エンドーサー2
オリバーピープルでも書いたけれど、今日のエンドーサーとして重要な位置を示すのは、ハリウッドスターかミュージシャンである。
アパレルもクルマも、時計もメガネもアクセサリーも、靴も鞄もスポーツアパレルも、強いブランドの多くはハリウッドスターかミュージシャンのお世話になっている。彼らがブランドの保証人にならなければ、どれほど強いブランドでさえも、すぐにライバルに食われてしまうほど彼らの影響は強い。
スポーツの世界はエンドーサー無くして商売は成り立たない。タイガーウッズがナイキから120億円(だったと思う)もらって契約をするのは、単に広告塔の役割をするだけではなく、そのクラブやボールに対するエンドーサーとしての役割を担っている。 これはスマップがNTTのコマーシャルに出ているのとはまったく役割が違う。 ナイキを使ってマスターズに勝つという行為が、どれほどスポーツギアの世界で重要かは創造に容易い。
この考えを前述のハリウッドスターに置き換えたのが、レッドカーペットやカンヌ、あるいはグラミーでの衣装である。このときに何を着るのかがそのブランドの格付けに重要な役割を果たす。 ひところの二コールキッドマンやグイネス、ちょっと前ならシェールとかは引っ張りだこだった。
基本的にエンドーサーは何らかの経営判断のもと、セットされるものである。それは前回のブログでも書いたようにトヨタとレクサスのようにグループブランド同士の場合が代表的だ。 (同じ企業グループ同士のブランドであっても、フォードとジャガーのように、その結びつきをあえて隠す場合もある)
あるいは日産がコンランに内装を頼むなど、ダブルネームを用いる場合もある。
経営判断はないにしろ、エンドーサーはごく身近な人の場合となる場合は多い。身内の中で自分が「あいつオシャレだなあ」と思っている友達や、オシャレ好きのボーイフレンドやガールフレンドの場合もある。 経営再建で今はやってないかもしれないけれど、アリタリア航空では幹部候補社員には、かなり厳しいオシャレチェックがあったらしい。 そこには当然どのブランドならばオンかオフかを教える先輩がいたはずだ。こうした人たちもエンドーサーの一部になる。
実はブランドをつくりあげるためには、こうした経営コントロール外の人たちが行う保証(エンドースメント)こそ重要な役割を果たす。ここに対して力を入れたのがビームスであり、ユナイテッドアローズである。これらのバイヤーは、マスに対して影響力ある層に対してのマーケティングを徹底することで、水が高いところから低いところに流れる力学を利用して、より大きなマーケットを支配してきた。
エンドーサーの使い方は、今後インターネットの登場でどんどんその姿を変えてゆくことだろう。アフィリエイトはそのまだ序章である。
ところで僕と言えば、いまだに会社の保証人でヒーヒー言っています
アパレルもクルマも、時計もメガネもアクセサリーも、靴も鞄もスポーツアパレルも、強いブランドの多くはハリウッドスターかミュージシャンのお世話になっている。彼らがブランドの保証人にならなければ、どれほど強いブランドでさえも、すぐにライバルに食われてしまうほど彼らの影響は強い。
スポーツの世界はエンドーサー無くして商売は成り立たない。タイガーウッズがナイキから120億円(だったと思う)もらって契約をするのは、単に広告塔の役割をするだけではなく、そのクラブやボールに対するエンドーサーとしての役割を担っている。 これはスマップがNTTのコマーシャルに出ているのとはまったく役割が違う。 ナイキを使ってマスターズに勝つという行為が、どれほどスポーツギアの世界で重要かは創造に容易い。
この考えを前述のハリウッドスターに置き換えたのが、レッドカーペットやカンヌ、あるいはグラミーでの衣装である。このときに何を着るのかがそのブランドの格付けに重要な役割を果たす。 ひところの二コールキッドマンやグイネス、ちょっと前ならシェールとかは引っ張りだこだった。
基本的にエンドーサーは何らかの経営判断のもと、セットされるものである。それは前回のブログでも書いたようにトヨタとレクサスのようにグループブランド同士の場合が代表的だ。 (同じ企業グループ同士のブランドであっても、フォードとジャガーのように、その結びつきをあえて隠す場合もある)
あるいは日産がコンランに内装を頼むなど、ダブルネームを用いる場合もある。
経営判断はないにしろ、エンドーサーはごく身近な人の場合となる場合は多い。身内の中で自分が「あいつオシャレだなあ」と思っている友達や、オシャレ好きのボーイフレンドやガールフレンドの場合もある。 経営再建で今はやってないかもしれないけれど、アリタリア航空では幹部候補社員には、かなり厳しいオシャレチェックがあったらしい。 そこには当然どのブランドならばオンかオフかを教える先輩がいたはずだ。こうした人たちもエンドーサーの一部になる。
実はブランドをつくりあげるためには、こうした経営コントロール外の人たちが行う保証(エンドースメント)こそ重要な役割を果たす。ここに対して力を入れたのがビームスであり、ユナイテッドアローズである。これらのバイヤーは、マスに対して影響力ある層に対してのマーケティングを徹底することで、水が高いところから低いところに流れる力学を利用して、より大きなマーケットを支配してきた。
