The life is time killing till I die. -127ページ目

下手の横好き

僕は下手の横好きで、絵を描いたりデザインしたりするのが好き。
ホントにチャチなもんだ。

でもそのチャチさが自分らしい感じもする。
とはいえ上を見上げたらキリがないけど、もっと上手くなりたいと思う。

ってことでアドビのイラストレーターやフォトショップを分からないながらも使う。
気が向いたらなんか作ってみる。

今は名刺を作っている。
なにか目的があれば僕は意欲的になる。

なんでも出来るような人間になりたいから自ら名乗り出た。
無理矢理そういう状況にもってかないと成長しないし。

今はイラストレーターのほうが面白くてちょっと頑張ってる。
フォトショップはまだまだ苦手。

で、この前先輩が会社を立てたということで、電話が掛かってきた。
まぁ何するのか知らないけど、僕のセンスを頼って、なんかウェブサイトのデザインをしてほしいとのこと。
やったことないのに。

でも自分のスキルになると思って引き受けた。

ホントはそういう方向に進みたかったけど、厳しい状況なわけで。
独学でもできるだけやってみようと思う。

酔っ払ってるから文章が稚拙だ。

ノーマル

日本の教育の目的は、つきつまるところ、全ての子供をノーマライズすることにある。

誰もが、他の人と同じように国語もできて、算数もできて、理科社会を知っていなければならないとする教育だ。
長所を伸ばすより、短所をなくす教育だ。

それでありながら、今の時代は個性を求められている。
他と同じことをしていては、食べていけないからだ。
まぁ食べていける気もするけど。
分かりやすい矛盾。

まぁ昔は、戦後、高度経済成長やバブルの頃は、均等な労働力が求められていたから、ノーマライズすることが社会における最適化であることは頷ける。

しかし、個性個性って言ってる今でも、そのシステムは変わることがない。
今の社会が、アメリカから与えられたシステムで動いていて、今の社会は根本から改革する術を持っていないからだ。
まぁそんな政治批判を今しようとは考えていないけど。

ただ、改革が必要と思っている人達でさえ、ノーマライゼーション社会に洗脳されてきているわけで。
心の底では普通であることが良いと思っているのかもね。

僕らの親がまさにその世代だから、子供である僕らにも普通であることを望むのかな?と思う。
うちの親は特に、安定の代名詞とも言える公務員だし。

まぁ言いたいことは、ノーマライゼーションされた大人が、個性が必要なんて言っても、結局は一般的規範の中でしか個性は求められていないんじゃないかということ。

エジソンは、子供の頃学校には行かずに外で絵を描いたりしていた。
アインシュタインは最期までABCの順番が分からなかった。

それで世界に貢献した。

それはとことん長所を伸ばしたからじゃないだろうか?
そりゃ、そんな教育ばっかりはしてられないけど。

でも僕はそんなノーマライゼーション社会から脱却したい。
自分の持つ力でなければ出来ないことを探したい。

それは所謂反社会人的なのかな。

奇人or凡人

自分が生きているだけで、それは親孝行だ。

だから生きているならば、もっと親不孝をしなければいけない。

親は自分が思っているほど、自分のことを心配してはくれちゃいない。

自分の好きなようにすればいい。

若いときはとことん遊んでいたらいい。

ただ目をいろんなところに向けていろ。

そうしていれば、いつか自分が舞台に立たなければいけなくなる時がくる。

舞台に立ってしまったら、否が応でも止まることは出来ない。

そこで役割を果たせたら、人生うまくいく。


そんな話を聞きいた。
まさかもっと親不孝しろなんて言う人がいるとは思わなかったけど、これを聞いて幾分か気持ちが楽になった。
どうも自覚している以上に僕は親のことを気にしすぎていたらしい。

そう言ってくれた人は、自分が親孝行できなかったことを悔いている。
そしてその分、親戚や家族、世話になった人達みんなを大切にしいる。
余裕の大部分をそれに当てている。

