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父が亡くなって、と言うよりも入院してからだと思う。母と兄の態度が変わった。同居している母は特に変わった。いや、私が正体を知らなかっただけなのかもしれない。母が私にも先祖にも亡くなったばかりの父に対しても、昔、この家に嫁に来た時の批判と愚痴を繰り返すようになった。祖母のこともずっと以前に父に時々グチグチと当たっていたことを父から聞いていたが、今度は父の代わりに私に当ててくる有様。母はこの家系を破壊したいのだろう。母の実家はとっくに母の兄によって破壊され空き家になっている状態だ。
こうなると母親ではなく、超意地悪な糞ババアでしかない。結局、父が無くなり私の味方は居なくなってしまった。父が母のことを落武者の家系だと言っていた。昨年、入院中に「結婚に失敗した」とつぶやいた意味が分かったような気がした。そして入院中は私としか面会をしなかった。その本当の意味を私はまだはっきりとは分からないままである。と思うのは、この家にはまだ私の知らないことがあるように思えるから。
父が亡くなってから約7ヶ月が過ぎて、やっとこうしてブログが書けるようになった。テレビが見えるようになったのは、ロシアの軍事侵攻が始まったころから。以前は、朝にTBSラジオを聞くのが日課だったが、すっかりそんな余裕も無いまま。家族に攻撃されながら、父のやっていた仕事の他に家事と相続の手続きなどで心身ともに余裕の無い毎日が続いていたから。でもまだ出口は見えて来ないようだ。
もう梅雨に入ったのだろうか。。。。。
あの病院へ母を送迎して帰って来たら市役所から不動産の課税明細書が届いていた。今回から私の名前に。父の遺志であるが責任の重さを感じる。
傍から見れば棚ぼたなんだろう。故人となってしまった父との大切な約束。庭のあらこちらに見える父の姿に支えられて過ごす日々。「親子ってそうじゃないんだ」と言ったあの時の父は寂しそうにしていた。あと一度だけでも話せる時が来てほしい。親不孝に気づかなかった自分。
綴りたいと思っていましたが、心身的なゆとりが無く今日まで過ぎてしまいました。
決してゆとりが出来た訳ではありませんが、父の声や姿が遠ざかって仕舞わない内に書かなければと思い、ほとんど使ってないこちらのブログに少しずつになると思いますが綴れればと思います。
今日、こちらの10年以上前の古い記事はお蔵入りにしました。今回タブレットをVivaldiディスクトップモードで使用。