気にせずに思い切り書けます!!書く内容も完全に分離しているから、ブログを書く時に内容に躊躇してしまい今までのようにブログを平気で1ヶ月とか2ヶ月放置しなくなる!!・・・ハズです。たぶん・・・。


     とりあえず、今まで表サイトで書いていたブログを移動させましたが、これからまた日記をすべて読み直して「結喜用」と「Akira用」で分別を開始します。徐々に更新していきますので、今後ともよろしくお願いいたします。
     貧困層=教育を受けれないと言われているが果たして本当なのだろうか?少なくとも私は教育や教養の程度でその後の人生の選択肢と可能性が広がることを知っていたので母子家庭になろうが貧困層になろうが教育だけにはお金をかけて息子に勉強をさせていた。今までにくもん、Z会、進研ゼミ、ワオスタディ、ショウイン、秀英、Eネット塾など様々な学習塾を体験させ、新聞も朝日、読売、毎日新聞(小学生新聞、中高生新聞)なども購読してきたが、息子は思ったように勉強しなかったし、元々本も読む習慣がなかったので新聞も読んでくれなかった。(私は毎日読んでいたが。)

     裕福層=質の高い教育を受けられる。

     もちろんそうだろう。貧困層に比べたらはるかに質の高い教育を受けられるだろうが、貧困層=教育を受けていないというのはどうかと思う。

     教育=塾だけではない。図書館も教育や教養を身につけるために大いに役立つ。本をたくさん読むこと自体、勉強であり、教育であり、教養だ。図書館で無料で本が読める。インターネットも使える。世の中には無料塾というものもある。情報は探そうと思えばいくらでもある。

     問題は裕福層だろうが貧困層だろうが、本人に「やる気」があるかどうかだけだと思う。いや、この場合やる気と表現するよりも「目的」とか「目標」といった方がいいのかもしれない。

     そもそも何のために勉強するのか?

     それは自分の夢を叶えるためだ。目標とか目的を達成するための一つの過程として、よりレベルの高い一流の高校や大学を卒業した方が職業の選択肢が増えるから、または入りたい業界に入りやすくするために勉強するのだ。

     「目標」とか「目的」があるからこそ、その高校や大学で勉強したい。学びたい。と思えれば、高校や大学に入ってもどんなに困難があろうが大変だろうが頑張れるだろう。しかし目標や目的がないと、高校や大学に入ることのみが目的になり、入ったあとに燃え尽きてしまう可能性が高い。それは会社も同じだと思う。会社に入社しても「私は社会でこのように貢献したからこの会社に入る。」という視点がないと、勉強や仕事そのものがとても辛くなってしまうだろう。

     うちの息子も同じだ。息子には「目標」とか「目的」がまったくなかった。だから続かないし頑張れない。息子も自分探しをしているが、自分が何が得意で何が苦手がわからない。どのように社会に貢献できるかもわからない。
     
     そういった意味では占いは便利だ。自分の生まれ持った本来の向き不向きや社会で貢献できること、自分にとっての幸せや豊かさの感じ方を大まかに知ることが出来るからだ。このようなことを知っているのと知らないのでは、同じ時間、同じ努力をしても雲泥の差が出てくるだろう。

     私は普段家族を占ったりしないが今回は息子の依頼で占いを行った。そして息子の目指すべき方向や特性、向き不向きなどを教え、大まかな目的や方向性を本人が設定することができた。

     結果。

     本人もかなり納得したようで、今までやってこなかった勉強道具を引っ張り出して勉強を真面目に取り組むようになった。親からやらされる勉強ではなく、自分のための勉強にシフトチェンジしたのだ。

     貧困層に教育を。と言うが、「何のために勉強するのか?」「何を目標に勉強するのか?」が理解できていないと、教育費もきっと無駄になるのではないかと私は思う。本人の目標や目的がはっきりしてない状態の勉強は、親の勝手な押し付けなんだろうなと感じた。(今回の件で私は今まで息子に行ってきた行動を深く反省した。)