こんなことができるなんて、ホント凄いと思った。

まぁその話の後、別の人に釘を刺されたわけだけど。

あの人は確かに成功したけど、今までそれ以上苦労してきてるんだって。
あの人は特殊な人だから。

普通の人とは違う、そんなことはわかっている。
あの人は確かに人生の成功者だ。
でも誰だって特異な人間になりたいって思う。

サルバドーレ・ダリは、特異な人間になりたくて、わざと奇人として振る舞っていた。

果たして普通と言われる人間になることと、変わっていると言われる人間になること、どちらがいいのか?
今少し分からなくなってきている。

愛・地球博2

僕は出来るかぎり無駄なものは省きたい人間だ。
部屋にポスター貼ったりオブジェ置いたりするのが好きじゃない。
オブジェなんかは雰囲気にマッチしてればまぁいいんだけど、とりあえず雑然と何かモノでごった返したりするのはイヤだ。

北欧共同館は、そんな僕に合っていた。
すっきりと色んな物が展示してある。
いっぱいあるけど、整然としている。

かなり理想に近い空間だった。

物販に置かれている食器やグラスやエトセトラ、フォルムが緩やかで甘美。
曲線フェチとしてはたまりませんな。
しかしその値段に手が出ない。
いつかはお前を俺の物にしてみせる!と誓い、渋々Exit…

その後、北欧共同館のあるコモンの真ん中のステージで、スウェーデンから来たジャズバンドがショーをしていた。
今スウェーデンジャズは来てる!と前から思ってたけど、その通りだった。
ジャズ好きな僕はもう、涎ダラダラだった。

そういえば、グローバル・コモンで最初に入ったのがイランだった。
そこで圧巻だったのはやはりペルシャ絨毯、まさにブルジョワジー。
きめ細かい模様が模様好きな僕に訴えかけてくる。
中には宝石のちりばめられた絨毯なんかもあった。
本当にアラビアンナイトな世界。

モロッコにも、そんな王侯貴族的雰囲気が漂っていた。
もうプンプンに。
そして曲線フェチ、模様好きな僕にぴったりの模様があった。
こういうのは凄い参考になる。
そしてすぐ影響される。

あとスリランカのブッディズム。
タイほど絢爛豪華というわけでもないが、華やかには違いない。
余談だけど、東南アジアは大体仏教を紹介してて、至る所で苦行で痩せこけている仏陀を見ることが出来る。
あと宝石の産出地で、カッティングの実演もやってた。
信じられないほどのローテクなのに、巧く面が作られていく様はまさに職人芸だ。
脱帽。

あとスリランカではインドネシア地震での津波の被害を報告してた。
無惨なほどに壊滅してた。
中越地震の時の思いが甦る。
そんなひとときだった。

他の国々のパビリオンも回って、いろいろな発見はあった。
インド人が「おめぇ何してやんでぇ!」って叫んでた。
カムシーンがあってロマサガ3を思い出し、なんか嬉しくなった。
他にも言い切れないほどの感動を貰った。
まぁどこのパビリオンか覚えてなかったりしてるだけだったりするけど。

でもやっぱ実際に自分の目で見ないことにはこの感動は伝わらない。
そこが人と人との間にある壁、ATフィールド。
それもしょうがない。

最終的には見てくれとしか表現できないもん。
少なくとも僕にはそれだけの価値があった。
それだけの、ことだ。

各国の人を見るだけでも有意義だ。
万博会場を隈無く歩くだけでも有意義だ。

どっちも行かなきゃ分からないこと、だから知ると楽しいし刺激的。

次日本で万博があるときには、どの国も自分自身も相当様変わりしてるだろうし、次は子供連れていったりしなくちゃいけないだろうから、今回みたいに自由に動けないはずだ。

こんな時間は二度と訪れない、今という時間は戻らない、そう思って、各パビリオンが閉まる21時まで、足を酷使した。
目も耳も酷使した。
それでも見れないものも多々あったこどが惜しい。

