7月1日富士山開山式。今年も初日から大盛況。近年の登山ブームで、富士山の登山客は昨年32万人を超えた。平成12年に世界自然遺産へ立候補するも、ゴミの増加で環境が悪化していることなどの理由から登録は見送られた。ゴミも拾ってきた。それでも日本のエントリーにも入れないほどだった。

富士宮市は昨年4月、「世界遺産推進室」を立ち上げ、世界遺産登録リベンジを計画。浮世絵なども繰り出す。浅間神社大日堂に詣でた推進室の人は、茅葺の屋根に変更することを計画。

何故「世界遺産」になりたがるのか?その魔力とは。

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江口君、平泉の中尊寺に。参道をあがり、金色堂に参る。1124年に完成した金色堂はまさに金色に輝いている。仏様は11体。敵も味方も穏やかな気持ちにして浄土に送るということだと住職が説明。

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2008年平泉市は先輩の日光に勉強に来た。、外国人観光客が多い。

案内には必ず英語表記があり、お店の人も簡単な英語が話せる。

2008年は登録ならず。市役所の千葉さんも市長もガックリ。

およそ900年前、平安時代の末期に奥州藤原氏が築いた平泉。中尊寺の金色堂や毛超寺など5つの文化資産と「浄土思想」の関連が認められ、世界文化遺産に認定された。3年前の「衝撃の登録見送り」から、平泉町や青年団はアピールのポイントを絞り直し、リベンジを果たした。

今度は必ず!という気持ちが通じて5月に内定の通知がユネスコから届いた。

正式登録の際の記念イベントの準備に町は盛り上がりをみせていった。

大震災の影響で東北への観光客は激減し、ゴールデンウイークの客は例年より85%も減少した。

6月22日未明、町はユネスコ世界遺産登録の報告を正式に受けた。

千葉さんも長年の努力が報われた。翌日の中尊寺は駐車場も満車で早速効果が出始めた。

登録から5日後、千葉さんは東京にいた。世界遺産登録を復興への起爆剤にしようと動き始めた。英語・中国語・韓国語のパンフも用意して。

目の前に外国人が来る。英語がしゃべれないのでパンフを渡すが、なんと日本語が話せる人で一安心。

観光課は、地元で暮らす外国人に「観光ボランティア」として協力して欲しいと呼び掛ける。

英語の先生カミングスさんにガイドをお願いする。ちょうど留学生が来ることになっていて、カミングスさんが早速案内する。

こういう人が即戦力!と千葉さん。参加した学生にも好評だった。

登録後に市を訪問する人が増え始めた。松島とコラボする企画など、東北地方全体が期待していた。

地元のバス会社や旅行会社にも働き掛け、被災した観光地を巡るツアーを企画。

新人バスガイドの鈴木さんは宮古市出身。平泉の勉強に奮闘する。

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東京・銀座、いわて銀河プラザにおいて平泉キャンペーンが開催される。鈴木さんが抜擢されて案内する。

宮沢賢治の詩「雨にもまけず・・・」を暗誦し、岩手をアピール。この日は旅行の予約も獲得した。

現地の記念イベントは歌と灯篭で行われた。

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東京から南へ約1000キロ離れた小笠原諸島。先住民とアメリカ系住民が住む。本州と島を結ぶ唯一の公共交通機関は、6日に一便の船「おがさわら丸」のみ。大陸と地続きになったことがないため、固有の動植物が今も多く生息している。島は外来種を駆除し、観光ルールを徹底するなどして「観光と自然の共有」に取り組んできた。その取り組みが評価されて、世界自然遺産への登録が決まった。

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江口君、家に帰り、テントと寝袋を広げる。夏休みは小笠原諸島に行くという。

飛行機を予約しようとすると、妻に「無いわよ」と言われる。船だと25時間かかる。

自然保護のためにテントは禁止だと妻に教えられる。ちょっとへこむ。

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小笠原は1年中、イルカやクジラに会える。年間1万5千人が訪れて観光収入が大きい。

島の住民は世界遺産登録をどう観光に繋げるのか討議する。

竹澤さん38歳は森のガイドから飲食店や土産物店もやり、宿泊施設も本腰を入れて作った。さらに今年力を入れているのが、森の中にある畑。今年の春から育てているものが、ミツバチ。蜂蜜採取は日本では小笠原から始まったが、今ではやる人がいなくなっていた。

竹澤さんは小笠原固有の花から採取した蜂蜜をビジネスにするとともに、昆虫がいない島での受粉を担おうと考えた。昆虫は持ち込まれたペットの小型イグアナのようなものに食べ尽くされたからだ。

夫婦ふたりでやってきた島の民宿。一泊7000円。主人の沖山さん76歳は、この遺産登録を期に、ハワイの踊りを客の前でやるステージを作りたいと思っている。

船便をチャーターで客を増やそうと奔走する旅行会社。

にっぽん丸という豪華客船で、4泊5日で80万円。世界遺産登録後わずか2日で完売した。

その一方で、貴重な固有種や自然を守るために「今のままの不便な小笠原でいい」という住民もいる。

清水良一さん54歳、観光ガイドをやっている。サーフィンをしに24年前にやってきて自然に魅了され住み着いた。

今では観光協会の理事もやっている。「不便さのお陰で世界遺産になった。」

清水さんは

人里離れた場所に手作りでコテージを作った。テレビも冷房も一切無い。

ここではガスや電気もほとんど使わず、水も雨水を極力有効利用。「観光客も島が地球だと思って資源を共有する気持ちで来ていただかないと」と話す。

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蜂蜜作りの竹澤博隆さんはジャングルの中にいた。今度は何をするつもりなのか。蜂蜜は商品化され、島の森の再生にも収益があてられる。「利用と再生の循環プログラム」という20年はかかる作業に挑み始めた。

小笠原名物の島民総出のお見送りを受ける観光客が歓声を上げる。