     夢や希望や目標があるからこそ、どんな状況になろうが頑張れるんだよね・・・。

    <追記>
    ※ 私は教育や勉強を否定しているわけではありません。むしろ教育は絶対的に必要です。そしてその教育・勉強に夢や目標といったものが加わると、その教育や勉強にさらに価値が出てきます。重要なのは自分にとって「何のために勉強しているのか?」を理解することだと思います。この「何のために」が理解できると自主的に自分から勉強したい、もっと学びたいと思うのではないでしょうか?少なくとも私はそうでした。

    ★ 「何のために」=「■■ができるようになりたいから○○しよう。」「■■を知っていると便利だから○○しよう。」「■■したいから○○しよう。」「■■が欲しいから○○したい。」
     ■■=目標 ○○=行動

    例):ゲームが好きだから、将来○天堂やス○エア・○ックスに入りたい→競争率が高いから有利になるために○○大学に入ろう。
    例):カッコいいHPを自分でつくりたいたからHTMLを勉強しよう。
    例):車に乗りたいから、18歳になったら教習所に行って運転免許を取ろう。
    例):今日の晩御飯はカレーにしたいから、スーパーでにんじんとじゃがいもと玉ねぎを買おう。ついでに○○の味にしたいから○○のスパイスも買おう。

     こういった「目標」があるからこそ、「自発的な行動」に移せるわけです。それこそ「偏差値の高い大学に入るために勉強しよう。」もありなのですが、偏差値の高い大学=選択肢は増えると思いますが、それが必ずしも充実感や満足感や幸せに繋がるわけではありません。特に嫌われたくないから、否定されたくないからという理由で親の言いなりになってきた人はその傾向が顕著になると思います。

     私は占い師を家業とし、今年で13年目になります。その13年間で数万人の人々とご縁をいただきましたがその中で感じたことを書いています。お客様の中には政治家や芸能人、社長・重役・役員・顧問、大学教授、医者、弁護士、先生、作家さんといった社会的に成功してらっしゃる方々も多いですし、一流企業にお勤めの方や一流大学・名門大学(国内だと東大、京大、阪大、慶応、早稲田、一橋、東北大、北大、神戸大、九大、上智、明治、学習院、横浜国大、立教、立命館、同志社など。海外だとハーバード大学など)を卒業されている高学歴のお客様もたくさんいらっしゃいます。同時に生活保護者の方、引きこもり、ニート、フリーター、精神疾患の方、障害者の方々もいらっしゃいますし、関わってきた年齢層も上は90歳くらいのお年を召した方もいらっしゃいます。しかし社会的に成功してようが成功してまいが、高学歴であろうが低学歴であろうが、裕福であろうが貧困であろうが、皆さん抱えてらっしゃる悩みの根本は一緒で、同じ悩みで苦しんでいらっしゃいます。だからこそ「夢」や「目標」がいかに大切なものか、生きるための原動力になるかを伝えていきたいのです。(目標設定→やる気→努力→成功→達成感・満足感→自己肯定感が高まる→自信→自分を好きになれる)
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     結喜です。9月中旬に九州から横浜市に引っ越しして2週間が過ぎました。お陰様でこちらの生活も少しづつ落ち着いてきています。仕事の方も本格的に復帰できそうです。

     今回14回目の引っ越しになりましたが、今回の引っ越しで私はたくさんの恩恵を受けました。その一番の恩恵が息子が変わったことです。九州ではイジメによって死にたいと言って登校拒否していた息子が、今の学校では毎日元気にニコニコ笑顔で学校に行ってくれています。お手伝いも積極的に自分からすすんでやるようになり、今は毎日のゴミ出し、お風呂とトイレ掃除、食事の下準備までやってくれています。成績も少しずつですが上がってきていますし、何よりイジメによって対人恐怖症になって人と話すことができなかった息子が人と話せるようになりました。

     私は思います。親や周りの人たちはどれだけあなたのことを理解しているでしょうか?親や周りの人たちは自分の主観であなたを判断してあなたを評価しています。その判断は本当に正しいのでしょうか?あなたが評価されないのは、もしかしたらあなたを評価してくれない場所にいたり、そういった人々と関わっているからではないのでしょうか?少なくとも私はそうでした。そして息子もそうでした。だから私たちは私たち親子を受け入れてくれる場所と人々を選びました。

