もう4年か5年は経つだろうか。ある日、家で父が私に「人生は夢物語」と言ったのを覚えている。私は「夢じゃないよ。現実なんだよ!」と返したのを覚えている。庭に出ている時の、ほんの短い時間のやりとりだったような。そんな記憶。

 

父が亡くなってもう結構過ぎてしまった。父がいつもいた時のことは現実だった筈なんだけど、夢のように思えてしまう。父はあの時、きっと祖父母のことを思い出していたのかもしれない。

 

どちらかと言うと父は上手に感情を話せる方ではなかったような。質問に答えられないことも幾度かあった。親子ならいつかは解るだろう。そんな感じでもあった。私はその時に話してもらいたいのだが・・・。

 

同じ家に一緒に長く暮らしていても、伝わらない事はあるんだなぁと。寧ろ、その伝わらない事こそが大切で大きなことなのかもしれない。ある時、自分から自然に気づいて初めて共感できたということなのかもしれない。

 

それでももっと父に感謝を伝えておけば良かったと悔やむばかり。財産の多くない我が家では、相続登記申請書に書けないことのほうが多かったのかもしれない。

 

 

 

山に行けなくなってもう4年ぐらいになります。一人で自由に山の風景を見たり撮ったりするのがとても楽しかったです。今思えば、知らない遠くの山に登っていても、父が元気で居たことが、山を歩く力になっていたと思う日々です。

 

旅先から家に電話しても、場所と天気ぐらいしか話さなかったけど、もうそれもできません。いつか電話をかけなくなる日が来るのは想定はしていましたが・・・・・。

 

いつも、何も言わず山に送り出してくれた父に私はお礼を言うこともせず、お土産も一度ぐらいしか送りませんでしたが、本当に父が喜ぶようなことをできないまま、あの日が来てしまったことに悔やみきれないままです。

 

あの日、大根作るのを拒んでしまいましたが・・・・。あの後おでん用に小さい大根を作りました。長年手入れしてくれた父の畑のお陰で、美味しい大根が出来て感謝するばかりです。そう、感謝することばかりです。あなたのやさしさに。

 

 

ずーっとしばらく寂しさとは無縁だった。

父が亡くなって「寂しい」という感情がやってきた。と言うよりは、湧いてきた。と、言うべきだろうか。それは、小さい時に感じた寂しさとはかなり違うもの。

 

父は、27歳の時に祖父、祖母を2ヶ月の内に亡くしていて、私はまだいなかった。幼い頃、墓石のないお墓だったけど、小学生の頃、父が墓石を建てたのを薄ら覚えている。祖父母の写真を仏壇の上に掲げたのもその頃だったと思う。全然、会ったこと無い人だったけど何となく親しみのある表情なのは今も変わらないまま。いつも家に居た父は、今はその墓地に居る。祖父母と一緒に。

 

その筈なんだけど。やっぱりこの家に一緒に居るような気がする。姿は見えないけど、いつもそばにいる感じがする。心の幻肢みたいな、消えないでほしい。

 

 

 

 

 

 

少しだけ余裕が出来たのでログインしてみました。キーボードのペアリングがうまく行かなくて20分も時間を費やしてしまいました。

 

前のページは、父が入院した一年後に書いていたのです。それは、一年遅れで記録を確認しながらブログにしようと思ったからですが、結局時間ができなくて続けることができませんでした。

 

父は日記をつけてませんでした。私も旅行の日記はありますが、日々の日記は父が入院するまではつけていませんでした。入院してからの日記は、レコーダーにあります。それは私の宝です。

 

他に伝えたいことは病院への不信があります。それはたった一度しかない看取りができなかったことです。あれほど雑な行為がされていたとは夢にも思ってなかったので、今思えばもっと私がしっかりしていればちゃんとした看取りができたと、とても悔やむ日々です。そしてこの後悔は一生終わることは無いように思っています。

 

その時の私は、誰にも、そう家族にさえも助けられることがなかったですし、今でもそうですが、それどころか私をどん底へ落とすような攻撃的言動が幾つもありました。それは父が亡くなってからも、今でも続いていますが、そんな状況の中で私はほぼ2ヶ月、父の入院中は、精一杯やっていたつもりでした。

 

しかし今になって思い起こせば、どんなに嫌がられても病院や担当医師に強く訴えるべきだったと猛省するばかりです。結局、想定外のことですが、私は医師や看護師に舐められていた。つまりプロとしての巧みさに騙されていたわけです。

 

今いるこの家は私が小学生 になったころ父が建てられました。今となってはとても古く小さいですが、住み慣れた愛着のある家で父の遺産であり形見でもあります。大きな遺品は数少ないですが、中小の遺品は高価なものはありませんが、沢山あってどれも父の姿を思い浮かべることができる宝です。私が至らないばかりにきっと父は日々孤独だったと思います。本当に気づくのが遅すぎました。幼い頃には、仕事に忙しくて疲れていたのに、遊園地や動物園、東京タワーにも連れて行ってくれて、力持ちでたくましかったのですが、亡くなる時の父は骨と皮だけに痩せ細っていました。長年私は何のお返しも出来ないまま、最後の病院に面会に行くだけで精一杯でした。そんな私に「会いたいから …」と言ってくれた父の言葉は今でも消えない木霊になっています。

 

 

水曜日だった。

初めは、火曜日に入院のつもりだったが、大丈夫そうだったので行かなかった。

しかし翌日の11時近くになって辛いので連れて行って欲しいと。その時から生活が一変する。