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まず初めに、東日本大震災から4年ということで、震災において亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、一日も早い被災地の復興を願います。
さて、今回で第3回目になりますカール・ヤスパースの『哲学入門』のまとめシリーズ。みなさんいかがでしょうか?とっつきにくそうで、実はとっつきやすく、でもやっぱりよく分からないってのが哲学に対する私の印象です(笑)。
前回のおさらい
・哲学は誰にでもできる。
・哲学とは真理を探究すること(その過程)。
・哲学には人と人との交わりが必要。
・哲学は衝撃により生まれる。
・本来の存在とは考えることができないもの(考えることができるものは本来の存在ではない)。
・神はいる。しかし、その正体は不明。
・無制約的な要求はある。
・人間は不完全だ。
・そんな時に頼りになるのが神の導き(伝統)。
・世界は認識不可能。
・無信仰性の回避には啓蒙が必要。
・だが、過信は禁物。
前回までの話はコチラ
『哲学入門』
その1 http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11991963584.html
その2 http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11991963813.html
それでは前回の続きから。
第九講 人類の歴史
現在そこに在るものは歴史ほど重要ではない。歴史は人間を現代の束縛から解放し、最高の可能性を人類に提供するのです。
本書によれば人類の歴史は四段階に分かれるらしいです。
第一段階:言語の発生、道具の発明、火の使用など。遠い昔。
第二段階:紀元前5000~3000年。四大文明の発展。
第三段階:紀元前500年ごろ。現代にも通じる精神的基礎の確立。
第四段階:中世末期のヨーロッパ以降。科学的・技術的時代。
ヤスパースは第三段階の精神的発展の時代を枢軸時代と呼んでいます。この時代に老子、孔子、荘子からウパニシャッド、釈迦、そしてツァラトゥストラ、エリア、イザヤ、エレミヤ、ホメロス。ヘラクレイトス、プラトン、アルキメデスが現れました。世界同時多発的に思想や哲学が発達したんですね。そして、中国、インド、西洋では同時に大帝国も作られました。
現代において歴史とは世界史を意味します。それ以前の歴史は郷土史の集合でした。人類の歴史は第二のスタートを切ることになったのです。
歴史は人類の進む道を教えてくれます。歴史は人間とは何であるかを教えてくれます。ということは、つまり歴史には神が宿っていると言っても過言ではない?
歴史は人類の統一という究極的な目標達成のためのカギであると。つまり、すべての人間自身が最高の可能性へ到達する状態というわけです。(哲学の前提は人と人との交わりですからね。)
歴史から学びとれる超越的な基礎、これを求めることにより、より人間らしい生き方ができるということなのでしょうかね。
第十講 哲学する人間の独立性
哲学することとは、あらゆる条件のもとにおいて内的独立性を闘い取ることを意味すると。
古代における独立した哲学者像の特徴は以下の通りです。
1.無欲
2.不安がない(宗教が教える恐ろしい話の虚偽を見抜いている)
3.国家や政治に関与しない
これで、他者に支配されることなく真理を探究できるってわけですね。しかし、これはこれで内面はコチコチに凝り固まってしまいます。
イデオロギーなるものも自己の独立の邪魔になりますし、外面的に色んな拘束から逃れたとしても内面に目を向けないような状態は真の意味で内的独立性を得たとは言えません。
また、人間は他者を頼りにせざるをえないので、自分だけで独立性(自由)を得ることはできません。というわけで、純粋な絶対的独立というものはあり得ないのです。つまり、世界との関わりにおいて初めて独立性を得ることができるというのです。
独立性、内的自由、つまりあらゆる可能性に自己を解放すること、そして真理や人間性を探究することというわけですが、その考え方を学ぼうというのが哲学というわけですね。
第十一講 哲学的な生活態度
日常の繰り返しによる秩序の形成は個人で築きあげるしかありません。
哲学的な生活態度への意思はある意味ニヒリズムに陥ったところから生まれます。日々の仕事に忙殺されているような状態では自己忘却に陥ってしまいますが、それが同時に怠慢と罪であると自覚することが哲学的態度というわけです。
ここで、自己確認(内省)について、こう述べてあります。
1.1日の出来事について自己反省する
2.本来の存在や神性について思いを馳せる
3.現在何が行われるべきかについて考える
しかし、自分は常に疑わなくてはなりません。真理は人と人との交わりの中にしかありません。
また、哲学することは生の学びでもあると同時に死の学びでもあると。この死の能力が正しく生きることの条件と。よく分かりませんが、自分の意志で死ねない状況は善く生きているとはいえないことなのでしょうか。
さらに哲学とは知識の限界の向こう側へと進む態度とも言えます。科学的に明らかなことだけでは分からないことへのアプローチということでしょうか。思惟の力を鍛える行為とも言えるでしょうね。
そして注意しなければならないのが、言っていることと本心が無意識にひっくり返ってしまうことです。みんなのためと言いつつ、実は自分のためだったとか。自分の内面への問いかけは常に行う必要がありそうです。
哲学者とは何かの目標に到達することが目的ではなく、永遠に追い求め続ける、その過程の存在なんだそうです。まぁ、それが生きるということなのかもしれませんが。
第十二講 哲学の歴史
哲学は教会よりも古くから存在しますが、宗教に比べて弱い存在でした。教会が万人に開かれているとしたら哲学は個人に開かれているのですが、哲学とは自分で獲得されなければ触れることができません。
哲学を研究しようとするならば、まず哲学をするところから始めなければなりません。そして、それから哲学史の世界を見渡すのです。
西洋哲学はギリシア哲学、キリスト教哲学、近世のヨーロッパ哲学、ドイツ観念論の哲学に分類されるとのこと。また、キルケゴールやニーチェはそれまでの哲学者とは違い、現代の危機に即応して現れた独特の人物だと。
哲学史の体系には色々ありますが、統一は結構むずかしそうです。ただ、理念としてはあるようですが。
また、哲学の起源を探ろうにも記録上初めての哲学を見つけたとしても、それはそれ以前からの積み重ねによるものであって、それは哲学の起源ではありません。
さらに哲学とは進歩する類のものではないということにも注意が必要です。哲学はどの時代にも存在するし、時代間において優劣などはないのです。
しかし、哲学することにおいて、既に思惟された数々の哲学者の考えというものは実に参考になります。ただ、それらはあくまでも材料であって、哲学とは自分自身で行わなければならないものなのです。ある偉大な哲学者の本を読むことは悪くはないが、その人だけにこだわることは哲学とは言えません。あらゆるタイプの思想にふれることで可能性を幅広く広げていく必要があるでしょう。
そして、過去あるいは未来に没頭することなく現在の現実を大切にしないと、時間の制約から解放されることはないのです。
以上、全十二回にわたる講義のまとめでした。
いやぁ、なんとなく分かったような分からないような・・・。
自分なりの哲学を見つけて本来的な人間になるべく、真理への探究を生涯続けていかなければならないということなのでしょうね。
今回分をざっくりまとめるとこんな感じですかね(;^_^A
・歴史は神の存在を匂わせる
・内的独立性を闘い取るための考えも哲学の一環
・自己の反省を常に忘れず
・哲学を研究するのはよいが、大事なのは自分自身で哲学すること
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