     土地や家族、その地域の人々との相性や因習などもありますが、家族や周りの人々から非難されたくないという思いからの自己犠牲や我慢からは憎しみと恨み、怒りしか残りません。また「自分が我慢さえすればいつか相手が変わってくれるのではないか?」という期待はことごとく裏切られるでしょう。そもそも憎しみや怒り、恨みを感じてしまうような環境を自分で選択していることこそが自分をもっとも惨めで不幸にしてしまうのではないでしょうか?

     今の状況に対して3つの選択ができます。

     一つ目は相手より弱い立場になって自分の可能性を潰して「仕方がない。」と諦める方法。二つ目は相手が変わるのではなく自分が変わってより精神的に余裕を持てる状態になってその環境に適応する方法。三つ目はその環境そのものから離れる方法。

     一つ目の今の状況を「仕方がない。」と諦める多くの人は、その諦める理由として、①「自分の未来に安全の保証がない、目的がない、」、②「家族が反対するから」、③「今の生活のレベルを落としたくない」(金銭的)という理由で今の状況を選んでいます。

    ① に関しては、自分の向き不向きや適性、生きがいが見つかればある程度は解消されます。

    ② に関しては、家族や周りの人はあなたの人生にいろいろ口を出しますが、言ったことに対し責任は持たず、あなたの将来を保証してくれるわけでもありません。たとえあなたが家族の言う通りに人生を選んだとしても、家族はその選択に満足せずにもっとあなたに欲求をぶつけてきたり文句をいうことでしょう。

    ③ に関しては、生活レベルを落としたくない=経済的に恵まれているということなので、経済的に保証してくれている家族の方にもっともっと感謝すべきでしょう。本当に死ぬほど嫌であれば生活レベルとか関係なく、必死になって働けばなんとかなると思ってその相手から離れようとしますので。

     あなたは選べる立場であり、「諦める」・「適応する」・「離れる」選択ができます。どの選択をするかはあなた次第で、その選択によってあなたの運命も宿命も人生もすべて変わります。そういった意味では自分の今の状況は全部自分で選択しています。あなたを幸せで豊かにしてくれるのは人ではなく、あなた自身です。あなたはどんな選択し、どんな自分の人生を歩んでいきますか?

     このブログは私のあくまで主観に基づいて書いているものであり、私が感じたことや思ったことを書くことが何故いけないのだろう?

     それは私がこのようなブログを書くことで不利益を被る人がいるからだ。少なくとも私の家族はそうなのだろう。私がブログで家族のことをいろいろ書くことで家族の評価が落ちる。とばっちりを受ける。だから私の兄弟や姉妹は私のブログを読んでこのようなことを母に言うのだろう。

     「おまえのことはどんなことを書いてもいいけれど、家族のことは関係ないだろう。書くな。」「おまえは好き勝手にしていいしどうだっていいけれど子供が可哀想だろう!」と。

     私はこのように家族のものから「厄介者」だと思われている。私は家族の中ではいつもお荷物で常に誰かに迷惑をかけている穀潰しなのだ。兄弟、姉妹は直接私にそういった言葉を言わないが雰囲気は言わなくても伝わってくるものだ。

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     私は常にトラブルメーカー。私がいるだけで、行動するだけで、発言するだけで家族に被害を被らせる。

     兄弟や姉妹は「おまえのせいで」「また問題を起こして」「お母さんにどれだけ迷惑かけているんだ。」と言い、母親は「あんたには無理だ」「やっぱり私がいないと何にも出来ない」「今まであんたが好きなようにさせてきたけど、最後は私が全部尻拭いしているんだ。」と言う。

     私は一体何なんだろう?私の存在自体が悪なのか?私がいること自体が家族を苦しめ傷つけてしまうのか?私がいなければすべて丸く治るのか?ねえ、私は一体どうすればいいんだろう?