エンドーサーの使い方は、今後インターネットの登場でどんどんその姿を変えてゆくことだろう。アフィリエイトはそのまだ序章である。
ところで僕と言えば、いまだに会社の保証人でヒーヒー言っています
エンドーサー 1
今日はバーニーズニューヨーク銀座店で、名も知らないブランドのキャップを買った

名も知らないブランドであるがゆえに、このキャップは僕から「バーニーズで買ったキャップ」と呼ばれてしまう。
名も知らないとはいえ6000円くらいした、というより、僕はこの名も知らないブランドに対して6000円支払ってもよいと考え、結果そのようにした。
普通だと考えられないことだ。 安売りショップであれば1000円だっておかしくない商品である。 原産国だって分からない。 まさにどこの馬の骨かわからないブランドである。 それならなぜそれに対して6000円を支払ったのかと言えば、この『バーニーズで」というリテーラーに対して信用をおいているからだ。『バーニーズが選んだのだから間違いない」と思っているからである。
バーニーズが選ぶということは、このキャップはセンスが良く、品質も良く、そんじょそこらにあるものではなく、6000円を支払う価値があるということだろうと、僕はなんとなく信じているからである
このときのバーニーズというものの存在をブランド用語でエンドーサーという。Endorserとは手形の裏書人を意味する。そのブランドに知名度や信頼が十分ではない場合に別のブランドを保証人として立てることで、ブランドの価値を顧客に伝えるときに使う手法で、新しいブランドを作るときは必ずといっていいほど使うやり方である。
たとえばレクサスにとってトヨタはエンドーサーである。今でこそレクサスはそれを必要としていないブランドだが、発売当初のレクサスに『これはトヨタの高級ブランドです』という説明が無かったら、6万ドル以上もするクルマをあれほど多くの人が買うことはなかったであろう
エンドーサーは必ずしもブランドだけではなく、人の場合もある。オリバーピープルというLAのサングラスブランドのエンドーサーはブラピやジョニーディップである。彼らがカッコイイと感じているなら間違いなしと感じて、最初は名前を知らないブランドのサングラスに5万円も支払うのである。
僕はブランドとエンドーサーは切っても切れない関係にあると思う。というより、そもそもブランドというものが整理された情報の産物である限り、エンドーサーの存在しないブランドなどというものはありえないのだ思う。 エンドーサーをどのようにポートフォリオ管理するのかが、ブランディングそのものなのである。
(以下次号)

名も知らないブランドであるがゆえに、このキャップは僕から「バーニーズで買ったキャップ」と呼ばれてしまう。
名も知らないとはいえ6000円くらいした、というより、僕はこの名も知らないブランドに対して6000円支払ってもよいと考え、結果そのようにした。
普通だと考えられないことだ。 安売りショップであれば1000円だっておかしくない商品である。 原産国だって分からない。 まさにどこの馬の骨かわからないブランドである。 それならなぜそれに対して6000円を支払ったのかと言えば、この『バーニーズで」というリテーラーに対して信用をおいているからだ。『バーニーズが選んだのだから間違いない」と思っているからである。
バーニーズが選ぶということは、このキャップはセンスが良く、品質も良く、そんじょそこらにあるものではなく、6000円を支払う価値があるということだろうと、僕はなんとなく信じているからである
このときのバーニーズというものの存在をブランド用語でエンドーサーという。Endorserとは手形の裏書人を意味する。そのブランドに知名度や信頼が十分ではない場合に別のブランドを保証人として立てることで、ブランドの価値を顧客に伝えるときに使う手法で、新しいブランドを作るときは必ずといっていいほど使うやり方である。
たとえばレクサスにとってトヨタはエンドーサーである。今でこそレクサスはそれを必要としていないブランドだが、発売当初のレクサスに『これはトヨタの高級ブランドです』という説明が無かったら、6万ドル以上もするクルマをあれほど多くの人が買うことはなかったであろう
エンドーサーは必ずしもブランドだけではなく、人の場合もある。オリバーピープルというLAのサングラスブランドのエンドーサーはブラピやジョニーディップである。彼らがカッコイイと感じているなら間違いなしと感じて、最初は名前を知らないブランドのサングラスに5万円も支払うのである。
僕はブランドとエンドーサーは切っても切れない関係にあると思う。というより、そもそもブランドというものが整理された情報の産物である限り、エンドーサーの存在しないブランドなどというものはありえないのだ思う。 エンドーサーをどのようにポートフォリオ管理するのかが、ブランディングそのものなのである。
(以下次号)
いくつ持っているか? 3
大切なのは、人の心を動かすものをいくつ持っているか?なのだと思う。
トヨタとか、東芝とか、日立とか、三菱とか、こうした商品と会社に同じブランド名を使っていて、さらに歴史が長いブランドのイメージは、キャンペーンをしたりイメージ広告をしたりしても僕は意味がないと思う。 こうした企業はすでに十分有名だし、品質やサービスに対しても一定の評価が為されている。 これ以上会社の名前をありきたりの企業広告をして、何をしたいのだろう?
