2年前の火葬の日も秋晴れでした。前日まで大雨だったのに。

偶然と思うより、父が天気を変えてくれたんだと、勝手にそう思う。


きっと母や兄は、命日も火葬の日も覚えてないだろう。


あの時は、言われても言われなくても、気づかない事が幾つもあったと·····。

父が亡くってから、時々自然と気づくみたいで。


大切なことほど言葉では伝わらないってことも。

寧ろ、言葉にしたら伝わらないのかもしれない。

一緒に生きていたという、

その事実の記憶を代える術は無いと思う。



あれは確か小学生の時、何年生だったかは覚えてませんが、恐らく低学年だったと思います。授業中、先生から生徒への質問で「尊敬する人は誰ですか?」と言うのがありました。手を挙げた生徒が回答すると「両親です」というのが何人もありました。私は手を挙げられませんでした。それよりも、親が尊敬の対象になることに違和感があったよう覚えています。しかしこの年齢になってやっと父を尊敬する気持ちを持つことができました。遅すぎて親不孝です。

 

もう4年か5年は経つだろうか。ある日、家で父が私に「人生は夢物語」と言ったのを覚えている。私は「夢じゃないよ。現実なんだよ!」と返したのを覚えている。庭に出ている時の、ほんの短い時間のやりとりだったような。そんな記憶。

 

父が亡くなってもう結構過ぎてしまった。父がいつもいた時のことは現実だった筈なんだけど、夢のように思えてしまう。父はあの時、きっと祖父母のことを思い出していたのかもしれない。

 

どちらかと言うと父は上手に感情を話せる方ではなかったような。質問に答えられないことも幾度かあった。親子ならいつかは解るだろう。そんな感じでもあった。私はその時に話してもらいたいのだが・・・。

 

同じ家に一緒に長く暮らしていても、伝わらない事はあるんだなぁと。寧ろ、その伝わらない事こそが大切で大きなことなのかもしれない。ある時、自分から自然に気づいて初めて共感できたということなのかもしれない。

 

それでももっと父に感謝を伝えておけば良かったと悔やむばかり。財産の多くない我が家では、相続登記申請書に書けないことのほうが多かったのかもしれない。

 

 

 

山に行けなくなってもう4年ぐらいになります。一人で自由に山の風景を見たり撮ったりするのがとても楽しかったです。今思えば、知らない遠くの山に登っていても、父が元気で居たことが、山を歩く力になっていたと思う日々です。

 

旅先から家に電話しても、場所と天気ぐらいしか話さなかったけど、もうそれもできません。いつか電話をかけなくなる日が来るのは想定はしていましたが・・・・・。

 

いつも、何も言わず山に送り出してくれた父に私はお礼を言うこともせず、お土産も一度ぐらいしか送りませんでしたが、本当に父が喜ぶようなことをできないまま、あの日が来てしまったことに悔やみきれないままです。

 

あの日、大根作るのを拒んでしまいましたが・・・・。あの後おでん用に小さい大根を作りました。長年手入れしてくれた父の畑のお陰で、美味しい大根が出来て感謝するばかりです。そう、感謝することばかりです。あなたのやさしさに。

 

 

ずーっとしばらく寂しさとは無縁だった。

父が亡くなって「寂しい」という感情がやってきた。と言うよりは、湧いてきた。と、言うべきだろうか。それは、小さい時に感じた寂しさとはかなり違うもの。

 

父は、27歳の時に祖父、祖母を2ヶ月の内に亡くしていて、私はまだいなかった。幼い頃、墓石のないお墓だったけど、小学生の頃、父が墓石を建てたのを薄ら覚えている。祖父母の写真を仏壇の上に掲げたのもその頃だったと思う。全然、会ったこと無い人だったけど何となく親しみのある表情なのは今も変わらないまま。いつも家に居た父は、今はその墓地に居る。祖父母と一緒に。

 

その筈なんだけど。やっぱりこの家に一緒に居るような気がする。姿は見えないけど、いつもそばにいる感じがする。心の幻肢みたいな、消えないでほしい。