     私がこの世からいなくなれば、あなたたちのその言葉を聞くこともないし、その言葉でこれ以上私が傷つけられることもない。私は自分の存在が無くなれば誰も傷つけなくてすむと思って、自分の存在をこの世から消そうと努力してきたのに。

     兄弟、姉妹、家族は私の息子を心配しても私を心配することはない。可哀想なのは私のような人間に育てられている息子であり、息子は被害者であり、私は加害者なのだ。
     
     なんで私は生きているんだろう?なんで生き続けなければならないんだろう?「必要ない」どころか「家族に迷惑を被らせる悪の根源」なのに?

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    「黒子のバスケ」脅迫事件という事件が2012年(平成24年)10月に発生。2013年(平成25年)12月15日に犯人が捕まり、2014年7月18日に犯人である渡邊博史氏の公開裁判が行われましたが、A4レポート用紙44枚という膨大な量の渡邊博史氏の意見陳述用のコメントが話題になりました。(←クリックすると移動します。)

    ※「黒子のバスケ」脅迫事件・・・2015年9月22日 wikiペディアより抜粋(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E5%AD%90%E3%81%AE%E3%83%90%E3%82%B9%E3%82%B1%E8%84%85%E8%BF%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6)

    ※ 渡邊博史氏の意見陳述用のコメント・・・2015年9月22日 篠田博之氏|月間『創』編集長 2014年7月18日 15:34 Yahoo!ニュースより抜粋(http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20140718-00037501/)



     私は現在ネット上で公開されている渡邊氏の意見陳述書を読んでこのブログを書いています。渡邊氏はこの事件を自分の言葉で「人格格差犯罪」と命名しています。この「人格格差犯罪」に至るまでの経緯の中で、いくつかキーワードがありますがその中で私が最も注目したキーワードが『社会的存在』と『生きる屍』です。

     この「社会的存在」と「生きる屍」についての説明の中で渡邊氏は乳幼児期にどれだけ家族や社会から「規範の共有」「感情の共有」を教え与えられて「安心=生きる力の源」を受け取ることができたか?が、その後の人格形成や行動様式に影響を及ぼすかを事細かに書いています。

     人間に自分の存在を常に確信させているのは他者とのつながりです。社会と接続でき、自分の存在を疑うことなく確信できている人間か「社会的存在」です。日本人のほとんどすべての普通の人たちは「社会的存在」です。

     人間はどうやって「社会的存在」になるのでしょうか?端的に申し上げますと、物心がついたときに「安心」しているかどうかで全てが決まります。この「安心」は昨今にメディア上で濫用されている「安心」という言葉が示すそれとは次元が違うものです。自分がこれから申し上げようとしているのは「人間が生きる力の源」とでも表現すべきものです。


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     犯罪は悪いことです。なぜなら犯罪とは、社会の規律を破り社会の調和を乱すからです。それと同時にたくさんの人々を傷つけて悲しませるからです。ですが、それ以上に自分を深く深く傷つけます。

     私は最初から犯罪を犯したい人なんて誰もいないと思っています。生まれた瞬間から鬼畜な人間なんて誰一人いません。元々の生まれ持った性格や特性、才能や能力(個性)はあったとしても、その個性を開花させるのも腐らせるのも、良い人間になるのも悪い人間になるのもすべては家族や周りの人間から投げかけられた言葉と育った環境・教育だと思っています。

     なぜ犯罪を犯してしまうのでしょう?私は犯罪を犯してしまう大きなの原因として、

    ① 「善悪の基準を教える人がいなくなった。」
    ② 「尊敬できるような(良い模範になるような)人がいなくなった。」
    ③ 「自分の個性を受け入れて、認めて尊重してくれる人がいなくなった。」

