「せんとくん」が登場。今夜は奈良の話。

東大寺大仏殿が一番大きい木造建築物だが、それより大きいものが昔あったという。薬師寺だ。光明皇后が建立したといわれ、夫の病気治癒を願って建てたという。

才色兼備の女性といわれ、聖武天皇に嫁いだ。

復原された幻の薬師寺。病の夫に代わり、激動の時代に政治を切り盛りした光明皇后とは?

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豪快な筆致の書の残る光明皇后。パワフルな女性でもあったようだ。

16歳の美しい娘が聖武天皇の后になった。「光明子」と呼ばれる美しい娘で、さらには頭脳明晰だったという。

庶民はその賢さに世の中をよくするにはこの女の子がリーダーになればと思ったという。

藤原不比等の娘である「光明子」は藤原氏の繁栄を肩に背負っていた。

当時の平城京は、疫病や天候不順、飢饉で荒れていた。

聖武天皇に嫁いだ光明子は、長男を亡くしてしまう。失意の底にあったときに見たのは仏教の教え。

興福寺建立に当たっては自ら土を運んだという。

進んで喜捨することは、仏教への深い帰依に拠るものと思われる。

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聖武天皇は皇后にも政治に関わることを宣言した。

早速パワフルに働き始め、悲田院を造って貧しい人々に食べ物を与え、施薬院をこしらえて、いまでいう病院を作った。病人の体を皇后自ら洗ったといわれる。

仏の力で国を治める方針を決め、夫とともに打ち進めた。

大仏建立と、国分寺の建立には、皇后の強い決意があって推し進められたという。

写経所も設けられて、経を写す作業を事業化した。二人三脚で進めたこの仏教国推進は、財力が必要。

その財力は租庸調の6分の一にも達したといわれる。

皇后はその財力を慈善事業に費やしていった。

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2年前、奈良市で奈良時代の新薬師寺跡が発見された。今まで「幻の寺」といわれ、その存在が不明だった。

巨大な様子が奈良時代の絵図に記載されていた。

新薬師寺金堂はとても大きく描かれている。

夫の聖武天皇を病気治癒を願って建てられたが、大風で倒れ、その後の再建は無かった。

現在の新薬師寺は、奈良時代の一部といわれ、今回の発見現場は「新薬師寺復元チーム」が編成されて、同時代の寺や仏像、文書により、7つの薬師像が並び、金色だったという。

横幅59m、高さ14m、屋根の重さは235トン(像50頭分)

仏像は薬師如来が高さ2.1mで、金色に輝き、日光月光の菩薩2体に囲まれていた。この3体ワンセットが7セットある。合計21体あるわけだ。

その両脇には十二神像があり、さらに隅には四天王が固めていた。

夫の病気回復と、国の安泰を求めた、仏の大宇宙といったところだ。

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「順」を付けたとあるが、「順」は光明という仏の光が仏から出るところを表したものといわれる。

年号といえば二文字だが、新薬師寺建立の頃は4文字が使われた。長い歴史のなかでこの期間だけである。

その理由とは?

阿部内親王が、女性で始めて皇太子になった。安積親王という男性もいたから、この人事による争いが起きた。

そのため遷都が繰り返されて、庶民は疲弊していった。

そこで本来「神」である天皇が「仏の奴」として仏に仕えることを宣言したため、国は天皇を中心とする求心力を失った。聖武天皇は阿部内親王を天皇に指名したが、反対派も根強く、光明皇后は不安を抱いていた。

そこで光明天皇は、「勅」を発することが皇后も出来ると法改正し、光明皇后は中国の則天武后をモデルにし、それに倣い、年号を4文字にした。

神としてではなく、仏を上位にするのは、「皇帝制度」が適すると考えたと思われる。

しかし、改革の真っ只中で聖武天皇が崩御し、後を追うように光明皇后も崩御した。

「懺悔」という言葉が繰り返し使われている光明皇后の文章がある。

興福寺の「阿修羅像」を作らせたが、静かに懺悔する姿といわれている。

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聖武天皇の使われた肘掛や、ベッドまどの遺品の数々は正倉院の宝物殿に残されている。

「国家珍宝帳」には結婚時に取り交わされたものが記されているが、「除物」とされたものがある。二人が交わした恋文のようなものではないかといわれている。

除かれた時期は聖武天皇死後三年といわれている。光明皇后が除いたといわれる。

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今年没後1300年の法要が営まれた。

妻として母として政治家として献身的に生きた光明皇后。

「我が背子と二人見ませばいくばくかこの降る雪の嬉しからまし」

【通釈】あなたと二人で見たとしたら、どれほどこの降る雪が嬉しく思えたことでしょうか。