日立が「この木、何の木?気になる木」にいくらかかっているのか分からない。それがどれほどの影響を与えてきたのか、そしてこれからどれだけ与えるのかは分からないけれど、 少なくとも僕の気持は今までのところ動かなかった。 あれを見て「いいよね~気になる木」と言っている人に出会ったこともない。
もちろん誰もが知っているCFであり、それはそれですごいのだけれど「あれで初めて日立の名前を知った」という人や「あれで日立のイメージが変わった」という人は(多分)少ないと思う。さらに言えばこうしてブログを書きながら「ところであれは、日立グループだったっけ?」と自信がなくなってきた。それくらい、あの歌は知っているけれど、企業のイメージが僕に届いていない。
グループ各社の名前がテロップで出るところに意味があるのだろうけれど、日立グループのマークが名刺にあって、日立ナントカという会社名なら「あー日立関連なのね。それなら大丈夫ね」と、はじめての人にもすぐ信じてもらえるのだから、数秒のテロップに意味があるとは思えない。グループをまとめ、社員の気持ちをまとめる役割があるのだとしたら、もっと彼ら・彼女らの気持ちを動かすやり方に対して木を使うべきだ。
「はたしてこれは人の気持ちを動かす活動だろうか?」と、経営陣はいつもこうしたブランドイメージに関わる活動に対して疑問を持つべきである。「はたして今年我が社は、いくつ人の気持ちを動かせたのだろうか?」と気にするべきだと思う
あるいは「今私たちは、人の心を動すことをいくつ持っているが、 その中で効果が消えつつあるものはないだろうか? もし消えかけていることがあるなら何かそれに手を加えることでその効果が蘇らないか?」を考えるべきである。
もちろん、人の心を動かすことなら何でもいいわけではない。 以前も書いたとおりHowはとても重要である。 「そのブランドらしい」ものでなければ、せっかくの活動も意味がなくなる。 それまでの活動との連続性を意識すべきである。 ただし風が吹いて桶屋が儲かる式に、活動の連続性を使うことで、かなりのことができるようになるので、計画的に進めていけばよい。
ところで僕と言えば、街を歩くたび、一日3回以上心が動いております。
トヨタとか、東芝とか、日立とか、三菱とか、こうした商品と会社に同じブランド名を使っていて、さらに歴史が長いブランドのイメージは、キャンペーンをしたりイメージ広告をしたりしても僕は意味がないと思う。 こうした企業はすでに十分有名だし、品質やサービスに対しても一定の評価が為されている。 これ以上会社の名前をありきたりの企業広告をして、何をしたいのだろう?