そりゃ帰ったら半端ない疲労感に襲われたけど、それすらもいい思い出。
ホント行って良かった。

こんな言葉でしか締め括れないのが悔しいと、自分のボキャブラリーのなさを責める。
それくらい良かったな。

うん、良かった☆

愛・地球博1

親戚の家から車で5分、7時半に到着。
既に長蛇の列が出来ている。
聞くところによると、5時くらいから並んでるそうな…。

そんなに見たいものがあるのか?ってほどの執念。
恐らく、人がなかなか見れないものを見たという優越感が気持ちを駆り立てるんじゃないかと思う。

8時半開場時点でおよそ2万5千人。
手荷物検査を経て、7時半に並んだ僕が中に入れたのが9時。

まだかまだかと気を揉んでいる間にも、先に入場した人は一目散に目的パビリオンへダッシュ。
個人的にはトヨタパビリオンが見たかったけど、入場時には時既に遅し、整理券は打ち切られていた。

この調子ではマンモスも無理だろうな。
完全に目的を失った僕は、比較的空いていた、ガスパビリオンの列に並ぶことにした。
というか、最初はどこと知らず入ったのだが、ガスパビリオンはパンフレットを見て行きたくないと思ったところだった。
しかし振り向くと人そして人。
もったいないおばけが、そこから脱出したい僕をその場に止め、結局見た。

ガスパビリオンで唯一良かったのは古田新太、それだけ。

見終わってからは、兎に角数多くのパビリオンを体験しようと、全部で6つあるグローバル・コモン行脚を敢行。
これを決めたのが大体10時半。
ガスパビリオンにどれだけ拘束されたんだってことが質より量を選択させたわけだ。

グローバル・コモンはやっぱり各国の経済格差(?)、お金のかけかたに差が出てるようだった。
オセアニアや、南米、アフリカの国々は、数カ国共同で一つのパビリオンを営んでいる。
で、大して企画もなく、専らお土産販売。
そのお土産も幾つか商品がかぶってるから尚タチが悪い。

僕が良かったと思ったところは、ポーランド、チェコ、フランス、イタリアかな?
あとイランとスリランカ、モロッコなんかも良かったな。
あ、あと北欧共同館。

ショパン生誕地、ポーランド館ではその日だけショパンピアノコンサートをやってて、心地良かった。
で、無性に音に触れたくなってドヴォルザークの故郷、チェコ館に行ったらいろんな楽器が体験し放題で、独りはしゃいでた。
特に水に反響するように作られているピアノが天国。
ま、調律は結構合ってないし、鍵盤が重いというかのろく、思うように弾けなかったけど。

チェコはかなり能動的に触れることができたので、ある意味一番楽しかった。

イタリア館はサテュロス像が見れたこと、フェラーリのエンジンが見れたこと、オリーブの老木が見れたこと、チョコレートで作った自動車が見れたこと、洗面台とかの先進デザインが見れたこと、そんなんが全部刺激的だった。

フランス館は、壁面と天井がフルスクリーンになっているシアターがあった。
そこで「未来に将来はあるのか?」と題した映像作品を流していた。
名前忘れたけどフランスの映像作家が、フルスクリーンの迫力を巧く生かしていて、未来に警鐘を鳴らしていた。

ただフランス館に並んでいるとき、後ろの女性2人組が、ルイ・ヴィトン目的でいて、腹が立った。
どのバッグ買う(売ってない)とかルイ・ヴィトンアイランドはヴィトンの柄で覆われてるとか(断じてない)、その浅ましさにイライラした。
ルイ・ヴィトンにも失礼だ。
そもそもルイ・ヴィトンは旅行をより豊かに楽しめるような鞄作りがコンセプトなのに。
だから今だってその人に合わせるためにオーダーメイドをしてるのに。

ただの持ってりゃ女の格があがる的なステータスアイテムのように軽々しく思ってほしくない。

話が逸れまくり。
今は帰りの新幹線の中。
一旦休憩。