     この3点が犯罪を犯す大きな原因だと私は思っています。

    ① よくテレビやワイドショーなどは何か犯罪が起きた場合、「人として」とか「常識的に」と言いますが、そもそも犯罪を犯す以前に何が良くて何が悪いのかという「善悪の基準」を知らなければ犯罪の防ぎようがないと思います。そしてワイドショー等でコメントしている人たちの常套句が「家庭での躾がなってない。」です。多くの父親または母親は家族に苦労させたくないために夜遅くまで働きに出て子供と一緒にいる時間を設けることができません。一緒に過ごす時間がないのにどうやって躾をしろと?学校では詰め込み式の教育ばかりで人として何が良くて何が悪いかの善悪の基準を教える道徳の時間もどんどん減らされています。貧困や虐待、差別を受け続ける環境の中、どうやって「善悪」を学ぶのでしょうか?本当に犯罪を減らしたいのであれば、批判ではなく「問題が起きた時にどうやって対処すればいいか?」「模範になるような生き方」の番組をもっと製作し流さないのでしょうか?
      

    ② みんな人が幸せになることにはお金をださないけれど、トラブルに巻き込まれたり不幸になっていく姿を見るのにはお金を出します。人の不幸を見て「こいつよりマシだ。」と安心します。ワイドショーやゴシップ雑誌は人の批判ばかり。あいつが悪い、こいつが悪い。人の不幸は蜜の味。偉業を達成して一時期フィーバーいても「もっと努力しろ」「守り通せ」と追い詰めて、出来なければこきおろす。こんな情報ばっかり目にして、耳にしてどうやって尊敬できるような人を見つけろと?人生で尊敬できる人が一人もいないということはそれはある意味とても不幸なことだと思います。尊敬できる人が誰でもいい、一人でもいればその人をモデルに頑張ることができます。しかし、それすらなければどうやって頑張ったらいいかわかりません。


    ③ 最後に。私が考える犯罪の最大の原因は「孤独」です。人は「言われたこと」「受けた行為」のみしか知りません。放置・放任、批判・罵倒され続け、自己肯定感や自己存在感をズタボロに破壊されてどうやって人を大切に・自分を大切にできるのでしょうか? 誰も必要としていない、いると邪魔者扱いされる。相談しても「そんなのおまえじゃ無理」「出来っこない」「世間体があるから」「おまえがいるとバカにされて恥ずかしい」などと批判される。このような心無い言葉を浴びせられたり、言わなくても雰囲気で感じ取ってしまったらどのように人を信用すればいいのでしょうか?自分がことあるごとに無能扱い、厄介扱いをされたらどのように生きていけばいいかわからなくなるのではないでしょうか?こんな状態でどうやって「あるのままの自分」や「素の自分」を見つけることができるのでしょうか?

     このような状況が続けば人が怖くなり、最終的には自分を守るために「自分の心を閉ざす」しかなくなるのです。

    「自分の存在を否定されるような発言をされ続ける。」→「自分が価値のない人間だと思い込み、人が怖くなる。」→「誰も信用出来ない。」→「誰も助けてくれない。」=「私は価値がない生きる屍」という思考回路、人が信用できなくなってしまって起こす態度や行動の悪循環が始まっていきます。

     犯罪が起きた時にテレビで家族や周囲は「なんで相談してくれなかったの?」と言いますが、相談できない環境だったから、相談しても無視されたり批判されるから、心配されるのが嫌だったから「諦めるしかなかった。」というのが答えだと思います。「相談」は信用しないと出来ません。

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     より良い社会を築くため、社会の統制と秩序を守るためには規則や決まりごと・約束事が必要です。規則があるからこそ、社会や人間関係で秩序と調和を保つことができ、皆同じ条件で生きていくことが出来ます。その規則が法律ですが、そこには感情的な要素は一切交えません。法律で問われることは、社会の秩序を守り調和するための規則を「破ったか?」「破らなかったか?」だけです。

     犯罪は「悪」であり「罪」です。規律を破った、社会の秩序を乱した行為に対してそれと同様の罰を受けます。犯罪=社会全体の調和を乱すことが犯罪だとすれば。

     社会全体の秩序や調和を乱すような心無い「言葉」「行動」「態度」をしている人は隠れた「加害者」であり「犯罪者」なのではないのでしょうか?そして実際に犯罪を犯してしまった人々はこういった人々や環境のために犠牲になった「被害者」なのではないでしょうか?

