The life is time killing till I die. -126ページ目

酒コミュニケーション

昨日確執って書いたのは拡大解釈しすぎだな。

やっぱり各世代ごとのカラーはあって当然。
で、それぞれの世代で、それぞれの解釈があったんだろうな。

注意すべき点は、それぞれが善意であったということ。
ただその善意のカタチが世代間で異なっていたため、別世代の不安が募っただけなんだ。

ただ解釈論では共通理解は生まれにくいんじゃないだろうか?
そんなのは所詮水をかけあうだけの話だから。

そこではやっぱり直接のコミュニケーションが必要になる、と思う。

子は親を見て育つように、後輩は先輩を見て学ぶ。
しかしうちの大学は1・2年と3・4年でキャンパスが違い、上級生と下級生が接する機会が極端に少ないため、見る(見られる)こともあまりない。


2年のときは、ちゃんとやっていると思っていても、3年になると何か足りなかったような気がする。
その何かを伝えたいのに接する機会が少ない。

しかも理想は後輩が感じ取ってくれること。
しかし姿を見せられない。
その何かの感じ方も人それぞれなんだから、言いたいこと言うだけの話し合いなんかじゃ意味をなさない。
大抵は、いやな気分が残るだけ。

呑んだくれの僕としては、酒を交えて話すほうが、理性のネジも弛んで、ホントの本音が出やすいから、そっちのほうがいい。
それでその思いを受け止める度量の大きさがコミュニケーション力だ。

だから僕は話し合いの場ではずっと疑問は残ったままだったし、当事者を連れて飲みに行こうと考えていた。
実際、酒の場のほうが本音を聞けたし、自分の本音も言った。
そして考えさせられたし、考えさせたと思う。
思惑通り。

ま、そんなとこだ。
焦点がどこか分からない文章だ。

一つは、体裁を取り繕うだけの話し合いに意味はない、ということ。
もう一つは、コミュニケーションツールとしてのアルコールは、意味があるということ。

確執

考えていた、コミュニケーションの難しさが、実際に起こってしまった。
しまったとは言っても、何もないまますれ違うよりかは、全く良い方向だとは思う。

会話でさえ、自分の感情を表しきれないのに、抑揚すらない文字の羅列、文章では、言いたいことの数%も表せてない。
今回は僕の所属する組織のBBSでの話。

詳しいことは置いておこう。
今日は、そのBBSでの、学年間のすれ違いが原因で、皆が集まった。
話し合いで。

共通理解を求めて。

が、今日の話し合い、全く以て目的が分からなかった。
ま、当事者であるにも関わらず、下準備もなく臨んだってのもあるが。

まず問題点の洗い出し。
組織としての基本姿勢の欠如なのか、学年間のコミュニケーション不足か、同学年内のコミュニケーション不足か。
それともただ学祭の話がしたかったのか。
おそらくその全てが問題点ではあろうが、それぞれがそのどれかを言うだけ言って、はい終わり。

それじゃあ折角コミュニケートする場を設けた意味がない。
言いたいことだけ言うなら今日は別に必要なかった。
流れからすると、まず組織としての基本姿勢の欠如があり、それを認識させるための同学年内のコミュニケーションが不足し、それを補完するための学年間のコミュニケーションが不足していて、今回の学祭の失敗に表面化したという感じだろうか。
しかしまとまらない。

法学部特有なのか、どうも個々の解釈論に偏りがちだった気がする。
それはコミュニケーションじゃない。

長くなりそうだし、もう遅いから、また明日。

今日、久しぶりに泣いた。

ここのところ、泣くという行為が自分の目標であったので、思わず泣いた自分に驚いた。
しかし、何が原因で泣いたのか分からない。
そのとき見ていたテレビ番組の感動的なシーンなのか、それとも自分の辛い経験を思い出したからなのか。

ただ泣くことは、自分を抑えている殻を打ち砕くことになると思っていたから、押し殺していた感情の起伏を解放できると思ったから、ね。
嬉しかった。

しかし、正直なところ、自分がホントに泣いたのか分からない。
夢現だったから。
もしかしたら、実際に涙は流していないのかも。
現実では泣いていないのかも。

確証がない。
だから実感がない。

だからいまひとつ感情の殻を破れた感覚がない。

日常に戻ってしまえば、またいつもの自分がいる。
過剰に自分の気持ちを表さない、周囲の環境たる自分。

そんな自分が許せない。
どこか成長を拒んでいるようで、自分の弱さを露呈しているようで。

そんな自分は嫌いだけど、やっぱりそれも自分。
認めたくないけど、やっぱりそれも自分。

それはまるで、聴き慣れない中世のチェンバロの不協の単音のような。

要領の話のつもりが逸れた

僕は、よく要領のいい人間だと言われる。
自覚もしている。

大学の授業も、出席が関係する講義以外、殆ど出たことがない。
出たとしても、せいぜいレポート出す日くらい。

テストなんかは、人から範囲聞いて、資料貰って、あとは独学。
要点だけ頭に詰め込む一時的な知識。

それでも単位が取れるんだから、大学なんて楽勝。

ま、それは事実だ。

おそらく僕は、必要と不必要を分別するのが上手いタイプの人間。
実生活においても整理整頓は得意だし。

ただ、勉強せずに、必要最低限の知識だけをもってこの大学生活を過ごしてきて、今多少後悔している。

語彙量や知識量、そしてそれらバリエーションが周りの友達と比べて乏しく感じる。
法学部なのに法律ネタも半分くらいわからん。
ましてやあまり好きになれない文学や、専門知識に触れていない政治経済なんて尚更だ。

まぁ雑学は好きだから、役に立たない知識はワリと持っているほうだけど。
単発で終わるし。

ただ最近、もうすぐ大学も終わると思い始めてきて、段々知識欲が湧いてきた。
今更。
大学4年目にして初めて知への欲求が芽生えた。

これまで無駄にした。
特に1・2年。

後悔先に立たず。

ってことで、最近よく本を読む。
しかし昔は雑誌か漫画しか読んでなかった僕、慣れない行為は要領がわからん。
スローテンポ。

ただ読むだけじゃなくて、理解することに時間かかるし、海馬に残すためにも時間がかかる。

時間が欲しい。
勉強する時間に遊ぶ時間に充電する時間、全部2倍欲しい。

不安?

不安は、自身の自信のなさの表れだ。

夏休みが明け、学校が始まる。
2ヵ月間の静寂を抜け、周囲がまた俄かに活気づいてくる。

みんな、何かと動いている。
それぞれの目的に向かって、着実に、もしくは3段飛ばしで、まぁそれぞれのペースで、動いている。

そんな中、僕は相も変わらず停滞してる。
それが僕を物凄く不安にさせる。

何かしなくちゃ。
何かしなくちゃ。

何かしなくちゃ。

焦るほど何も出来なくなる。
何もしたくなくなる。

それが不安を煽る。

これだけ生きていて、僕はどれだけ変わった?
成長の証が欲しい。

自分の経験は一般的な人と比較して、ワリと変わっているのではないかと思う。
しかし経験の価値は最も不確かなものだ。
分かりやすく数値化出来ないし、他者との比較も出来ない。

不安の種はそこにある。