日立が「この木、何の木?気になる木」にいくらかかっているのか分からない。それがどれほどの影響を与えてきたのか、そしてこれからどれだけ与えるのかは分からないけれど、 少なくとも僕の気持は今までのところ動かなかった。 あれを見て「いいよね~気になる木」と言っている人に出会ったこともない。
もちろん誰もが知っているCFであり、それはそれですごいのだけれど「あれで初めて日立の名前を知った」という人や「あれで日立のイメージが変わった」という人は(多分)少ないと思う。さらに言えばこうしてブログを書きながら「ところであれは、日立グループだったっけ?」と自信がなくなってきた。それくらい、あの歌は知っているけれど、企業のイメージが僕に届いていない。
グループ各社の名前がテロップで出るところに意味があるのだろうけれど、日立グループのマークが名刺にあって、日立ナントカという会社名なら「あー日立関連なのね。それなら大丈夫ね」と、はじめての人にもすぐ信じてもらえるのだから、数秒のテロップに意味があるとは思えない。グループをまとめ、社員の気持ちをまとめる役割があるのだとしたら、もっと彼ら・彼女らの気持ちを動かすやり方に対して木を使うべきだ。
「はたしてこれは人の気持ちを動かす活動だろうか?」と、経営陣はいつもこうしたブランドイメージに関わる活動に対して疑問を持つべきである。「はたして今年我が社は、いくつ人の気持ちを動かせたのだろうか?」と気にするべきだと思う
あるいは「今私たちは、人の心を動すことをいくつ持っているが、 その中で効果が消えつつあるものはないだろうか? もし消えかけていることがあるなら何かそれに手を加えることでその効果が蘇らないか?」を考えるべきである。
もちろん、人の心を動かすことなら何でもいいわけではない。 以前も書いたとおりHowはとても重要である。 「そのブランドらしい」ものでなければ、せっかくの活動も意味がなくなる。 それまでの活動との連続性を意識すべきである。 ただし風が吹いて桶屋が儲かる式に、活動の連続性を使うことで、かなりのことができるようになるので、計画的に進めていけばよい。
ところで僕と言えば、街を歩くたび、一日3回以上心が動いております。
いくつ持っているか?2
こうした会社版自分探しを行うのは、ゴーン改革前の日産や、フォードに買われる前のマツダ、あるいは近年の松下のように、一時的に自分を見失ってしまった会社が建て直し行う時には重要なプロセスである。
しかしながら、売上好調! 勝って兜の緒を締めるタイプの会社で、しかも操業100周年成って言う会社は、自らのコアバリューを言葉で表すのは大変困難であると僕は思う。 例えそれが正しく言い表した言葉であったとしても、きっと物足りなさを感じることだろう。 この競争が激しい社会において雇用を守り、配当を維持する会社を一言で表せるようなことはおそらく、無い。
では、こうした会社が自らのブランドイメージをより良くし、できることなら第三の段階「愛着」にまでたどり着くためには何をすればよいのだろう?
簡単な道のりではないが私はそのブランドが、一年間に、いくつ人の心を動かすようなことをできたか?が重要なのだと思う。
例えば、トヨタというブランドのイメージを直に動かそうとするのは実に困難である。長い時間かけて作られた大衆イメージを、ブランドマーケティングによって変化させるのは並大抵ではない。
ただ、ディカプリオがプリウスに乗って、オスカーのレッドカーペットにアクセスした光景を見たとき、人の心はTOYOTAというブランドを認識しながらも、ついぞ動いてしまう。 その後何人ものハリウッドセレブリティーがプリウスの価値観を受け入れている話しをすると、もう一点入る。
日産のデザイン担当常務役員の中村さんが、競合会社であるプリウスのデザインを評価しているのを聞くと「ああ、そうなのか」とまた心が動く。
トヨタはプリウス一つで、一人の人間の心を何度も動かす。そうしているうちに漠然とした僕の中のトヨタ像が良いイメージに動き始める。 これはトヨタというブランド自体がDrive your dreamsなんていうタグラインをつけて、毎度テレビCFを流すよりはるかにトヨタブランドを「愛着」のステージに引き寄せてゆく
(以下次号)
しかしながら、売上好調! 勝って兜の緒を締めるタイプの会社で、しかも操業100周年成って言う会社は、自らのコアバリューを言葉で表すのは大変困難であると僕は思う。 例えそれが正しく言い表した言葉であったとしても、きっと物足りなさを感じることだろう。 この競争が激しい社会において雇用を守り、配当を維持する会社を一言で表せるようなことはおそらく、無い。
では、こうした会社が自らのブランドイメージをより良くし、できることなら第三の段階「愛着」にまでたどり着くためには何をすればよいのだろう?
簡単な道のりではないが私はそのブランドが、一年間に、いくつ人の心を動かすようなことをできたか?が重要なのだと思う。
例えば、トヨタというブランドのイメージを直に動かそうとするのは実に困難である。長い時間かけて作られた大衆イメージを、ブランドマーケティングによって変化させるのは並大抵ではない。
ただ、ディカプリオがプリウスに乗って、オスカーのレッドカーペットにアクセスした光景を見たとき、人の心はTOYOTAというブランドを認識しながらも、ついぞ動いてしまう。 その後何人ものハリウッドセレブリティーがプリウスの価値観を受け入れている話しをすると、もう一点入る。
日産のデザイン担当常務役員の中村さんが、競合会社であるプリウスのデザインを評価しているのを聞くと「ああ、そうなのか」とまた心が動く。
トヨタはプリウス一つで、一人の人間の心を何度も動かす。そうしているうちに漠然とした僕の中のトヨタ像が良いイメージに動き始める。 これはトヨタというブランド自体がDrive your dreamsなんていうタグラインをつけて、毎度テレビCFを流すよりはるかにトヨタブランドを「愛着」のステージに引き寄せてゆく
(以下次号)
いくつ持っているか?