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     心の痛みを知った上で、その後人から必要とされた人たちはお互いの違いを認め、違いを個性として肯定し共感することができます。しかし心の痛みだけしか知らない人は人のことを批判・否定します。私からすればテレビの報道などで人の批判ばかりするということは、心の痛みを抱えたまま自分の心の傷が癒されていない人々なんだと思います。

     「理解」も大切ですが、それ以上に「愛されている」「安心できる」「必要とされている」という「感情」が十分に満たされれば人は悪いことをしませんし人を否定したり批判しなくなるものだと私は思います。「感情」が十分に満たされていないから人は狂っていくのです。

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     私は運がよかったです。私を救ってくれたのはお客様でした。お客様は私のことを必要としてくれました。お客様の「結喜さんと出会って本当に良かった。」のこの一言で私は本当に救われました。お客様は私と出会って救われたと言いますが、違います。私がお客様に救われているのです。

     お客様が私を必要としてくれている。だから私は頑張れます。私は私を必要としてくれる方がいる限り、まだ頑張れます。そういった意味ではお客様は私の神様です。私を必要としてくれている神様です。本当に、本当にありがとうございます。こんなに至らない私を認めてくれて本当にありがとうございます。

     犯罪を減らす一番の対策法としては、まず自分が困った時に気軽に「教えて」「協力して」、苦しかったら「助けて」と言えるような環境、自己存在価値(自己重要感)や自己肯定感を高めてくれるような言葉かけをしてくれる人々、繋がり、ネットワークを作ることだと思います。

     「感情」は人の言葉で育っていきます。暖かい言葉、労りの言葉、慰めの言葉。「ありがとう。」「偉いね。」「すごいね。」「頑張っているね。」この言葉で勇気や元気が出てきます。一人一人がこのような言葉を関わった人すべてに与えることが出来れば、日本はもっと平和で安全でお互いに理解・尊重できるような豊かで幸せな国になると私は思います。

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     今回の神奈川県の引っ越し、また息子のメンタルケアを行うにあたり私は今までのライフスタイルを大きく変更する必要がありました。これは私にとっては大きな決断です。ですが、この決断は私にとっては幸せと豊かさをもたらしてくれることになると思います。

    【決断したこと】

    ① オン(仕事)とオフ(プライベート)を完全に切り分ける。家にいる時は仕事を持ち込まない。家族との時間を大切にする。

    ② 週1回定休日を設け、息子と一緒に外出して楽しい思い出作りをする。

    ③ できる限り息子と一緒に手作りの料理を作ったり、共同作業する時間を増やす。

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     私は今回息子のいじめ問題や九州から神奈川県への引っ越し、同時にここ1ヶ月で「生と死」について考えさせられる出来事が頻発し「幸せとは何か?」「豊かさとは何か?」と改めて考えさせられました。人によって幸せや豊さの定義は違うかもしれませんが、今回のことがきっかけで出した答えが、「家族を共に楽しく過ごす時間を大切にする。」ことです。

     何のために生きるのか?何のためにお金を稼ぐのか?結局のところ、自分と家族が幸せで豊かになるためです。

     家族に惨めな思いをさせたくない。家族を豊かにしたい。だからお金を稼ぐのだ。と言う人がいます。ですが、そのお金を稼ぐために自分の精神と肉体を酷使して寿命を縮め、家族との時間すら持つことができないとなると一体何のために働くのでしょうか・・・?

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     私の実家がそうでした。私の実家は自営業でしたので祖父も祖母も父も母も毎日毎日忙しく働いて子供達をかまう暇もありませんでした。家族が働けば働くほどお金は入ってきていたので物質的には不自由しませんでしたが、その分家族と共に過ごす時間はありませんでした。

     仕事(または勉強など)に追われすぎると精神が崩壊し、理性を保てなくなり感情と欲望をコントロール出来なくなります。大人たち全員が仕事に追われ心に余裕がなくなり、家族に対する優しさや思いやり、慈しみというものが持てない状態でした。仕事のストレスのせいで祖父も祖母も父も母もいつもイライラして毎日のようにお互いを否定・非難しお互いを傷つけあっていました。

