正味だと40年ぐらいだろうか?


いや、もっともっと少ないかと思う。


学校、仕事、面倒な付き合い、テレビとか見た時間、等々・・・は除かれるだろう。


本当の自分の人生だったと思える日は10年分も無かったかもしれない。


多ければ良いと言うものでは無いだろうけれど。


量や長さを言うのは、質を言うよりたやすいが、それだけでしかない、かと思う。




なんの苦労も犠牲も感じない幸せな人の言葉なんだろうと思う。


日本人の少し昔の寿命は5、60年だったそうな。辛い人生で早死にだったのだろうか。


誰かの命を奪うことで100まで生きるような、弱肉強食か。


2年前の火葬の日も秋晴れでした。前日まで大雨だったのに。

偶然と思うより、父が天気を変えてくれたんだと、勝手にそう思う。


きっと母や兄は、命日も火葬の日も覚えてないだろう。


あの時は、言われても言われなくても、気づかない事が幾つもあったと·····。

父が亡くってから、時々自然と気づくみたいで。


大切なことほど言葉では伝わらないってことも。

寧ろ、言葉にしたら伝わらないのかもしれない。

一緒に生きていたという、

その事実の記憶を代える術は無いと思う。



あれは確か小学生の時、何年生だったかは覚えてませんが、恐らく低学年だったと思います。授業中、先生から生徒への質問で「尊敬する人は誰ですか?」と言うのがありました。手を挙げた生徒が回答すると「両親です」というのが何人もありました。私は手を挙げられませんでした。それよりも、親が尊敬の対象になることに違和感があったよう覚えています。しかしこの年齢になってやっと父を尊敬する気持ちを持つことができました。遅すぎて親不孝です。

 

もう4年か5年は経つだろうか。ある日、家で父が私に「人生は夢物語」と言ったのを覚えている。私は「夢じゃないよ。現実なんだよ!」と返したのを覚えている。庭に出ている時の、ほんの短い時間のやりとりだったような。そんな記憶。

 

父が亡くなってもう結構過ぎてしまった。父がいつもいた時のことは現実だった筈なんだけど、夢のように思えてしまう。父はあの時、きっと祖父母のことを思い出していたのかもしれない。

 

どちらかと言うと父は上手に感情を話せる方ではなかったような。質問に答えられないことも幾度かあった。親子ならいつかは解るだろう。そんな感じでもあった。私はその時に話してもらいたいのだが・・・。

 

同じ家に一緒に長く暮らしていても、伝わらない事はあるんだなぁと。寧ろ、その伝わらない事こそが大切で大きなことなのかもしれない。ある時、自分から自然に気づいて初めて共感できたということなのかもしれない。

 

それでももっと父に感謝を伝えておけば良かったと悔やむばかり。財産の多くない我が家では、相続登記申請書に書けないことのほうが多かったのかもしれない。