以前「好きになってもらうこと」というタイトルのブログで以下のように書いた
「今日ブランドコンサルティングを頼むような企業は多くの場合、第二段階(信頼・期待を裏切らないこと)レベルにまでは達成している。 つまり第三の段階(愛着:思い入れがあり、自己表現にさえなる)レベルに挑まなければならないステージにいる。
しかしながらブランディングの作業に入ると彼らは、どうも真面目な対応をするばかりで、魅力的なことに対して消極的な対応となる」
この話をもう少し掘り下げたい。
ブランド強化活動は、競争力の源泉となっている構造的強さ、いわゆる「コンピタンシー」が何から来ているのかを顕在化させ、それをベースとした企業アイデンティティーを核にブランドマーケティングを行うのがセオリーとなっている。海外事情は詳しくないが、日本のブランディング活動は80年代後半にあったCIブーム以来、今も変わらずこの作業にものすごく多くのエネルギーを注ぐ。
僕はこれを「企業版自分探し」と呼んでいる。ブランドコンサルタントは異口同音にして、この作業が実に大変だという。とにかく企業内で色々な部門長が「我こそ、その強さの源泉なり!」と思っているのだから、「それを一つにしましょう!」なんていう活動に対しては、当然のごとく敏感に反応してしまう。
製造部門だったら「品質」や「信頼性」こそ最重要だと思っているし、営業部門なら「顧客第一主義」こそ我が社の強さという。開発部門は「イノベーション」こそ重要と言い(日本企業は特にイノベーション好きらしい)デザイン部門は「独自性あるデザイン」を主張する。
結果「我々は、顧客の求める価値に対し、独自な技術とデザインをもって挑み、それを高品質な商品へとすることで、人類の豊かな生活実現に貢献します」などという、全てが組み込まれた実につまらない言葉へと編集される。
大変失礼だが、小学校の教室に貼られている「やさしい子。元気な子。考える子」なんていうポスター並の出来である。これでは何の魅力もない会社にしか映らない。
(以下次号・・・・・・・)
「今日ブランドコンサルティングを頼むような企業は多くの場合、第二段階(信頼・期待を裏切らないこと)レベルにまでは達成している。 つまり第三の段階(愛着:思い入れがあり、自己表現にさえなる)レベルに挑まなければならないステージにいる。
しかしながらブランディングの作業に入ると彼らは、どうも真面目な対応をするばかりで、魅力的なことに対して消極的な対応となる」
この話をもう少し掘り下げたい。
ブランド強化活動は、競争力の源泉となっている構造的強さ、いわゆる「コンピタンシー」が何から来ているのかを顕在化させ、それをベースとした企業アイデンティティーを核にブランドマーケティングを行うのがセオリーとなっている。海外事情は詳しくないが、日本のブランディング活動は80年代後半にあったCIブーム以来、今も変わらずこの作業にものすごく多くのエネルギーを注ぐ。
僕はこれを「企業版自分探し」と呼んでいる。ブランドコンサルタントは異口同音にして、この作業が実に大変だという。とにかく企業内で色々な部門長が「我こそ、その強さの源泉なり!」と思っているのだから、「それを一つにしましょう!」なんていう活動に対しては、当然のごとく敏感に反応してしまう。
製造部門だったら「品質」や「信頼性」こそ最重要だと思っているし、営業部門なら「顧客第一主義」こそ我が社の強さという。開発部門は「イノベーション」こそ重要と言い(日本企業は特にイノベーション好きらしい)デザイン部門は「独自性あるデザイン」を主張する。
結果「我々は、顧客の求める価値に対し、独自な技術とデザインをもって挑み、それを高品質な商品へとすることで、人類の豊かな生活実現に貢献します」などという、全てが組み込まれた実につまらない言葉へと編集される。
大変失礼だが、小学校の教室に貼られている「やさしい子。元気な子。考える子」なんていうポスター並の出来である。これでは何の魅力もない会社にしか映らない。
(以下次号・・・・・・・)