     家族と共に過ごす時間がない。ということは「一緒に過ごした思い出を作れない。」ということです。私には家族と一緒に楽しく過ごした、一緒に何かを学んだ記憶もありません。私の家族に対する思い出は「怒り、憎しみ、罵り、恨み」しか残っておらず、そのような環境で育った私が家族から受け取ったものは自己否定感・劣等感・コンプレックスのみです。

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     少なくとも私の記憶の中では、家族から暖かい言葉をかけてもらったり優しくされたり愛されたという記憶が残ってないので(親は愛したつもりかもしれないが、私は認識できなかった)、私は息子が生まれた時に私は息子に対してどう接していいかわかりませんでした。私は息子に対して心から息子を大切にするということがどういうことなのか理解できませんでした。ですので、私は私の家族がしたように、息子に不自由させないために働きました。しかし、私が夜遅くまで働けば働くほど、私の意に反して息子にはどんどん問題が起こっていきました。

     「私は息子のためにこんなに頑張っているのに・・・!!!」

     息子のためと必死になっていたからこそ、息子が問題を起こすたびに息子に対しての怒りがどんどん膨れ上がっていきます。極限状態に達すると理性を保つことが難しくなって
    感情のコントロールが効きません。感情の収集がつかなくなって、泣きたくないのにボロボロと涙が溢れてきます。そしてふっと理性と感情が糸が途切れ、「あぁ、私一体何やっているんだろう?もうどうなってもいいや。」と自暴自棄になります。そして思うのです。「なぜ私がこんな目に・・・。」「幸せとか豊かさって何だろう?何のために生きているんだろう。」と。

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     私は個人鑑定もしていますが、同時に神奈川県の中華街でも店舗に所属して鑑定をしています。中華街は中国人だらけですが、夜20時になるとほとんどのお店が閉まります。それは家族と一緒にいる過ごす時間を大切にしているからです。

     私は日本人ですが中華街の人々は日本人とか中国人とか関係なく、皆家族のように気さくに話しかけてくれます。中華街はいつも和気藹々としています。見ているこちらが羨ましくなるくらいに。

     私はこの中華街の人々の生活と自分の育った家庭環境を比較し振り返ってみました。それと同時に私の今までの生き方も。

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     私は思います。

     働けば働いた分だけお金を得ることが出来ます。お金があることで自分の欲しい物を買えたり、誰かに何かをプレゼントして喜んでもらったり、誰かをそのお金で救うことができることで豊かで幸せな気持ちになることができます。そういった意味ではお金は自分の生活と心にゆとりをもたせて安定させるためには絶対に必要なものです。だけど、その大切なお金と同じくらいに家族と一緒に楽しく過ごす時間も必要なんです。

     「運」は人が運んでくるという言葉があります。良い運も悪い運も人と人とが関わりを持った時に初めて発生しますが、良い運を運んでくる人は「家族仲が良い人」です。

     嫌なことがあっても家族が慰めてくれる、大丈夫だよと言ってくれる。嬉しいことがあれば一緒に喜んでくれる。困ったらすぐに助けて手を差し伸べてくれる。一緒にいて楽しい、嬉しい、居心地が良い。そういった家族仲になれば自然と家族全体の運気は上がりますし、そういった家族の方々と関われば自分にもその良い運気を分けてもらえます。そういった意味では本当に運を良くしたい、本当に豊かで幸せになりたいのであれば、まずは仕事も大切かもしれないけれど、それと同じくらいに「家族との絆」を深め、自分のためにも家族のためにも一緒に良い思い出・楽しい思い出を作ることがとても大切だと思います。

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    <追記>
     
     人は誰でもいつか必ず死にます。今まであなたが一生懸命頑張って築き上げた地位、名誉、土地、財産もあなたが死んでしまったらあの世には何一つ持っていけません。あの世に持っていけるのはあなたの経験から得た感情と思い出だけ。

     もしあなたが突発的に明日死んでしまったとしたら?そしてあなたがあの世に持っていける感情が辛い、苦しい、悔しい、憎いという思いと、家族ではなく仕事だけの思い出だけだとしたら・・・?それはとても悲しくて寂しいことなのではないでしょうか。

     気付いた時がチャンスです。今ならまだ間に合います。私は気付いたのでこれからは「家族と一緒に楽しく過ごした思い出」を増やせるように、家族と共に過ごす時間を作っていきます。
     
     今、私の息子は私の母校である中学校で虐めを受けている。私も息子同様、母校で虐めを受けていた。私の場合、息子よりさらにタチが悪く生徒同士どころか地域絡みでの嫌がらせや虐めも随分受けてきた。でも、私にはどうすることも出来なかった。

     中学生の頃などは、私が在籍していた中学校(息子が現在通っている中学校)に私の学籍すらなかったのだから・・・。

     これは私が中学生の頃の話だが、高校受験の願書締め切り最終日。

     学校の先生から「願書の受付が出来ない。」と言われた。なぜかというと私の学籍が在学している学校になかったからだ。

     「え・・・??」

     一瞬、目の前が真っ暗になった。先生は一体何を言っているのだろう・・・。

     「え・・・??私の学籍がないってどういうこと・・・ですか??私・・・高校受験できないんですか・・・??」

     中学校で高校の願書の受付が出来なかったことを母に話すと、母が激怒して教育委員会に問い合わせをした。

     そして判明した衝撃の事実。

     実は隣の中学校の先生の数合わせのために、私の学籍が勝手に改ざん・移籍されていて、私は在籍していた学校にいない人間として扱われていたのだ・・・。

     母が教育委員会に問い合わせをしなければ、私はいない人間として扱われ高校受験すら出来なかったのだ・・・。人の人生を一体何だと思っているのだろう・・・。

     まさか?!と思うが、嘘のような本当の話。

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     こういったことを平気で行える人間たちが集まっている地域で私は生まれ育った。こんな環境の中、私は家に帰れば家庭内暴力、学校に行けば虐めに遭い、8歳の頃には心身ともに完全に崩壊し、自傷行為と自殺未遂が止まらなくなっていた。

     弟や妹たちは同様に学校での虐めにも遭っていたようだが、少なくとも家族に対して良い思い出しか残っていなかったようだ。しかし、同じ親から生まれたとしてもそれぞれ価値観や性格が違えば、見ている世界は違ってくるものだし、周りからの扱いも当然変わってくるだろう。

     少なくとも私の世界の中では私は誰からも必要とされていなかった。いつもトラブルメーカー、厄介者として扱われていた。なぜなら私はそのようなことをずっと言われ続けてきたのだから・・・。

     この頃の私の唯一の望みは「早くこの世から去ること。」だった。毎日、神様や仏様に「私をこの世から抹消してください。殺してください。」といつも願っていた。私の人生は滅茶苦茶だった。

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     私は自分が生まれ育った故郷に対し、恨みや憎しみ、怒りしか残っていなかった。誰も信じることが出来なかった。実家に帰るたびにこの幼少期からの恨みや憎しみ、怒りが湧き上がってくる。だから私はこの土地に居てはいけない。この土地に居るからこそ、こういった想いが勝手に湧き上がってくるのだから・・・。

     だが、今回の息子の小学校の先生の息子に対する深い愛情や優しさに触れることができたおかげでほんの少しだが私の心から故郷に対する、恨みや憎しみ、怒りが和らいだ。どんなに激しい恨みや憎しみ、怒りがあったとしても、人の善意や愛というものを感じることが出来た時、その激しい恨みや憎しみを取り去ることができることを私は経験した。

     自分が人の愛情や施しを受けて心から感激することが出来れば、その行為をまた誰かに行うことができる。だから、私は虐めで苦しんでいる人々の支えや助けになれるように今以上に努力していきたいと思った。同時に、私が虐められていた頃に私がしてもらいたかった行動や優しい言葉かけや励ましを今、苦しんでいる人々に行っていきたいと思った。
     
     どうしようもないダメ人間の私だがそんな私でもまた一つ、私がここに存在する意味を見つけることが出来た。存在する意味を見つけることが出来た私は幸せだ。